告白五分前-Time is Life -
toi(とい)
第1話
永遠に続くような時間の流れに誰も逆らうことは出来ない。
もしも、人生100年を一日の24時間に表したとしたら、およそ4年で一時間が経過する。――現在16歳のアサマ・ハルカは、人生の朝の4時を迎えたばかり。目覚めるにはまだ早くて、周りも眠っている。そんな時間帯だった。
――ニカッ。
鏡の前でハルカは微笑んだ。指で口角を持ち上げて、七福神の恵比寿さんのような幸福スマイルをねつ造する。
「まあ、こんなものだよね」
寝起きの表情としては上出来だが、今日は相手を一撃で仕留めるような笑顔が欲しかった。
今日、ハルカは人生で初めて――告白をする。高校生の告白はこれまでのようなごっこ遊びの告白とは違う。恋のイロハを少し知り、愛との違いが分かり始めるお年頃。『好き』という言葉に幼児性の意味を持たず、一歩大人へ向かっていた。
問題は、それを相手が受け入れてくれるかどうかだ。
いつまでも鏡の前で身だしなみを整えていると、母に「満足いくまで整えていたらお婆ちゃんになるよ」と言われたので、切り上げて腹に力を入れる。
ハルカは「行ってきます」と練習した笑顔で言うと、高校へ歩き始めた。
***
クガ・マヒロという同い年の男の子がハルカの告白相手だ。好きになってもう三年になる。中学はサッカー部のレギュラー。高校に入ってからもサッカーは続け、将来のエースを期待されている。
ハルカはその軌跡を見守るように彼に視線を送り、その目線が重なる度にハルカの心は温かい気持ちに満たされた。これを恋と言わずになんと言おう。その思いはしんしんと降り行く雪のように重なり、やがてハルカの心に火を灯した。
「――好きですっ」
ハルカは募った思いを告白した。彼が朝練を終えて一限目の授業へ向かおうとしているところだった。校舎裏でたった二人。時刻は8時40分。見ているのは裏庭の木々と、聞いているのはさえずりで賑わす小鳥たちだけだった。
やがて、それもピタリと止んだ。
ハルカは頭を下げて、手を伸ばした。一秒が何分にも感じられた。何分が何時間にも感じられた。ハルカは無限のような沈黙の時間に耐え切れず、返事を聞くことが怖くなり、走って逃げてしまった。
「う、うわあああっ、――ダメだダメダメだ」
勇気が無くて返事を待てなかった。頭を振りながら後悔するように校門まで駆けたが、門が閉じられていたのでそれ以上先へ進めず、門扉を掴んで全身で息をするように呼吸を整えた。
「……戻ろう」
逃げても未来がないことはハルカ自身が一番よく分かっている。ハルカは自分を嫌いにならないためにも、とぼとぼと走ってきた道を戻った。
同じ教室にはたった今告白したばかりのクガ・マヒロがいるだろう。これ以上、下を向いていたら気持ちが落ち込みそうだったので見上げると、校舎の時計が目に入った。8時40分だった。
「……ん? どういうこと?」
見間違いか、勘違いか、思い違いか、不思議と告白したときの時間からあまり変わっていない。
教室へ戻ると、その違和感は核心へと変わる。
「……おかしい」
教室の時計は8時40分。壊れているのかと思ったが、それ以上にクラスメイトの様子がおかしかった。
「……ねえ、みんなっ、どうしたの?」
ドッキリ、かと思った。けれど仕掛けるにしては巧妙すぎた。
教室にいるクラスメイトは誰も動こうとせず、声も発しない。それどこか周囲の音も消えたように、静かだった。
まるで、
「……まるで世界が止まったみたい」
停止していた。ハルカ以外の人間が。
8時40分の時間で凍結したかのように、動きを見せない。
「なに、なにこれ……っ、なんなのこれ……っ」
教室をぐるりと回り、飛び出し、校内を駆け回り、涙ながらに現状を把握していく。校内の人間は誰一人として動いておらず、ハルカだけが動いていた。ハルカはまるで自分だけが取り残されたかのように思えた。
この日、世界は停止した。
ハルカ以外の時間が止まってしまった。
***
およそ3年が過ぎた。
それはハルカの体感ではあるが、時間が止まった世界でハルカはたくましく生きていた。
最初の一ヶ月は時間停止の原因を突き止めようと、辺りを駆け回った。友達に強く呼びかけてみたり、あるいは時間停止しているのは、この地域だけかも知れないと、どこまでも遠くへ歩いた。
しかし友達は返事をすることなく、街はどこまで歩いても時間は止まったままだった。時間停止の原因は一向に分からず、ハルカは自暴自棄になり、自堕落な生活を送った。お腹が空くと近所のコンビニへ行き、食物をむさぼり、眠くなったら近所の家へお邪魔してベッドを借りる。倫理的には良くないが生きるためだ。温かい日差しだけがハルカの救いだった。
3kg太ったところで、ハルカの中の若さがスタイルを気にして控えるようになった。すぐに自堕落な生活を自粛すると少し前向きになった。けれど時間の止まった世界の娯楽は食べることくらいなので、その後一ヶ月をかけて街中のグルメを食べ歩いた。
街のグルメに食べ飽きると、更に一年掛けて都会方面へ向かいながら各地のグルメを食べ歩いた。初めて見る街を眺めながら、ご当地のグルメを食べ歩いていると、まるで世界の全てがハルカの物になったみたいだった。「これも悪くないねえ」と毎日そうやって自分に言い聞かせた。みんながそこにいるのに誰とも共有できず、まるで自分が幽霊になった気分だった。
そうして3年が過ぎて、16歳だったハルカは19歳になった。本来なら高校を卒業する時期だ。ハルカは久々に実家へ戻った。ハルカの記憶と全く姿の変わらない両親が、16歳だった頃のハルカの帰りを待っている。ハルカは涙をにじませ、みんなと同じ時間を過ごせないことに寂しさを感じた。
「どうして私だけ……」
毎日、流れる涙を拭い、仲間を求めるように高校へ向かった。その場所も、今では思い出になりつつある。
「確かあの時、私はここで――」
ハルカにとっては3年前。校舎裏で好きな男子に告白をした。時間停止をした世界で、彼は今でもそこにいるはずだ。ハルカの中でタトゥーのように刻み込まれた記憶が形となって表れる、――はずだった。
「……うそでしょ、……どうして!?」
校舎裏の、あの時、あの記憶、あの思い出の場所に、初恋の彼は――いなかった。
記憶違いなんてあるはずがない。
時間は止まっている。
彼はそこにいるはずだ。
草木をかき分けて探してみても、彼は校舎裏にいなかった。そしてハルカは少しの違和感を覚えた。ハルカの記憶と少し違う。
廊下にまばらだった生徒たちがいなかった。
「え……うそっ、なんで!?」
教室でお行儀良く座っていた。
まるで何事もなかったように、いつものように授業を受けているみたいに。
「あ――ッ」
ハルカは教室の時計を見た。
記憶では絶対に8時40分だった時計の針が、――9時25分になっている。
45分ほど進んでいる。
なんで……っ、どうして……っ、とハルカは答えのない答えを探し求めて――
ハルカはそんなことあり得るのかと、一つの答えを導き出した。
「もしかして――」
――この世界は時間が止まってしまったんじゃないっ。
ハルカの体感する時間よりずっとずっと遅く、ゆっくりと、――進んでいる。
「ううぅぅぅ……っ」
ハルカは涙がこみ上げた。
少しだけ救われたような気がした。
自分だけが取り残されたと思っていた世界で、わずかだが、ゆっくりと時間が進んでいる。それはハルカが体感する時間よりずっと遅く、ハルカの3年はみんなの45分、もう少し細かくすると、ハルカの1年はみんなの約15分ほどで進んでいる。
それはまるで人生100年を一日の24時間に表したようなゆっくりな世界で――
教室のみんなは人生を100年で、
ハルカは人生を24時間で歩み始めた。
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