最終章 キブリーと水晶玉

二十七話 エレノア

※二十七話からキブリーと水晶玉の話になります


『……婚約者、ですか……?』

「うん。親同士が決めた政略結婚だったけどね。当時の俺は淫魔のくせに性に興味がなくて戦いばかりに明け暮れる毎日を送ってまして。愛情だの恋情だのまるで理解出来なかったしきっと一生分からないんだろうなと思うくらい心が冷え切ってましたな」


 昔の事を思い出しながら語るキブリーはまるで普段とは別人のようで水晶玉は彼の言葉を聞き漏らさぬよう黙って聞いている。


「そんな日々を送っていたある日貴族の病弱な令嬢と結婚しろって実の父親に怯えられながら言われた時もそこまで関心もなくて。初対面から婚約者相手に俺は愛なんてわかんねーからおめーのこと愛せねーかもごめんって感じの事言っちゃうくらいアレな奴でござった」


 魔族の過去と現在の差異にも驚かされたが自分の根幹である魂が主の婚約者だったという事実は水晶玉にとって今までの人生……もとい水晶玉生をひっくり返す驚愕のものであった。


『……知りませんでした』

「うん。多分魂の転移が不完全だった影響でしょうな」

『……そもそも何故私……ではなくエレノア様は私の体である水晶玉に魂を移したのでしょうか』

「実は言うと何故エレノアがそんな事をしたのか俺も正確には分かってない。君の本体である水晶玉自体は俺が贈ったものだけど」

『そうなのですか』

「うん。エレノアは変わり者でね。人と魔族が啀み合う中で人間の書いた恋物語を愛していた。その物語の一つに恋占いをして男女の仲を取り持つ占い師が登場するものがあってね。『好き合っているのに互いの好意に気づいていない二人が紆余曲折ありつつも結ばれる瞬間は何度読んでも最高ですね……私もこの物語の占い師みたいに両片想いのお二人を支援したいです』とかよく言っていたなあ……」


 どこかで聞いたような興奮気味な表現に水晶玉は耳を疑った。もっとも水晶玉に耳はないのであくまでニュアンスとしてだが。


『……エレノア様、貴方様のような事を言ってませんか?』

「…………あ、本当だ。そういえばそうですな。無意識に影響されてたのやも。あはは」


 指摘されて初めて気づいたのか一瞬固まった後朗らかに笑うキブリーに水晶玉はほんの少し意識が揺れる。それが良いのかそれとも悪いのか水晶玉には分からない。


「それで占い師に憧れたんだけど……エレノアは家から殆ど出られなかったから水晶玉を見たことがなくてですな。どんなものなのかと訊ねられてじゃあと見せるために人間と交渉して鉱山を買い取ったんですぞ。水晶は人間界にしかなかったから」

『え。鉱山って……前部屋に拉致したお嬢様の家に差し上げたものですよね? わざわざ買い取ったんですか? 戦争の最中だったのですから奪えばよかったのでは』


 ただの雑談のように話すキブリーであったが先程述べたようにその頃は魔族と人間は何百年もの間抗争状態にあった。人間も魔族は啀み合い殺し合っていたのである。そんな中人間から奪うのではなく交渉して手に入れるということがどれだけ危険で手間の掛かることであるのか水晶玉も理解していた。


「まあそうなんだけど……エレノアに渡すものにそういう血腥いナニカを含ませたくなかった、というのが当時の自分の考えでして。質の高い鉱石が採れる鉱山を買い取っていい感じに魔力を宿した水晶を発掘して丹念に磨き上げ君が出来たというわけです」


『……なるほど』


 自分が君を造ったんですぞと話には聞いていたがそこまで手間を掛けて製造していたとは知らなかった水晶玉はあ然とする。しかも造られたきっかけが婚約者が水晶玉を見たがったから、という予想だにしない理由に情報処理が追いつかなかった。


「それから君はエレノアの元にいた。そして……勇者が魔王城に突入しようと迫っていた時、エレノアは君の中に魂を転移させた」

『えっ……何故そんな一大事に……』

「……一大事だからだよ。魔族と人間の戦争が長引いたのは互いに決定打が無かったからだ。人間はすぐ増え成長が早く、魔族は長命な上にしぶとい。どちらかが大打撃を食らうことはなく惰性的に争っていた。あまりに長く争いすぎてどちらも争うようになったきっかけすら曖昧になるほどに」

『……心の中で戦争を忌避する者が増えたと』

「エレノアは元々魔族らしくない穏やかな生格をしていたからね。それに愛読書の影響で人間の事を好ましいと思っていた。勇者側にはエレノアの幼馴染みで魔王軍の幹部であったサキュミーがいたしね」

『この前話していただいた勇者と結ばれたサキュバスのことですね。それで何故私に魂を……?』


 (話を聞くかぎり将来を悲観しての自殺……とは思えませんが……)


 何故勇者が魔王城を攻め込むタイミングで魂の転移という自ら命を危険に晒すような事をしたのだろうという疑問を抱いていると魔族は水晶玉を柔らかいクッションの上に置いた。


「……エレノアはね。勇者一行が魔王城に攻め込む前に毒を飲んだんだ」

『何故そのようなことを……?』

「……魔王城の結界や守りは俺が担当していた。勇者一行の動きは把握していたし門の前で迎え撃つつもりだった。だけど突然エレノアの従者からエレノアが危篤だと連絡が入って俺は……………その場から離れて彼女の元へと向かってしまった。魔王様を護るという魔族にとって最大の栄誉を投げ捨てて」


 大戦犯ですな、とキブリーは自分を茶化すものの強い罪悪感があるのか肩を落としため息をつく。背を向けられているためよく見えないがきっと泣きそうな顔をしているのだろうなと水晶玉は思う。


「それで血相を変えて駆けつけたら何もかも手遅れで…………ああもうこれは助からないと一目で分かる有様でしたな。血を吐いて苦しいだろうに声を失った彼女は水晶玉を通して俺に『貴方がここに来たという事は魔王城の守りは薄くなりましたね。指揮をするはずの者がいなくなって統率も乱れたでしょう』と言いやがりまして」

『まさか……そのために毒を……?』

「……『実は私は秘密裏にサキュミーと手紙やり取りをしていたのです。サキュミーが言っていました……勇者様はとてもお優しい方だと。いたずらに犠牲者を出さないと。長い間魔物と人間は争ってきましたが……私は人間が好きです。彼らの紡ぐ物語が好きです……魔族の事だって……彼らにも、サキュミーにも、貴方にも傷ついてほしくない……』とも言いましたな。その後───」


 ガガッ。


 キブリーが水晶玉に語りかけながら触れた瞬間、水晶玉の中でとある映像が流れ込んでくる。それはエレノアの最期の記憶であった。




   ◇◇◇




「…………だから、毒を……? 守護を任された俺が駆けつけてくるだろうと…………?」

『…………成功、しましたね。実はちょっとだけ不安だったんです。貴方が私よりも使命を優先させてしまうかもしれないと』

「……っ……馬鹿だ!! お前は大馬鹿者だ!!」


 目の前の女の、ただでさえ残り少ない命を削る行為が理解出来ないのかキブリーは声を大きく張り上げる。元々何を考えているか分からない女だとキブリーは思っていたが理屈も理解も出来ない行動にひたすらに動揺していた。


『……はい。馬鹿、なんです私……今こうして貴方に選ばれた事が嬉しくてたまらないんです。……毒を飲まなくてももう死にゆく体でしたが最後に大切な事を伝えられます』

「……大事なこと…………?」

『──貴方は私を愛しています』

「愛……? 私が、お前を……?」

『はい。貴方は愛が無いわけじゃないんです。ただ自覚が出来なかっただけ。周りが『愛』を教えてくれなかっただけなんです。だって……魔王様や同胞を放ってまで私のところに来てくれたんですもの。愛が無ければ出来ない事です』

「それは……」


 貴方は私を愛している。傲慢とも取れる言葉をエレノアは口にする。その言葉を丸ごと受け入れらず戸惑う魔族にエレノアは優しく微笑む。その笑みには慈愛と……僅かな狂気が垣間見えた。


『正直に言ってしまうと悔いはあります。愛する貴方を一人にしてしまう事。貴方ならきっと私が死んでも立ち直ってしまうのでしょうが……私自身がもっと貴方と一緒にいたい。ずっと、永遠に』

「……俺だってそうだ。お前と共に生きたい」

『……ふふ。嬉しい…………だから私の宝物に私の魂を宿します。ご迷惑でなければ、お傍に─────』

「な……エレノア……!!」


 どういう意味だと身を乗り出すと同時にエレノアは瞳を閉じ大切そうに触れていた水晶玉から手が離れていく。ほんの少し前まで話していた女は、呆気なく息を止めた。その顔は安らかで笑みすら浮かべている。


「……宝物…………エレノアの、魂……」


 エレノアの死の実感で心が軋む前にせめて最後の遺言を叶えるため魔族は思考を巡らせた。彼女の宝物とは何か。


『とても……とても嬉しいです。ありがとうございます。一生の宝物にします……!』


 花のように笑いながら彼女が何を大事そうに抱きしめたのか。魔族は思い至りエレノアが死に際まで大切そうに撫でていた水晶玉に触れると──。


「ああ……たしかにそこにいるのだな……エレノア……」


 水晶玉が淡く輝きだした。その淡い眩さはエレノアの在り方そのもの。その水晶玉を大切そうに抱きしめながら魔族は涙を流す。


「愛……愛か……俺には分からないよエレノア。君が俺を愛してくれていた実感も、俺が君を愛していた事すらも自覚出来ていない……君は本当に幸せだったのかい……?」


 男の問いに答える者は既にない。けれど沈黙の中、問いに呼応するように水晶玉は光り輝いていた。




   ◇◇◇




(ああ……そうか。貴女は病魔に蝕まれて死ぬよりもこの方の一生の傷になってでも死に様を刻みつけたかった。綺麗な思い出になんてなりたくなかったから。その上で永遠に寄り添いたかったんですね。たとえ一部しか魂を残せなかったとしても)


 自分が何故存在しているのか。その一端を垣間見た水晶玉に光が灯る。それは段々と強くなっていき自分自身の何かが変わっていくのを感じていた。


「……水晶玉クン……!?」

『あ──』


 ぐにゃりと思考が歪む。過去と今の自分が混ざり合ってどろどろと溶けていく。それは心の奥底で待ち望んでいた瞬間であり来なければいいと祈っていた瞬間でもあった。水晶玉という丸い球体が蛹から蝶が羽化する時のように蠢き形を変えていく。


 そして──。


「エレノア……?」


 水晶玉はやがてヒトのようなカタチとなり床に這いつくばる。その姿は魔族の記憶にあるエレノアと酷似しており額には水晶のような球体が付いていた。


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