失ったもの

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 ──失ったもの



 カーターとマティルダは今もハンニバルについて捜査中だった。


「現時点で分かっていることは少ない」


 連邦捜査局のパシフィックポイントオフィスに設置された捜査本部でカーターが言う。彼はホワイトボードにこれまでのことを記載していった。「


「まずパシフィックポイントでルサルカを標的にしたテロが起き、それからルサルカで内紛が起きたこと。その後、ルサルカは秘密警察上がりのディミトリをトップとした」


「このことにハンニバルは間違いなくかかわっている」


「ああ。その証拠はないが、ルサルカはハンニバルに乗っ取られている」


 マティルダが発言し、カーターが頷く。


「そして、最近麻薬取締局から情報が入った。“連合国”の人間がドラッグの密輸に関わっているとの情報だ」


 カーターはそう言って麻薬取締局から送られてきた捜査資料をホワイトボードに貼った。捜査資料にはこれまで逮捕された“連合国”からの不法移民たちの顔写真などが記されている。


「ルサルカはこれまでドラッグビジネスには手を出していなかった。連中はあくまで密入国の斡旋と売春ビジネスが主軸だった」


「それが変わった、と」


「そのようだ。ルサルカはどこからかドラッグを仕入れ始めている」


「そして麻薬取締局はまだドラッグの出所を特定できていない」


 麻薬取締局は押収したドラッグの成分を分析し、どこで精製されたものかを突き止めようとしている。だが、まだ結果は出ていない。


「問題はこの動きに対するウェスタンガルフ州における反応だ。既に西部にはドラッグを扱っているクズどもがわんさかいて、そいつらはどいつも自分たちの縄張りシマを野良犬みたいに守っている」


「ドラッグビジネスにおいては新入りのルサルカはその手の縄張り争いに巻き込まれる可能性がある。つまりは抗争になる可能性ね」


「そうだ。そいつがどうなるかだが」


 麻薬取締局はウェスタンガルフ州がドラッグ流入の玄関先になっているとの分析をしていたし、それについてはカーターにもマティルダにも思い当たる節があった。


 ルサルカに起きたこと。ハンニバルという犯罪組織。


「ルサルカをもう少し締め上げたいが、締め上げるためのネタがない」


「既に麻薬の密輸で捕まった“連合国”の不法移民から話を聞くのは?」


「まだ麻薬取締局が取り調べているところ。それから移民I関税C執行局Eが首を突っ込んでると本局から」


 ICEは国土安全保障省管轄の組織で、不法移民対策も行っている。


 今回は不法移民が組織的なドラッグの密輸に関係しているとして、捜査権限を引っ提げて現れたという具合だ。そして、国土安全保障省が出張ってくると暫くは他の捜査機関は首を突っ込めない。


「それから俺たちは既に顔が割れている。この間の襲撃は俺たちを狙ったものだった」


「……ええ。その通り」


 エイブラハムを取り調べた後にカーターたちは路上で襲撃された。その犯人は未だに捕まっていない。


「下手に動き回れば迷惑をかける。動くなら適切に対処したい」


「私たちは手を引くべきかもしれない」


「何言っているんだ。ここまで来て引けるかよ」


「だけど……」


 マティルダは言いにくそうに言葉を濁らせた。


「あんたが手を引くのは別に構わない。これはテロというより、普通の犯罪組織を相手にした捜査だ。テロの専門であるあんたには退屈な案件だろう」


「違う。そうじゃない。そういう意味で言ったんじゃ……」


「じゃあ、どういう意味なんだ?」


 カーターは怪訝そうにマティルダを見る。


「誰も犠牲にならないのが望ましいと、そう思っただけ。私はあなたが殺されることがあってほしくない。私が死にたくないのと同じくらい」


「そいつはどうも。しかし、そうも言ってられない。俺たちは宣誓しただろう。この国の国民のために尽くすと。俺はその誓いを破りたくはない」


「それはあなたの娘さんが亡くなったこととは関係ない?」


「……調べたのか?」


 マティルダの言葉にカーターは短くそう尋ねた。


「ごめんなさい。でも、連邦捜査局の規則だから。私の同僚が調べた。あなたが娘さんを失った経緯も」


「そうか。別に構わないさ。隠しているわけじゃない。ただ、俺からそれについて話すには辛いというだけだ」


 そして、暫くマティルダとカーターの間に沈黙が流れた。


「私も秘密を明かしておかなければ不公平だね」


 不意にマティルダがそう言い、語り始めた。


「私は同僚を見捨てた。エリーヒル・マラソンで起きた爆破事件の犯人を制圧する際に、私は同僚を死なせた」


「それは……」


「だから、もう誰にも私と組む人には死んでほしくない」


 エリーヒル・マラソンにおける爆弾テロは今から2年ほど前に起きた事件で、計画的かつ組織的であった“本土攻撃”とは異なるローン・ウルフ型テロの典型のような事件であったことで記憶されていた。


 犯人は逮捕されるまでに激しく抵抗し、警察や連邦捜査局と激しい銃撃戦を繰り広げた末に射殺されている。


「分かっている。これがただの我がままだってことは。我慢しないとね」


「気持ちは分かる。誰かを奪われたことに責任を感じるのは」


「いいえ。責任を感じるんじゃなくて、責任は確かに私にある」


 カーターがなだめるように声をかけたがマティルダは首を横に振る。


「あんたの心配は嬉しいが、俺たちがやらなければ別の誰かがやることになる。そいつらが犠牲になるのを防いでいると思っておこう」


「ええ。そうする。割り切らなくちゃ。まずは何から手を付ける?」


「小売りを締め上げる」


 マティルダが尋ねカーターがそう答える。


 それからホワイトボードに彼はピラミッド状の図を書き込み始めた。頂点にはハンニバルとだけ書かれ、その下にディミトリ、ルサルカの幹部たち、そして最下層には末端構成員と書かれる。


「ドラッグがもし西部を入り口に流入しているなら、西部でも同じドラッグが出回っているはずだ。それに賭ける」


「オーケー。私は一応麻薬取締局とICEが何か掴んでいないか、催促するように同僚に言っておく。締め上げる売人に心当たりは?」


「ルサルカ以外の売人から始めよう。俺はついこの間までドラッグ絡みの捜査をしてたんだ。心当たりはたっぷりある」


 カーターはそう請け負い、マティルダとともにSUVに乗り込み、パシフィックポイントの街に繰り出す。


 カーターはバイカー・ギャングがドラッグビジネスに手を染めているのを摘発するために捜査を進めていた。その過程で何人もの売人たちを取り調べ、一部を内部協力者タレこみ屋にしていた。


 今回、カーターたちが接触するのはそういう売人だ。


「いたぞ。あそこにいるのはオッディっていうしけた売人だ。学生相手にドラッグを売っている。ブルーピルって知ってるか?」


「もちろん。合成麻薬ね」


 ブルーピルは1980年代に合成された合成ドラッグであり、アッパー系のドラッグのひとつとして知られている。


「オッディはそのブルーピルの売人だ。ささやかな稼ぎの商売だが、まともに捕まれば刑務所で20年過ごす羽目になるだろう」


「それで内部協力者に?」


「そうだ。やつをさりげなく呼び出して話を聞こう」


 カーターはそう言った。


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