第3話 調理実習の仁奈


「パンナコッタ、ですね」

 となりに立つ仁奈が言う。

「パンナコッタ、だな」

 ぼくも言う。

 今日の家庭科の授業は、調理実習だった。

 パンナコッタ。

 生クリームを温め、ゼラチンを溶かし、型で冷やして固めたお菓子。

「きっと類くんのような不良さんは『パンナコッタなんてヤンナコッタ』とか言って授業をサボるんでしょうね」

「そんなことを言う不良は不良じゃない」

「少女なのにババロア」

「しょーもなっ」

「最近見なくなったマリトッツォ」

「もう何にもかかってないじゃん」

 思いついたこと言ってるだけじゃん。

「……それにしても仁奈」

「なんです?」

「どうして、ぼくらの班は、ぼくと仁奈の二人だけなんだ?」

「さて。まったく。これっぽっちも。皆目見当がつきませんね。神隠しの仕業では?」

「おい」

「あるいは地球温暖化の影響ですかね」

「おい、ぼくの目を見ろ」

「はい」

「うっ!」

 吸い込まれそうな、目力の強すぎる瞳に見られ、ぼくは思わず目をそらす。

「や、やっぱり見るなっ」 

「類くん?」

「……えーと、その」

 ドキドキを悟られないように、息を整える。

「と、とにかく、ホントのことを言ってくれ。マジで」

「じつは、類くんと二人きりになりたくて、班のメンバーには違う班に移動してもらいました」

「そんなことだろうと思ったが」

「あ、もちろん合法的にですよ?」

「むしろ、その言葉を言うことで、疑わしくなったんだが……」

「ほんと、ほんとに合法です。抵触してません。網をかいくぐってます。穴をついてます」

「なにをしたんだよ!」

 家庭科の先生の方を見る、しかし先生はサッとぼくから目を反らした。

 マジで何をしたんだよ。

「あはっ、やりすぎちゃいました」

 仁奈があざとくも、舌を出しながら笑う。 

 ……いや、もはや、くわしく知りたくないけども。

「さあさあ類くん、とにかく調理をはじめましょうよ」

「仁奈に仕切られるのは釈然としないが、まあ、そうだな」

 仁奈は生クリームを温め、ぼくは型を冷やした。

「こうしてると思い出しますね。よく二人で料理したこと」

「あったな」

 幼なじみだから、それくらいの思い出はある。

「こうしてとなり合って、イチャイチャしながら新婚ごっこしたんですよね」

「息をするように過去を捏造するよな」

「類くんとの甘い思い出を捏造しないと、息が苦しいんです」

「しかるべき医療機関に相談した方がいいと思う」

「泌尿器科ですか?」

「絶対違うだろ」

 史上初じゃないか? 家庭科室で泌尿器科って言葉が発せられたの。

「いいじゃないですか。二人でいろんな初めてを共有していきましょうダーリン」

「誰がダーリンだ誰が」

「ダークホースリンパの略ですよ」

「何だよ番狂わせのリンパって。泌尿器科に引っ張られてんだろ」

「ゆるせませんね、泌尿器科」

「泌尿器科のせいではない」

 そんなアホな会話をしながら、ぼくらはパンナコッタを完成させた。

「次は……えっと、〝あーん〟と食べさせ合うんでしたっけ?」

「いただきます」

「ああっ、類くんっ!」

 仁奈がそんなことを言い出すのを見越して、ぼくはすでにパンナコッタを食べはじめていた。

「ひどいですよ類くんっ! 最悪、最低、裁定!」

「裁定って」

「1日以上30日未満の身柄拘束または1,000円以上1万円未満の罰金ですっ」

「軽犯罪レベルなのか……」

「そんなんだから類くんはクラスメイトから幼なじみフェチ野郎って言われちゃうんですよ」

「言ってんのおまえだろ!」

 おまえもクラスメイトだからな!

「でも、クラスメイトの女子からフェチにいって呼ばれてるのは本当ですよ?」

「絶対ウソだ」

「まあ、本当は――って」

 珍しく、仁奈は気まずそうな表情を浮かべた。

「いえ、やっぱり何でもないです」

 途中でやめるなよ、と言おうかと思ったが、結局言わない。

 やめたのはたぶん、仁奈の優しさだろうから。

 やれやれ。ぼくは何て言われてるのやら。

 ……昔は、違ったんだけどな。

 昔は、ぼくも、もっと普通に、それどころか少しはモテたりもしたような。

 いつからか、歯車が、おかしくなって――

「しかたないですね」

 気を取り直すかのように、ポンと手を叩く仁奈。

「類くんに噛み砕かれるパンナコッタに感情移入して、ゾクゾクするとしますか」

「なんだその倒錯した行為は」

「好意ですよ?」

 たぶん違うと思う。こっちもある意味ゾクゾクするよ。

「ねえ類くん、せめて、わたしには〝あーん〟させてほしいです」

「おまえなぁ、教室で〝あーん〟とかありえないだろ」

「またクラスのみなさんのこと気にしてるんです? 『あーアイツら、またやってんなー』としか思われないですよ?」

 ……それだけじゃないだろうに。

 もしかしてわざと、なのか?

 ぼくがクラスに馴染めるように、わざとグイグイ来てくれているのだろうか。

 むしろ、逆に、余計距離をとられる要因になっている気がするが。

 こいつのコミュニケーションは、やりすぎる。

「とにかく〝あーん〟はしない。痛々しいにも程がある」

「ノーペイン、ノーゲインです」

「何を得られるって言うんだ」

「何でも」

 一瞬、息が止まった。

 仁奈が微笑んだから。

 大きな目を薄め、少し首をかしげながら、ぼくに向かって。

「何でも得られます。わたしにできることなら、何でも」 

 こいつ、こんな顔もできたのか。

 幼なじみなのに、知らなかった。

 いや、こんな顔って、どんな顔?

 えっと、それは、つまり――。

「はい、あーん」

 いつの間にか、ぼくの口の中にスプーンが差し込まれていた。

 クリームの甘さとスプーンの冷たさが、舌全体に広がる。

「あはっ、食べちゃいましたね」

 頬を赤らめながら、仁奈がはしゃいだ声を出す。

「さてさて。わたしはどんなことをさせられちゃうのでしょうか」

「こんなの……ノーカンだ」

「あははっ、照れちゃって、そういうところも好きですよ」

「違うっての」

「普段はテキトーでおちゃらけてる主人公の師匠が、いざとなった時、めっちゃ強い敵キャラを瞬殺する展開くらい好きです」

「すげー好きじゃんか」

 そう言って、ぼくは胸のドキドキを感じながら、そっぽを向いた。

 そっぽを、向かざるを得なかった。

 赤くなった顔を隠すために。

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