1-2 大学になったら同級生!
3月半ば。
大学の合格発表日。
啓名は、大学のキャンパス、合格発表者の受験番号が掲示される会場にやってきた。
ふと、日の光が射すのを頭から額のあたりに感じて、上を向いた。
午前10時過ぎの日差しは、試験日のころにくらべてだいぶ明るく、そしてまぶしい。
春はもうそこまでやってきている。
掲示板はこの広場の向こう、奥に立てられていた。
もうすでに多くの受験生と思われる若い男女たち、そしてその親と思われる中年くらいの男女が、その掲示板を取り囲んでいる。
そして、それぞれが掲示板を見て指さしながら喜んだり、がっくりと肩を落として泣いたりしている。
悲喜こもごも、さまざまな人間模様がそこで繰り広げられていた。
啓名は、二つの探しものを順番に見つけていくことにした。
まずは自分の受験番号。
試験の終わった直後には手ごたえもあったし、帰ってから自己採点した結果も問題なさそうだった。
とはいえ、実際に番号を見るまではやはり緊張感はぬぐえない。
掲示板の前に立った。
自分の番号に近いあたりから順々に目を移していく。
あった。
まちがいなく自分の受験番号だ。
内心、ほっ、と胸をなでおろす。
よかった。
合格だ。
浪人しなくて済むな。
よし・・・!
そうすると、次は二番目の探しものだ。
この人だかりの中、啓名は目で探す。
いない、いない、いない・・・。
いた!
彩花だ。
先に来ていたようだ。
ブラウンのハーフコートをまとい、赤いマフラーを首に巻いている。
足は紺のデニムにナイキのスニーカーという姿。
いつもの彩花らしいファッションだ。
両手をぎゅっと握って、その中には受験番号が記された用紙がある。
彼女はいちばん人だかりのしている掲示板の最前列からはかなり後ろに引いたところに立っていた。
啓名からはその横顔だけが見えているが、その目は輝いて喜びに満ちている。
よかった!
先輩も受かったんだ。
啓名は、ゆっくりと彩花のもとに近づいて声をかけた。
「先輩」
彩花は振り向いた。
啓名の顔を認めると、両目に涙を浮かべたままのうれしそうな表情が、くしゃっと歪んだ。
そして、啓名に飛びついて叫んだ。
「啓名くん!
あたし、やったよ、やったよ、やったよ!」
啓名はびっくりして、あわわ、となったが、どうにか彩花を両腕で抱きとめた。
「受かったんですね。
よかった。
これで同期生ですね」
彩花は、啓名の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。
しばらくすると顔を上げて、啓名を見た。
涙でぐしゃぐしゃの顔だ。
「啓名くんも、受かったんやな!」
「ええ、なんとか無事に。
おたがい、よかったです」
「ほんまや!
最高やな・・・。
これで、二人ともいっしょに心理学科や・・・」
そう言うと、彩花はまた啓名に抱きついたまま泣きじゃくり始めた。
啓名は、そんな彩花がいとおしくて、片手でその頭を、もう片方の手で彼女の身体を抱きしめた。
そして彩花が泣き止むまで、そのまま抱きしめ続けた。
***
「・・・ということで、無事に二人とも合格できたということで!
かんぱーい!」
「かんぱーい!」
彩花と啓名は、紙コップをあてて乾杯した。
もちろん酒ではなく、ハンバーガーショップでのコーラである。
彩花は、もうすでにけろっとして、にこにこと笑顔を絶やさない。
コーラの紙コップからストローとカップをはずして、直接がぶ飲みしている。
啓名は、先輩らしいな、と思いながら、ちびちびとストローでコーラを飲んだ。
「いっしょに大学入れたんやから、これからも啓名くんにはいろいろ助けてもらえるなー」
啓名は彩花の無邪気な表情をじろりと一瞥すると、呆れたように言った。
「また勉強教えてもらおうとか思ってます?
もう大学生なんだから、自分で勉強しなきゃダメですよ」
「えー、きびしいなあ」
がっかりした様子の彩花を見ながら、啓名はくすっ、と笑う。
「ここで先輩に宣言します!」
「は?
なに、啓名くん」
「大学で同期生になったので、ただ今からぼくは先輩をもう『先輩』とは呼ばずに、『彩花さん』と呼ばせていただきます。
よろしいでしょうか?」
「え?」
彩花はしばらく、きょとんとした顔で啓名を見つめる。
そして、はっとしたように少々頬を赤らめた。
「・・・んー、それは・・・。
・・・まあ、その言い分は理が通ってるとは言えるな・・・。
ちょっと恥ずかしい気もするが・・・。
・・・よし、ここは先輩としての器の大きさを示すということで、許可しよう!」
「なんですか、器の大きさって。
まあ、いずれにしても、OKならそうさせていただきます。
これからもよろしくお願いしますよ、彩花さん」
「・・・こそばゆいな・・・」
彩花は、頬を赤らめたまま、それでもこう付け加えた。
「でも、悪くないな」
***
4月。
入学式が終わり、大学の一学期が始まった。
彩花と啓名は、おたがい相談し合いながら受講する科目を決めていった。
一年生から、心理学の基礎的な科目を学ぶことになる。
また、その年の後半からは実験・実習も始まる。
基礎心理学、発達心理学、臨床心理学など、二人はさまざまな心理学理論を学んでいった。
実は、啓名は大学に入る前から、ある職業に興味を持っていた。
それが心理学科に入る動機でもあった。
それは、「心理技官」という仕事。
公認心理師と臨床心理士の資格を取って、将来は心理技官(刑務所や少年鑑別所などで受刑者や非行少年の更生・教育の任務にあたる公務員)になりたいという希望が、高校のときから啓名にはあった。
そのため、まずは公認心理師と臨床心理士の資格取得のための科目を取ること、そしてそれら資格の受験に向けた準備が大学在学中の最大課題となるわけだ。
「えらいなあ、啓名くんは前からもうそんな先のことまで考えてて」
「いや当然ですよ。
彩花さんもちゃんと考えてくださいよ」
「ほな、あたしもその資格取るわ」
「またそういう適当に!」
こんな感じではあったが、啓名と彩花はとりあえず同じ目標設定ということになった。
啓名は、アルバイト先を探し始めた。
心理学科は三年になると本格的な実験実習も始まるので、二年までにある程度アルバイトを多めにやって、お金を貯めておこうと啓名は考えていた。
その話を打ち明けられると、彩花は考えるところがあった。
「・・・なあ、啓名くん、バイトな、あたしちょっと心当たりがあるのやんか。
少し待っててもらえる?
一週間ぐらい」
「それくらいなら、いいですけど。
・・・アボカドの仕事ですか?」
「ん、まあ・・・。
まだはっきりとは、せんけども・・・」
「ぼくにできる仕事なら、喜んでお引き受けしますけど」
アボカド、とはAvocado Technology Inc.のこと。
彩花の父親、
ここ大阪に本拠を置き、東京、カリフォルニア、ロンドン、台湾にも支社を持つ。
コンピューター技術関連製品、ソフトウェア、Webサービス、インフラ関連と、いまや日本の根幹を支える科学技術の多くを手がけており、日本の官公庁で使われているものも多い。
そんな大企業だから、もちろんアルバイト・パートを含めて求人もよく出している。
ただ、彩花が考えていたのは、そういう仕事ではない。
彩花は思っていた。
そろそろ、あの話を啓名くんに相談するべきときやろか・・・。
***
テニスコートほどもあろうかという、大きな部屋。
天井にはいくつもの蛍光灯が点けられている。
彩花は、横に長いデスクの上に置かれた大型モニターに向かっていた。
そこに映し出された中年の男を見つめている。
男は、しわの多い顔に鼻の下に白黒混じったひげを蓄えた、実際の年齢よりは老けて見える容貌だった。
「大学合格、おめでとう、彩花くん」
「ありがとうございます。
一年間のご協力、ありがとうございました」
「いやいや、協力してもらってるのはこちらのほうだから、これは当然のことだよ。
私たちのおかげで二度も大学受験に失敗した、となったらたいへんなことだからね。
学業最優先だ。
それに、きみのお父さんお母さんに日頃たいへん世話になっている義理もある」
「でも、あたしが受験勉強中も、いろいろ事案はあったんですよね?
それも心配で・・・」
モニターの向こうの男は、一息深く深呼吸をしてから言った。
「・・・この間にもいろいろ事案はあった。
中には、いまだに解決できていない事案もある。
正直、きみの力を何度借りたいと思ったことか。
・・・こんなふうに、警察が民間人であるきみたちの力を借りなくてはいけないこと自体、決してよい状況とは言えんのだが・・・」
「・・・でも、あたしたちがお手伝いしてきたことは、すべて警察の手が届かない部分、警察が動けない部分。
いつもそうおっしゃってますよね?
そやからこそ、あたしたちがお手伝いする意味があると思ってますし、仕事に対する責任も感じてます。
これから、またお手伝いさせたいただきますので、浅馬田さん、またよろしくお願いします!」
男のほうも頭を下げると、顎に指をあてて少し考えるしぐさをしてから、こう切り出した。
「ありがとう。
・・・実は、さっそくだが相談したい事案があるのだがね・・・」
***
一時間後。
彩花は、モニターに向かいながら、ヘッドセットをかけて一心に画面を観、そして聴き入っていた。
モニターに映されているのは、今回の事件が起こった、すべての発生現場を地図上に示したデータ。
そして、事件発生当時の、可能な限り集めることのできた集音データ。
犯行時、加害者と被害者の間でどんなやりとり・会話があったのか、記録されたものを通じてある程度推測することができる。
これは・・・。
たぶん、ただの通り魔事件やない。
防犯カメラに映った姿は、どのケースも黒づくめの姿。
黒い毛糸の帽子、黒のサングラス、黒い革ジャケット、黒の手袋、黒いデニム、黒いおそらくスニーカーと思われる靴。
どれもありふれた既製品らしく、特徴のあるものはなにもない。
これじゃ、だれかを特定するのはほぼ不可能・・・。
しかも、すべて被害者ははじめから狙われて被害に遭ってる。
それはまちがいない。
けど、なんのためなのか・・・。
そう考えると、ヘッドセットをはずして、ふーっ、とため息をつく。
そして、しばらく考え込むような表情になった。
「・・・お嬢様、いかがですか。
お疲れですか?」
前嶋の声に気づいて、彩花は再生を止めると、ヘッドセットをはずした。
そして声のほうを振り返る。
「・・・あ。
ああ、なんでもない。
めんどくさい事件かもしれんけど、なんとかする。
それと、仕事のこともそうなんやけど、別にちょっと考えてることがあって・・・」
と言いかけて、しばし黙る。
「・・・なにか悩みごとですか?」
グレーのスーツの上下に身を包んだ前嶋は、上半身を彩花のほうにかがめて尋ねた。
そして、オレンジジュースの入ったグラスをを彩花の前に置いた。
「少し、一服されたほうが。
あと、コーヒーとコーラばかりでは身体に毒ですよ。
たまには健康によいものもお飲みくださいませ」
「ありがと、お気遣いいただいて」
彩花は、オレンジジュースのグラスをつかんで、一気に飲んだ。
彼の表情は、常にやさしげな笑みを絶やさない。
それだけに、彼の真の感情は読み取りにくいともいえる。
彩花は、先ほどの前嶋の質問に答える。
「いや、悩みやのうてね・・・。
・・・あのさ、前嶋さんにも意見を聞きたいことがあるんやけど・・・」
「はい。
わたしでよければ、なんなりと」
彩花は視線を前嶋から逸らすと、横を向いた。
「・・・この仕事もさ、そろそろもうひとり、人がほしいかなと思うんよね。
いくら前嶋さんがいるというても、仕事は増えてきたし、もうあたしと前嶋さんだけではこなしきれない量になってくると思うんよ」
前嶋は、
「ああ、確かにそうですね。
・・・お嬢様がこの仕事を始められてから、二年が過ぎました。
そのうち一年間はこの通り、受験のためお休みとしましたが。
しかし、お仕事をされた最初の一年間だけでも、お嬢様のなさった成果は予想以上のものであると、先月のお嬢様の入学祝いでお聞きの通り、お父さまもお母さまも話されておりました。
私もそう感じております。
しかし、お嬢様にはこれから大学の学業もございます。
それもおろそかにはできません。
なので、そろそろ新たな人材を入れるタイミングかもしれません。
しかし、入れるならそれにふさわしい能力と人柄を持つ人物でなければなりません」
「それなんやけど、ふさわしいと思う人がいるんよ」
「ほう、それは。
どなたですか?」
「大学の、あたしと同学年、同じ心理学科の男の子。
高校でも後輩やった、ずっとなかよくしてた子。
大橋啓名くん」
「ああ、存じております。
よくお嬢様がお話しされていた、お友だちのかたですね。
以前、この家にも遊びに連れて来られましたですね」
「そうそう!
おぼえててくれてた?」
「確か、大学に行って心理技官になりたいとおっしゃっていたとか」
「そうなの!
彼なら適任やないか、って思う。
ま、本人が承諾すれば、やけど・・・」
前嶋は、彩花の座っているワーキングチェアの背もたれに手をかけた。
「大橋様なら、お嬢様もいつも話されていましたし、とても親しくされていたようですので印象に残っております。
まじめで、よいお人柄だともお見受けいたしております。
ですので、私はよいのではないかと思います。
・・・一度、お話しなさってみたらいかがでしょう?」
「ほんま?
ええと思う?」
「わたしは、お嬢様がよいと思われるのであれば、反対する立場にはございません。
アドバイスをお求めであればいたしますが、あくまで助言です。
お父さまお母さまにも報告は必要ですが、最終的にお決めになるのはお嬢様です」
「あ、もちろん両親にも相談はするけど。
あー、お父さんお母さんがどういうかやなー」
「でも、たとえご主人様と奥様が何を言ったところで、お嬢様は一度決めたらいうことを聞く気はないのでございましょう?」
前嶋はそう言って、ふふふ、と笑った。
彩花もいたずらっぽい笑顔をうかべて、
「ようわかってんやん、前嶋さん」
「もうお嬢様がこんなに小さかったころから仕えておる身でございますから。
お嬢様がお考えになることは、たいていわかります」
「うん、そやな」
彩花はちょっとはにかんだような様子で応えた。
「ほんなら、今度彼を家に呼んでみる。
そんで彼が興味を持ってくれたら、ここを見せたいと思うの。
やってることを知ってもらったうえで、彼に判断してもらう。
・・・あ、彼はこういうことを教えても、他に絶対もらすような子やないから、そこはだいじょうぶだと思う!」
「ええ。
それでよろしいかと存じます」
「来てくれる日が決まったら知らせるね!
ありがと、前嶋さん!」
彩花は、うれしそうにそう言うと、またモニターに向き直ってヘッドセットを頭にかけた。
男は、慈しむような笑顔で彩花を見た。
そして、彩花の背中に向かって礼をすると、部屋を出ていった。
啓名くんがもし来てくれるなら・・・。
百人力くらいの勢いやな・・・。
彩花は、モニター画面を見つめて犯行現場の順番を追いながら、そんなふうに考えた。
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