二十八話 キブリー

 何百年もの間共に生きた水晶玉が変貌しかつての婚約者、エレノアと瓜二つの姿になったのを目撃した魔族は言葉を失った。


(ああ……確かに最初はこうなる事を望んでいたんだっけ…………)


 目の前の女の姿を見て魔族の脳裏に浮かぶのはかつての、『始まり』の記憶であった。




   ◇◇◇




「久しぶり」


 キブリーがエレノアの墓の前で手を合わせていると足音が聞こえてきた。その声は聞き覚えがあり振り向くとそこには同族の淫魔であるサキュバスが立っている。エレノアの幼馴染みのサキュミーだ。普段はサキュバスらしく露出度が多い服装で肌を晒しているサキュミーだが今は露出を控えた喪服に身を包んでいた。


「サキュミーか。魔界に戻ってくるとはな。勇者にでも振られたか」

「振られてませんー!! エレノアの墓参りに来たんですぅ!!」


 珍しく沈んだ様子のサキュミーにキブリーが酷い言葉を投げかけるといつもの様な明るい声と表情に戻る。


「……息災でなによりだ」

「……そっちもね。思ったより元気そうでよかったわ」

「まあ……こうなることは覚悟はしていたからな」


 口ではそう強がるがそれは嘘だ。キブリーは心の整理がつかず毎日墓の前で黄昏れていた。その事を心配したエレノアの従者が相談したからこそサキュミーは裏切り者と攻撃される危険を承知で魔界へとやって来たのだ。それを打ち明けるのは野暮なのでサキュミーはその事は黙っていた。


「……てっきり俺は殺されると思っていた」

「……魔王軍的には敵前逃亡した大戦犯だもんね。まあそれを言ったらあたしは寝返ってるから更にタチが悪い大々戦犯だけど!」


 変わらず明るく笑うサキュミーにキブリーは少し気が抜けたように笑う。


 エレノアを看取り埋葬を済ませた後魔族は裁判にかけられた。


 裁判の理由は明白だ。勇者一行との戦いを放棄した事である。しかし直接的な罰は下されなかった。


 長らく魔界を支配していた魔王が倒され後任候補達でゴタついている事。


 魔王は討伐されたが人間と魔族の間に平和条約が結ばれ結果的には敗戦となったが永らく続いた戦争が終わり血腥い選択を辟易する者が増えていた事。


 被告であるキブリーが同胞にも容赦なく処罰という名の処刑を繰り返し行っていたため大半の同胞にとって恐怖の対象であり強く罰したら逆に酷い目に遭うのではないかという心理的恐れがあった事。


 様々な思惑からキブリーはしばらく謹慎していろという戦闘と守りを放棄したには軽すぎる罰を下された。


 処刑覚悟で裁判に赴いたというのに拷問すらなくその判決を言い渡されキブリーは困り果てた。敵前逃亡という大罪を罰せられるでもなく、赦されるでもなくただ大人しくして表に出るなというのは逆に堪えるものがあったのだ。


 罰を与えられない事自体が罰なのかもしれないと思ったキブリーは自分の住んでいた屋敷を売り払いエレノアの住んでいた屋敷に引っ越していた。


「……あたしさ、エレノアに聞かれたの。いつ魔王城を攻めるのかって」

「……そうか」

「いくら大切な幼馴染みでもそんな事教えられないじゃない? でも魔王軍にも、キブリーにも言わないから教えて下さいって言われて……」


「悩んだけどあの子は人間の事が好きだし嘘じゃなさそうだから教えたら最後に言われたの。勇者様とお幸せにって。でも勇者ちゃんが生きてるって事は魔王様を倒したって事でしょう? それってキブリーを倒す事にもなるのになんでそんな事を言うのかなって思ってた。そしたら……キブリーが城にいなくて……」

「……ああ。驚いただろう」

「うん。キブリーは真面目だからあたしと敵対しても手を抜かずに殺しに掛かってくると思ってたからさ。死ぬか殺すかの覚悟はしてたよ。でもいなくて……罠かって警戒しながらなんとか魔王様を倒して人間界での住居に戻ったら……お別れの手紙が入ってた」


 手紙の内容を思い出しているのかサキュミーの瞳には涙が滲み出す。


「エレノアは自分の命を賭けてあたしとあんたを救ったんだ」

「……それでも……それでも俺は…………一秒でも長く生きていて欲しかったよ」

「うん……」


 キブリーが思わず呟いた言葉にサキュミーが同意して頷くと冷たい風が頬を撫でる。


「訊ねたい事がある」

「なに?」

「あいつは……エレノアは幸せだったと思うか?」


 震えた声の問いにサキュミーは驚いて目を瞬かせ少し考えるような仕草をした後、話しだした。


「……あの子、生まれた時から病弱でね。最初は両親も心配してつきっきりだったんだけど……死にかけては助かって、また死にかけて……悲しむのも喜ぶのも疲れちゃったんだろうね。空気がいいからって遠くに別荘を建てて隔離した後放置するようになったの」

「……ああ、聞いている」

「従者のメリィは付き添ってくれたし私も出来るだけ会いに行ったけど……どこか諦めた顔をするようになってた。でもキブリーと出会ってから少しずつ明るい顔をするようになったんだ。驚いたよ。あたしがどんなに話しかけても気を使うように笑ってたのに。最初は魔法を使って洗脳でもしたのかと思った」

「……するか」

「だよね。でも噂では血も涙もない男だって言われてたからさー。ちょっと話したら案外ふつーだったから拍子抜けしたけど。むしろ情ありまくり過ぎて心配になった」

「……そうか……?」

「そうだよ。まあキブリーのことは置いといてエレノアの事だけど……エレノアはさ、愛されたかったんだ。純粋に愛されて必要とされたかった。あたしやメリィだってエレノアの事は愛してはいたけど……なんていうのかな……少なからず憐れみもあったからさ。それが嫌だったのかもしれない。結構そういうのにあの子は敏感だったから」

「……俺とてエレノアに憐れみは抱いていた。こんな男の嫁になるなんて不憫だと」

「あはは。それエレノアから聞いたわ。クスクス笑いながら言ってた。こんな病弱で、いつ死ぬかも分からない女を貰う方が嫌でしょうにって」


 キブリーはそんなことはないと口に出そうになるが伝えたい相手がいないので口つぐむとそれを見抜いているのかサキュミーはニンマリと笑う。その笑みに居心地が悪くなりながら疑問を口にした。


「俺はエレノアを愛していたのだろうか……」

「愛していたんじゃない。愛してるんだよ。今も」

「そう……なんだろうか。エレノアも似たような事を言っていたが俺には分からないよ。ただ今は胸に穴が開いたような喪失感があるだけでそれが愛ゆえのものなのか断定出来ない。あいつの言葉を心から受け止める事が出来ない。疑ってしまう。………それが何よりも辛い」


 命をかけて遺してくれた最期の言葉すら信じきれない自分に絶望しながら持ってきていた水晶玉を撫でる。そんなキブリーの肩にサキュミーは手を置いた。その眼差しは弟の悩みに親身に答える姉のような暖かさがあった。


「なら『愛』を学べばいいんだよ」

「愛を学ぶ……?」

「そう! 分からないなら知ればいいんだよ。私達は淫魔なんだからさ、愛し合ってるところを見てみたらいいんじゃないかな」

「愛し合っているところを……そんなもの飽きるほど見てきたが」


 淫魔達が人目も憚らず外で性交をする事はよくある事だ。見たところで何の感情も湧かない。魔族がそう答えるとサキュミーは首を横に振る。


「淫魔同士のソレは愛もあるだろうけど本能と欲望が強すぎるというか習性?というか……もっと複雑そうな方がいいかな。エレノアは人間の恋物語が好きだったし人間が愛を育んでいるところを観察するとかいいんじゃないの?」


「それは………どうやって……?」

「うーん…………あっ、そうだ! きっかけを作っちゃえばいいんだ!」

「きっかけ?」

「そう! ギブリーは結界や空間創るの得意でしょ? 例えば…………セックスしないと外に出られない仕掛けの部屋を作って閉じ込めちゃえばいいんだよ」

「性行為をしないと出られない部屋……?」

「そうそう。どんな反応をするのか、どんな行動をするのか観察できるよ。心の機微や愛を知るには手っ取り早いんじゃない?」

「…………そうかもしれないが……そういった仕様の部屋は創った事が無いしな……勝手が分からん」

「あたしも手伝うよ。……あ、最初に閉じ込めるの、あたしと勇者ちゃんにしたら? 実際に経験した方がアドバイスしやすそうだし」

「…………それが目的か?」


 急に早口になるサキュミーをジロリと睨みつけると彼女は萎縮しつつも違うよと否定した。


「いや、今思いついちゃって……で、でもあたしと勇者ちゃんは両想い…………………かなぁ? 少なくとも嫌われてはいないはずだから!! 失敗しちゃっても死ぬことはないんだから気軽に試してみたら?」


 ただお前が勇者と性行為したいだけでは、と呆れると同時にサキュミーの赤面と動揺具合からまだ深い関係ではない事に気づく。あれほど気に入ったら即交わっていた女が勇者に対し奥手(淫魔基準)になるとはと驚く。


「まあいい。物は試しだ。やってみよう」

「ホント? ベッドは二人寝そべれるくらい大きいのがいい! それと……」


 それからサキュミーの偏ったアドバイスを経て魔族はセッ○スしないと出られない部屋を創造したのである。


 そして────。


『下僕との仲を取り持ってくれた事の礼に良い事を教えてやろう。その水晶玉、ほんの一部ではあるが魂が残っておるな。おぬしが容れたのか他の者が容れたかは知らぬが大事な者の魂なんじゃろう?』


『大事にした物には魂が宿る。今はまだその微弱な魂では話す事も儘ならぬじゃろうが……幸いその水晶玉は魔力の媒体としても優れておる。それこそわらわが教えた心を読む術を水晶玉を介して行ったり他の魔法を行使すれば魔力と共に魂が微弱ながらも成長していくじゃろう』


『そうすれば……いつかはその魂の主と再び巡り会えるかもしれん。途方も無いほど長い時間を費やすじゃろうが……その間に『愛』とやらを学ぶのじゃな』


 心を読む術を教えてくれたヴァンパイアが礼にと放った言葉はキブリーにとって光明そのものであった。もしかしたらエレノアと再び会う事が出来るかもしれない。


 もしそれが叶うのならとキブリーは意欲的に想い合う男女を交わらなければ出られない部屋に閉じ込めた。その過程で様々な愛を学び水晶玉にその情報と魔力を注ぎ込んでいった。


 それらを繰り返すうち学習から性癖の昇華へと変貌していったのはキブリーにとっても想定外であったが計画通り水晶玉の中の魂は成長していき言葉を少しずつ発するようになった。


 しかし同じの魂とはいえエレノアと水晶玉はあまりにも違う存在であった。エレノアとしての記憶は無く器も生き方も異なった影響か水晶玉自身は丁寧な口調であるものの毒舌で冷めておりあくまでキブリーを主人として扱った。


 最初はその事に落胆したキブリーであったが部屋運営の共犯者として共に過ごすうちにエレノアとしてではなく水晶玉自身に愛着を持つようになっていたのだ。


(目的は果たされた。当初の目的が叶った。なのになんで俺は……)


 白い髪。赤い瞳。そしてその顔立ち。翼や尾はなく纏う魔力から同族である淫魔ではなく鉱石精霊であるなどの差異はあるもののエレノアとそっくりなカタチを模したソレに魔族は足をすくませる。


 それでも確認しなければならない、大切な事のために一歩踏み出した。


「君は誰だい……?」

「……私は──」


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