第6話 救出

 入場したのとは別の、会場の脇にある小さな扉から出て、大小様々な木箱や布を被った何かがごちゃごちゃと置かれた倉庫のような場所を抜けると、辿たどり着いたのは牢獄ろうごくだった。


 並んでいる扉の上方にある窓には鉄格子がついていて、扉のいくつかには錠が下りている。風通しが悪く湿気が籠もっており、ひんやりとした空気にかび臭さが混じっていた。常設の明かりは壁に等間隔についているろうそくだけで、足元を照らすには心許ない。案内人が持つランプが頼りだ。


 鉄格子の向こうはどうなっているのだろう、と何気なく目を向けると、突然そこに目が現れた。


「っ!」


 上げそうになった悲鳴を飲み込む。


 よく見ると、他の扉の窓からも目が覗いていた。


 彼ら(彼女かもしれないが)は闇競売の商品となる者たちなのだろう。


 こんな非合法の扱いをされているのだから助けるべきなのだろうが、アリシアにはその力が無い。


 向けられる視線から逃げるように、アリシアはフードを深く被り直した。


「ここだ」


 案内人が一つの扉の前で足を止め、かんぬきを外した。


 中にあったのは、板張りのベッドと、備え付けのトイレのみ。


 そのベッドの上に、黒髪の幼い少年が寝ていた。呼吸はひゅぅひゅぅと細く、ほほのこけた顔は真っ赤なのに、薄手の布の下の体をガタガタと震わせていた。


「見ての通り、こいつはもう駄目だ。商品にならない」

「赤目であることを確認したい」


 ラルクが言うと、案内人は黙ってランプで少年の顔を照らした。


 自分の影を落とさないように気をつけながら、ラルクが少年の目蓋まぶたを開く。


 赤い――。


 ランプの光でわかりにくくはあったが、茶色とは違う、確かに赤色の瞳だ。


 憎しみの色はまだない。だが、間違いなくケイドンだった。


「どうする?」


 ラルクがアリシアを見た。


 もちろん――とアリシアは言いかけて、思いとどまる。


 今まさに目の前でケイドンが死にかけている。商人は治療をする気がなさそうだから、このままにしておけば、今夜にでも息絶えるだろう。


 ここでケイドンが死ねば、未来で皇帝は変わらないし、王国が侵略されることもない。


 このまま見殺しにしてしまった方がいいのではないか。


 一瞬、そんな事を考えた。


 積極的に殺すまでの決断をする勇気はない。しかし、ただそっとしておくだけなら――。


 だが、目の前で辛そうにしているケイドンを見ると、胸が苦しくなってくる。


 アリシアがケイドンに殺された記憶は生々しく残っているが、今は幼い少年だ。まだ何も知らないし、まだ何の罪もない。


 アリシアが救い出して真っ当に育てれば、王国が滅亡するような未来は来ないはず。


 それに、ケイドンを探さなかった前世では彼は成長していたのだから、ここでアリシアが見捨てたとしても、きっとケイドンは生き延びる。


 ならば、助けるのが最善だろう。


「どうする?」


 ラルクがもう一度聞いた。


「連れて行くわ」


 今度はアリシアははっきりと答えた。


「いくらなら譲る?」

「本気か? 死にかけだぞ?」


 ラルクの問いに、案内人は呆れたように言う。


「このまま死ねば死体の処理もしなきゃならんし、三枚でいい」


 金貨三枚。


 人の命が。たった、金貨三枚。


 貧民ならば一生手にすることのないような額だが、公女であるアリシアにとっては、常日頃から普通に使っている金額だった。


 ラルクが金貨を渡すと、案内人はケイドンの足元の布をめくった。


 ケイドンの骨と皮だけの足首には鎖がつけられていた。


 案内人が足かせを外し終われば、取引は成立だ。


「よし、もらっていくぞ」


 ラルクがケイドンを横抱きに抱える。


 闇競売にはもう用はない。ラルクとアリシアはロビーへと戻るべく急いだ。


 最初に引っ張り込まれた小部屋へと戻り、仮面を外してローブを脱ぐ。


「ヤバいな。燃えそうに熱い。早く医者に診せないと」


 アリシアの着ていたローブでくるむが、震えは止まらない。


「予定よりも時間がかかっちまったから、きっとお前のことを探しているだろう」

「あ……」


 そうだ。休憩時間にトイレに行くと言って離れたきりだ。


 そろそろ次の幕が始まっているだろうし、公女がいなくなったのだから騒ぎになっているに違いない。


「このまま出て行くと俺の立場が危ういから、一芝居打つ。まずは裏から出て――」


 ラルクは一通り説明した後、アリシアの髪をかき混ぜて乱した。服にも所々しわを作る。


 そして、ケイドンを抱えて二人で裏口から出た。


 外から表に回り、そのままロビーへと入る。


 公演中のため、ロビーにはほとんど客がいなかった。


 軽食が置いてあったテーブルの一つに従業員が固まっていて、何やら話し合いをしているようだ。ロビーを足早に通り過ぎていく従業員も多い。


 大騒ぎになっていないところを見ると、ルーズベルトはまずは静かに捜索することにしたらしい。公女が誘拐されたとなれば大スキャンダルだから、公爵家としてそれはまずいと考えたのだろう。


「公女様!?」


 最初に気がついたのは、固まっている集団の中にいたエミリーだった。その隣のルーズベルトもすぐにアリシアに目を留める。


「一体どこにいらしたんです!? 心配したんですよ!? 怪我はありませんね!?」


 走り寄って来たエミリーがアリシアを抱き締め、体の隅々を触って確かめた。


「それに、なぜリュミエールの店主が?」

「この方が店主? チケットを譲ってくれたという? まさか……」

「違うの。二人とも、説明させて」

 

 エミリーとルーズベルトの声が剣呑けんのんなものになり、アリシアは慌てて遮った。


 ラルクの予想通りだ。アリシアがいなくなり、チケットをプレゼントしたラルクと一緒に現れたら、ラルクがかどわかしたと思うのは当然だろう。


 アリシアは先程ラルクが考えた筋書き通りに話をした。


 お手洗いからロビーに戻ってきたところで、ルーズベルトは別の場所にいると言伝をもらい、ついて行ったこと。裏道にある馬車に乗せられそうになり、怪しいと思って逃げようとしたら、馬車の中にいた少年が助けようとしてくれたこと。そこにラルクが通りかかって、ここまで連れてきてくれたこと。


 いくらアリシアが子どもだとしても、言伝があったからといって一人でオペラハウスの外にまで出ることはないだろうと思うのだが、意外にもルーズベルトとエミリーはアリシアの言葉を素直に信じた。 


 アリシアが嘘を吐く理由がないし、こうして怪我一つなく戻ってきたのだから、疑う余地はないのだろう。


「妹を助けてくださったとは知らず、失礼いたしました」

「いいえ、わたしはたまたま通りかかっただけです。わたしが来たのを見て彼らは逃げて行きましたから、何もしていません。仕事で遅れてしまったが、第三幕からでも観られたらと近道をしていてよかったですよ。礼ならぜひ、勇敢に立ち向かった彼に」


 ラルクは腕の中のローブの塊をルーズベルトに見せた。


「そうなの! この子が助けてくれたのよ! でもね、すごい熱で……! お兄様、助けてあげられない?」

「これはひどい……。すぐに医者を呼ぼう。せっかく頂いたチケットでしたが、無駄にしてしまって申し訳ない。このことは父にも伝え、謝礼と謝罪は後日必ず」

「お気遣いなく」


 ルーズベルトはすぐに馬車を用意させ、オペラハウスの支配人に捜索の協力の感謝を伝えると、自らケイドンを抱えて馬車に乗り込んだ。感染症だといけないからと、アリシアとエミリーは別の馬車で帰路についた。




 屋敷に戻り、ルーズベルトが呼んだ医者がケイドンをている間、アリシアは私室で待機していた。


 そこに、ノックの音が鳴る。


 入って来たのはデリミトとルーズベルトだった。


「アリシア!」

「お父様、お帰り――わっ」


 デリミトがアリシアを抱き上げた。


「ああ、よかった。アリシア。無事で。お前の姿が消えたと連絡が来た時は生きた心地がしなかったよ」


 ルーズベルトが連絡したのだろう。


 当然だ。公女が行方不明になったのだから、真っ先に公爵に連絡をするに決まっている。


「見つかったという連絡は行かなかったの?」

「もちろん報告は受けていたさ。でもこうして直接無事を確かめたかったからね」

「お、お父様、おひげが……」

「ああ、悪い」


 デリミトは頬ずりするのをやめたが、抱き締める力を緩めることはなかった。


 こんなにも愛されていたのに、両親の本当の子どもではないのかも、なんて悩んでいた自分が馬鹿らしくなる。思えばデリミトはいつだってこうしてアリシアに愛情表現をしてくれていた。


「僕がついていたのに、申し訳ありませんでした。アリシアも、ごめん。一人にするんじゃなかった」

「お兄様は悪くないわ。私が不用心だったの。ごめんなさい」


 勝手にいなくなったアリシアが全面的に悪い。


「リュミエールの店主には謝礼をしなければな。それと、あの子にも」

「ケ――あの子はどうだったの?」


 一緒に診察を受けていたはずのルーズベルトがここにいるから、診察はもう終わったのだろう。


「医者の見立てだと、ただの風邪だそうだ。伝染病のたぐいではないらしい。ただ、体力が相当落ちているから……。それと、治ったとしても、高熱の影響が残るかもしれない」

「そんな……」


 言葉を濁してはいるが、今夜が峠かもしれない、とデリミトは言っているのだ。


「大切な娘を助けてくれた恩人だから、できる限りのことはするよ。と言っても、薬を飲ませたし、温かくしているから、あとは本人の回復力にゆだねるしかないのだが」

「様子を見に行ってもいい?」

「ああ。もちろんだ」


 デリミトはアリシアを抱えたままケイドンが寝かされている客間へと向かい、入り口を入った所で下ろした。


 アリシアがケイドンへと歩み寄ると、傍にいた医者が場所を明け渡した。


 大きなベッドに寝かされたケイドンは、オペラハウスの地下で見た時よりもずっと小さく見えた。


 顔や手の汚れが綺麗に拭われていて、頬がこけているのがさらに強調されている。競売に出されていた他の商品・・はもっと血色がよかったから、あの牢獄に来る前から酷い扱いをされていたのかもしれない。


 今にも消え入りそうだった呼吸は幾分かマシになっていたが、それでもゼイゼイと嫌な音が混じっている。顔は真っ赤で、辛そうに眉を寄せていた。


 アリシアはひたいに乗せてある布を触った。


 すでに生温かくなってしまっている。


 布を手に取ると、医師が代わりにすると申し出たが、アリシアはそれを断った。


「私にさせて」


 タライの水に浸して絞る。


 布をケイドンの額に戻す前に、額に手で触れた。


「熱い……」


 人間の体温とは思えない熱さだ。ラルクが燃えるようだと言っていたのも頷ける。


 果たしてケイドンは生き延びるだろうか。


 生き延びるはずだ。前世のケイドンは皇帝にまでなったのだから。


 だが――。


 このまま死んでしまってもらったほうがいいのかもしれない、とアリシアはもう一度思った。


 死ねば、あの未来は訪れない。


 アリシアはデリミトとルーズベルトを見た。


 この二人が王都を守って死ぬこともない。もしかしたら二人を手に掛けたのは、アリシア同様、ケイドン本人だったのかもしれないのに。


 アリシアが視線をケイドンに戻した時、ケイドンの口が開いた。


「やめて……死にたくない……」


 か細く漏れたそれはただの譫言うわごとだ。


 だが、アリシアは自分の思考を見透かされたような気がした。


「そうよね……死にたくないわよね……」


 アリシアはぽつりと呟いて、冷えた布をケイドンの額の上に乗せた。


 そしてその耳元に口を寄せる。


「賭けをするわ。もし生き残ったら、あなたを大切に育ててあげる。だから頑張りなさい」


 きっとこれからアリシアは何度も迷うだろう。ケイドンを生かしておいてよいのかどうか。


 だから先に決めてしまおう。


 もしもケイドンが今回生き残れたら、前世の恨みは全て捨てて、一人の人間として大切に育てると。


 アリシアを回帰させたのが、神のおぼしなのだとしたら、ケイドンが助かるのも、またそうなのだろうから。

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