番外編 それは夢か否か

 フィリベルトは、夢を見ていた。


 夢といっても、舞台や設定は現実世界とほとんど変わらない。夢の中でのフィリベルトもリール王国の平民として生まれ、様々な偶然が重なって第二王子カイの友人となっている。


 ……だが、何かが違う、と感じていた。


 夢の世界を歩くフィリベルトは、その違和感が自分の胸に巣くっていると気づいた。

 現実はもっと楽しいのに、この夢の世界の自分はやけにどろどろとしたものを抱え込んでいる。自然に笑うことができないのでいつも無理に微笑みを浮かべ、王子の友人として彼に同行している。


『ごきげんよう、王子殿下』

 ――僕も、いますよ。


『一本取られました! さすが殿下です!』

 ――殿下よりも早く、僕の方があなたから一本取りましたよね?


『ありがとうございます、殿下。助かりました!』

 ――困っている人がいる、と先に気づいたのは、僕なのに。


『この前殿下から教えてもらった方法で訓練したら、一気に上達できました!』

 ――その練習方法を殿下に教えたのは、僕なんだよ。


 光属性を持つ王子と、ただの平民。

 そんなの、王子が優先されて当然だ。


 フィリベルトは、カイから友人として扱われているだけで身に余るほどの光栄なのだ。だから自分の手柄が全てカイのものになっても、カイのために毒味をしたことで死ぬほどの腹痛に見舞われても、血まみれの怪我を負った自分よりかすり傷を負ったカイの方が皆に心配されても……仕方がないのだ。


 だが夢の中のフィリベルトは、全てを「仕方がない」で済ませることができなかったようだ。


 ――誰も、僕を見てくれない。


 無理矢理くっつけた笑顔から皮一枚を剥いだフィリベルトの素顔は、うつろな表情をしていた。

 皆はフィリベルトのことを「活発な殿下を支える冷静な友人」と思っているようだが、本当はそんなできた人間ではない。


 褒められたい。

 見てほしい。

 心配してほしい。


 そういった欲求を昇華できるほど、夢の中のフィリベルトは大人ではなかった。


 ふと、フィリベルトは自分が魔法師団の前にいることに気づいた。正面には人だかりがあり、彼らの中心にいるのがカイであるのはすぐに分かった。


 ……ぞわり、と胸の奥で何かがうごめく。


 嫉妬、羨望、憎悪、憧憬――様々な感情がせめぎあっており、フィリベルトは驚いた。夢の中の自分は、こんなに苦しい思いをしているのだ。


 現実の自分は、皆に囲まれるカイを見てもなんとも思わないのに――いや、その理由ははっきりしている。


「アレクシアさん」


 フィリベルトは、たった一人の女性の名をつぶやいて歩きだした。


 そう、自分にはアレクシアがいる。フィリベルトに手を差し伸べてくれる、女神のような女性が。


 彼女なら絶対に、フィリベルトを見捨てたりしない。

 優しい声かけをして、褒めて、認めて、一緒に歩いてくれるのだから。


 うっすらモヤのかかったような魔法師団内を歩いているとやがて、茶色の髪の女性の姿が見えた。間違いない、アレクシアだ。


「アレクシアさん!」


 フィリベルトが呼ぶと、彼女は振り返った。

 なぜか、いつも見慣れている彼女より化粧が濃くてネックレスやら指輪やらをじゃらじゃらつけているのが気になったが、間違いなくアレクシアだ。


 アレクシアは小走りに駆けてくるフィリベルトを見て――嫌そうな顔になった。


『誰よ、あなた』

「えっ?」

『殿下かと思ったのに……残念。邪魔だから、どいて』


 アレクシアは素っ気なく言うと、呆然とするフィリベルトの横を通り過ぎて行ってしまった。

 すれ違いざまのアレクシアからは、普段の石けんのような優しい香りではなくてきつい香水の匂いがした。


「アレク――」


 振り返ったフィリベルトは、絶句した。アレクシアが、カイのもとに駆け寄っていたからだ。


 ――行かないで。

 ――僕を見て!










「……っは!?」


 弾かれるように覚醒したフィリベルトは、体を起こした。


 ここは、魔法師団にある休憩室だ。自分はソファに座って居眠りをしていたようで、近くのベッドには四肢を投げ出して眠るカイの姿があった。


 ――そういえば、今日の訓練でまたカイ殿下が倒れたからここまで連れてきたんだ。


 カイの目覚めを待つ間に居眠りしていたようで、とんでもない夢を見た、とフィリベルトは汗で湿った前髪をぐしゃっと掴んだ。


 ……そして、にわかに心配になってきた。


「アレクシアさん……」


 ソファから立ち上がったフィリベルトはぐうすか眠るカイをちらっと見てから、休憩室を出た。

 ちょうど廊下でハイデマリーと鉢合わせして、カイのためらしいタオルの山を抱えた彼女はきょとんとしている。


「あら、フィリベルト。殿下はまだお休み中ですの?」

「……はい。お腹を出してぐっすり寝てらっしゃいました」

「まあ、そうなのね。仕方のない方」


 ハイデマリーはそう言って、しとやかに笑った。


 彼女のことが好きなのではないかと、アレクシアに勘ぐられたことがあるが……確かに、なかなかの美人だとは思う。だが、顔の造形が美しいからといって恋心を抱くわけではない。フィリベルトにとってのハイデマリーは、奔放なカイを支える仲間のようなものだ。


「そういえば、ハイデマリー様。アレクシアさんを見かけませんでしたか?」

「アレクシア?」

「魔法師団員の女性です。これくらいの長さの茶色の髪で、僕たちより少し年上で……」


 おそらくハイデマリーとアレクシアはほとんど顔を合わせたことがないだろうから特徴を言うと、ハイデマリーは「もしかして」と首をひねった。


「先ほど給湯室に入っていった人かもしれません」

「ありがとうございます。その人に用事があるので、殿下のことをお願いしてもよろしいでしょうか」

「最初からそのつもりですよ」


 ハイデマリーははにかんで、「いってらっしゃいな」と言ってくれた。彼女に礼をしてから、フィリベルトは給湯室に足を進める。


 ……歩きながらも、胸の奥では相反する二つの感情が戦っていた。


 アレクシアに会って、いつもの優しい彼女であることを確かめたい。

 だが、もしもアレクシアが夢と同じような人になっていたらと思うと、怖い。


 会いたい、会いたくない……二つの声が叫んでいるがフィリベルトは給湯室に向かい、開け放たれたままのドアの向こうに茶色の髪の女性の後ろ姿があるのを認めて、心臓が高鳴り始めた。


 アレクシアは、シンクに向かって何かしているようだ。ほんのりと香ばしい匂いもする。


 ごくり、と苦いつばを飲み込み、フィリベルトが一歩踏み出す。その音が聞こえたようで、アレクシアが振り返った。


 緑色の目に見つめられて心臓が止まりそうになったが――アレクシアの口元が笑みをかたどった。


「あら、フィル。殿下はもうお目覚めなの?」


 そう尋ねる声は、優しい。

 ――いつもの、アレクシアさんだ。


 それが分かっただけでどっと安心できて、フィリベルトは笑みをこぼした。


「いえ、まだぐっすり寝ています。ただ顔色はよかったので、もう少しすれば目覚めると思います。今はハイデマリー様がついてくださっています」

「それならよかったわ。……いつも思うけれど、殿下もそろそろ魔力の制御を学んでいただかないとね。それから、倒れるのならもっと上手に倒れていただければ……」


 彼のまわりにクッションを置いて王子が後頭部強打しないようにしている魔法師団員たちの苦労が見えてきて、フィリベルトはくすくす笑った。


 ――ああ、やっぱり、アレクシアさんと一緒に過ごすのは楽しい。


「はい、僕からも言っておきます。……それより、何かされていましたか? いい匂いがしますが」

「あ、分かった? そろそろ休憩しようと思って、お茶を淹れていたの」


 そこでアレクシアは、「そうだ!」と手を打った。


「よかったらフィルも飲んでいく? お茶菓子もあるわよ」

「いいのですか? 僕はただの一般騎士ですが……」

「むしろカイ殿下やハイデマリー様たちにはおいそれと飲み物も出せないから、お茶仲間がいてくれてラッキーなくらいよ!」


 アレクシアが弾んだ声で言うので、フィリベルトの胸が温かくなった。


 ……王子のカイと、貴族のハイデマリー。そして、平民の自分。


 自分は貧乏くじを引いて当然の身分だと思っていたが、こんな幸運があるなんて。

 カイの毒味役だからではなくて、アレクシアがフィリベルトとお茶をするために淹れてくれた飲み物を口にできるなんて。


「……僕も、ラッキーです」

「あら、喉が渇いていたの?」

「それもありますが……いろいろと」


 せっかくアレクシアと一緒にいられるのだからとお茶の準備を手伝いながら、フィリベルトは思う。


 あれは、悪い夢だ。


 この、アレクシアが隣にいる時間が現実で――フィリベルトが何よりも大切にしたいものなのだと。

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モブ転生したので推しの闇堕ちエンドを防ぎたい! 瀬尾優梨 @Yuriseo

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