第2話 王都ベリア

 ガザルは、イヴァンにサハリア王国の王都ベリアに連れて行かれた。

 いつまでも砂漠でめそめそしているガザルを心配したイヴァンが、気晴らしに連れ出したのだ。


 バザールには大小さまざまな店が出店していて、売り子たちが声を張り上げて呼び込みをしていた。

 ピタパンや糖蜜がかけられた揚げ団子など軽食の屋台も出ていて、食欲をそそるおいしそうな匂いが漂っている。


 王都は相変わらずお祝いムードが続いていた。

 サハリア王国の王太子と隣国ザミル皇国の皇女の婚約の影響だ。


「ラヒム殿下が隣国のお姫様と婚約ですって!」

「まぁ! 素敵よね〜!」


「ザミル皇国と組んだなら、しばらくは安泰だろ」

「帝国も手を出しづらくなるからな」

「安心して商売できるな」


 行き交う買い物客たちは朗らかにおしゃべりをし、店主たちも噂話に花を咲かせていた。


 婚約を祝う言葉や、二国間の友好を喜ぶ言葉が書かれた旗や幟が、王都内の至る所に飾ってあった。


「何も、こんな所に連れて来なくても……」


 ガザルの心は余計に暗く落ち込んでいた。


 街の人々の会話や噂話を耳にする度、お祝いムードの周囲の様子が目に入る度に、ラヒムが別の誰かのものになってしまうと、改めて突き付けられているような気分になるのだ。


「砂漠にいても、何もすることは無いですよ?」

「それもそうなんだけど……」


 モゴモゴと躊躇いがちに口ごもるガザルの手を引いて、イヴァンはバザールを奥へ奥へと進んでいた。


「何か食べたいものはありますか?」

「食欲がないわ」


 イヴァンに訊かれ、ガザルは小さく首を横に振る。


「それなら、今から行く場所は丁度良いですよ」


 イヴァンが頬を緩めてふわりと微笑んだ。


 バザールも最奥近くになり、路地や店同士の間隔も狭くなり、怪しい魔術薬や訳の分からない不思議な物を売っている店が増えた。どこか仄暗く、とてもディープな雰囲気だ。

 客層もガラリと変わって怪しくなり、パッと見では人間とそう変わりないが、人外の比率が高くなっていた。


 イヴァンはガザルを連れ、とあるバーに足を踏み入れた。


 ボロい木戸を開くと、狭い店内には所狭しとさまざまな酒瓶が置かれていた。


 艶やかな飴色に磨かれたバーカウンターの向こう側には、琥珀色の髪の男性がグラスをキュッと磨いていた。パリッとした白シャツに黒いベスト姿で、真っ赤な蝶ネクタイを締めている——このバーの店員のようだ。


 彼はグラスから顔を上げると目を丸くし、そして顔をほころばせた。


「イヴァン、随分久しぶりだな! 百年ぶりか?」

「マスター、久しぶりだ。元気そうだな」


 二人は朗らかに挨拶し合った。


「おや? これは、これは! 砂の女王様に我が城にいらしていただけるだなんて、大変光栄です」


 バーのマスターが、イヴァンの後ろにいるガザルに気づいて、優雅に深々とお辞儀をした。


「マスターは酒瓶の妖精だ」

「ええ。バー経営は、私の天職ですよ」


 イヴァンが簡単に紹介すると、マスターがにっこりと微笑んだ。


「珍しいわね。初めて見たわ。私はガザルよ」

「存じております。この世に数体しかいらっしゃらない特別なお方。その古酒のように深い黄金眼も、濃密な魔力も、まさに魔の王の名に相応しい」

「ふふっ。褒めても何も出ないわよ」

「いいえ! 我が城にて砂の女王様を歓待できるなど、感無量にございます!」


 マスターが感極まって叫んだ。


「ガザル。マスターの言葉にいつまでも付き合ってはいけませんよ。彼の言葉は、時々、いえ、かなりの頻度で酔っ払いの言葉のようです」


 イヴァンが、ガザルの耳元で囁いた。


「私は酒瓶の妖精ですよ! 酒が無くとも酔っ払える程に上等な! ……ささ、女王様はこちらに」

「まぁ。ありがとう」


 マスターはわざわざカウンターから出てくると、ガザルの手を取って、バーカウンターの席までエスコートした。


 イヴァンはムスリと、少しだけ不機嫌な顔をした。



 イヴァンも席に着くと、ガザルの前には、夕日のように鮮やかな赤色のショートカクテルが、イヴァンの前にはオリーブ入りの透明なショートカクテルが出された。

 おつまみとして、二人の間にチーズの盛り合わせとドライイチジクが置かれる。


「女王様のものは、ウィスキーとベルモットに、夕焼けの祝福を一滴垂らしたやすらぎのカクテルです。イヴァンのは、いつものドライマティーニだ」


 マスターが簡単にカクテルの説明をする。


「綺麗ね」

「お褒めいただき、光栄です」


 ガザルの感想に、マスターが恭しくお辞儀をした。


「ここ最近では一番の笑顔ですね」


 ガザルの緩んだ表情に、イヴァンがくすりと笑った。


「そ、そんなことないわよ」


 ガザルは誤魔化すようにやすらぎのカクテルを一口飲んだ。

 澄んだ赤色のカクテルは、甘くすっきりした口当たりだが、どこかほろ苦い味がした。

 ほぉっと息を吐けば、なぜか憂いも一緒にどこかへ流れ出ていくような感じがした。



「イヴァンも奇特よね。こんな私みたいなのにいつまでも付き従って……」


 ガザルが酒気に頬を赤らめて、ポツリとぼやいた。

 マスターに勧められ、珍しいカクテルを何杯か飲み干した後だ。


「魔王候補が魅力的なのは当然ですよ。そう、抗えない程に。尽くしても、尽くしきれない程に」


 イヴァンはフッと笑って、ガザルの蜂蜜のように濃い黄金眼を覗き込んだ。

 彼の森の奥地のような深緑色の瞳は、店内のランプに照らされて、深々と輝いていた。


「ちょっと、妖精の悪い所が出てるわよ。少しは冷静になりなさい」


 ガザルはたじろいで、少し身を引いた。


「いいですね。愛でて愛でて、甘やかして溶かしてしまうのが妖精の愛。……イヴァン、とっておきです」

「ありがとう、マスター」


 ことりとカウンターの上に置かれた酒瓶には、妖精の古語が書かれたラベルが貼られていた。

 透明な瓶の底には、硬質な薔薇の花が沈んでいた。薔薇の周りをふわふわと、魔力の光が蛍のように瞬いている。


「まぁ! デザートローズね! 妖精のお酒?」

「そうです。花の妖精と鉱石の妖精の合いの子が作った、非常に珍しいお酒です」


 ガザルが感嘆の声を上げると、マスターがにこやかに胸を張って答えた。


「このお酒は飲み手を選ぶんです。妖精のお酒ですから、まず人間では悪酔いしてダメです。砂漠の薔薇の魔力を含んでますからね。砂や岩系の魔力が豊富なお方にこそ、相応しい」


 マスターはそう説明すると、小さなグラスにデザートローズのお酒をあけた。

 ガザルの前にだけ出す。


「ありがとう。いい香りね」


 ガザルは、すんと鼻先で香りを堪能すると、くいっと飲んだ。

 乾いた薔薇のような香りが鼻を抜け、蜂蜜のようなとろりとした甘みが舌を打つ。遅れて砂漠の薔薇の魔力がほのかに身体を巡った。


「ふふっ。おいしいわ。女性が好きそうね」

「作り手曰く、飲み手の好みの味わいに変化するそうですよ」

「不思議なお酒ね」


 ガザルは柔らかく笑って、デザートローズのお酒を眺めた。



「砂の女王様、いつでもいらしてください。歓迎いたします」

「『ガザル』でいいわよ」

「!? お名前をお呼びしても!!? ……ガザル様、本日は最良の日です!!!」


 マスターに熱烈に見送られ、ガザルとイヴァンはバーを後にした。


 ガザルはいつの間にか、少しだけ気持ちが上向きになってきていた。

 アルコールが入って、おいしいおつまみも食べられたからかもしれない。


 イヴァンに手を引かれ、バザールの来た道を戻って行く。


「おや? ザミル皇国の第二皇女の姿絵ですね。もう出回ってるんですね」


 イヴァンが、ふと店に置いてある肖像画に目をつけた。


 ガザルは、彼の言葉に即座に反応して、姿絵の方を振り向いた。


——そして、振り向いた瞬間に、衝撃を受けた。


「……か、可愛い……私と違って、すごく可愛い……」


 ガザルは姿絵の額縁を持ったまま、へなへなとしょぼくれた。


 こちらを振り返るように見つめる美少女の姿絵だ。


 細い顎、綺麗なアーモンド型の瞳、小さくて品の良い唇をしていて、非常に愛らしい。

 たっぷりとした長い白い髪は胸下まで伸びていて、金の髪飾りとピンクやオレンジ色の薔薇の花で飾られていた。

 彼女のしなやかな細い腕には、この国の第一王子を表すラピスラズリが付いた金の腕輪がはめられていた。


(こんなに可愛い子なら、絶対、ラヒムも好きになっちゃうわ……)


 ガザルのせっかく晴れかけていた心には、また重い曇り空が広がっていった。

 ムクムクと、本当は感じたくもない、悍ましい想いが胸のところまで迫り上がってくる。


「王族の姿絵なんて十割り増しで美しく描かれるものですよ。それに、私はガザルの方がもっとずっと美しいと思います。柔らかなローズ色の髪も、薔薇の蕾のような唇も、その魅入られる程に深い黄金眼も……貴女の方が、断然美しい。まるで美の女神だ」


 イヴァンはガザルの顎に片手を置き、くいっ、と自分の方を向けさせた。


 深緑色の瞳は、じっとガザルを見つめていた。


「ちょ、イヴァン!? 何を言って……」


 ガザルは恥ずかしすぎて、顔どころか耳まで真っ赤にした。


「私はチャンスを逃すような男ではありませんから」


 イヴァンは、にっと口角を上げて笑った。

 普段は人形のようにあまり表情を動かさない彼が笑うと、非常に様になった。


(……なんか、あの余裕のある笑みがむかつく……)


 ガザルはムスッと唇を尖らせた。視線は、キッとイヴァンを睨み上げている。

 ドキドキと鳴る胸の音がやけに大きく聞こえてくる気がした。


「ほら、もう行きますよ」


 イヴァンはガザルのその反応に満足したようで、彼女をその肖像画から離すように、帰り道を急いだ。先導して、さっさと歩き出す。


「ちょっと、待ってよ!」


 ガザルはイヴァンの後を追った。



***



 イヴァンが初めて砂竜王ガザルに会った時、衝撃を受けた。


 腰まで届く淡いローズ色の髪は風になびき、パッチリと大きな瞳はこちらを不思議そうに見つめていた——この世のものとは思えない程美しかった。息が止まるかと思えた程だった。


 何よりも、魔王種のみが持つという、星の輝きを持つ深い黄金色の瞳に魅入られた。


——サハリア砂漠に、いつまで経っても当代魔王に挑まない臆病な魔王種がいる——そんな噂を聞きつけたイヴァンは、物見遊山な軽い気持ちで、砂漠に来ていた。


 だが、一目で砂竜王ガザルの虜になった。


 魔王種に魅入られる魔物の話は、よく噂に聞いた。

 魅入られた魔物たちは、魔王種を支え、魔王種が魔王となった暁には、魔王の側近となってこの世の魔物たちを治める手助けをすることになる。


 まさか、イヴァン自身もその一人になるとは思わなかった。

 魔物だけで、妖精には関係ないものだと思い込んでいたからだ。


「女性としても、我が主人としても、貴女を愛していますよ」


 イヴァンはガザルを見る度に、そう思うのだった。



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