第4話 手紙

 ラヒムと別れて三ヶ月が経った。

 イヴァンの助けもあり、ガザルは少しずつ元気を取り戻していった。


 ガザルがラヒムと別れてから、イヴァンは毎日のようにサハリア砂漠にある彼女の家に顔を出した。


 始めはガザルも泣いて喚いてイヴァンを追い返そうとしたが、彼は「貴女は今は一人になってはいけませんよ」と言って無理矢理にでも居座った。


 イヴァンはガザルの気が紛れるよう取り止めのないおしゃべりをしたり、逆に彼女の話を真剣に聞いて相槌を打ったり、ただただガザルに寄り添った。


 イヴァンの真摯な心に触れて、ガザルの気持ちもだんだんと落ち着いていった。



「ガザル。買い出しに行きましょう。ベリアです」

「ええ、いいわよ。行きましょう」


 約三ヶ月ぶりの王都は、以前に比べてかなり人が少なく、閑散としていた。

 街の人々の表情は暗く塞いでいて、どこか怯えているようだった。


「変ねぇ……王都って、こんな感じだったかしら?」


 ガザルは少し不安げにイヴァンの服の袖を引っ張った。

 イヴァンは、そんなガザルの仕草に頬を緩めた。


「エスパルド帝国が、サハリア王国に何度か侵入したみたいですよ」

「それって……」


 ガザルがハッとしたような顔になると、


「ええ。詳しくはマスターに聞きましょう。彼の方が情報通ですから」


 イヴァンはガザルの手を引いて、足早にバザールの奥へ奥へと進んで行った。



「マスター、いる?」


 ガザルが中の様子を窺うように、以前来たバーの扉を開いた。


「ようこそいらっしゃいました。麗しのガザル女王様。それから、イヴァン」


 マスターがにこやかに二人を招き入れた。


「私の扱いが随分雑だな。常連なのに」

「常連なら、もっと頻繁に来てくれても構わないんだよ?」


 イヴァンがぶつくさ言いながらカウンターに座ると、マスターも笑顔で憎まれ口を叩いた。


「この時間帯ですからね、アルコールの祝福入りですよ」


 マスターが、ガザルの前にたっぷりのミントとライムが爽やかなモヒートを、イヴァンの前にはライムがグラスの縁にあしらわれたジントニックを置いた。

 二人の間には、おつまみのナッツの盛り合わせと、クリームチーズが載ったブルスケッタも置かれた。


「アルコールの祝福……?」

「悪酔いしないというだけの軽い祝福です。お酒が抜ければ、祝福も消えます」


 ガザルが小首を傾げると、イヴァンが解説した。


「ねぇ。久々に来たら、王都の様子がかなり変わってたんだけど……」


 ガザルがモヒートで喉を潤した後、マスターに尋ねた。


 マスターは、静かな声で話し始めた。


「ああ、エスパルド帝国の影響ですよ」

「ここ最近、あちこちの国にちょっかいを出してる国よね」

「ええ。帝国が近隣の小国をいくつも侵略したせいで、たくさんの一般市民が奴隷に落とされてますね」

「それがどうかしたの? 確かに、前々からサハリア王国とはあまり仲が良くなかったとは思ってたけど……」

「この国の王太子とザミル皇国の皇女が婚約したでしょう? サハリアとザミルが結び付くのを恐れたエスパルド帝国が、サハリアへの侵攻を早めたんです。既にサハリアの辺境では、何度かエスパルド兵に侵入されて小競り合いが起きたようですし、これから本格的な進軍があるのでは、という噂です」

「……」


 ガザルはマスターの説明を、渋い顔をして聞いていた。


「侵略軍の規模や時期はどうだ? 噂になってるか?」


 今度はイヴァンがマスターに尋ねた。


「エスパルドで商売をしていた友人が言うには、『帝国は数万単位で兵をかき集めている』そうですよ。かなり無理をきかせて徴兵しているようです。若い男がいれば、勝手に罪状をでっちあげて拘束して、『罪に問われたくなければ、兵士になれ』と脅すらしいですよ」


 マスターが憐れむように眉を下げ、肩をすくめた。


「酷いわね」


 ガザルも嫌悪感から眉を顰めた。


「友人も徴兵されそうになって、命からがら逃げて来ましたよ」

「時期はどのくらいになりそうなんだ?」


 イヴァンが冷静に尋ねた。


「帝国も焦ってるみたいですからね。サハリアはそこそこ大きな国ですし、今まで侵略してきた小国とは訳が違う。それがザミル皇国と協力関係になれば、さらに手が出しづらくなる……可能な限り時期を早めてくるでしょうね。帝国としては、王太子と皇女の結婚前には侵略戦争を仕掛けておきたいでしょう」


 マスターは少し考えるように顎に指を乗せ、彼の意見を口にした。


「……そうか、ありがとう」


 イヴァンはお礼を言うと、ごくりとジントニックを飲んだ。


「ガザル? 大丈夫か?」


 イヴァンは、ずっと不安げに眉根を寄せているガザルを覗き込んだ。


「え、ええ。大丈夫よ……」


 ガザルは一瞬だけパッと表情を明るくした。

 だが、またすぐに心ここに在らずといった感じで、ぼんやりしていた。



 ガザルとイヴァンは、マスターの店を出ると、足早に買い物を済ませた。


 ガザルは店を出てからは、とても静かだった。何か考え込んでいるようで、少しだけボーッとしていた。


 ドンッ。


 ガザルは、道ですり抜けざまにガラの悪そうな酔っ払いと肩がぶつかった。

 いきなり酔っ払いが激昂して、ガザルの肩を掴んだ。


「痛ってぇな! てめぇ!」

「……あ、ごめんなさい」

「は? よく聞こえねぇなぁ?」


 ガザルのぼやっとした態度に、余計に酔っ払いが食ってかかった。


「私の連れに何か?」

「……い、いいえ〜、何でもありませぇん!!」


 イヴァンが魔力圧を込めて酔っ払いを威圧すると、彼は顔を真っ青にして、慌てて逃げ出して行った。


「ガザル? 大丈夫ですか? 貴女らしくないですよ」


 イヴァンが心配そうにガザルに尋ねた。普段のガザルであれば、さっきのような破落戸になどにぶつかったりはしないはずだ。


「大丈夫よ」


 ガザルはにこりと笑顔を貼り付けた。


「ラヒムのことですか?」

「…………」

「戦争が始まれば、あの男はどうしても打って出なければならなくなる。ですが、貴女は……」

「ええ、分かってるわ。人間の戦争なんかに首を突っ込むべきじゃないって」

「だったら……」

「分かってはいるの。でも、どうしても心配になってしまうの……」

「……」


 ガザルの痛々しい程切ない表情に、イヴァンはハッと目を丸くした。


 ガザルが出れば、数万の人間の兵士など紙切れも同然だ。ものの数分で片がつく。


 だが、今はもうガザルはラヒムの恋人でもないし、サハリア王国のために帝国兵を追い払う義理も無い。人間の戦争は、ガザルのような魔物にとっては関係の無いことだ。


 それでも、ガザルは「もしラヒムが戦争に出たら……」と考えていた。

 別れて数ヶ月も経つのに、むしろ、距離も時間も離れてしまったからこそ余計に、ガザルはラヒムのことが心配で心配でたまらなかった。


 開戦を急ぐ帝国。数万規模の侵略兵たち——サハリアはもちろん打って出るだろうし、万全の体制とは言えなくとも、数万程ではなくても、それなりの兵士の数も揃えられるだろう。そして、陣頭指揮はおそらくラヒムが執ることになるだろう。そうなれば……


(ラヒムは優しすぎるし、そんなに強くないわ。戦争に出てしまったら、きっと……)


 イヴァンも、ガザルの煮え切らない様子に、胸がズキズキと痛んだ。


 その時——


 ピチュチュ。


 ローズ色の小鳥が、ガザルの周りをぐるぐると回るように飛んだ。


「えっ、この子は……」

「ガザル? どうかしました?」


 ガザルが手のひらを上にして両手を広げると、小鳥がその上に着地した。


 小鳥を手のひらの上に乗せ、小刻みに震えているガザルを、不思議そうにイヴァンが覗き込んだ。


 小鳥は、「早く手紙を取って!」と小さなくちばしで、ガザルの手のひらを突いていた。


 ガザルが小鳥の足に付けられている手紙を取ると、小鳥は対価にガザルの魔力を少し啄んで、パタタッと小さな羽をはばたかせて、空へと飛んで行った。


「今のは使い魔ですか?」

「ええ。ラヒムとの連絡用に使ってた子なの……」


 ガザルとイヴァンは訝しげに顔を見合わせた。


 ガザルは震える指先で手紙を開いた。


『今夜、ワルダの庭園にて待つ。いつものガゼボで』


 ガザルは一気に暗い表情になり、イヴァンの目は吊り上がり、怒りの魔力圧を漏らした。


「今さら何だというのでしょう? 帝国が侵略しに来るから、ガザルの力を借りようとでもいうのでしょうか?」


 イヴァンはガザルから手紙を奪い取ると、風魔術でビリビリに破いてしまった。


「待って! ラヒムには、私の正体のことは何も話していないわ!」


 ガザルは慌ててイヴァンを止めた。


「……本当にあの男が正体に気づいていないとでも? 腐ってもこの国の王太子ですよ? たとえ正体には気づいてなくとも、貴女が力ある人外だとは勘付かれてませんか? そうでなければ、このタイミングで貴女にコンタクトを取ったりはしませんよね? 貴女ではなく、国を選んだ奴のことです。国の一大事ですからね。使えるものは何にでも縋り付きたいでしょう?」


 イヴァンはこめかみに筋を浮かび上がらせ、捲し立てた。


「……!」


 これはガザルも一瞬思ったことだ。もしかして、と。


「……でも、実際に会って話を聞かなければ分からないことだわ」

「そうやって貴女を引き摺り出して、情に訴えかけるんでしょう? 人間の常套手段ですよ!」


 イヴァンは、ガシッとガザルの両腕を掴んだ。


「ちょっと! 私一人で大丈夫よ!!」


 ガザルは身をよじって、イヴァンの腕を振り解こうとした。


「そんな顔で、一人で行かせられるわけないでしょう!!」


 イヴァンも負けじとしがみつく。


 だが、竜のガザルの方が圧倒的に力が強く、簡単に振り解けてしまった。


 イヴァンの手が離れた一瞬のうちに、ガザルが転移魔術を発動させた。


 イヴァンの目の前で、ガザルが消える。


「なっ! ガザル!!」


 一人取り残されたイヴァンは、肩を落として重い溜め息を吐いた——だが、行き先は分かっている。


 イヴァンは気持ちを落ち着けるように目を閉じて大きく深呼吸すると、ワルダの庭園へと転移した。



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