第5話 闇競売

 馬車が出発すると、エミリーがじとっとした目でアリシアを見る。

 

「アリシア様、まさかとは思いますが、あの男のことを……」

「どういう意味?」

「あの男、三十歳前後ですよね。さすがにアリシア様とは歳が離れすぎていると思います。政略結婚であればあり得なくもない年齢差ですが、相手は平民ですし、アリシア様のお相手としてはちょっと……。いえ、平民だから悪いというわけではないのですけれどもね、でもあの男はやめておいた方がいいと思います。女をもてあそんで捨てるタイプですよ。お薦めはしません」

「そんなんじゃないわ!」


 一体何を誤解しているのか。


「本当に?」

「うん」

「でも、あの男から手紙が来たから、今日も急いで来たんですよね。人見知りのアリシア様が男性と二人きりで話をするなんて。それも二度も。オペラも、あの男と観に行くんでしょう?」

「そんなわけないじゃない! エミリーと行くに決まっているでしょう!?」


 ラルクも会場にはいるだろうが、地下の競売に参加しているから、一緒に観劇することはないだろう。


 だからあんなに口を挟んできたのか、とアリシアは納得した。


 いつもなら立場をわきまえて後ろに控えているはずのエミリーが、やたら間に入ってくるものだから、不思議に思っていたのだ。


 初めは人見知りのアリシアを守るために、そして今日はアリシアを店主の魔の手から守るために盾になってくれていたのだ。


 ラルクの年齢がいくつなのかは知らないが、三十歳だとしたら、アリシアとは二十近く違うことになる。死ぬ直前だったらあり得なくもなかったかもしれないが、さすがに今のアリシアのことをラルクは相手にしないだろう。アリシアもそういう意味での興味は全く湧かない。


「店主とは少し話が盛り上がっただけよ。面白い話を聞かせてくれるから、またお話を聞きたくなってしまったの。オペラだって、前々から興味はあったのよ……ただ、言い出すきっかけがなかっただけで……」

「そうなんですね。それなら早く言ってくださればよかったのに」


 寂しそうな顔をされて、アリシアは心が痛んだ。


 オペラに行きたいと思ったことなど一度もない。だから、エミリーに黙っていたわけではないのに。


「せっかく頂いたチケットですから、オペラに行けるように、旦那様を説得しなければなりませんね。私も加勢しますから、頑張りましょう」

「うん。ありがとう」


 これまでアリシアは一度も夜間に外出したことがない。


 しかし、エミリーの口添えがあれば、きっとデリミトは観劇の許可をくれるだろう。


 


 果たしてデリミトの説得は成功し、アリシアはオペラに行けることになった。


 そして今まさに劇場へと馬車で向かっているところだ。


 予想外だったのは――と、アリシアは向かいに座るルーズベルトを見た。


 同行すると言われて、エミリーが何か余計なことを言ったのかと疑ったが、どうやら単に夜に出掛けるアリシアの事が心配なだけらしい。


「父上も一緒に来られたらよかったのにね」


 ボックス席のチケットだから四人までなら入れるのだが、残念ながら父親は仕事があって同行はできなかった。


「それにしても、こんなに良い席を用意してくれるなんて、リュミエールというカフェは余程儲っているんだね」


 アリシアは知らなかったのだが、特等席の中でも特別な席で、なんと王族が所有しているボックスの隣だそうだ。


「大方、公女行きつけのカフェとして宣伝に利用するつもりなんだろう。悪い使われ方をされないように気をつけるんだよ」

「はい……」


 なぜこんな良い席を用意してくれたのか。競りに出られないアリシアが会場にいたって仕方がないのだから、観劇する必要もないのに。


 儲けた礼の一つとでも思っているのかもしれないが、全盛期の公爵家ならともかく、今のルーエン家では、おいそれと手が出せない席だ。もっと普通の席にしてくれたらよかった。


「まあ、せっかくもらったんだから楽しもう。アリシアは初めてだよね?」

「うん」


 今世はもちろんのこと、前世を含めてもオペラの観劇はしたことがなかった。婚約者に誘われたこともなかったから。




 記念すべき初めてのオペラ観劇は、しかし、あまり楽しむことはできなかった。


 地下でケイドンが競売にかけられようとしているのに、集中できるはずもない。


 成功すればラルクから連絡が来るはずで、とはいえ観劇中に割って入ることはないだろうから、来るとしたら幕間まくあいの休憩中だ。


 だからアリシアはずっと休憩時間を待っていた。


 そして訪れた第一幕後の休憩では、何の連絡も来なかった。


 続いて第二幕の後の休憩時間、アリシアたちはロビーで軽食をつまんでいた。


「お兄様、少し席を外します」


 先程の休憩時間で、ジュースを飲み過ぎてしまったのだ。少し前のアリシアならまだまだ我慢できたのに、子どもの体は思うようにいかない。


 ちらりとお手洗いの方へと視線を向けると、ルーズベルトはアリシアの意図を察してくれた。


「ご一緒します」

「ううん、大丈夫。すぐそこだから」


 もぐもぐと急いでカナッペを飲み込もうとしているエミリーに断って、アリシアは一人でお手洗いに向かった。


 洗面台で手を洗っていた時。


「あら、お嬢様、ハンカチを落とされましたよ」


 隣にいた赤毛の女性が落としてもいないハンカチをアリシアに差し出していた。


「わ、私のじゃ……」


 自分の物ではないと言いかけたが、ハンカチの刺繍ししゅうに目が留まった。リュミエールと刺してある。


 アリシアはハンカチを受け取った。


 女性はにこりと微笑むと、そのままお手洗いから出て行く。


 追いかけると、女性は大きく膨らんだスカートでアリシアをエミリー達から巧みに隠しながら移動し、従業員用の扉の向こうへと連れて行った。並んでいた部屋の一つに入る。


「何かあったの?」

「直接お聞き下さい」


 誰に、と聞こうとしたところで、部屋の奥から男が現れた。


 従業員に見つかったのかと一瞬体をこわばらせるが、すぐにそれがラルクだとわかり、安堵あんどの息を吐く。


「誰かと思ったわ」

「見惚れたか?」


 ラルクは、濃い緑のフロックコートを着て手袋をはめていた。髪を束ねているのはいつもの革紐ではなく、緑色のサテンのリボンだ。


「何かあったの?」

「着ろ」

「なんで?」


 アリシアはラルクに黒いローブを着せられた。すそが引きずる程に長く、靴先まですっぽりと覆われる。


「これを」


 次に渡されたのは仮面だった。白い陶器でできていて、目元だけでなく顔面全体を覆うタイプだ。


 アリシアが女性に頭の後ろで紐を結んでもらっている間に、ラルクは眼帯を外し、自身も仮面をつけた。こちらは目元から右の頬にかけてを覆う仮面で、口元は露出している。


 ラルクにフードをしっかりと被せられ、はみ出ていた茶色の髪をフードの中に押し込まれる。


「しゃべるんじゃないぞ」

「私も行くの? 大丈夫?」


 どう考えても闇競売に行く準備だ。


「ああ、案外、ガキがいたもんでな」


 そんな馬鹿な、とアリシアは思った。闇競売に子どもが参加しているはずがない。


 だが、ラルクに連れられて廊下の奥の階段から地下へと降り、大きな扉を抜けて会場へと足を踏み入れたアリシアは、自分の考えが間違っていたことを知る。


 小さな劇場のようなその場所には、僅かではあるものの、確かに小柄な人物の姿がいくつかあった。体格や服装にかかわらず、みな一様に仮面をつけている。


 会場は薄暗かったが、部隊の上はスポットライトで照らされており、今まさに競りが行われていた。


 後ろの方の空いている席に二人で並んで座る。


 スポットライトの中心にあるのは壺が描かれた絵だ。アリシアにはそれがどのくらいの値打ちのものなのかはわからない。だが、参加者の間で飛び交う金額は、とても一枚の絵に対するものとは思えない程の額だ。こんな所で取引されているのだから、盗品か何かの表に出せないような代物しろものだろうに、それにも関わらず、次々と値段が書き換えられていく。


 圧倒されているうちにとんでもない価格で落札者が決まり、次の商品へと移っていった。それもまた、目の飛び出るような値段で落札される。


「あっ」


 次に出てきた商品を見て、アリシアは思わず小さく言葉を漏らした。


 おりに入れられていたのは人間だった。まだ幼い少女だ。せ細っているが、元は可愛らしかったのだろうという面影が見てとれる。


 周囲の参加者たちは、アリシアのように驚くことはなく、当たり前のように競りが行われた。


 その落札額は驚くべきものだった。先程の絵とは比べものにならないほどに安かったのだ。


 続けてまた別の人間が出品される。今度は筋肉隆々の男だった。短パンしか身につけておらず、全身に痛々しい傷跡が刻まれている。


 男は少女よりもさらに安い値段で落札された。


「次だ」


 ラルクが耳元でささやく。


 アリシアはひざの上の手をぎゅっと握り締めた。緊張で手汗が滲んでくる。


 ついにケイドンが――。


 あの憎しみの込められた目を思い出し、鼓動が早くなっていった。


 赤い布が掛けられた檻が舞台の上へと運ばれて来る。


 司会者のかけ声と共に、その布がばさりと取り払われた。


「え……」


 檻の中にいたのは人間ではなかった。魔物だ。


「なぜだ? 目録には上がっていたのに。確認してくる」


 ラルクが係の者へと確認しに席を立った。


 そしてすぐに戻って来る。


「来てくれ」

「どうしたの?」

急遽きゅうきょ出品が取りやめになったらしい」

「それって……!」


 買い手が見つかったということなのではないだろうか。競りに掛ける前に決まるのは本来ならばあり得ないが、莫大な価格を提示すれば不可能ではない。


 そうなると、ケイドンを救い出すのは難しくなる。そこまで欲した物を譲ってくれと言ったところで応じてくれるとは思えないし、交渉できたとしても見合った対価が用意できない。


「いや、違う。逆だ」

「逆?」


 係の者に案内されて向かった先の小部屋で、アリシアはラルクの言葉の意味を理解した。

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