第1章

第1話 回帰

 ルーエン公爵領の領都ルエン。その中央広場にある大聖堂の地下で、アリシアは出会ったばかりの少女を強く抱き締めていた。逃げる途中で母親とはぐれたらしい。


 さほど広くもないその地下室には他にもたくさんの女性や子どもがいて、互いに身を寄せ合っているのだが、蝋燭ろうそくの火を吹き消してしまった今はただ暗闇が広がるばかりだ。


「公女様、私たち、死んじゃうの?」

「大丈夫よ。公爵家の騎士は強いんだから。きっと王国軍も助けに来てくれるわ」


 涙声でしがみついてくる女の子を安心させようと気丈に振る舞ったつもりだったが、その声はか細く、震えていた。


 先程から一定の間隔で建物全体が揺さぶられるような大きな音が聞こえてくる。帝国軍が大聖堂の扉を破ろうとしているのだ。上にはアリシアの護衛騎士や聖職者達がいるが、大陸最強の帝国軍相手に長くはもつまい。


 彼らが突破されてしまえば、幾ばくかもせずにこの地下室も発見されてしまうだろう。


 そうなればアリシア達は一切の慈悲もなく殺される。


 誰かのすすり泣きが聞こえて来た。


 どうして、という声も。


 帝国は長らく王国の友好国だった。この小国が攻め入られずにすんでいたのは、戦力も資源も国力もなく、属国としたところで旨みがないからという情けない理由なのだが、とにかく隣国として友好的な関係だった。


 その同盟が一方的に破られたのはつい先日のこと。


 幽閉されていたケイドン皇子が脱獄し、当時の皇帝およびその血筋を根絶やしにして玉座についた、その直後だった。


 宣戦布告と共に、ケイドンは自ら王国に攻めてきた。

 

 戦力の差は圧倒的で、王国軍は為す術もなかった。各地の領主の騎士団も同様だ。帝国軍にとっては赤子の手を捻るようなものだっただろう。


 あっという間に王都への侵攻を許し、王族の血は絶えた。


 これで戦争は終わるのだろうと誰もが思った。代わりの王を立てて属国となるか、併合されて領地の一部となるかだ。


 だが、ケイドンは止まらなかった。


 王国の各地へと進軍し、戦争を続けた。集落の大きさを問わず、街も村も焼き尽くされた。白旗を揚げても容赦が無く、老若男女全てが殺された。


 国外に逃げようとも、帝国との国境はもちろんのこと、他国との国境にも帝国軍が構えていて、国外逃亡も許されなかった。


 皇帝は王国民を根絶やしにしようとしている――。


 そうささやかれても無理はない。


 王都から離れているルーエン公爵領も、ケイドンが来た今となっては時間の問題だった。


 アリシアの父と兄は王都を守って死んだ。婚約者の行方は知れない。


 真っ先に領地に逃がされたアリシアは領主家の最後の生き残りとなったが、何もすることはできなかった。結局こうして地下室でうずくまっているだけだ。


 一際ひときわ大きな音がしたかと思うと、ときの声が上がった。


 びくりと少女が震える。


 扉が破られたのだろう。


 たくさんの足音が聞こえる。こちらの戦力などものともしない程の人数差だ。


 ほどなくして足音が階段を降りて来た。


 地下室への入り口が見つかってしまったのだろう。隠し部屋でも何でもないのだから当然だ。


 アリシアは少女の体をさらにきつく抱き締めた。


 扉の隙間から光が見えたと思った瞬間、ドアが蹴破られた。


 小さな悲鳴がそこここで上がる。


 ケイドン――。


 なだれ込んできた帝国軍の先頭に立つ男を見て、アリシアは確信した。


 男は甲冑かっちゅうをつけ、赤く濡れた剣を持っていた。甲冑の正面に描かれた紋様は皇帝を示していたし、後ろに撫でつけた黒い髪と血のように真っ赤な瞳からも明らかだった。


「やれ」


 ケイドンがあごをしゃくると、騎士達は剣を振り上げ、背を向けて震え縮こまる女性に近づいた。


「やめて!」


 アリシアが思わず悲鳴を上げたが、それで制止されるはずもない。一人の女性が斬られるのを皮切りに、一方的な虐殺は始まった。


 絶叫と嗚咽おえつが入り交じる中、逃げようとした者は殺され、命乞いをする者も殺され、じっと耐える者も殺された。


 恐怖に耐えきれなくなった少女が、アリシアの腕を振りほどいて出口へと駆けた。


「待――」


 その首がケイドンの剣によってあっさりと斬り飛ばされる。


 そのままケイドンはゆらりとアリシアの前に立った。


「もうやめて」


 ぺたりと冷たい石造りの床に座ったまま、アリシアは力なく呟いた。


 騎士達の一振り一振りで命がられていく。


 ケイドンが剣を後ろに引いた。


「どうして……」

「恨むなら、この国に生まれ落ちた己を恨むのだな」


 そう冷たく言い放つと、ケイドンは剣をアリシアへと無造作に突き出した。


 ずぷりと胸に剣先が埋まり、そのまま背中へと抜けていく。


「なんであなたの方が、そんなに――」


 ごぽりと血が上ってきて、呟きが途切れる。


 アリシアを見下ろすケイドンの赤い瞳には、強い憎悪の光が宿っていた。

 


 

 * * * * *



「――はっ!」


 胸に鋭い痛みを感じて、アリシアは飛び起きた。


 心臓が早鐘のように鳴っている。


 貫かれたはずのそこに手を当てるが、怪我はしていないようだった。


「私……生きてる……?」


 血がついていないのを確かめるようにして手の平を見ると、違和感があった。


「なんだか、小さい……?」


 手の平のサイズが随分小さい。指も短くずんぐりとしていて、まるで子どもの手だ。腕も短いし、そういえば、胸もない。


 ぺたぺたと胸を触った後、布団をめくってみれば、足も小さかった。


 ベッドから降りようとして周囲を見回し、自分が王都にある別邸の自室にいることに気づく。領地に逃げたはずなのに。


 床の上のスリッパは子ども用のように小さかったが、アリシアの足にぴったりだった。低い身長に戸惑いながら、姿見へと向かう。


「やっぱり……」


 映っていたのは別人などではなく、確かにアリシアの顔だった。


 茶色の巻き毛に茶色の目、幸が薄そうな眉毛、小さな鼻と口、うっすらとそばかすのあるほほ。美人とも可愛らしいとも言いにくい顔立ちだ。


 髪と目の色は母方の祖父の遺伝らしいが、金髪碧眼の両親と兄に一人だけ似ていないことが、ずっとコンプレックスだった。


 後に血縁関係を示す魔導具によって実の娘であることが証明されるのだが、この頃・・・のアリシアは、自分は両親の本当の娘ではないのではないかと本気で悩んでいた。


 そう――なぜかアリシアは幼い頃の姿になっていた。十歳くらいだろうか。


 部屋の中を改めて見回すと、子どもの頃に使っていた物がたくさん置いてあった。本棚の本も子ども向けのものばかりだ。


 であるならば、体だけが若返ってしまったのではなく、時間を逆行したと考えるのが筋だった。


 通常なら夢だと一笑にすところだが、アリシアにはどうしてもこれが夢だとは思えなかった。寝間着のつるりとした触り心地も、スリッパのふかふかの感触も、うっすらと漂う甘い香りも、窓の外から聞こえて来る小鳥のさえずりも、現実としか思えない程にリアルだったからだ。


 ならば、皇帝に殺された方が夢だったのだろうか。


 それも違う、とアリシアは思った。


 地下室のかび臭い匂いも、抱き締めた柔らかな温かさも、響き渡る悲鳴も、体を貫いた剣の痛みも、赤い瞳に浮かぶ憎悪の色も、全て鮮明に覚えている。


 それに、殺されるまでの十年程の記憶もあるのだ。それらが全て夢だとは思えない。学園で学んだ事も思い出せる。子どもの頃のアリシアには絶対になかった知識だ。


 やはり自分は時間を逆行したらしい、という結論に達した。


 どういうわけなのかはわからない。時間を操る魔術や魔導具はないはずだ。であれば、神の御業みわざなのだろうか。


 何にせよ、皇帝に殺されたはずのアリシアは、二回目の人生を許された。


 とその時、部屋のドアが軽くノックされた。


 返事をするよりも早く、ドアが開く。


「あれ? おはようございます、アリシア様。今日は早いですね」


 入室して来たのは侍女のエミリーだった。焦げ茶の髪をお下げにして、公爵家のお仕着せを着ている。記憶よりも随分幼くなっているが、その笑顔は変わっていない。


 エミリーはルーエン公爵家の臣下の家門の出だったが、没落して平民となった。しかしそれまでの付き合いがあったため、こうしてアリシアの侍女として採用された。公女と平民という身分の隔たりができてしまったが、アリシアにとっては大切な人の一人だ。

 

 王都に帝国軍が迫り、アリシアが領地に疎開した時、エミリーは買い出しに出ていて、一緒に逃げることができなかった。エミリーも連れて行くと主張したのだが、帝国軍がすぐ迫ってきていて、父親に押し切られたのだ。後から合流した使用人達に、屋敷に攻め込まれた時に逃げ遅れて死亡したと聞いた。


「エミリー……」


 エミリーの笑顔を見て、アリシアの目に涙が溜まっていった。


「どうしたんですか、アリシア様。怖い夢でも見たんですか?」


 エミリーにぎゅっと抱き締められる。お仕着せの胸元は優しい匂いがした。


「ごめんね……ごめんね……」


 連れて行けたとして、結局はあの地下室で殺されていた。だとしても、置き去りにしてしまったという思いが拭えない。エミリーも、きっとアリシアに見捨てられたと思っただろう。


 エミリーはよいしょっと声を出して、アリシアを抱き上げた。


「わっ」


 驚き過ぎて涙が引っ込んだ。四つしか歳が違わないはずなのに、持ち上げられるとは思っていなかったからだ。


 しかし同時に、母親を亡くしてぐずるアリシアを、エミリーは長いことこうしてあやしてくれていたことも思い出した。

 

「あら、あんまり謝るものだからおねしょをしてしまったのかと思ったのですけれど、そんなことはありませんでしたね。お尻も濡れていませんし」

「なっ!?」


 布団をめくり、ぽんぽんとアリシアのお尻を触ったエミリーの言葉を聞いて、アリシアは顔を赤くした。


「おねしょなんか、しないわ……!」

「ふふふ、ついこの前までしていたじゃないですか」


 泣き止んだのを見て、エミリーがアリシアを下ろす。


「最後にしたのは八歳よ」

「たった三年じゃないですか。ついこの前ですよ」


 ということは、今のアリシアは十一歳ということになる。エミリーは十五歳だ。


 当時は随分年上と思っていたが、十五歳ならまだ子どもではないか。これでよくアリシアの面倒を見てくれたものだ。たくさん我儘わがままを言ってしまったことを思い出し、申し訳ない気持ちになった。


「それじゃあ、お風呂に入る必要はありませんね。お着替えをして、食堂に向かいましょう。旦那様とルーズベルト様がお待ちですよ」

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