二十九話 水晶玉

「私は──水晶玉です。エレノア様の記憶と情報は引き継ぎましたが私は私です。貴方様の所有する水晶玉……いえ、正確には水晶の鉱石精霊となったようです」

「そっか。うん……それでいいんだ」


 人の形が慣れないのかぎこちなく起き上がろうとしながらもハッキリと答える水晶の精霊にキブリーは安堵と哀しみが混ざり合ったような笑みを浮かべ手を差し伸べる。


 エレノアとの別離に対する悲哀とそして水晶の精霊という想定とは異なるとはいえ形だけでも再会出来た事に対する歓喜、両方が含まれる笑みに水晶の精霊はコクリと頷いて手を取り立ち上がった。


「しかし今の私はエレノア様の魂が変化した姿。私の中にエレノア様が僅かながらにいる、と言っても差し支えはありません。なので……長年抱いていた願いを叶えられては如何でしょうか」

「……何でそれを」

「……申し訳ございません。先程触れられた時に僅かながら貴方様の記憶が見えたのです。おそらく私の中の魂が揺らいだからでしょう。貴方様の記憶の中にエレノア様に対する悔いが見受けられました。私はエレノア様ではありませんが……一時的な代行は出来るかと」

「そっか……じゃあ遠慮なく」


 キブリーは大きく息を吸いゆっくりと吐いた後、水晶の精霊に向き直る。その真っ直ぐな視線は水晶の精霊をすり抜け遠くにいる存在へと注がれている。


「エレノア。俺は沢山の愛の形を知った。人と人、人と魔族……種族関係なく様々な愛を紡いでいた。それをずっと見ていたら……自分の中の、君に抱く想いが何かやっと理解出来たんだ」


 キブリーはこれまで部屋に閉じ込めた男女の記憶を振り返っていく。それは万華鏡のように鮮やかで尊いものだった。


「エレノア。俺は君を愛している」


 キブリーの願い。それはたった一言、生前一度も伝えられなかった愛の言葉をエレノアに告げる事だった。死に際に伝えられた『貴方は私を愛しています』という言葉が真実であり、今もお前を愛しく思っているのだと教えたかった。それだけの事を伝えるために魔族は気が遠くなるほどの年月を費やし沢山の愛の形を見てきたのだ。


 生まれながらに強大な力を持ったせいで恐れられ、疎まれた故に愛し方を知らなかった男が自分の抱いていた想いを知る為にたどり着いた終着点。それはありふれた愛の言葉で幕を閉じる。


「────はい。私も愛しています、キブリー」


 その言葉に水晶の精霊は瞳を閉じ、自分の中に宿る『エレノア』として答えた。魔族と同じ、飾らない言葉で。


「ああ。やっと伝えられたな……」

「……私からもお伝えしたいことがあります」


 長年の悔いをようやく解消出来た事に安堵する魔族に水晶の精霊は『エレノア』から元に戻り語りかける。


「うん。なんですかな水晶玉クン。………って、いつまでも水晶玉クンと呼ぶのも可笑しいですな」

「そうでしょうか」

「……君にちゃんとした名前をつけなかったのは名前をつけることで『個』が生まれるのを避けたかったから。まあつけなくても君という『個』が普通に出来たから意味はなかったんだけど……改めて名前をつけるのは出来なかった。君がエレノアではないと分かるのが怖くて……情けない話ですな」

「……そうでしたか。確かに今の私は水晶玉ではなく人型です。名前がある方がいいでしょう。名前……」


(私の名前……私自身の、私だけの名前……)


 エレノアと名乗るつもりは毛頭ない。かといって全く別の名にするのも違う気がした。少し考えた後水晶の精霊はぎこちなく手をきゅっと握る。


「エレノア様なくして今の私は存在しません。ですのでエレノア様の名を拝借して………エレナ。私の名前はエレナということで」

「いい名前ですな。では改めてよろしくですぞエレナクン」

「はい。……キブリー様」


 自分の名を持った水晶の精霊は初めてキブリーと、彼の名を呼ぶ。それは彼女自身が一歩進むための決意の現れであった。

 

「私は貴方を愛しています」

「──。」


 エレノアではなくエレナとして、水晶の精霊はキブリーに愛を告げる。その事が予想外だったのかキブリーは目を大きく開いた。


「この想いの始まりはエレノア様の、キブリー様への愛から来るものだったのでしょう。ですが私は私として貴方様と長い時を過ごしてきました。あの部屋の事で共に悩み、時には語らったあの記憶は私だけのもの。今、この瞬間に抱いている想いは私だけのものです。私は貴方様を愛しています」


 水晶の精霊は淡々と平坦な口調で魔族への想いを打ち明けた。だが声に反して表情は不安げで瞳は小さく揺れて額の球体がぼんやりと光る。


「……俺はエレノアを愛している。これまでも、そしてこれからも」


 その淡い想いをキブリーは受け入れる事なく切り捨てる。それは同志であり心から敬愛する彼女に対するキブリーなりの誠意だった。その言葉を聞いて水晶の精霊は俯く。


「……でしょうね。どう答えても逃げられないようセッ○スしないと出られない部屋に転移させる魔法を使ったのに発動しませんでしたから」


 キブリーが作り上げた強制性交空間、『セッ○スしないと出られない部屋』はこの世のどこよりも優れた防御性能を誇るがその分絶対的な誓約がある。


 ──体を重ねてもいいくらい『想い合う』男女でなければその部屋に入れることは出来ない。


 という誓約が。


 キブリーは水晶玉を……エレナを愛している。しかしそれは友愛フィリア慈愛アガペーであり決して恋愛エロスではない。キブリーとエレナは部屋の入室条件を満たしていないのだ。だからこそ魔法は発動せず弾かれた。


「なんてことしようとしてるのエレナクン!? さっき額のソレ光ったのって魔法使ったからってコト!?」

「私が一番心にクるのは自分は安全圏にいると思って油断しきっている男が迫られて慌てふためくシチュなので」

「ええ……急に性癖の開示してきた……」

「……振られるのってこんな苦しくて、切ない気持ちになるんですね……知りませんでした」

「う、うん。ごめん……エレナクンはもはや娘みたいなものだからこれっぽっちもそういう目で見れない……」


 性癖をぶち撒けて来たと思ったらしゅんと落ち込んで泣き出したエレナにキブリーは困惑しつつ紳士的にハンカチを渡す。キツイトドメめの一言を添えながら。


「……なんで今トドメ刺したんですか」

「気を持たせる事言うのは嫌ですからな。気まずくなるのも嫌だし正直にぶっちゃけようと思って」

「ハァ……もういいです。今は私の事は置いておくとして……キブリー様。これからどうなさるのですか」

「どうとは?」

「貴方様の目的は一応達成されました。これからはどうするんですか」

「ああ確かに。……でもそんなの愚問ですぞ。確かに始まりは『愛』を知るのが目的ではありましたが! 俺はこれからも両片想いの男女がセッ○スしないと出られない部屋に閉じ込められてあたふたする様子が見たいっ!! なのでこれまで通り続行しますぞ!!」


 高らかに握りこぶしを掲げ最低な宣言をするキブリーにエレナは呆れながらもこのヒトは本当に仕方ないなと微笑む。


「ではお手伝いします。私も見たいですし……参考にもしたいので」

「……なんの?」

「何年、何十年、何百年経っても私は必ず成し遂げてみせます」

「えっ、怖いんだけど……全身ゾワゾワするんたけど……言っとくけど実力行使に出ても君じゃどうあがいても俺には勝てないからね?毒とかも効きませんぞ?他にイイ人探しなさい?」

「私、絶っっっっっ対に諦めませんので」

「ええ……コワー」


 エレナから向けられる殺意にも似た恋情にキブリーはドン引きしつつもなんだかんだ二人は仲良くこれからも両片想いの男女を拉致り過激派のキューピットの如く強制的にセッ○ス&恋愛成就させていくのであった。


※次回が最終回です

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