第2話

 ハルカと世間では時間の流れが違う。

 時間の止まった世界ではなかった。


 それがわかったことはハルカに取って大事なことだった。時の流れこそ違うけど、自分はみんなと同じ世界に生きている。そう思うだけでハルカは勇気が沸いてきた。


 みんなの時間で15分。ハルカの時間で一年。

 ハルカは一年に一回、高校へ行って友達や告白した相手の様子を覗いた。その様子はいつもと変わらないが、ハルカにとっては唯一の繋がりだった。



 ハルカは22歳になった。顔立ちは16歳の頃と比べると少し大人っぽくなった。あの頃、大人だと感じていた高校の友達の顔をみると、随分と幼く思えた。友達や告白相手と一緒に並ぶと、ハルカはなんだか自分が不揃いに思えた。そう感じてからハルカは高校へ行くのをやめた。


「就職かぁ」


 本来なら大学へ進学して就職を考える時期だ。ハルカは大学どころか高校も卒業していない。中卒になる。


「――わたしは自由だ」


 ハルカは時の流れが違うこの世界を受け入れ、前向きに生きることにした。ずっと前からやりたいと思っていた絵の勉強をするため、東京へ行くことにした。


「行ってきますっ」


 両親に挨拶をしてハルカは実家を1時間飛び出した。

 ハルカにとっては4年の時が進んだ。


 幸か不幸か、東京には絵の資料はたくさんあった。適当な空き家へ資料を溜め込み、用が済めば元の場所へ返す。三ヶ月借りても世間にとっては約15分のことだ。図書館もびっくりする早さだろう。


 ハルカはその4年間のほとんどを絵の勉強へ費やし、画家を目指した。自分の描きたいことをうまく表現出来るようになったので、ハルカは近場の美術館に自分の絵を飾り付けた。


「うん、立派立派」


 ――ハルカ、26歳で美術館に展示される。

 自作自演だけど悪くない。良い気持ちだ。この歴史的瞬間をカメラに収めようと、こんな時にしか使えないスマホを起動させると、ハルカは胸を押さえた。


 高校時代の友達からメッセージが来ていた。届いたのは世間からみると15分前。ハルカにとって1年前のことだった。

 一つ一つの動作に丸一日かかり、メッセージを読むだけで一週間の時間が掛かった。

 ようやく見ることのできたその内容は、


 『クガくんがハルカのこと探してたよ』だった。


「……クガくん」


 その名前はハルカにとって懐かしい響きだった。ハルカが昔、告白した相手だ。何の用かは一目瞭然だが、ハルカにとってそれはもう10年前のことになる。彼にとってはたったの2時間30分前のことだ。


「……そっか、みんなの記憶だとわたしは、まだあの頃にいるんだ」


 時の流れは残酷だった。あの頃はあれほど好きだった相手が今はもうセピア色した子供に見える。好きだった気持ちは思い出となり、時間の違いにハルカは心苦しくなった。


「……ごめんね」


 ハルカは時間を掛けてスマホの電源を落とした。

 ハルカの初恋は終わった。そして時間の違う自分にとって、恋心という気持ちを味あわせてくれた最後の相手になった。


 ***


 ハルカは30歳になった。はっきり言ってこの4年間、世間から見れば一時間の進捗は何もない。絵の勉強は続けていたが、ハルカは自分の描きたい絵を一つも表現できなくなっていた。


 原因は分かっている。一人ではもう限界だった。いくら資料を読み込んで数々の知識を得たとしても、自分の手の届く範囲は限られている。それは時間以上に残酷だった。


「……もうダメかもしれない」


 誰からも発想の刺激を貰えず、永遠に一人で自習をしているような気分だった。ハルカの発想はハルカの中からでしか生まれない。過去に頼っても、思い出せる繋がりは高校時代までのことだけだった。その思い出も時間が進むにつれて、自分の時間との差が開いて記憶が薄くなっていく。あの頃の思い出は一瞬の活力にしかならなかった。


 ハルカは自分の唯一の表現方法を失い、だんだんと気が滅入ってきた。この世界で熱中できることを失うことは、死を意味する。


 それでも運命というものは存在した。


 転機が訪れたのは12時40分のことだ。

 ハルカが32歳の頃だった。


「……えっ」


 ハルカは町中に、動いている――人影を見た。

 その人影はゆっくりとハルカの方へ近づいてきた。

 そしてこう言った。


「やあ、ようやく見つけたよ」


 ハルカにとっては16年ぶり、世間からみれば4時間ぶりに聞いた人の声だった。

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