第42話 生理的に受け付けない人間

 そんなことを話しているとイルミナが連れてきた男の人が気まずそうにしていることに気が付く。


 僕たちみんな上級貴族、そしてイルミナは僕たちを一瞬のうちに葬ることが出来るような実力者。


 僕が彼の立場だったら足が震えていたかもしれない。


 実際、彼は目で見てハッキリと分かるほど震えている。


 それでも一言も話さずに息をするのを最小限にしているのを見ると少しかわいそうに思ってしまう。


「…………あの……私もそろそろ仕事をしてもいいですかね?」


 僕が憐れんでいると隅で固まっていたものの勇気を出して声を発した。


 おずおずとしていてもっとシャキッとせんか!と普段なら思っていただろうし、今も全く思っていないかどうか聞かれると首をかしげてしまうが、ここは彼の勇気をたたえて何芋思わなかったことにしておこう。


「むしろ何してるんですか?仕事でしょう。何も言わないでも状況を瞬時に判断して治療してくださいよ」


 イルミナには血も涙もないのだろうか?


 僕が憐れみの念をさらに送ると彼の顔は真っ青になっており、今にも倒れてしまいそうなほど気持ちが悪そうだ。


 足の震えもさらに増したものになっており、振動の速さは凄まじいものだ。


 それと同時に周りの人はどう思っているのか気になる。


 エレーファとミライムさんの表情を盗み見ると、エレーファは僕と同じことを思っているのか、同情している様子で少し居心地が悪そうだ。

 僕も似たような表情をしていると思う。

 エレーファと目が合うと、苦笑いを見せてくれた。

ミライムさんは以外にもイルミナと同じ思考回路なのか何も感じていないようで、むしろ自分の仕事をきちんとしてないことに関して少し憤りを感じているようにも見える。

 首を見れば明らかにケガ人である僕を見ても何も話しかけず、ただ指示を待つだけでは意味がない。

 けが人を治療することが仕事であるにも関わらず、身分が上と言うだけで委縮して何もしないのであれば、本当に死にそうなときにもしない可能性がある。

 怪我の治療をして怒るような人間なんているかもしれないがそう滅多にいないだろう。

 なのに意味もなく委縮して何もしていないことに憤りを覚えるのも頷ける。

 どうやらミライムさんは自分の仕事をキチンとこなさない人間が嫌いなようだ。

「は、は、はい!すみませんでした!」


 彼は急いで僕の元にやってきて、首を触る。


 これまた触り方が、雑と言うわけではないのだが、ベタベタとなんだか生理的に受け付けない、気持ち悪さがある。


 そんな気もちの悪い手に首を支えられながら、僕の首輪のような支えは外される。


 確かに優しく包まれてそれでいて身を寄せるのに十分な頼もしさのある肉体だ。


 僕の痛めた首をいたわってくれており、全く負担になっていない。


 首を引き寄せられることで彼の胸元に頭が当たり、ぬくもりを感じる。


 だが、それを上回る身の毛のよだつような危機を感じる。


「じゃあ、首に触れますね」


 僕を床に寝かせて、背中に手を回し、首に触れる。


 なんだかこのまま包まれてしまうかのような抱擁感。


 安心できない!


 これはまるで十歳のころ常に全裸で武器はしっかりと身に着けるが、衣類の類は一切身に着けないことで有名なボルベルク領の先輩兵士が僕の布団に潜り込んできた時と同じ感覚がする。


 あの時、僕のズボンを脱がしていたあいつはそれはもう相当の実力者で僕の叫びを聞いて駆けつけてくれた兵士をことごとく薙ぎ払って、挙句の果てにはビカリアさんと互角の勝負をした。


 僕の方を見ながら「エモノ~!……尻のきょ~クセン!………キャハハ!」と叫んでいた彼はその後その実力を買われ、昇格と言う名の別の領土の責任者となり厄介払いをさせられた。


 普段からなかなかにやばい奴だったが、生活態度は良好。


 目立った事件なども起こしたことがないような人だったのにどうしてそのような事件を起こしたのだろうか?


 それはボルベルク領七不思議の一つ『男色 ~次の日、そいつの部屋から大量のからとなった媚薬が発見された~』と言う題名がつけられ、僕の人の心の奥底から湧き上がる恐怖を教えてくれた事件の一つとなっている。


 彼もあの人並みの気持ち悪さを感じるというわけではないが、似たような波動を感じる。


 しばらく首に触られ続けるとだんだん感じていた違和感が取れてきている気がする。


 ちょっと変な人だが、腕だけは確かなようだ。


 というかなかなかの腕だ。


「………あの、気持ち悪いのでお尻に手を回すのやめてもらっていいですか?」


「あ………すみません。いつもの癖で………」


 ………いつもの癖。


 恐ろしい奴だ!


 この僕が三撫でされるまで違和感を感じない鮮やかであくまで自然体な触り方。


 それでいてさっきまであれほど不快だった触り方だったにも関わらず、子供を撫でるかのような心地よいものだった。


「こ、こいつなかなかやりますね」


イルミナもどうやら驚いている様子だ。


 さっきまで震えていたような奴がなんて肝の大きさだ。


「というかそろそろ治ってますよね。離れてくださいよ」


 彼を押しやり、首に触れる。


 ゴキゴキ鳴らしてみると、特に違和感も何もない。


 完璧にイルミナにやられた傷は治っているようだ。


 これで無傷な状態で実家に帰ることが出来る。


 ………………無傷で。


 ………無傷。


 無傷!


 そうか!


 イルミナがなぜかやけに優しく、治癒師を呼んでくれるかと思ったら僕が傷ついた状態で帰ったら何をしてたんだって話になるからか!


 それもイルミナにつけられた傷!


 傷があったと証明することは既に出来ない。


 護衛を変えてもらうチャンスを見逃してしまった。


「これは経過観察ですよ。治したからってそれですべて解決と言うわけではないですからね。小屋ってしばらく様子を見て何かあったときのために備えているのですよ」


 こいつは僕の首に手を添え、少しづつ這わせてベタベタと僕の顔まで触ってくる。


 興奮しているのか手汗ベタベタな状態でこんな奴が近くにいると考えただけで不快だ。


 それに目を見開きながら僕に触れている様子は僕のトラウマを呼び起こす。


「イルミナ!早くこの人帰して僕に言うべきことがあるなら早く言え!」


「言わなければならないことは大体想像つきますけど、一応これも彼の仕事の内ですからね。さっき仕事をしろと怒ったのに、流石に仕事をするななんてことは言えないですよ」


 くそ!


 いつも厚顔無恥で理不尽なことをするような奴のくせして他人の前だとまともな振りをする。


 僕は腹が立ち、力ずくで払い退けようとする。


「………仕事の邪魔ですよ。大人しくしていてください」


 耳元で囁くようにして彼は僕が思いっきり払いのけようとした力を圧倒的な力で上回り、僕を抱き寄せる。


 ギチギチと必死に力を込めても一向に振り払える雰囲気はない。


 僕もパワーファイターというわけではないし、まだまだ子供なのでしょうがないとはいえ、ボルベルク家の次期当主だ。


 大人にだって負けるようなトレーニングは積んでいない。


 それでも振り払えないとは………


 それはそうとさっきから耳にハァハァと息がかかって気持ちが悪い。


 早くこいつをどうにかしてほしい!


 イルミナがだめならと微かな希望を胸にミライムさんの方を見る。


「………すみません」


 謝られた!


 気まずそうな表情をしながらミライムさんは軽く頭を下げる。


 なら気心知れた友達なら!と思いエレーファの方を見ると僕が必死になって抵抗している様子を見ながら笑いをこらえていた。


 こいつはしばらく冷遇してやる!


 硬い決意を心に決めながら、今はとにかくこいつをどうにかしなければならない。


 噛みつこうにもこんな奴にかみつきたくない、引っ搔こうにもこんな奴の肌の細胞を僕んお爪に付着させたくない。


 だけど、噛むのはともかく引っ掻くくらいはもうこんなにベタベタされているのだから今更感がある。


 思いっきり指に力を籠め、僕の顔に頭を摺り寄せてくるこいつの首を思いっきり引っ掻く。


「こらこら人を引っ掻いてはいけないでしょう」


 僕の手を掴みその手をこいつの頬に持っていきペロッと一舐めする。


 そのあまりの気持ち悪さに僕はうっかり舌を思いっきり引き抜き、急所を蹴った。


「ヤバッ!気絶した?」


 僕の手には引き抜いた舌の先が手にあり、足には蹴り上げた感触が残っている。


 どちらも気絶しても何ら不思議のない痛さだ。


「いえ、問題ないです」


 だが、こいつは何でもないかのようにケロッとしており、怪我したはずの舌も既に元通りとなっている。


「もう!イルミナ!こいつ殺せ!」


「ええ、流石に殺しはしませんけど、見ているだけでも背筋の凍るような気持ち悪さですね」


 イルミナの体がぶれるようにして見えなくなる。


 僕にははっきりというほどでもないが見ることは出来ても他の人には決して見るととの出来ないような速さだろう。


 そして彼の方を見るとボルベルク領特産ともいわれている金属が織り込まれてできている相当の強度を誇る捕縛用ロープ『金剛打ちクロスロープ』でギチギチに縛り上げる。


 猿轡まで取り付けてこれでこいつの気持ちの悪い声を聞かないで済む。


 それにしてもイルミナは本当に強い。


 あれほど強く引きついていたのを一瞬で引っ張って縛り上げたのだがら。


 引っ張った瞬間、僕の体が引き裂かれそうだと錯覚してしまうほどの力が込められていた。


 実力だけは信用できる。


「そういえばあれほどフリード様と密着される方の先約は既に取られているのを忘れてました。諦めていただけますね」


「諦めるも何もここまで縛られたら動くことも出来ませんよ」


「それはどうですかね?私が縛っているときもわざと縛られているようでしたし、『両豪刀』の二つ名は我々の元にまで届いてますよ」


「やめてくださいよ。それは昔の話です。今はただの『豪刀』です。女の子を追いかけるのはやめましたからね」


 いったい何を言っているのかが分からない。


 だけど、分かることは一つある。


 『両豪刀』という二つ名だ。


 たしか、今から五年くらい前に王都ダマスクスで起こった連続強姦事件の容疑者の二つ名だったはずである。


 それは痛覚がないのだろうかと疑わせるかのような防御を一切取らない攻撃方法が特徴的の人で、朝昼夜関係なく人目が付こうとお構いなく強姦して、その後大量の金銭を渡して逃げていく奴で、とんでもなく強い奴だったらしい。


 たしかビカリアさんが仕留めたと聞いていたが、どうして学園で働けているのだろうか?


「それに私はすべて合意の上での行動でしたよ」


「だから生きられているのでしょう。フリード様を舐めたその仕草でピンときましたよ。フリード様を見て震えながら喜んでいる様子を見て気が付くべきでした」


 あの足の震えって歓喜から来たものだったのか!


 こんなにも大胆な奴がどうしてびくびくしているのか不思議には思ったが、真実とは僕に厳しいものだ。


「じゃあ、適当に捨ててきますのでフリード様は荷物の準備でもしていてください」


 イルミナが「オラ!」とこのクズを脅しながら運んでいく。


 最後の最後まで視線を僕から外さないことに僕は執念と言うものを感じ取った。


「災難でしたね」


 イルミナが『豪刀』を連れて出て行ったあと、エレーファがやれやれと言った感じで話しかけてきた。


「お前、しばらくイルミナとビカリアさんに訓練をつけないようにお願いしとくからな」


「いいですよ。その代わりフリード様の訓練の量と厳しさが二倍くらいになると思いますけど、良いのですね」


「僕は僕の気に入らない人間の不幸の為ならばその不幸をさらに上回る不幸でもためらわずにこの身に受ける。そんな人間だ」


「……お、おう。そうでしたか………」


 エレーファは少し驚いたような表情をしていたが、僕の意志は固い。


 ミライムさんがうんうんと頷いてる様子を見て、自己犠牲の精神は大切なのだなと思う。


「分かりましたメニューは三倍にしておきますから安心してください。朝から晩までみっちりと鍛え上げてあげますからね」

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