第2話 決意

 着替えてエミリーと食堂へと向かうと、ちょうど父のデリミトが食事を終え、立ち上がったところだった。兄のルーズベルトはまだ食事をしている。


「おはよう、アリシア」

「おはよう、遅かったじゃないか」

「お父様……お兄様……」


 先程のエミリーの時と同様、二度と会えないと思っていた二人を目の前にして、アリシアはまた泣き出してしまった。


「おやおや、わたしのお嬢様はいったいどうしたんだい」


 デリミトがアリシアを抱き上げる。


「怖い夢を見られたようです」


 目配せがあったのか、エミリーが答えた。


 夢なんかじゃない、とアリシアは思ったが、回帰したと言って信じてもらえるはずがない。ただ無言でぎゅっとデリミトの首に腕を回してしがみついた。


「本当にどうしたんだ。よほど怖い夢だったようだね」


 引っ込み思案で自分から甘えることのないアリシアの行動が意外だったようで、デリミトは眉を下げた。


「今日は休んではだめだろうか」

「だめですよ、父上。行ってください。僕が代わりますから」


 ルーズベルトが歩み寄ってきて、アリシアへと両手を伸ばした。


 宮廷で要職についているのに、娘が怖い夢を見て泣いているから、などという理由で仕事を休めるはずもない。


 アリシアはルーズベルトの方に体を向けて腕を伸ばす。


 ルーズベルトはしっかりとアリシアを抱きかかえた。


「さあ、アリシア、父上にいってらっしゃいの挨拶あいさつを」

「いってらっしゃいませ、お父様」

「いってらっしゃいませ、父上」

「ああ、いってくるよ」

 

 執事を伴って、デリミトが食堂を出ていく。


 扉が閉まりそうになった時、アリシアは思わず叫んだ。


 もう二度と会えないような気がして。


「お父様……!」

「ん?」

「あ、お、お気をつけて……」

「ああ」


 大丈夫。今日は無事だ。王宮が陥落するあの日まで、二人とも大きな怪我も病気もすることがなかったのだから。


 アリシアは胸の苦しみを抑えるように、ルーズベルトにぎゅうぎゅうとしがみついた。


「さてアリシア、お腹が空いているだろう? 食べ終わるまではいてあげられるから、一緒に朝食を食べよう」


 ルーズベルトはアリシアを自分の隣の席に座らせた。


 エミリーと同い年のルーズベルトは、去年から王都にある学園に通っている。壁の時計を見れば、まだ時間はあるにせよ、のんびりまったりというわけにはいかない。


 アリシアが食事をする意思を見せると、給仕が朝食を運んできた。


 パン、バター、卵料理、野菜、スープ、ミルク。


 公爵家のものとは思えない質素なメニューで、アリシアは愕然がくぜんとした。


 この食事を不満に思ったことはなかった。美味しいし、量は十分に足りている。客がいればきちんともてなすのだから、普段はこれでも何の問題も無い。


 ずっとそう思っていた。


 だがこれは、公爵家の財政がかんばしくないことの表れなのだ。


 建国のいしずえとなった家門の一つであるルーエン公爵家は、建国当初から公爵位を授かり、宮廷でも要職に就いていた。


 しかし、所有していた金鉱山が先代で閉山となり、財政が悪化した。公爵家はあまり領地経営は得意ではなく、金鉱山に頼り切っていたツケだ。


 先代も今代のデリミトもそれを立て直すことはできておらず、以来、蓄えていた財を食い潰す日々である。食事だけではない。使用人の数は少ないし、庭園の整備は最低限で、邸宅内の美術品は少しずつ減っていた。 


 資金がないせいで、戦争時、公爵領には蓄えがなかった。騎士の育成や武器にも力を入れられていなかったから、帝国軍に為す術もなく破れた。


 きちんと準備をしていたら、帝国軍を押し返す事ができたかもしれない。勝つことはできなくても、こちらの抵抗が激しければ、停戦の交渉ができたかもしれない。大聖堂じゃなくて、領地の城を補強して立てこもっていたら、王国軍が来るまで持ちこたえられたかもしれない。


「アリシア、食べないのかい?」

「あ……」


 ルーズベルトに促されて、アリシアは食事に手をつけた。


 美味しい。


 だが今のままでは駄目だ。


 どうにかして資金を捻出し、戦争に備えなければ。あと十年あるのだから、何か出来ることがあるはず。


 自分が回帰したのはこのためなのだろう、とアリシアは思った。


「また人身売買か……」


 ルーズベルトが横でぽつりと呟いた。食事を終え、新聞を読んでいる。


「人身売買?」

「闇競売を摘発したら、人が売り買いされていたらしい。最近だと貴族のステータスの一つのようにもなっているね」

「人身売買は禁止ではないの?」

「もちろん禁止さ。だが珍しい物を手にれて自慢したがる連中というのはいるものでね。その対象が人間だなんて、反吐へどが出るよ」

「どこから連れてくるの?」

「さあ。孤児か、貧困を理由に親が売るか、さらってくるか――」

「ルーズベルト様」


 アリシアの疑問に答えていたルーズベルトに、エミリーが口を挟んだ。


「おっと。これ以上は良くないな」

「差し出口を挟みました」

「いいや。助かった」


 幼いアリシアの教育に良くないと思ったのだろう。ルーズベルトはそれ以上、人身売買について言及することはなかった。




「人身売買……攫って……」


 食事を終え、ルーズベルトが学園に向かうのを見送ったアリシアは、部屋に戻ってからずっとブツブツと呟いていた。


「大丈夫ですよ、アリシア様がそのような目に遭うことは絶対にありません。私や護衛の騎士がお守りしますからね」


 エミリーはまたアリシアが怖い夢を見るのではないかと心配していた。誘拐されて闇競売にかけられて奴隷になるなんて、悪夢でしかない。


 だがアリシアはそれを心配しているのではなかった。


 何か引っかかることがあったのだ。


 午前一杯ずっとそれを考え続け、一人で昼食を食べている時に、遂にそれを思い出す。


 領地に逃げた後、王族が絶えたのに戦争が終わらず、皇帝が各地を攻め落としていると知った後。


 誰だったか、噂で聞いたのだ。


 皇帝は幼い頃に誘拐され、幽閉されていた期間は実は王国にいて、死んだ方がマシだという悲惨な目に遭った。それを恨んで王国を滅ぼそうとしている。


 その時は、ただのこじつけだと思った。


 だが、殺される直前、憎悪を目に宿したケイドンを見た今のアリシアは、この説に妙に納得できてしまう。


 ずっと幽閉されていた皇子が皇帝を恨んで殺すまでは理解できるが、突然王国に攻め込んで来たのはなぜなのか。


 王国で酷い目に遭い、その人物に復讐ふくしゅうするに飽き足らず、王国民全てを憎むようになっていたのなら――。


 もしもこれが真実なのであれば、ケイドンを助け出して大切に育てれば、王国滅亡の未来を回避することができるかもしれない。


 駄目元で探してみればいい。


 突拍子もない説だし、間違いなく空振りに終わるだろうが、万が一成功すれば、勝てるかもわからない防戦の準備をするよりずっといい。


 誘拐されたケイドンを探すにはどうしたらいいか。


 人身売買のような非合法の商売に詳しくて、子どもでも相手をしてくれて、秘密を絶対に守る人物――。


 あの人しかいない。


 アリシアは急いで昼食を口に詰め込んだ。


 いつもなら、昼食後は家庭教師の授業を受けるか、そうでなければ図書室で読書をする。


 今日は家庭教師は来ないので、図書室に行く日だ。


 エミリーが図書室へと向かおうとするのを、アリシアは引き留めた。


「外に行きたいんだけど……」

「庭園でお散歩ですか? 珍しいですね」


 エミリーは目を丸くした。


「そうじゃなくて、街に行きたいの」

「え!? アリシア様が!? 街に!?」


 そんなに驚かなくてもいいんじゃないか、と思ったが、十四歳で学園に入学するまで、アリシアはずっと屋敷に引きこもっていた。学園も行かなければいけないから行っていただけで、可能であれば極力屋敷の外には出たくなかった。


 容姿に自信が無く、隠し子だと陰口を言われるのが怖かったからだ。


 自ら街に出たいと言うのはこれが初めてかもしれない。


「駄目かな」

「もちろん駄目ではないですよ! 行きましょう! まずはお着替えですね!」

「え、服はこのままで……」

「それは駄目です。街に行くなら外出着を着なくてはなりません。髪も結いましょうね!」

「そんな大げさにしなくても」

「駄目です! さあさあ、まずはお部屋に!」


 部屋に戻る途中、エミリーから「アリシア様が街に出るから、馬車の用意と念のために旦那様への言伝を」と指示された使用人は、これまた同様に驚いていた。


 アリシアが出掛けることはまたたく間に屋敷中に伝わり、張り切ったエミリーによって着飾らせられたアリシアは、使用人総出で見送られた。


 一緒に馬車の向かいに乗り込んだエミリーは、お仕着せを脱ぎ、よそ行きの服装をしている。


「旦那様からお小遣いを頂きましたよ」


 エミリーが金貨の入った革袋を見せてきて、アリシアははっとした。


 そうだ。ケイドン捜索の依頼をするのであれば、お金が必要だ。


 しかし、子どものアリシアには自由になる資金などない。エミリーの手にある金貨を使えば用途が知られてしまうし、そもそも全く足りない。


 何か別の対価を用意しなければならない。


 確か、この頃は――。


 当時ニュースになっていた出来事を記憶の隅から引っ張り出す。


 恐らくこの情報であれば、高く買ってもらえるだろう。


「アリシア様はどこか行きたい所はありますか?」

「リュミエールに行きたい……」

「カフェのですか? ケーキが美味しいと評判ですが、よくご存じでしたね」

「メイドがね、言ってたの」


 カフェ・ド・ラ・リュミエールは、昨年開店し、最近女性達の間で人気が高まってきた話題の店だ。


 同性の友人のいないアリシアには知り得るはずもない情報で、一瞬どきりとしたけれども、するりと嘘が口から滑り出てきた。


「真っ直ぐ行きますか? それともお買い物を先にしますか? 昼食を食べたばかりですから、少し間を置いた方がいいのではありませんか?」

「ううん、すぐに行きたいの」

「わかりました」


 エミリーは御者へと行き先を告げる。


 リュミエールは王都の中心地寄り、平民街と貴族街の中間にある。貴族街の中でも外れの方にあるルーエン公爵家からは少し距離があった。


 到着までの間、アリシアは窓から外を眺めていた。


 この街のどこかにケイドンがいるのだろうか。


 いるとしたら、貴族の屋敷だろうか。それとも貧民街だろうか。王国内というだけで、王都にはいないのかもしれない。


「見つかるかしら……」


 それにはまず、これから会う人物に、依頼を受けてもらわなければならない。

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