第7話 回復

 アリシアは、ケイドンの看病を買って出て、一晩中つきっきりで看病した。


 看護師がついていたし、アリシアにできることといえば熱さましの布を取り替えたり、汗を拭いたり、着替えを手伝ったりするくらいだったが、それでも何かをしていたかった。


 しかし、ケイドンは朝になり、昼を越し、そして夜になっても目を覚まさなかった。次の日も、そしてさらに次の日も。


 ずっと側にいようとしたアリシアだったが、デリミトとルーズベルト、そしてエミリーがそれを許さなかった。


 きちんと食事をとって眠らなければアリシアの方も病気になってしまうと言われ、夜は看護師に任せることになったが、それでもアリシアは可能な限りケイドンの側にいた。


 ケイドンを連れてきた夜から三日後の午後、疲れがたまっていたアリシアは、ケイドンの手を握ったままベッドの横で眠りこけていた。


 ぴくっとアリシアの手の中でケイドンの手が動いたような気がして、アリシアは体を起こした。


 見ると、ケイドンもゆっくりと体を起こすところだった。


 そしてアリシアの姿を見て、びくりと肩を震わせる。顔がおびえたように引きつっていた。


 赤い瞳が不安で揺れている。


「大丈夫よ。ここは安全だから。あなたは熱を出して寝込んでいたの。覚えている?」


 ケイドンはぎゅっと目に力を入れて、アリシアをにらみつけた。


「布団が落ちてしまっているわ。寒いでしょう。まだ熱が下がっていないのだから、横になっていないと駄目よ」


 アリシアは優しくケイドンの両肩を押した。


 布団を掛けようとするのを見せると、ケイドンは大人しく従って体を横たえた。


 しかし、またすぐに体を起こしてしまう。


 部屋に医者が入ってきたのだ。ケイドンが起きたのを見て、看護師が呼びに行ったのだろう。


 医者が近づいてくると、ケイドンは悲鳴を上げて布団から飛び出し、部屋の隅で膝を抱えてうずくまった。


「大丈夫よ。お医者様だから。あなたの様子を確かめるだけよ。痛いことはしないわ」


 アリシアは医者に動かないよう告げてから、ゆっくりとケイドンに近づいた。


「そこにいたら寒いでしょう? ベッドに戻って」


 ケイドンは首を横に振るばかりで、動こうとはしない。


 アリシアは医者へと顔を向けた。


「診察は後にしてもらえますか? 怖がっているようなので」

「わかりました。では隣室におります」


 医者が出ていくのを見ても、ケイドンの態度は変わらなかった。


 壁際に残った看護師の方をじっとにらみつけている。ゼイゼイと呼吸がまた悪くなっていた。


「看護師さんも、一度出てもらえますか」

「わかりました」


 看護師が出て行くと、ケイドンはほっと息をついた。


 大人が怖いのだろう。


 あんな所に閉じ込められていたのだから、無理もない。


「大丈夫よ。もういないから。さあ、ベッドに戻りましょう。ここは寒いわ」


 アリシアが手を差し出すと、ケイドンはおずおずとその手を掴んだ。


 にらみつけてはくるが、怯えた様子はもうない。


 ゆっくりと優しくベッドまでつれて行き、横になったケイドンに布団を掛けた。


 落ちていた熱冷ましの布を乗せ直してやるが、ケイドンは嫌がってそれを払いのけてしまった。


「熱があるから、これで冷やさないといけないの。つらいでしょう?」


 もう一度アリシアが布を乗せると、今度は大人しくされていた。


「私はアリシアよ」


 家名はあえて名乗らなかった。貴族だからと構えられるもよくないと思ったからだ。この部屋を見れば一目瞭然いちもくりょうぜんなのだから、黙っていたところで意味はないかもしれないが。


「アリ……シア……」


 ケイドンは小さく呟いた。


「そう。アリシア。あなたのお名前は?」


 ケイドンはぎゅっと目に力を入れた。


「……」

「あなたの名前よ。何というの?」

「……わからない」


 ケイドンは眉を寄せたまま首を振った。


「ここに来る前のことは覚えている?」


 また首を振る。


「石でできた狭くて暗い部屋にいたと思うのだけれど」


 記憶を呼び覚ませるような言葉を上げてみたが、ケイドンは首を振るばかりだった。


 記憶がないのだろうか。


 それとも忘れたふりをしている……?


「ケイドン、という名前に心当たりはある?」


 アリシアはじっとケイドンを観察した。


 しかし、ケイドンはその名前に何の反応も示さなかった。ただ黙って首を振るだけだ。


「お医者様に診てもらった方がいいわね。呼んでくるわ」


 途端、ケイドンの顔が引きつった。


「嫌だっ」


 またベッドから降りようとしてしまう。


「わかったわ。じゃあ、あなたが落ち着くまでもう少し待ちましょう。ええと、まずは水分を取った方がいいと思うわ」


 アリシアはサイドテーブルにあったカップに水差しから水を注ぎ、ケイドンに差し出した。


 しかしケイドンは受け取ろうとしない。


「ただの水よ」


 アリシアが一口飲んで見せると、ようやく体を起こして受け取った。


 こくりと小さく飲んだ後は、ごくごくとあっという間に飲んでしまった。


 横になったケイドンに布団を掛けてやる。額に布も置いた。


「あとは、何か食べてお薬を飲んだ方がいいと思うのだけれど……お医者様に相談してくるわね」

「待って」


 アリシアがベッドから離れようとすると、ケイドンがその手をつかんだ。

 

「行かないで……」

「大丈夫よ。すぐに戻って来るから。お医者様は隣の部屋にいるの」


 ケイドンの手を優しくなでるが、ケイドンは手を離そうとしない。


「ええっと、じゃあ、この部屋からは出ないわ。ドアを開けて、お医者様に話しかけるだけ。それならいい?」


 こくりとケイドンが頷く。


 アリシアははだけてしまった布団をかけ直した。額の布も置き直す。もう何度目だろうか。


 隣室へ続くドアの前で、ちらりとケイドンを見ると、またもアリシアを睨みつけていた。


 ひらひらと手を振って安心させてから、ドアを開く。


 近づいてきた医者へと、まだケイドンは怖がっているので部屋には入れられないことと、何も覚えていないらしいことと、何か食べさせて薬も飲ませてあげたいことを告げると、医者は看護師へと指示を出した。


 アリシアがケイドンの元へと戻ると、ほっとケイドンは表情を緩ませた。


「スープを用意してくれるそうよ」


 ほどなくして、使用人が盆に載せたスープを持って来た。


 ケイドンが怖がるので、入り口でアリシアが受け取る。


 美味しそうな匂いにつられてか、ケイドンは体を起こしたが、しかしアリシアが渡したスープに口をつけようとはしなかった。


「ただのスープよ。美味しいわ」


 コップの水と同様、アリシアが一口飲んで見せる。


 普段食べているような野菜のスープから、具を全て除いたものだ。味は少し薄めで、温度もぬるくなっていた。

 

 アリシアがスプーンを渡すと、ケイドンは恐る恐るスープを口にした。


 これまた水の時と同様、あっという間に飲み終えてしまう。


 スプーンの運びは平民のそれに似ていて、洗練されたマナーが身についているようには見えなかった。皇子であるならば当然学ぶはずだが、まだ幼いからなのか、それとも記憶がないからなのか。


「次はお薬を飲んで欲しいのだけれど、そのためには、お医者様に診て頂かなければならないの」

「嫌だ」


 ケイドンはすぐさま拒んだ。


 と同時に咳き込んでしまう。


「まだ熱も下がっていないし、お薬を飲まないと良くならないわ。絶対に痛いことはさせないし、私も一緒にいるから、頑張れるわよね?」


 アリシアが背中をさすりながら言い聞かせると、ケイドンはこくりと頷いた。


「じゃあ、呼んでくるわね。またドアの所で呼ぶだけよ。この部屋から出て行ったりしないから安心して」


 ケイドンが頷くのを待ってから、アリシアはベッドを離れ、医者を呼びに向かった。


 隣室のドアを開け、その場で医者と話す。


 先にアリシアがケイドンの元に戻り、ケイドンの手を握った。


 医者が部屋に入ってくると、ケイドンは体を硬くしたが、アリシアが背中をさすってやると少しだけ力を抜いた。


 医者はケイドンに優しく接してくれた。貴族専属の医者であれば選民意識がなくてもおかしくないが、その意識が薄いルーエン公爵家の主治医だからなのか、それとも公爵家の金払いがよいからなのかはわからないが、とにかくアリシアの要望通りだった。


 ケイドンはまた薬を飲もうとしなかったが、アリシアが先に一口飲むことで解決した。とても苦かったが、それでも最後まで飲みきった。


 診察が終わった後、アリシアは隣室との間のドアの所まで呼ばれ、しっかり食べて薬を飲んで安静にしていればすぐに良くなるだろうこと、食べる物と薬は使用人に指示を出しておいてくれること、ここに来るまでの記憶が全くなさそうであることを告げられた。


 医者は、ケイドンの回復力の高さに驚いているようだった。


 アリシアも、あんなに痩せていてまだ熱も高いのに、ケイドンが平気そうに振る舞っていることに驚いている。


 だからこそ、前世でもあの牢獄で生き残れたのかもしれない。


 最後に、どうやら熱の影響で視力が低下しているようだ、と言われて、アリシアは目をまたたかせた。


 前世のケイドンは眼鏡をしていなかったし、目が悪いようにも見えなかった。

 

 アリシアが助けた事によって、早くも歴史が変わったのだろうか。


 眼鏡を手配した方が良いと言われて、アリシアは曖昧あいまいに笑った。


 ケイドンの元に戻り、「頑張ったわね」と頭を撫でてやる。


 疲れてしまったのか、それとも薬の効果なのか、ケイドンはすぐに眠りについた。




 夜にアリシアが自室に戻る時にケイドンに「行かないで」と泣かれてしまったが、エミリーがアリシアの健康が優先だと叱咤しったし、無理やりにアリシアを部屋から連れ出した。


「大丈夫かしら……」

「大丈夫ですよ。あんなのただの我儘わがままです。甘やかしすぎはよくありません。そのうち出て行かなければならないんですし」


 そうだ。次はそれを解決しなければならない。


 ケイドンはアリシアとの賭けに勝ったのだ。


 生き延びたのだから、大切に育ててあげなければ。

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