第48話 悲しい出来事

 僕が部屋に入ってからまだ一時間ぐらいしかたってないのにどうやってここまでの準備をしたのかは分からないけど、その一時間ずっとお菓子と紅茶を飲んでいたのであまりおなかがすいていない。


 こんなことになるならお菓子を食べるんじゃなかったと少し後悔しながら見覚えのない外部の人間から串焼きを受け取る。


 脂っこい肉に濃いたれをたくさん絡ませた肉は僕の鼻に腹が減ってたら唾液を大量に分泌させてたであろう香ばしい匂いを放っているが残念ながら僕はそこまで腹が減っているというわけではない。


 口の中に入れてみると意外にもいい肉を使っているのか、僕が普段口にしている肉と遜色ない柔らかさとうまみを兼ね備えた肉に少し驚きながらも、少し渋そうな顔を取り繕う。


 五つの肉の欠片の内二つを腹に入れたところで視界の端で父上が談笑しているのを見つけた。


 僕とは違って忙しそうにしているので話しかけに行くわけにはいかないだろう。


 そのまま一人で音楽を演奏したりダンスをしたりしている様子を眺めていると勝手に時間がたって行ってくれる。


 しばらくそのまま何もせずにして、そろそろ部屋に戻ってそろそろ意味のあることをしようと考え始めたとき、屋敷の方向からよく見た顔が見えてきた。


「ミライムさん!」


「あっ!フリード君!」


 僕が小走りで走っていくと少し驚いた顔をしながらミライムさんが振り向いた。


 僕もようやく親しく話すことが出来る人と話すことが出来て、それがミライムさんだということがうれしくてしょうがないからかいつもの六割増しの笑顔を披露することが出来た。


「どこに行ってたのですか?思ったよりも早く挨拶が終わって宴の準備をルミナス伯爵に手伝ってもらったあとに一応探したのですよ」


「特に用事がなかったですし、一人で部屋にこもってましたけど、探してくれてたのですか?」


「もちろんじゃないですか。私たち以外、基本的にみんな忙しそうですから一人だけにしてると暇してしまうじゃないですか」


 曇り毛のない瞳で僕のことを心配してくれているミライムさんを見ていると本当に自分が浄化されていくかのようで見れば見る程ミライムさんのことしか考えられないそんな体になってしまうかのようだ。


 この世に存在するとは思えないほどの美貌を持ちそれでも一切偉ぶらない。


 そんな人が他にもいるだろうか?


 僕のことを心配してくれて、それでも仕事や契約についてはうるさくて。


 だからというわけでもないが、自分からは絶対に約束を破ったりしない。


 周りが喧噪に包まれていて人がいるにはいるが誰も僕たちのことを気にしていない。


 そんな状況だからだろうか?


「……好き……」


 という言葉が意外なくらいにするっと口から勝手に出てきた。


「——あ、いや、これは……」


 僕は一瞬でとんでもないことを口に出してしまったことに気がつき、何と言ってごまかそうかも思いつかないままこの場を乗り切ろうとして慌てていた。


 なんていえばいいだろうか?


 ここで好きじゃないと言ってはいけないと思うけど、肯定するのは僕にはまだ早すぎる気がする。


 僕とミライムさんは学園に入るまではよく話す関係ではなかった。


 パーティーに出たときによく目にして、目があったら頭を下げる。


 もちろん話したことが無いかと聞かれればそんなことはないのだが、個人的なことをバンバン話せるほど仲が良いかと聞かれると頷くことが出来ない程度だ。


 学園に入ってからは仲良く話すことが出来るようになったし、遊んだりすることも出来るようになった。


 少しずつ接していくにつれて新しい発見もあり、意外なところも見つかった。


 その度に僕のこの想いは強くなっていって、今にもはち切れそうだ。


 学園に入ってからの六か月間、僕の想いはあふれんばかりに増大してついに言葉となってミライムさんの前で現れてしまった。


「そうですね……うぬぼれかもしれませんけど、フリード様が私のことを好意的に思ってくれてたのは私も気が付いてましたし、驚きはしませんでした。ですが、ごめんなさい。私も嫌いというわけではないのですが、そういった話は家族を通して頂けないと返事に困りますので……」


 僕がうまく取り繕うことが出来るアもなくミライムさんから僕の胸を抉るような言葉が返ってくる。


 その返事は想像していた。


 ミライムさんほどの影響力を持つ人がそんなに簡単に恋仲の人を作ることが出来ないことも分かっていた。


 分かっていたけど……


 辛いよ……


 辛すぎる。


 僕、初めてあったときからその姿に一目惚れしてしまってそれから一瞬たりともミライムさんのこと忘れたことなかったんだよ。


 そんなに気まずそうにしないでほしい。


 僕が勝手に言い出したことなんだ。


 僕が勝手に心の内に隠してたことを言ったんだ。


相手が困ることだってわかってたのに……


 僕は今どんな表情をしているのだろうか?


 ミライムさんは少し辛そうで、それでも凛としたところは相変わらず美しくて、手が届かないものだってわかってしまったけど、手を伸ばさずにはいられない。


 それでも僕の手はもう届かず、あきらめることしかできない。


 諦めなければミライムさんに今度は面倒だと嫌われてしまうかもしれない。


 たとえ、降られてしまった身だとしても嫌われていないというならこれからもせめて嫌われずにはいたいものだ。


 周りは相も変わらず僕たちの存在を知らないかのように僕たちを除いて楽しそうに明日の戦闘に向けて気力を溜めている。


「……だから、ごめんなさい」


「……そうですか」


 僕にはそう返事をするだけで精いっぱいだった。


 それでもこのまま離れてしまうとわざわざ僕のために行動してくれたミライムさんに申し訳ない気持ちだけを与えるだけで僕としても申し訳が立たない。


「僕はもう少し一人で宴を楽しんでおきたいのでエレーファたちと楽しんでいてくださいよ」


 僕としてもうまく表情を取り繕う音が出来ていたと思う。


 ミライムさんの返事が返ってくる前に踵を返して一人に慣れる場所を探して彷徨う。


その足取りは不確かなもので幾度となく人にぶつかったが相手も宴気分であることと僕が何の反応もなく通り過ぎて行ったので特に呼び止められることなく人影の比較的少ないビーチに出ることが出来た。


 これから死ぬほど見ることになるビーチにわざわざ来る人も少ないのか、遠くから楽しそうな宴の音が聞こえるだけで一人静かになれて気分を落ち着けるいい場所だ。


 普段の僕なら三秒も見てたら飽きるような雲一つ、陰り一つな満天の星空も寝転んで見入ってしまっている。


 世界はこんなにも広いんだ!


 たかが思い人に振られたぐらいそれは大した問題だろうか?


 そう思えたらどれだけ楽なのだろうか?


 少なくとも僕にとってミライムさんはこの程度の星空なんて比べることがおこがましいほど大きな存在だ。


 この程度の星空がミライムさんと同じレベルの物ならば僕は特に悲しんだりしない。


 僕だってすべてがこの世の中僕の想い通りになるなんて思っていない。


 ならないことの方が多いくらいだ。


 ある程度のことなら僕が落ち込む時間もなく、すぐに諦めがつく。


 僕もこのミライムさんと出会ってからの時間ただ好きだったのではない。


 僕のこの心すべてをささげる程の愛、僕の性格を著しく変化させてしまうほどの愛だったのだ。


 ……考えたら悲しくなってしまう。


 もうあきらめてすぐには無理かもしれないけど次の恋を見つけることが出来たら……




 それからは僕としても丁寧に対応することが出来たと思う。


 少々他人行儀な感じになったかもしれないが、その程度特に気にしたりするような人でもないはずだ。


 僕は今自分の部屋でベッドにうずくまっている。


 初めての経験かもしれない。


 これほどまでに何も感じずに時間を過ごすことが出来たことはない。


 ただただボーっとした時間。


 ほんの数分前のことを思い出すだけで目の前が涙で見えずらくなっている。


 このまま落ち込んでいるだけではいけない。


 それは分かっているし、実際そうだし、そうしたいのはやまやまだが、とても訓練をしたり、誰かと話したりするような気になれないし、全くといっていいほど創作意欲も湧いてこない。


 だんだんと瞼が重くなってきて、その重さに身を任せていると、僕の意識はだんだんと遠くなっていった。


 僕は久しぶりに夢を見た。


 その内容は僕の五歳の時の誕生日パーティー。


 初めてミライムさんにあったときのことだ。


 それまでの僕は我儘というわけでもないが、僕のカッコよさをもってしてもあまり人に好感を持たせることが出来るような性格ではなかった。


 僕自身、家族を含めて他の人間のことを邪魔な汚い存在としか思っていなかった。


 いるだけで邪魔なのにすり寄ってくる気色の悪いもの。


 圧倒的な権力を持つ公爵家の次期当主である僕にも相当の権力がある。


 子供の時にはあまりにしつこい奴を家来に命令して殺したりしてた。


 なんせ僕の目には空気中の埃はもちろん、細菌まではっきりと見ることが出来る程の目を持っている。


 そんな目を持っている僕だ。


 日々の生活。


 生きていくだけでも吐き気のするようなものだった。


 生きていくためには何かに触れたりしなければならない。


 はっきりと視認するとこができる細菌に自分から最近に触れなければいけない僕の気持ちが分かるだろうか?


 食事をするのがどれだけ不快のことか。


 僕にとってはすべての摂取が埃や虫の死骸まみれの地面に落ちたものを食べることに等しかった。


 そんなときに現れたのが、その体に一切の穢れを持たない一人の少女だった。


 僕は初めて見た、その穢れのない体に一目惚れをした。


 僕が一生を添い遂げることが出来る人はこの人しかいないと思った。


 それからはミライムさんのことしか考えることが出来なくなって、不可視の呪いの持った眼鏡と完全に細菌を遮断することのできる戦闘用のマスクを手に入れてからあまり僕は人のことを邪魔だと思わなくなってきた。


 僕が人に興味を持つことが出来るようになったのはミライムさんがいるからだ。


 ミライムさんには感謝しかない。


 いくら振られてしまったとしても僕の恩人でもある人だ。


 恨みなんてあろうはずがない。


 ……それでも悲しいことには変わりないが。

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