第六章

第87話 何度も言わせるな

 仄かな肌寒さを感じ、ゆるゆると目を覚ました。


(……良い夢を見た気がする……)


 ルゼはベッドの中で緩慢に瞬きをすると、横になったまま両手を上にかざし、自分の状態を確認した。


「手……」


 自分の手であるはずなのだが、初めて見たような感覚がある。

 ゆっくりと上体を起こすと、大きく伸びをした。


(髪伸びてる……)


 滅多に見られない紅梅色の髪の毛が視界に入り込んだ。

 ルゼの髪はもともと肩ほどまでの長さだったのだが、寝ている間に伸びたのか腰までの長さになっていた。誰かが手入れをしてくれていたのか、毛先は切り揃えられ、つやつやと質が良い。

 ベッドから出ると、今度は全身で、うーんと大きく伸びをした。


(健康って素晴らしい……)


 筋肉は衰えているはずなのだが体中に魔力が充満しているのが感じられ、以前よりも断然快調のように思われた。

 久々の健康体に、目覚めたばかりではあるのだが、高揚感がある。


(……やけに静かだな)


 窓の外に視線をやると、静かに雪が降っていた。 

 ルゼは窓際まで歩くと下に降り積もる銀色の雪を見つめ、空を見上げた。

 

(……曇っているせいでよく分からないけど、朝か昼、あるいは夕方だな……)


 寝起きの頭でぼんやりとそんなことを考える。

 空は白く輝いているように見えるのだが日の光は差しておらず、どの時間帯なのかよく分からない。


(早朝だったら迷惑かけちゃうな……)


 ルゼはそう考えると静かに窓を開け、一面に降り積もる雪の上へ飛び降りた。割と高さがあったのだが魔法でうまく落下速度を減速させられたらしく、緩やかに雪の上に着地することができた。


 ルゼは自分の健康を再確認すると、雪の上に仰向けになって寝転んだ。


(ああー……、雪……)


 暫く目を瞑って雪を堪能した。背中から伝わる雪の冷たさが、僅かに火照った体に心地良い。

 目が見えるようになった感動はあったのだが、今はまだ暗闇の方が安心した。


(……ここ別邸の方かな。山の中だし……)


 この人の少なさは、おそらく別邸のほうだろう。本邸にいたらひっきりなしで侍女に世話されていただろうから、良かったかもしれない。

 顔や体の上に雪が柔らかく降り積もり、数分そうしているうちに体が冷えてきたのか、くしゅんっと小さくくしゃみをしてしまった。


「……さ、寒いかも……」

「当たり前だ」


 ルゼは突然頭上から降りかかった声に驚いて勢いよく目を開けると、声から察するにクラウスであると思われる男がルゼを見下ろして立っていた。

 髪についた雪のせいか、きらきらと輝いて見える。


「───え!?」

「な……なんだ」

「なんでもありません」


 目を丸くして急に声を荒げるルゼに、クラウスが珍しく戸惑ったような声色を見せた。


 目が見えない頃のルゼの脳内では、クラウスは兄をベースに平凡な好青年を想定されていた。

 しかし実際は、毛先が跳ねた短く艶のある黒髪に濃く透き通った濃い青い瞳、笑いそうもない薄い唇に高く通った鼻筋をしている。


(……凄い……)

「……」

「……」


 頭をブルブルと左右に振って、髪に積もった雪を払い落としながら起き上がると、クラウスが無言で横にしゃがみ込んだ。ルゼが無言で見つめると、その男も顔色を確かめるようにして見つめ返してくる。


「……積もってますよ」

「……窓から出るな」


 ルゼはクラウスの乱雑に下りている前髪に手を伸ばすと、積もっている雪を払った。探して歩き回っていたのかもしれない。

 パッパッっと手を動かして雪を払うとすぐに腕を引っ込め、クラウスを見つめた。


「……あの」

「うん」

「ああ凄い目が合う……」

「……」


 自分を捕らえるような視線に、ルゼがふいと目を逸らして俯くと、クラウスがその頭に向かって手を伸ばした。しかしルゼが俯いたままゆったりと体を横にずらしたため、クラウスの手は虚空を切ったようだった。


「……なぜ避ける」

「……初めまして……」


 ルゼが頭を地面につけるようにしてか細い声で挨拶すると、クラウスは一瞬目を丸くし、小さくため息をついた。


「視力は戻ったか」

「はい」

「体調は」

「良いです」

「寒くないか」

「寒いです」

「お前が昏睡してから一年経っている」

「そ……え?」


 その衝撃に顔を上げると、クラウスを見つめて言い放つ。

 

「まさか殿下、もう既に他の方とご結婚されていますか?」


 当初の予定では春に婚姻の儀が行われる予定だったが、秋頃にルゼが倒れ、そこから一年経って今が冬らしい。春が一回吹き飛んでいる。

 眉尻を下げてそう質問するルゼに、クラウスは目を丸くして曖昧な返事をした。


「いや……」

「もう駄目ですか? あなたを殺すような人間では駄目ですか」


 ルゼが真剣な顔をしてそう言うと、クラウスは顔をしかめて返答した。


「俺の婚約者はお前しかいない」

「……ずっと?」

「ああ」

「……」


 ふいと目を逸らして俯くルゼに、クラウスが小さく笑っている。

 

「どうして?」

「……いいました」

「聞こえなかった」

「…………」


 雪の降り積もる庭でいつまでも座り込んでいる二人を、屋敷内の使用人たちが窓からチラチラと眺めている。

 ルゼは俯いたまま口を動かした。


「……私の意見を聞いてくれる所とか、諭すことに躊躇いがない所とか、人に弱いと言う割に私ならできると期待しちゃう所とか、を、……」

「……を?」

「……を、」

「……」


 尚も下を向いたまま、ボソボソと口を動かす。

 

「…………貴族の人みんな石鹸捨てたのに貴方だけ使ってたり、手とか腕の長さで大きさ測ってたり、シャツが毎日パキッとしてたり、とか……が、……」

「……」

「……」

「……」


 肩に、しんしんと雪が降り積もっていく。


 ルゼはバッと顔を上げて立ち上がると、見上げてくるクラウスに向かって掴んだ雪を勢いよく投げた。クラウスはその雪玉を手を掲げて受け止めていたが、窓から眺めていた使用人がハラハラした顔をしている。

 もう一度雪玉を投げると、真っ赤な顔をして叫んだ。


「二度も言えるか!!」

 

 聞こえなかったと催促するあたり、昏睡前に呟いたルゼの戯言は聞こえていたのだろう。

 肩を震わせながらそう叫ぶルゼを、クラウスがぽかんとした顔で見ている。

 

「早く帰りますよ!」


 いい加減、降り積もった雪が服に染みて寒い。

 そう言って踵を返すルゼに、クラウスも小さく笑うと立ち上がった。


「お前一度も言ってないだろう」

「貴方も言ってないですけどね!」

「そうだったかな」

「白々しいんですよ」


 雪に足跡を刻みながらやいやい口論する二人を、使用人らが微笑ましく眺めていた。

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