科学探偵 コードAK
おんもんしげる
1-1 まずは、大学入らなきゃ!
「わあー!!
ダメだったー!!!
終わったー、あたしの現役合格・・・」
その彩花の様子を見ながら、
ふぅ、
とため息をつく。
「ま、ダメだったものは、しょうがないですね。
でも、また来年、挑戦しますよね?」
彩花は、恨みがましそうに啓名を横目でにらみながら、
「・・・まあ、当然するよ。
啓名くんの志望と同じ、大阪中大人間科学部心理学科にあたしも絶対入る、って宣言しちゃってるやんか。
でもさ、そうすると来年は啓名くんも受験やろ?」
そう言って、はあーっ、ともう一度、今度は大きくため息をついた。
啓名は特に表情を変えることもなく、手に持ったアガサ・クリスティーの文庫本に目を落としたまま、
「ええ、そうです。
当然受検しますよ。
でも、そうだとすると、もし来年二人とも合格したら同じ学年ってことになりますよね?」
そう言って鼻に指を当てて、くすっ、と笑った。
大阪のとある府立高校。
文芸部の部室。
部室としては校内で最も小さな部類に入る教室と言っていい。
そこにいま二人はいる。
部室にある机の前に、二人並んで座って話していた。
いまは部室には二人しかいない。
文芸部の部員は全部で10名ほど。
彩花も啓名も、その一員だ。
「・・・啓名くんと同学年、かあ・・・」
彩花は、手のひらを眉毛のあたりにあてて、部室の窓から入ってくる、向こうに広がる夕焼けのまぶしさをさえぎるようにしながら眺めた。
「・・・まあ、それも悪くないけどね」
「ぼくも、悪くないと思います」
啓名は、クリスティーの文庫本を閉じると、彩花に向き直って微笑した。
「なんかくやしい気はするけどね」
「それはしょうがないですよ」
彩花は、また啓名のことをにらんだ。
「んー、啓名くんはあいかわらず、にべもないよな・・・。
・・・まあ、あたしも受験対策、とても万全とは言えへんかったからなあ・・・」
啓名はあらたまった様子で、彩花に尋ねた。
「なんで勉強、集中できなかったんですか?
2年まで成績優秀。
文芸部の元副部長。
そして世界レベルのビッグテック企業の経営者を両親に持つ裕福な家庭・・・。
能力的にも家庭事情にもなんの問題もないと思える柴崎先輩が、3年になって急に成績ガタ落ちになって、受験に失敗した理由がなんなのか、それを探すほうがむずかしいと思えますけどね・・・」
彩花は、そう言われた瞬間、啓名から目をそらして空を仰いだ。
「・・・あー・・・。
まあ自分の油断というか、慢心というか・・・」
啓名は、その彩花の様子を見つつ、
「納得いかないな」
小さくつぶやいた。
「・・・え?」
彩花がそのつぶやきを耳にして、思わず声を出した。
啓名は、聞こえちゃったか、というように顔をしかめて、彩花に言った。
「いや、単純に、先輩ぐらい実力のある人が、大阪中大落ちるとか、ヘンだと思っただけですよ。
・・・もしかして、なにか事情があったりとか、します?」
彩花は、ふっ、とため息をついて下を向く。
なにか啓名に言いたがっているのか、思い悩んでいるかのように見えた。
「・・・あいかわらず、いつもするどいな、啓名くんは・・・」
聞こえないほどの小さな声で、彩花はひとりごちた。
「なにか言いました?」
「ううん、なんにも。
まあ、運が悪かったんやね。
また来年、がんばるわ。
で、来年、いっしょに大阪中大入ろ!」
彩花は、一生懸命作り笑いをして、明るく見せようとふるまっているように見えた。
啓名は、そんな彩花を見ながら、
「そうしましょう。
絶対、入りましょうよ、いっしょに!」
微笑んでそう言った。
「もう先輩の制服姿を見るのも、あと一週間ですね」
彩花はおかしそうに笑いをこらえた表情で、啓名を見ながら、
「え、さみしいか?
啓名くんも、実は制服フェチか?
なんなら、卒業した後も着て見せてやってもええぞ、啓名くんにだけ特別に!」
啓名はきっぱりと、
「いや、そんな趣味はないです。
必要ありません」
ぷっ、と彩花は笑った。
啓名は安心したように微笑むと、
「ちょっと、いつもの先輩にもどってきましたね」
そう言った。
彩花は少し顔を赤らめた。
「・・・そうかな?」
「ええ」
二人は、公園を出て駅に向かう道を並んで歩いた。
彩花が3年生、啓名が2年生。
先輩と後輩であり、同じ文芸部に所属し、彩花は副部長でもあった。
彩花は、3年生の後半に副部長の座を後輩に明け渡した。
実は啓名は、次期部長、もしくは副部長の有力候補だった。
しかし、部長であった山科さん(女性)、そしてなによりも彩花からの推薦を、啓名は辞退した。
そのため、啓名と同級の鴫野(女性)が部長に、そして同じく同級の秋田(男性)が副部長になった。
啓名は、部長とか副部長なんて柄じゃない。
自分をそう考えていた。
そんな役割を引き受けて忙しくなるくらいなら、平部員のままでいて、その分できた時間を読書にあてたほうがマシだ。
そんなふうに考えていた。
それから、啓名は大阪の出身ではない。
生まれも育ちも東京23区の西側にある区だ。
父親の転勤のため大阪に引っ越すことになり、この府立高校を受験して高校から大阪に住むことになった。
だから、いまだにいわゆる標準語、つまり東京弁で話すのがふつう。
なかなか関西のことばが身につかない。
それをちょっとひけめに感じているところもある。
そのことも、部長や副部長を引き受けたくなかった理由のひとつだ。
ここの文芸部部員は、ライトノベルやSF、ミステリ小説の愛好者がほとんどである。
啓名も、クリスティーや横溝正史、新しいところでは東野圭吾や米澤穂信、そしてSFではハインラインやブラッドベリ、フィリップ・K・ディック、伊藤計劃、伴名練といった作者の小説が好みだ。
いっぽう、彩花は幅広い読書歴を持っていた。
啓名と同じミステリやSFはもちろん、それだけでなくサリンジャーやフィッツジェラルド、サマセット・モーム、ヘルマン・ヘッセ、はては夏目漱石や大江健三郎、村上春樹にいたるまで、さまざまな小説を読んでいた。
その幅広い知識が前任の部長に買われて、それで副部長になったようなものだ。
啓名は、入学して間もないころ、いろいろな部活動から勧誘を受けた。
その中から文芸部を選んだのは、新入生のための説明会を担当していた彩花の、読書量の多さ・幅広さと記憶力、そして明るく楽しい人柄にに感心したからだ。
彩花も、ミステリやSF分野は自分よりくわしい啓名に感心し、啓名にぜひとも入部してくれるよう、熱心に勧誘してきた。
吹奏楽部や放送部にも興味はあったけれども、彩花の熱意に根負けしたところもあり、結局文芸部に入部することを決めた。
入部した後も、啓名は彩花と話す機会が自然と多くなった。
読むものの趣味・傾向が近かったせいもある。
おたがいに自分の読んでいる本を紹介し合ったり、二人とも読んでいる本の話をし合ったり。
そして二人は次第に仲よくなっていった。
いつしか、放課後の時間をほとんどいっしょに過ごすほどの仲になっていた。
部活が終わってからもいっしょにハンバーガーショップに寄って、ポテトとドリンクを片手にいつまでも好きな小説の話をしたり、休日にも会っていっしょに本屋に行ったり、それ以外のところにも遊びに行ったり。
つまり、ただの先輩後輩だけではない、親友同志みたいなものだった。
でも、恋愛関係にはない。
おたがい、そのようなそぶりを相手に見せたり言ったりしたことはない。
にもかかわらず、部内でも部外でも、二人の仲をうわさする者こそ表立ってはいなかったものの、どうやら二人はそういう仲らしい、というのが校内では公然の秘密としてささやかれていた。
当人たちはそんなふうに考えたことはない。
信頼し合っている、バディみたいな関係。
彩花も啓名も、相手のことをそう思っていた。
信頼し合ってる仲だから、おたがいなんでも話せる仲。
彩花も、啓名も、おたがいそう思っているはず。
でも、実は彩花には、まだ啓名には話してない秘密がある。
本当は話したい。
だけど、いまはまだ、そのときじゃない。
***
「・・・啓名くんはさ、そもそもなんで心理学を専攻したいん?」
一年近く前。
彩花は、啓名といっしょに部活の後に寄ったハンバーガーショップで、啓名に聞いたことがある。
啓名はこう答えた。
「人間の心って、正直じゃないじゃないですか。
他人に対してもですけど、それだけじゃなくって、自分に対しても」
「自分に対しても?」
「そう。
自分が思ってることが、本当はほんとにそう思ってるわけじゃなくて、ちがうことだったりしますよね。
自分に対して自分をを偽る、というか・・・」
「そういうものなんか?
あたし、そんなん考えたこともなかったけど・・・」
彩花がポテトをほおばりながら言った。
「このポテト、うまいな」
「聴いてます?
先輩」
「聴いとるわ、ちゃんと」
「で、だから、人間の心のしくみを知りたいんです。
それでも、現在の心理学でもなかなかわからないことが多いそうなんですが」
「ふうん。
むずかしいもんやな、人の心って」
そう言って、彩花はしばらく考え込むような表情をしていた。
啓名は続けて言う。
「で、とにかくここ大阪で、いちばん心理学の勉強するのに適した大学の一つが、大阪中央大学の人間科学部心理学科。
だから、ここに入りたいんです」
彩花は、まだ考えるような顔を続けていたが、急に、ぱっ、と明るい表情になった。
そして、啓名の真っ正面に向き直って叫んだ。
「よし!
きみが心理学をやりたいなら、あたしもやるわ!
あたしも大阪中央大学人間科学部心理学科を、第一志望にする!」
「は?」
「ただし、あたしは一年先に入学することになるわけやけどね。
そして、来年に啓名くんが入ってくるのを心待ちにしてるわ」
「ちょ、ちょっと、なんすかそれ。
そもそも先輩、ほんとに心理学に興味あります?」
「興味はあるよ、なんにでも。
それに、いまの啓名くんの話を聴いていて、いっそう興味が出てきた。
そやから、あたしもちょっと勉強してみたくなった」
「そんな、思いつきみたいなんで、志望大学決めていいんですか?
一生に関わることですよ?」
彩花は、ふふっ、と笑った。
そして、啓名の前に顔を近づけ、テーブルの上に両腕を組み、その上に自分のあごを乗せると言った。
「あたしはさ、常に人間に興味があるんよ。
啓名くんと同じ。
ほんで、啓名くんが心理学に興味がある、っていうなら、きみが興味ある心理学、ってなんやろ?
興味がある。
そゆこと!」
啓名は、
「ん、まー、わかったようなわからないような理屈ですね・・・」
と言って、やれやれとばかりにため息をついた。
「そう決めたからには、きょう帰ってから猛勉強やわ!
めざせ、大阪中大!!」
そう言って、彩花はこぶしを上に突き出し、おーっ、と声を上げた。
啓名はそれを見て、苦笑いしながらも、まんざらでもなさそうな表情だった。
***
・・・それが一年ほど前の話。
それを思い出しながら、彩花は思う。
だから・・・。
いまはまだ話せなくても、いつか、きっとそのときが来る・・・。
それはたぶん、二人とも大学に入ってから。
そのときになったら、話そう。
そう考えながら、彩花は啓名と帰りの道を歩いた。
***
それからの一年間。
彩花は必死に勉強した。
どうしても、啓名といっしょに大学に入りたかったから。
啓名と予備校に通い、帰りにときどき、もよりのハンバーガーショップに寄って、いっしょにその日やった箇所の確認と復習をやった。
二人の帰り道にあるハンバーガーショップは、チェーン店としてはそれほど有名なほうでないのでそれほど客が多くなく、午後3時過ぎに寄っても席が空いていることが多い。
だから、二人の復習と息抜きの会話の場所として申し分ない。
「・・・ここの『往ぬる』って連体詞?」
「そうです。
前にも出てきましたよ」
「だってー、古文ってわからんのだもん!」
「・・・まあ、根気よくくり返して覚えるしかないですね」
「むぅ・・・」
日々こんな感じながらも、二人の受検勉強は着実に進んでいった。
***
そして翌年。
年が明けて迎えた、大阪中央大学、人間科学部心理学科の受験日。
彩花と啓名は、受験会場である大学の校門の前に立っていた。
彩花は白いセーター、ライトブルーのデニムに、紺色のダッフルコートを着て、寒そうに手袋をした両手の上からさらに、はあーっ、と息を吹きかけている。
そんな彩花の様子を見て、啓名は思わずいとおしいと思う。
啓名の服装は、黒の長袖Tシャツの上に同じ黒のセーター、ダークブルーのデニムにベージュのハーフコート。
大阪の冬は、東京よりは寒くない。
だから、気分的にちょっと楽だ。
大坂冬の陣だな。
啓名がそんなことを考えていると、隣で彩花が、
「・・・啓名くん、余裕やな。
なんでそんなに余裕やねん!」
とうらめしそうに啓名を見上げた。
「余裕なわけじゃないですよ。
まあでも、できる限りの準備は確実にできたと思いますから。
あとは、本番でその実力を出すだけです。
・・・先輩もそうでしょ?」
彩花は横を向いて、やや緊張した面持ちで、
「わからん・・・」
と言う。
「だいじょうぶですって。
いっしょにあれだけ勉強したじゃないですか。
その準備の成果を、じゅうぶんに出せれば、受かりますよ」
「・・・そんなもんかなあ。
なんか、心細いわ・・・」
「しっかりしてください、先輩!
いっしょに入るんですよ、この大学に!」
彩花は、その啓名のことばを聞いてふり向き、
少し安心したように微笑んだ。
「そやな。
がんばるわ、せいいっぱい」
「そうですよ」
そうや、啓名くんの言うとおりや。
そんで、いっしょに大学入って、あのことを話すんや。
そして、もしできるなら、啓名くんにもあれをいっしょに・・・。
彩花は、心のうちにその思いを秘めて、手を握り締めた。
そしてそのこぶしを自分の胸にそっとあてた。
二人は、受験会場である教室の中に入っていった。
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