第13話 さあ、あなたも気軽に〈超人〉に!
東京駅のすぐ近くにある派遣会社ーー東京異世界派遣。
その会社で働きたい、という
男女二人の求職者の前に、差し出された二つのグラスがあった。
オレンジ色をした液体で、よく冷えている。
グラスには汗を掻いたように水滴が付いていた。
ストロー付きだ。
「なに、コレ?」
と白鳥雛さんが訊くから、私、星野ひかりは、端的に答える。
「オレンジジュースだけど」
でも、話の流れから察して、普通のジュースではないとわかる。
東堂正宗くんは、グラスの中身に、目を目を
「なんか入ってるんだろ?」
兄の星野新一が、大きな声で答えた。
「ご明察! このジュースの中に、超極小のナノマシンが入ってる。
異世界派遣の際には、こいつを飲み込んで体内で〈共生〉してもらいたいんだ。
ナノマシンは知性化してるからね。口に含んでくれたら、あとはマシンが勝手に働いてくれるんだよ」
次いで、私が実用的観点から捕捉説明を入れた。
机に鎮座する、一台のモニターを、指し示す。
「ナノマシンを体内に入れてもらうと、異世界にいるあなたたちと交信できるし、あなたが体験する音声や映像もこちらで見ることができるの。このモニターでね」
ブラウン管型の旧式モニターだ。
これでバイト君の活動を見て、このモニターに付属したイヤホンとマイクで、連絡を取ることができる。
正宗くんは膝を打ち、嬉しそうな声をあげた。
「おお、ナノマシンだと!? そいつも実用化してたのかよ!」
興奮気味に語る彼に対して、兄の新一も嬉しそうな表情で、
「凄いでしょ!?」
などと応じている。
だが、そんな男二人の雰囲気を無視するかのごとく、マイペースな白鳥雛さんは小首をかしげた。
「ナノマシンってなに?」
それに対し、正宗くんが隣から「SF小説や映画なんかで出てくるだろ」と前置きして、やや苛立ち気味に説明を始めた。
ナノマシンっていうのは1μm(マイクロメートル)以下、1nm(ナノメートル)以上の大きさの機械のこと。
ちなみに、マイクロメートルっていうのは100万分の1m、ナノメートルは10億分の1mという小ささ!
だから、ナノマシンは細菌程度の大きさしかない機械なのだ。
そうした説明を受け、雛さんはさらに深い角度で首をかしげた。
「凄く小さい機械ってこと?」
「そう」と答え、今度は兄が解説をする。
「わが社のナノマシンは優れものでね。
微量なタンパク質や鉄分からマシンを合成して増殖するんだ。
カメラ機能を搭載したナノマシンを、血管やリンパ管を通って体外に出したり、体内に収納したりできるんだよ。
そんな小さな機械が、普段は血管の内部をたゆたっていて、いざ出動ってときは、毛穴や涙腺から発進するってわけだ」
しばし間をおいてから、雛さんは言葉を漏らした。
「……なんだか気持ち悪いわね」
彼女のこの台詞を耳にして、正直、私、星野ひかりは安堵した。
ようやく、まともな反応に出くわした気がしたからだ。
そうでしょ?
気持ち悪いでしょ。
それが普通の反応よね。うん。
良かった……。
でも、そういったホンネは別にして、仕事の必要上、ここは雛さんにも、ナノマシンを飲んでもらわなければならない。
すかさず私はフォローを入れた。
「慣れちゃうとそう気持ち悪くないわよ。
じつは、今もナノマシンは活躍中なんだから。
ほら! 私の体内にもいるのよ。ナノマシン」
旧式モニターに、この部屋を上空から映した映像が映し出された。
このモニター映像が、私の体内から出撃したナノマシンによる映像なのだ。
「え? マジ? カメラなんて、どこ? 見えないわよ」
「見えるわけないわよ。
それこそ、1ミリの何億分の1っていう小ささだもの」
周囲を見回す雛さんに対し、私は冷静な口調で答えた。
兄の新一はポットからコーヒーをカップに継ぎ足しつつ自慢する。
「このナノマシン、もともとは異世界からの技術供与によって完成したんだけど、正真正銘の日本製ーー秋葉原研究所の製品なんだ。
電源は君たちが体内に持っている微弱な電磁波を使うから、メンテやその他、何の気遣いもいらない。
それに特典もある。
ナノマシンを呑み込んでくれると、自動的に派遣先の世界に適応する身体に作り替えてくれるんだ」
これに雛さんが反応し、パンと両手で叩いた。
「あ、それ、マジ助かる!
私、外国行くと、よく水で当たっちゃうの」
彼女は異世界を、あくまで外国のように扱う。
それしか想像が及ばないのだろう。
それでも、兄は意を得たりとばかりに、大きく頷く。
「それは大丈夫。むこうの食物にあたることはない。
これを仕込めば、こっちの世界でも食中毒になることはない。
いたって健康でいられる。ね、凄い特典でしょ」
実際、ナノマシンの性能は凄まじい。
自分の骨格や皮膚の色なんかも、マシンに指示を出せば、意図的に作り出せるし、きつい衝撃に絶える耐性なんかもつけることができる。
理論的には寿命すら延ばせるらしい。
要するに、派遣員を〈超人化〉するわけだ。
「このナノマシンは優れものでね。
たとえ大怪我を負っても、かなりの程度、治療してくれる。
それこそ、破壊された細胞を修復するほどに。
おかげで、我々のような生身の人間が魔法の世界に行っても、戦っていけるんだ」
うん、それは事実だーー私は兄の説明に大きくうなずいた。
とはいえ、それだけだと、肝心なことを説明し足りないーー。
そう思ったので、付け足した。
「だけど、相手が魔法攻撃してきた場合は、物理的な攻撃とは違うから、その損壊を修復できない場合があるわよ」
つまり、派遣された人は、どんなに大怪我しようと、絶命さえしてなければ、物理的な損壊の限りでは、身体が修復される。
まるで不死身であるかのように。
でも、魔法などの精神的、形而上的攻撃の場合は、その損害を回復できなかったりする。
「いいじゃないか。
とりあえずナノマシンを受け入れてくれれば。
最低、事故死は防げるわけだし」
兄の新一が割り切って言う。
私たち、星野兄妹の間で、どこまで説明するべきかちょっと言い争う。
が、これまた要らぬ
これまでの説明だけで、正宗くんは手放しで礼讃した。
「凄い話じゃないか!
転送時に任意情報を混入させることで魔法が使えるようになって、さらにナノマシンを飲めば物理的な損壊は防げるってんでしょ。
なんだか、俺様の身体がいじられまくりって気がするけど、その結果、異世界でチートになれるんなら、安いもんだ」
随分と能天気で、前向きな姿勢である。
正宗くんはグラスに顔を近づけ、マジマジと見詰めた。
「で、この一杯のグラスの中に、どれほどのナノマシンが?」
兄はグラスを手にしながら、軽い口調で答える。
「それこそ、数え切れないくらいだよ。
兆や
具体的には、僕たちもわからない。
このナノマシン、時間が経つと自動的に分解されるタイプじゃないんでね。
つまり、体内に一度入れると、死ぬことなく、永久に増殖し続けるんだ」
正宗くんは急に顔をあげて、私たち、星野兄妹の顔を見据えた。
いつになく真面目な顔つきだ。
「それ、怖くないスか。
お約束の〈ナノマシンの暴走〉ってのは?」
知性をもったナノマシンが脳内で増殖し、宿主の神経をいじって、徐々に人格や顔立ちを変えていくとか、宿主の意識を乗っ取ってしまうとか……そんなことがあったら、悪夢だ。
私たちは、二人して、力一杯、首を横に振った。
「ありえないわ。そんなこと、長い派遣業で一度もなかった!」
「そうだよ。それに、こちらからの信号で、すぐにマシンを消滅させることもできるから」
ナノマシンにいくら知性をもたせているとはいえ、宿主の健康を維持するために体組織を改変したり、周囲の状況を映し
「宿主を乗っ取ろうにも、ナノマシン自身に主体性が存在しないから、原理的に不可能だ」
と、私たち、星野兄妹は、
そういった話をしたら、正宗くんは敬礼の真似事をして笑った。
「へえ。じゃあ、了解!」
すると、白鳥雛さんも、グラスを手に取ってくれた。
「ヤバッ。なんだかわかんないけど、事故っても死なないんじゃ、お得じゃなかと?」
二人して、ナノマシン入りのオレンジジュースを飲み干してくれた。
ふう……。
私たち、星野兄妹はともに、胸を撫で下ろす気分だった。
求職者二人が「ナノマシン入りオレンジジュース」を飲んでくれた。
私たちにとっは、じつはこれによって、二人のバイト採用が決定したようなものだった。
「いやぁ、君たちがバイトに入ってくれて助かったよ。
実際、前任者、優秀だったんだけど、コッチの世界に還って来ないって選択しちゃって。
おかげで依頼はあっても、派遣員の成り手がいなくなっちゃってさ」
「ほんと。しかも、
依頼を受けやすくなる」
私は、正宗くんと雛さんに笑顔を向けた。
「さあ、さっそく仕事に入ってもらうわ。
明日から、一人ずつ行ってもらいます!」
すると、ソファから腰を浮かせて、東堂正宗くんが手を挙げる。
「じゃあ、俺から。よろしくっス!」
一方、もう一人の派遣員、白鳥雛さんは、ソファに身を沈めた。
「そうね。私は様子見するわ」
こうして、第一回目の派遣バイトは、東堂正宗くんに決定したのであった。
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