サービスエリアと、祖母

うみつき

サービスエリアと、祖母

 幼い頃、旅行の帰り道に、サービスエリアに寄り道をして食べる晩御飯が好きだった。

 どことなく気怠い雰囲気と、外食という特別感。そしてなにより、この旅行はまだ“終わらない”なんて高揚感が、好きという感情を作り上げていたのだと思う。

 高速道路を走る車の中、ワクワクしながら両親の会話に聞き耳を立て、期待しながら寝た振りをしていた私は、「サービスエリア」なんて言葉が聞こえてくる度に飛び上がりそうになるのを堪えていた。

 きっと嬉しかったのだ。もう家まであと少しのところで、不意に小さなイベントが顔を出してその旅を延長してくれたことが。あぁ、まだこの旅は終わらないのだ。あともう一時間くらい、非日常が続くのだ。そう思えたことが。

 まぁ、私の家庭ではサービスエリアで食べることなどそう沢山あったわけではないので、比較的珍しいという物珍しさというのも一つ大きなの要因だろう。

 でもきっと、それだけではなかったはずで。あの高揚感と嬉しさが、“珍しさ”だけで作られていたとは到底考えられないのだ。あれだけの、心が浮き立つような感覚が、それだけで作られているとは。その証拠に、今でも私は、高速道路で聞く「もう遅いし、ご飯、食べていこうか」なんて言葉に、少しだけ、心を揺らす。

 もう終わってしまった時間をを想いながら、少しでも残っている旅を楽しもうとする。その感覚は案外悪いものではないし、旅の終わり際の時間として、すごく素敵なものだと思うのだ。

 他にも似たような感情を持つ言葉は、沢山ある。例えば、祖母たちが自宅に遊びに来てくれ、どこかに連れて行ってもらった帰りの会話とか。

 マンションの目の前に着く直前で、私は毎回と言っていいほど祖母に訊ねていた。「おばあちゃん、きょうもこーひーのんでいく?」と。

 祖母はいつも、最後に我が家のコーヒーを飲みながら談笑をして、そして、帰って行っていた。いつからこの習慣があったかはもう覚えていないが、お陰様で私は、もう帰ってしまうと思っていた祖母を引き留める言葉なのだと、いつの間にか学習してしまっていた。言わば、私にとってこの言葉は祖母との時間を引き伸ばす魔法の言葉だったのだ。実際、その魔法はかなり強力で、断られた記憶も何度かはあるが、大抵は成功していた。

 「わかった、飲んでいくよ」そう笑いながら祖母は私に言葉を返した。その一言が、私は堪らなく嬉しかったのを、よく覚えている。

 あの頃の私にとってこの会話は、大好きな祖母が、まだ一緒にいてくれる。そんなことを象徴する会話だった。

 このことを思い出したのはちょうど、上高地へ旅行へ行った帰りの車の中。2日間、両日ともに歩き回っていたので疲れ果てていたのだが、それは悪いものではなかった。心地よい疲労感に身を任せながら、流れている音楽を口ずさんでぼうと外を眺めていたときに、ふと、あの頃の感情と記憶が蘇った。折角だから、と、記憶の紐を手繰り寄せてみたのだ。

 多分、両親が「今日の晩御飯はサービスエリアかな…」なんて話していたからだろう。その会話を聞いたとき、例に漏れず、私は心の隅っこをそわりとさせて、どことなく浮かれるような感情を覚えた。どうやら成長しても心の核は変わらないらしい。

 一人でこっそり、細く微笑む。

 なんだか、無性に嬉しくなってしまった。もう、大人という大きな海に腰まで浸っているけれど、それでも、まだ、私は忘れていない。大きな喜びだけではなくて、小さな小さな、見逃されてしまいそうな幸せを、積み重ねていくような大切な喜びを、見つけられる力を。

私にとって、いっとう大切な、生きる活力を。

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