第19話 優しい味



 突き返してやりたいが、そのために彼に会いに行くのもバカバカしい。

 奇麗なリボンかけられた箱に入っていた奇麗な瓶の香水。

 いかにも若い女性が好みそうなデザインだったが、フィルが自分で選んだとは思えない。そもそもフィルからプレゼントをもらったことなんて子どもの頃以来である。

 あの日、フィルの家にしどけない恰好の女性がいたことを思い出す。


(あの女性たちが選んでフィルに持たせたのかしら……)


 金蔓ちゃんと呼ばれた記憶が蘇る。

 やっぱり金蔓ちゃんをキープしておこうと彼女たちが言い出したのではなかろうか。

 それで不本意ながらフィルはプレゼントでエリザのご機嫌をとろうとしてきたのかも……と想像すると、急な復縁要請も納得がいく。


「エリザさん? 着替え終わったかな」


 食事の用意ができたとエリックが扉をノックしてきた。


「あっ……今行きます」


 扉を開けるとエリックが食事を乗せたトレーをもって立っていた。


「疲れていると思って、お食事を部屋までお持ちしましたよ。ご主人様」


「わざとらしくご主人様っていうのやめてもらえる? というか、わざわざいいのに……」


 と言ったものの、本当に疲れていたので食事を持ってきてもらえたのは有難かった。ソファに座るとトレーを膝にのせてくれた。

 深めの皿に盛られたリゾットが美味しそうな匂いを漂わせている。一匙口に運ぶと、優しい味でとても美味しい。多分、エリザが遅くなるのを見越して消化に良いものを用意してくれていたのだろう。

 

「お湯も準備してあるから、早く風呂に入って寝たらいいよ。疲れが顔に出ている」


「ありがとう……」


 実家を出て魔法師団に入ってからは、メイドも雇わずずっと一人でやってきた。誰かに世話をされるのは子どもの頃以来で、どうにも落ち着かない。

 ……いや、違う。こうして誰かに気遣ってもらうことが久しぶりすぎて、心が弱くなりそうで怖いのだ。

 赤の他人に依存するほど自分は弱くないはずだ。

 これまで辛い時も悔しい時も自分一人でなんとかしてきた。

 ぐっと唇を噛みしめて気持ちをこらえていると、エリックが静かな声で語り掛けてきた。


「……別に、元カレは君のことを憎んでいたわけではないと思うよ。小さな子どもが親に我儘を言って、どこまで許されるか試す行動みたいなものだ。己の感情しか見えていなくて、君がどれだけ傷つくかということまで考えられないほど思考が幼いんだよ。でも、君は彼の保護者じゃないのだから、すべてを許して彼の我儘を受け止める必要なんてないんだ」


 ハッとして顔をあげると、こちらをまっすぐ見つめるエリックと目が合う。彼は憐れむでも笑うでもなく、ただ少し痛みをこらえたような表情に既視感を覚える。


 昔もこんなことがあったような気がした。

 任務で敵対勢力とぶつかり、戦闘になり初めて人を殺した時。

 吐き気をこらえきれず人目につかないところに逃げて一人で吐いていたエリザに、そっと水を差しだしてくれた人がいた。

 その頃の自分は、女だからと舐められるのも特別扱いされるのも嫌で、必死に虚勢を張っていた。だから水を差しだされても素直に受け取ることができず振り払ってしまったのに、その人は怒るでもなく水と一緒にタオルをエリザの横に置いてくれた。

 それでもまだ、吐いている自分に対し、女だからしょうがないよねとか、だから女には務まらないんだとか言われるんじゃないかと警戒していたが、その人はただ静かな声で、「つらいのをこらえる必要はない、誰でもそうだ」とだけ言ってこちらを見ないようにして去っていった。

 顔見知りでもない、通りすがりの別部隊の人だったが、言葉を選んでこちらを気遣う雰囲気がとても伝わってきて、たったそれだけのことだったがずいぶんと救われた気持ちになったのを覚えている。

 今のエリックからも、あの時の人のようにただエリザをとても気遣っているのが言葉や表情から伝わってきた。


「急に……なに? 私が気に病んでいるように見えた?」


「そうだね。夜、枕を涙で濡らすくらいには傷ついているように見える。僕が添い寝して慰めえてあげられればいいんだけど、ベッドにもぐりこんだら蹴り殺されそうだからそれはできないし」


「そんなに足癖は悪くないわ。まずベッドに侵入させないし」


 エリックの作り笑顔に少し励まされる。

 腹の底が見えないこの居候にずいぶんと救われてしまっている。全てが嘘くさいのに、行動のあちこちに優しさが垣間見えてしまうから、つい心を許してしまいたくなる。


「まあ、ヒモはご主人様が望まないことはしないから、ベッドにもぐりこむのは諦めましょう」


 でも呼ばれればすぐに共寝いたしますよなどと嘯いて笑う彼につられて、ついエリザも笑ってしまった。

 言っていることは下品なのに、それを深いと感じないのは、彼が本気じゃないと分かるからだろう。


「……美味しい」


 リゾットは優しい味がした。


「それはよかった」


 それ以上、エリックは喋らずリゾットを口に運ぶエリザを静かに見守っていた。

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