第16話 身勝手な主張

 ハッとして振り返ると、そこにいたのはフィルだった。だらしなくシャツを着崩して、お酒の匂いを漂わせている。


「……フィル? 何で……」


「何でって、あれからお前連絡よこさないから、心配になって来てみたんだよ。この前、ちょっと言いすぎたかなって思ってさ。酒入っていたから、ちょっと冗談が過ぎたわ」


この間エリザにした仕打ちなどなかったかのように話しかけてくるフィルに戸惑いと恐怖を覚える。ついさっき、フィルがエリザの悪い噂を触れ回っていた張本人だったと知らされた後のため、余計にフィルの行動が不気味に思えた。


「金輪際近づくなって……あなたが言ったんじゃない」


「冗談を真に受けるなよ。友達が煽るからああ言ったけど、俺が本気でそんなこと言うわけないってエリザなら分かるだろ? 長い付き合いなんだからさ」


 あの日の暴言は、友人の冗談に乗っかっただけだとへらへらと笑う。

 冗談で済ませようとする彼の笑い顔を見て、それまで残っていた未練が吹き飛んだ気がした。あれだけ罵倒してエリザの気持ちを踏みにじった行為に対して、冗談だったと言える程度にしか悪いと思っていないのだ。

 

「長い付き合いだからこそ、許せないことがあるって分からなかった?」


 怒りを込めて睨むと、フィルは驚いたような顔でエリザを凝視していた。思えば、これまでフィルに反論したことなどほとんどなかった。

 だからこんな風に言い返されて心底驚いているようだった。


「そ、そんなに怒るなよ。だからこうして謝りに来たんだし、機嫌直してよ。ホラ、お詫びにプレゼントも持ってきたんだ。これで仲直りしよう。な?」


 リボンをかけられた小さめの箱をエリザに差し出してくる。


「仲直りなんて無理よ。もうお金の援助もできない。さよなら」


 謝罪まで拒絶されるとは思っていなかったようで、フィルは愛想笑いをひっこめて大いに慌て始めた。


「待って待って。悪かった、仲間の前だからって虚勢を張りたかったんだ。本当にゴメン。エリザはいつも優しいから甘えていた。頼むよ、また仲良くしよう。そうじゃないと困るんだ」


「困る? なにが困るの?」


「いや、だってさ、俺らずっと一緒だったじゃないか。確かに俺はひどいこと言ったけど、こんなつまんない喧嘩でダメになるような浅い関係じゃないだろう?」


 つまらない喧嘩なんて言葉で済ませられることではない。これまでの信頼を全てぶち壊すような真似をしたのはそっちだろうと心の中でぐるぐる言葉が渦巻くが、喉が張り付いたように声が出ない。


「それにさ、エリザは仕事仕事で俺のことほっときっぱなしだったしさあ。お前にだって悪い部分はあったじゃん。だから今回のことはお互い様ってことで終わりにしよう。な?」


 訳の分からない理論で、フィルはエリザにも責任があるかのように言う。そして距離を詰めて抱きしめる体制で腕を伸ばしてくる。


「……やめて!」


 酒臭い息がかかり、ぶわっと嫌悪感が湧き上がってとっさにその手を叩き落としてしまう。手を叩かれ拒絶されたフィルは一瞬にして怒りで顔を紅潮させた。


「っ、この……」


 フィルが叩き返そうと手を振り上げたのが見えた。

 ひどい扱いを受けてきたが、それでも暴力を振るわれたことはこれまでなかった。ここまで変わってしまったのかと思いながら、冷静にそれを避ける。


(付き合っている頃だったら、殴られてあげたのかしら……)


 余計なことを考えながらでも酔っ払いの平手打ちを避けるのは難しくなかった。

空振りしてしまったフィルは、憎々し気にエリザを睨む。だがエリザがじっと見つめ返すと、さすがに気まずそうに目を逸らした。


「殴りたいほど私のことが嫌いなんでしょ? よりを戻すなんてできるわけないって自分でも思うでしょ……」


 また激高させてしまうかなと思ったが、その言葉にハッとした様子でフィルは目線を彷徨わせる。


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