第54話 贅沢な経験

 何度も何度も足に伝わる気持ち悪い感覚と経験したことがあるからこそわかる同情してしまう感情に耐え続け金玉袋が血で赤黒く染まり始めた頃……

「よっしゃ!抜けた!」

 僕の噛まれていた腕を何とかして抜き取ることができた。

 あふれ出してくる泡は僕の攻撃によりものだろうか、それとも僕が喉に手を突っ込んだことによる窒息によりものだろうか?

 僕には判断つかない。

「この雑魚が。よくも僕の腕を」

 泡を吹いて倒れているデメウルフの口に向かって矛の柄を抉りこむ。

 全体重をかけると肉を突き破り骨を砕き、僕が矛で切り裂くことのできなかった皮まで達することが出来た。

「まぁまぁそこのお方。確かにデメウルフは醜い魔物ですし触りたくもないのはよくわかりますがやりすぎるとあなたまで穢れてしまいますよ」

 僕がここまで汚れてしまったらとなると開き直って徹底的にぐちゃぐちゃにしていると聞き覚えのある声が聞こえてきた。

「ああ、『勇者』じゃないですか。――どうしてここに?早速ですけど……僕の命を助けてください」

「えっ!」

「僕、血を流し過ぎました」

 デメウルフに噛まれて血があふれ出した腕をひらりと見せると顔を真っ青にしてあわあわとしだす。

「胸が、えっ、足……あの顔まで……それにすごい熱!」

 僕の様子を見てさすがに動揺を隠せないようだ。

 『勇者』メルシュ・リトルメラ、ボルベルク家の『最高位』兵士の一人で珍しく僕に優しく接してくれる。

 ボルベルク領でのつらい日々、僕が死にそうになるたびに助けてくれた。

 命の恩人の一人だ。

「い、急いで『聖龍』のところへ連れて行きますから少しだけ我慢してくださいね!」

 デメウルフの体液まみれで見るのも嫌になりそうなほど汚れた僕を『勇者』は何の抵抗もなく自分の胸に引き寄せ、お姫様抱っこをして運んでくれる。

 僕よりも圧倒的に身長の小さい『勇者』にお暇様抱っこされるなんて少し恥ずかしいけど、その優しさはそんなこと気にならないくらい嬉しい。

 景色が流れていくように過ぎ去っていき、あっという間に僕が歩いていたら何時間もかかっていただろうなと思ってしまう距離を進んだ。

 森を超えると海岸線が見えた。

 僕は島の真反対に流れ着いたようだ。

 そこには父上の号令で真っ先に海に飛び込んでいった『最高位』の人たちや『高位』の人たちの休憩所となっていた。

 なかなかの量の食料に身の回りの道具など最低限の生活に必要なものはある程度全て揃っていた。

 クソ!

 この僕が孤島でひどい目に遭ってたというのに悠々と過ごしやがって……

「『聖龍』!何処にいますか?『聖龍』!」

 『勇者』はその小さな体から甲高い声で騒ぎ、『聖龍』こと治癒系統のエルメもちで唯一の『最高位』のエルシャ・シャクシンを騒ぎまわる。

 いったいここに何人の『最高位』の人がいるのだろうか?

 毎年のことながらこの時期は犯罪発生率が飛びぬけて高いと聞くがこれが原因だということが分からないのだろうか?

 心の中の僕が領主になると改革することリストの上位に赤丸にして書いておこう!

「はいはい。『聖龍』です」

 騒ぎまわったせいかたくさんの人の視線を浴びているような気がしなくもないが、そのかいあってどう見ても治療する場所だと分かる『聖治院』の紋章である血と光の紋章のかかったテントから出てきた。

 この面子でわざわざ治療をする必要が出る程の戦闘があるのかどうか僕には分からないが、そのおかげで僕の治療をしてもらえるんだ。

 一応感謝をしておかなくては。

「急いで!フリード様が――」

 『勇者』がそういったところで『聖龍』手で静止を合図され大人しく従う。

「確かにこれは頑張ったんだね。とりあえず汚いから奇麗にしてもらえる?」

 汚い!

 それは僕がこれまでの人生で一度しか言われてこなかった言葉。

 だいぶ前にレイブンに言われて以降決して言われるとは思ってこなかった言葉がナチュラルに繰り出された。

「それに臭いし、血も止まっているようだからとりあえず水浴びでもさせてあげて」

 臭い!

 それは僕がこれまでの人生で一度しか言われなかった言葉。

 だいぶ前にレイブンに言われて以降決してもう聞くことはないと思っていた言葉がナチュラルに繰り出された。

「確かに汚くて臭いですけど、この怪我ですよ。一刻も早く対処しないと!」

 汚くて臭い。

 このコンボは初めてだ。

 僕が言われることになるなんて夢にも思わなかった。

「大丈夫大丈夫。フリード様ならこの程度日常茶飯事だから。それよりも『漆黒』も呼んで二人係で奇麗にしてあげなよ。さっきそこらへんで見かけたよ」

「んん~!分かりましたけど、その分しっかり治してあげてくださいね!」

「シエル!何処にいるの?すぐ来て!」

 今度は『聖龍』が大声を出して『漆黒』ことシエル・リトルメラを大声で呼ぶ。

 全くここの連中には探しに行くという習慣はないのだろうか?

「何となく話は聞こえていたわ。私も手伝っていいようならいいけど……」

 今度は木陰から現れた。

 手伝っていいようならって……僕は早く楽になりたいんだ。

 むしろ手伝ってくださいと言ってやりたい。

「ええ、可哀そうだから早くしてあげてね」

 『勇者』と『漆黒』はぐったりしている僕を小さいながら安定した水量の流れている川に連れて行ってくれた。

 そして僕の服は無理やり脱がすのは難しかったのか、『勇者』がデメウルフと格闘した際にベタベタになって肌にへばりついていた服を斬って脱がす。

 瞬く間に生まれたときの姿に還ると流石の僕でも少しばかり羞恥心を覚える。

「『装穴』」

 『漆黒』がそう唱えると川の一部に人間三人は余裕を持ってはいることが出来そうな大きさの穴を創り出す。

 少し時間がたてば川の水がたまってくる。

「じゃあご一緒しますね」

「同じく私も……」

 『勇者』と『漆黒』は身に着けていた鎧と武器を地面に置き、鎧に下に着る薄着姿になって僕と一緒に冷たい水につかる。

 ひんやりとした水は高熱にうなされてた僕の熱を奪ってくれるが、溶解度が小さいのか思ったように僕の汚れを落としてくれない。

 傷のないところは『勇者』が、傷があるところは『漆黒』が汚れを落としてくれる。

 『勇者』の少し不器用な力強い洗い方と『漆黒』のエルメ『溢れ出す靄』を使って傷口一つ一つを痛くないように丁寧に流してくれてこういうときだけ僕は偉い人なんだと実感することが出来る。

「こんなにひどい怪我……数に押されてこうなったわけではなさそうですね……何と戦ったんですか?」

「オオスジニべよオオスジニべ。僕が飛ばされた島に少し血を垂らしたら食らいつきにわざわざ来て殺されそうになって……」

「ああ、オオスジニべでしたか……よく逃げ切れましたね。海流を操ってきてうざいですからねアレ」

「僕があんな魚にどうしてここまで痛めつけられたにも関わらず逃げることが出来ると思う?」

「いや、しょっちゅう私たちとの訓練から逃げてるじゃないですか。命乞いしながら靴を舐めたとしても私たちは驚きませんよ」

「倒したよアレ。最後に角をあまたに埋もれるくらい強く叩いて頭潰れてたから!」

「……本当ですか?」

「僕が戦歴を誤魔化したことがある?」

「ないです」

「なら答えは分かるでしょう」

 聞き分けのない子供を諭すようにして言うと、ピカッと『勇者』が目を光らせる。

「――すごいです!すごいです!オオスジニべっていったら『上位』の人間でも負ける人がたまにいるくらいの強さなのに『中位』で倒すなんて凄すぎますよ!」

 即席の水風呂の中でぴょんぴょん跳ねながら体を洗ってくれる様子といえばかわいらしいことこの上ない。

 この話を先輩たちにしたらうりゃましがるだろうな~

 『勇者』が興奮した様子なのと打って変わって『漆黒』は淡々とただ僕の体を丁寧に洗ってくれる。

「どうやって倒したんですか?フリード様の強さだと紫電纏いをしてないオオスジニべでも相当厳しい戦いになりそうな気がするのですけど……」

「それが……僕もとうとう大人になったということかね?エルメの新しい能力を使うことが出来るようになって――」

「それって『高位』になったということですか?」

「いや、そういうわけではないですけど、『固位』の範囲で目の色を掛け合わせることが出来るようになったんですよ」

「フリード様の――」

「――それはもうしっかりとコントロールできるようになった能力ということでいいんですか?」

「いえ、まだ一度しか発動させてないのでよくわかってないけど、どうかしたか?」

「ならある程度制御が出来るようになるまで戦歴を誤魔化すことはよくないですけど、新しい能力のことは誤魔化しておいた方がいいかもしれませんよ」

「どうして?」

「私、テンザン様達が満足するまで何度もフリード様を瀕死に追い込むなんて嫌ですよ」

「ああ……なるほど……」

 そんな会話をしていると僕の体にだんだんと爽快感を感じる。

 指を動かしたりしていてもさっきまで感じていたヌルヌルとした感覚は無くなっている。

「そろそろ僕も自分で思いっきり動きたいのですけど……」

 そして本当に寒い。

 夏とはいえ水浴びするにしては嫌になる。

「確かにそろそろいいかもしれませんね」

 それでも僕の服どうしようか?

 さっきばらばらになった僕の服以外にこの裸の姿を隠すことのできるすべを僕は自分で隠すという情けないマネ以外知らない。

「私たちの鎧は入りそうにありませんね。さすがに抱っこは恥ずかしいでしょうしおんぶにしましょうか」

 僕が川の外に出してもらうと『漆黒』の靄で服のような形をしたシルエットを作ってもらうことで僕の想像していたことにはなりそうにない。

「メルシュ、私がフリード様の体を操作するから体を隠す必要もわざわざ運ぶ必要もなかったよ」

 『漆黒』が指を差し出してくるくると動かすと僕の今の状態ではとても立つことも出来そうになかった足で二足歩行でしっかりと立つことが出来た。

「おっ!おおっ!おおおおお!」

 勝手に体を動かされているという違和感は半端ではないが、地面に立っても垂直抗力を受けているという感覚がない。

 それでも動くことが出来ているんだ。

 なんて怪我をしているときに優しい能力なんだ!

 行きは少し恥ずかしい思いをしての移動となったが帰りは結構いい感じだ。

「やっぱり自分の足で満足に移動できるっていいですね!」

「ええ、早く治療して自分の力で歩くことが出来るようになるとなおいいですね」

 『漆黒』の操作する僕の体というものは素晴らしい性能で普段の僕と遜色ないどころかそれ以上の身体能力を全く疲れることなく引き出すことが出来る。

 今は走っているが普段よりも圧倒的に早いことが移り変わる景色で感じることが出来る。

「とうちゃーく!」

「『漆黒』!イルミナの代わりに僕の護衛にならないか?」

 『漆黒』の顔を覗き込みながら提案する。

 この提案方法でこれまで僕のお願いを断った女性は誰もいない。

「やめておきますよ」

 だけど何事にも初めてはある。

 今回がたまたまそうだっただけだ。

「どうして?」

「確かに私のエルメは護衛向きでもあるし応用の仕方によっては何でもできますけど……肝心の私が封リード様の訓練を厳しくつけてあげることが出来ないのでそこはイルミナには及びません」

「むしろそこをかってるんだけど……」

「ダメですよフリード様。あなたの将来はあなたが思っているよりもたくさんの人に強く期待されているのですよ。もしも私が教育を少しでも間違えてしまったらと思うととてもじゃないですけど無理です!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

毎週 土曜日 18:00 予定は変更される可能性があります

五苦の瞳 ~すべてを生まれた時から手に入れているはずなのに、人生というものは辛いものだった~ てっちゃん @Kottanin

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ