第4話

 世間は13時40分。

 36歳のハルカがやり残したことは過去の整理だ。


「――ごめんね、クガ・マヒロくん」


 時間の流れが変わったあの日、ハルカは告白した。ハルカにとっては約20年前。

 しかし、告白された側のクガ・マヒロにとっては約5時間前のことだ。


 それは結婚生活を送ったハルカにとって誠意ある行為ではなかった。ハルカにはヒサジという生涯を誓った夫がいる。既婚者であるにも関わらず、現在進行形で告白した相手がいるというのはおかしな話だ。


 ハルカは振られるために告白の返事を聞かなければならない。あるいは彼がハルカの告白を受け入れたら、断らなければならない。どちらに転ぶか、今となってはあの頃の彼との関係性や心の距離間がうまく思い出せない。クガ・マヒロには気の毒な話だが、全ては時間が解決してくれる、とハルカは思っている。


 ハルカは神妙な気持ちで約20年前に通った高校へ行ったが、そこにクガ・マヒロの姿はなかった。


「そうか――ッ」


 ハルカは錆び付いた記憶を少しずつ思い出していく。あの頃、確か――、翌日からはテスト期間だったため、その日の授業は午前中で終わっていた。既に生徒は帰宅していて、部活動もやっていない。あの時、もしも告白が失敗してもすぐにテスト期間へ入るので話す機会はなくなり、気まずくならないだろう、という弱気な理由が鮮明に思い出された。


 その日からハルカはクガ・マヒロを捜した。

 36歳で青春の続きが始まった。


 ***


 8年が過ぎた。世間の時刻は15時40分。ハルカは44歳になった。母親と同じ年齢になったが、両親はまだハルカが高校へ出掛けたままだと思っている。一方、ハルカはまだクガ・マヒロの姿を探し続けていた。


 住んでいる場所も帰り道もその方向も分からない。そんな一人の人間を広い校区内から見つけ出すのは米粒を探すようなものだった。そしてそのような関係性で告白した若気の自分に笑みがこぼれた。


 ハルカは彼を捜しながら街の美化活動を続け、自分の表現出来るキャンバスを広げていった。そして校区内の家々をローラー作戦で一軒ずつ回り、更に8年後の17時40分。ハルカが52歳になった頃、ようやくクガ・マヒロの自宅を特定した。


 彼の家は至って普通の家だった。ハルカの淡い記憶では彼のことが王子様のように見えていたので、当時のハルカが見れば幻滅しただろう。


 リビングに飾られた彼の写真は少し袖の長い制服を着ていて、その姿はハルカの記憶より随分と幼かったが、高校入学当時の写真だったので、さほど変わりないのだろう。


 ハルカは手紙を書くことにした。『告白の途中で逃げ出してしまい申し訳ございません――』少し文章が硬い気がした。しかし、ハルカは当時の自分がどのような話し方で、彼とどのような親密度だったか、今はもう思い出せない。


 ハルカは当時を思い出そうとスマホを開いて、友達とのメッセージを見るため、アプリを開いた。一動作ずつゆっくりと、内容を見るだけで一週間以上掛かった。


「そうだったねえ、懐かしい」


 他愛のないただの雑談。日常の報告、テストの範囲のこと。少し踏み込んだ恋愛のこと。今のハルカと当時のハルカは別人のように思えた。


「あら――」


 そして友達から『クガくんにハルカの連絡先教えたよ、良かったよね?』とメッセージが来ていることに気づいた。それが届いてから数十分後、クガ・マヒロから『話したいことがある』とメッセージが来ていた。ハルカは自分のことだったが、まるで高校生の会話を覗き見しているような淡い気分になった。


「まるで高校生に戻ったみたいね」


 世間の時刻は17時55分。ハルカは53歳。ハルカはメッセージを読み返し、当時を懐かしんでいると、高校生の頃の自分を少し思い出し――


「あらやだ、もうすぐ門限だよ」


 当時のハルカは19時が門限だったことを思い出した。53歳のハルカはスマホを一動作ずつゆっくりと日付を重ねて操作して44歳の年下の母親へメッセージを送った。『――今日は友達の家に泊まってテスト勉強するね』と16歳の振りをして偽装工作した。友達にも口裏を合わせて貰えるようお願いした。


 次の問題は、新着で届いたクガ・マヒロからのメッセージだった。


『今、塾だから終わってから会えるか? 22時頃』


 塾だからという理由がハルカにはとても可愛らしくみえた。

 ハルカは数日掛けて返事をした。


『いいよ』


 22時。

 その頃ハルカは65歳になっている。

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