第20話 逮捕
皿が空になると、早く湯を使うようにだけ言ってトレーを片付けるために彼は部屋を出て行った。
食事をしたせいか、冷え切って強張っていた手がいつの間にかぽかぽかと温まっている。
眠くなる前に風呂に入ろうと服を脱ぎ、エリックが用意してくれていたバスタブの湯に身を沈める。
お湯から花の香りがするのは、彼が気を利かせて香油か何かを垂らしておいたのだろう。
そういう細かい気遣いが、エリザの疲れた心にいちいち刺さる。
湯に浸かりながら、ぼんやりと彼に言われた言葉を頭のなかで反芻していた。
エリックの言う通り、自分はフィルの保護者のような思考になってしまっていた。
あれだけのことをされたというのに、フィルと向き合った時に言葉を選んでしまった。罵って二度と来るなと言うべきだったのに、長年のくせというか、傷つける言葉を言ってはならないと無意識に言葉を飲み込むくせがついてしまっている。
だが、エリザは彼の保護者じゃなく恋人だったはずだ。それなのに、いつの間にか親のような役目を求められて、自分たちの関係は大きくゆがんでしまった。
エリザの中では、フィルは親に捨てられると泣いていた頃のままの姿で止まっていたのかもしれない。
またフィルが接触を図ってくるのなら、未だに全ての我儘をエリザが受け止めてくれると信じているということだ。
歪んだまま育って腐ってしまった二人の関係。
それを終わらせる責任が、自分にはあるのかもしれない。
***
フィルが待ち伏せをしていた日から、再び現れるのではと警戒していたが、予想に反してあれから彼が来ることはなく、警戒感は日々の忙しさに紛れていった。
一体どういうつもりなのか気にはなったが、それよりも捜査中の事件で次々と貴族が関与している証拠が出てきてその調査だけでもてんやわんやで余計なことを考える暇がなかった。
最初に爆破されたアジトで保管されていたのも、現在国内で出回り始めている薬物だったと確定し、そこから芋づる式に薬物の販売ルートが判明した。主に卸していた先は、予想通り貴族相手で、秘密の夜会などで使われ他の貴族たちに広めていっていたようだった。
貴族の関与がはっきりした時点で、この件は軍事警察が介入する事態になり、師団も騎士団と協力して捜査に当たらなくてはならなくなった。
独立した権力を持つ軍隊が捜査に加わることによって貴族への聴取が容易になったものの、魔法師団員は全員が貴族出身のため、軍事警察は情報漏洩の可能性があるとして情報を共有したがらず捜査にも影響を及ぼしていると師団長からの報告が上がっていていた。
エリザは伝達係のまま、事務所詰めの日々が続いている。
補佐官のクロストも師団長に付き添い現場に出るようになってしまったので、エリザは一人でひたすら情報のとりまとめと連絡係を一手に担っていた。
エリザの魔力量が多いと知られているから、どれだけ伝達魔法を使っても大丈夫と思われているのか、皆が遠慮なく何度も伝達を頼んでくるので地味に疲労がたまる。
「この連絡送ったら、帰っていいって言われたけど……」
行動班は現場に出ずっぱりで、師団長すら事務所に戻ってくるのは稀だ。伝達魔法で各自の動きは報告されているが、エリザはここ最近師団の皆と全然会えていない。
先ほど師団長からの連絡で各班へ伝達を送ったら帰宅しろと連絡をもらっていたので、キリの良いところで帰宅しようと書類を片付け始めた。
以前なら、現場班が戻るまで自主的に待機していただろう。
自分に悪い噂が立っているのは気づいていたから、女だから優遇されていると言われないように他団員よりも多く仕事をしようと気を回していた。
だがクロストから悪い噂の出元がフィルらしいと聞いてから、そんな気を回していた自分が馬鹿みたいに思えてしょうがない。
そもそも、フィルのために頑張ってきたのに、その本人に足を引っ張られていたと知って、何のために厳しい師団の仕事をしているのか分からなくなってしまった。
両親は恐らく、最初からエリザの縁談に元魔法師団という肩書きがあれば有利になるとしか考えておらず、こんなにも仕事一辺倒になるとは想像していなかったのだろう。
実際はフィルの学費を稼ぐために自ら厳しい任務に志願したせいなのだが、今はその必要もなくなってしまった。ずっと不純な動機で働いていた自分が、ここにいていいのかという気持ちになってくる。
事務所でひとりだけ残されて孤独に作業していると、ネガティブなことばかり考えてしまっていた。
「……帰ろ」
いい加減帰ろうと立ち上がった時、事務所の扉が乱暴に開かれてドカドカと音を立て男たちが踏み込んできた。
「エリザ・ルインストンはお前だな?」
「そうですが……」
先頭に立つ男がエリザに問い質す。服装を見ると軍事警察の憲兵だろうが、捜査資料も保管されている魔法師団の事務所に踏み込んでくるのはどう考えてもおかしい。
もしかして例の件で捜査協力をして師団長が入室の許可を出したのかと思考を巡らせていると、憲兵は全く予想外の言葉を投げてきた。
「お前が地下組織の構成員である容疑がかかっている。捜査情報を漏らしている可能性もあるため、今からお前の身柄を拘束させてもらう」
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