第89話 守る者と守られる者
ルゼは久しぶりに騎士の姿になると、騎士団の訓練場でヤナに頼んで対多数の場合の戦い方を教わっていた。
「……一人が自分の盾となるように立ち回る、あるいは一対一の状況を作り出すなどあるが……まあ難しいな。逃げるのが最善だと思うが、3、4人程度なら……」
ヤナは地面に相手の立ち位置や動き方を描きながら説明してくれる。ルゼはヤナと地面に座り、解説を聞いては質問し、回答をもらい、また質問する、ということを延々繰り返していたのだが、イェリクと共にやってきたアランの呼びかけに頭を上げた。
「カイ……お嬢様。そろそろお戻りになった方がよろしいかと」
その言い間違いに、ヤナはアランを叱責するような目で見つめ、アランはいつも通り焦っている。
ルゼは騎士の姿に扮装した初日の彼らの反応を思い出し、一つ閃いたことがあった。
「もしかして今の私、カイル兄様に似ていますか?」
(……あっ、ヤナ様にはバレてなかったのに……)
ルゼはルーエンとしてではなくルゼとして返答してしまったことに多少焦ったのだが、ヤナの反応の無さから察するに、既にバレていたようである。
アランはルゼがなんとも思っていなさそうな様子であったことに安心したのか、申し訳なさそうに答えた。
「……似てるというか、そっくりです。立っているときは俺との身長差などから似てる気はしないのですが、ちょっとした仕草や顔の造形が……」
アランはそこまで言うとイェリクやヤナの目に口をつぐんだ。
(……むしろ聞きたいんだけど……)
ルゼはこの場のお通夜のような空気の打破もかねて、一芸を披露することにした。
立ち上がると喉に手を当てて締めるように押し込み、剣先をアランに向けて声を出す。
「ア……アーあー……。アラン君……アラン!」
「え」
「お前はいつも逃げることを念頭に置いているせいで、実力を発揮できていない。だが戦場で生き残るのは、お前のような人間なんだろうな」
(……この話し方は父に近いかしら……。もっとフランクだったような気もする……)
ルゼは兄との過去の会話を思い出しながら、今度はイェリクに剣を向け、兄らしい人懐こい笑顔で言った。
「イェリク! お前は恵まれた体格を持っているな。正直羨ましい! でもお前はその肉体に自信を持ちすぎてるせいで、基礎訓練を怠りがちだ。そんなのでは僕には一生勝てない!」
(……こんなに元気いっぱいだったかな……?)
調整が上手くいかなかったものの、久々に披露した芸が会心の出来であったことに満足して三人に笑顔で言った。
「どうです!? 意外と似ていませんか? 私、小さい頃に何か壊したりなくしたりしたときは兄の真似をして難を逃れてきたんですよ!」
幼年のルゼは害悪なお転婆だった。
ルゼの思惑に反してイェリクとアランは黙り込んでしまったのだが、ヤナは面白そうに大きな笑い声を上げた。
「あっははははは! 空気の読めないところが一番カイルにそっくりだな! 私にも何か言ってくれないか?」
(……空気読んだからこれしたんだけど……)
通夜を打開したくて恥ずかしさを押して披露したと言うのに、ひどい言い草だ。
ルゼはヤナの言葉に申し訳なさそうに眉を下げた。
「……その、兄は名前を出さずに他人の話をする人でしたので、記憶の中の兄の発言が誰に向けたものなのか判別するには、私が相手のことを知っている必要があるんです。ヤナ様のことも話していたのかもしれませんが、……」
「……なるほど。私の人となりを知らないから、私がカイルの発言のどの部分に当たる人間なのかが分からないということか」
「はい」
(興味がないわけではないのですが、如何せん生まれたばかりでして……)
この言い訳だと、ルゼがヤナに興味がないせいで何も知ろうとしておらず、結果兄の会話のどの部分に当たる人物なのか分からない、と言っているようだ。
ルゼが心の内で謝っていると、ヤナは数刻考えた後に告げた。
「私はカイルの婚約者だったんだ。それらしいことは何か言ってなかったかな」
「……え!?」
(こんやくしゃ!?)
聞き慣れた言葉だ。
ヤナはルゼの驚きように楽しそうに笑うと、ため息をついた。
「やはり話していなかったのか。あいつは私といるときも妹の話しかしなかったからな、私にそこまで気持ちを寄せていなかったのだろう。すまないな、本当はお前を見たときからカイルの妹だということは分かっていたんだが、多少意地悪をしてしまった」
「いえ、それはどうでもいいのですが……」
(……お兄様って婚約者いたのか……)
「……多少?」
アランはルゼとは別の所に疑問を抱いているようだった。
おそらく、訓練場に忍び込んだ初日、執拗にルゼに過酷な訓練を強いたのは、自分の婚約者の最愛の人物に対する八つ当たりだったのだろう。
(……まて、婚約者様の話としては聞いていなかったけど、それらしい話は沢山あるぞ……。でもこれ違う女性の話だったら悲惨なことに……)
ルゼは言おうかどうか迷ったのだが、カイルの妹である自分に嫉妬するくらいには兄を真剣に想っていたのであろうヤナの期待に応えたい、という気持ちが抑えられなかった。
「……あの、間違ってても怒らないでいただけますか?」
「お前には怒らないがカイルの墓前で怒るかもな」
「……」
カイルの墓前はどこにもないが。
ルゼは再度言おうかどうか迷ったのだが、残念そうな様子のヤナに決心した。
(……お兄様、伝えたくないことなのでしょうけど私は教えてあげたいです。怒ってたら化けて出てきてください!)
心の中でそう叫ぶと、もう一度喉を握りしめた。
「アー……ああー」
(……絶対に忠実に再現しますから……!)
声を調整するルゼを、3人が期待の眼差しで見つめている。
ルゼはヤナと対面するように地面に座ると、ヤナを6歳の自分、自分をカイルだと妄想し、ヤナから目をそらして照れたように頭をかきながら言った。
『……同じ隊に勝ち気な女性がいるんだが……あっ、僕の二つ上なんだけど。……その人が、誰も聞いてくれないような剣術の話や妹の話や妹と僕の話を何時間でも聞いてくれるんだよ。彼女は僕と違って魔法も使えるんだ。頭も良くてどんな場面でも臨機応変に動けるし。いつも別れ際に、僕みたいな剣しか能の無い人間で良いのかなあ~みたいなことを考えるんだが……、でも僕から彼女と距離をおくなんてできないからなあ、このまま黙って……』
「も、もういい。……あいつは妹に何を話しているんだ……」
(……私もずっとそう思ってました……)
先程とは違う種類の沈黙が訪れたのだが、イェリクとアランが堪えきれないと言うように吹き出した。
「わははは! 剣と妹だけを愛してそうなカイルにも、そんな感情があったんだな!」
「あいつ、いつも澄ました顔でヤナ殿に剣術の持論と妹への愛を語ってたけど、内心緊張してたんだろうな」
(……私までダメージが……)
死んでいるくせに存在感がある。
ルゼが堅い笑顔を浮かべていると、他にも何か話してくれ、と催促された。
誰もいなくなった訓練場で四人が輪になって座り、ルゼの寸劇を見ている。
『僕は一人の方が動きやすいと思うんだが、そんなことを言ったら孤立してしまうだろうなと思って言えない……』
「あはははは! しょっちゅう言ってただろう!」
『僕はみんなが憧れる存在だからな、常に努力は怠らないんだ。見えないところで努力し、見えるところでも努力をする!』
「頼まれてもないのに、他の人に稽古をつけてる時間の方が長かったが」
『僕はむしろ魔法が使える奴らを見下している節がある! なぜならやつらは危機に際して、魔法か剣かの二択を選ぶのに一瞬気を取られるからだ!』
「魔法が使える騎士を見ては、悔しがってたけどな!」
ルゼが何かを言えば、それに呼応して昔話が一つ返ってくる。
他に何があったかな、と考えて、一番良く耳にしていた言葉を口にした。
『僕の剣は、剣ではあるが盾でもあるんだ。僕がなぜ剣を極めているのかと言うと、お前を……」
カイルを憑依させて意気揚々と話していたルゼだったが、言い切る前に口をつぐんだ。
「……以上です! そろそろ戻ります! 長々とくだらない遊びに付き合ってくださって、ありがとうございます」
急に切り上げて明らかに愛想笑いをするルゼに、イェリクとアランがなんとも言えない顔をしている。同情しているのかもしれない。
ルゼは笑顔でそう言うと立ち上がったのだが、ヤナも同時に立ち上がると大きな声で叫んだ。
「ルゼ・レンメル!!」
「はい!」
ヤナの大声で空気がビリビリと震え、ルゼは反射的に身を正した。
ヤナは大きく息を吸うとルゼを見据え、大きな声で叫んだ。
「守る者がいたら弱くなるのは当然だが、僕らは守る者がいるおかげで強くなれもする!! 君たちは僕をただの才能だと嘲るが、僕は守るべき妹がいなければこれほど真面目に剣の鍛錬はしなかった! もし妹がいなければ僕は弱いままだったし、戦場でも真っ先に死んでいたに違いない!!」
「……!」
後半はほとんど聞いたことがない。
ヤナの叫びを聞いたアランが、座ったまま楽しそうに言った。
「つまり僕は、妹のおかげで自分を守る術を極められたと言うことだ! 君たちと僕の違いは、妹がいるかどうかの違いだ! 分かったら僕を妬んでいないで励め!!」
アランの似せる気のない声まねに、イェリクも面白そうに笑った。
「それ百回は聞いたな! 声量が3倍くらいになるやつだ。結論は微妙だが、俺は割とその理論を的を射たものだと思っている」
「……」
結論が微妙な理論を百回も聞かされている部下が不憫だ。
ルゼは三人の言葉に呆れたように笑い、声の震えを見せないように呟いた。
「……そんなこと言ってたんですか。本当に恥ずかしい……」
「私はカイルの真似が下手だな。いつか私の知るカイルの話も聞いてくれ」
ヤナも眉尻を下げて笑っている。
「……はい。……すみません、先に失礼します」
ルゼは笑顔で返事をするとぺこりと頭を下げ、三人の顔を見ずに屋敷へと走るのだった。
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