第三話 肝試しの夜

 夕食を終えて露天風呂まで満喫した僕たちは、ペンションのご主人の提案に従い、肝試しを9時から始めることにした。彼の説明の通り、夜の帳がすっかり下り、宿のまわりは静寂に包まれていた。僕たちは懐中電灯を手にしながら、神社へと向かう道を進んだ。


「みんな、ちゃんとついてきてる?」佳代ちゃんが振り返り、僕に声をかけた。


「うん、大丈夫だよ」暗闇の中で、僕は少し緊張しながらも、彼女の後ろを歩いた。


 強がりを言っても、僕はひどく怖がりなのだ。神社の提灯がぼんやりと光を放ち、境内の三か所のポイントが浮かび上がっていた。僕たちはあみだくじでペアを決め、順番にポイントを巡ることにした。

 幸いなことに、同じ二番を引いた僕は佳代ちゃんとペアを組むことができた。だから、僕たちは二番目のスタートになった。


「じゃあ、最初のポイントに行こうか」佳代ちゃんが僕に微笑みかけた。


「うん、行こう」僕は彼女の手を握りしめ、心の中で勇気を振り絞った。


 最初のポイントは、古めかしい鳥居の前だった。鳥居ぐらいならこれまで何度も見たことがあり、怖気づくことはなかった。その向こうには、暗闇が広がっている。僕たちは来たという証になる写真を撮り終わると、鳥居をくぐり、次のポイントへと進んだ。


「悠斗、怖くない?」佳代ちゃんが心配そうに尋ねた。


「大丈夫だよ。君がいるから」彼女は申し分ないほど頼りになる相棒だ。僕は彼女を安心させるように答えた。でも、身体は小刻みに震えていた。


 次に待ち構えているポイントは、古い石碑の前だった。石碑には、何か古い呪文のような言葉が刻まれているが、暗くてよく見えない。僕たちは石碑の周りを一周し、ここでも写真を撮り、最後のポイントへと向かった。


 最後のポイントは、蝋燭の揺らめく火がともる神社の本殿だった。周囲を見渡しても、誰ひとりとして姿が見えない。ここにいるのは僕と佳代ちゃんだけだ。このままで肝試しが終わってしまうかと思うと、寂しさがこみ上げて名残惜しかった。


 本殿の正面に立ち止まると、生暖かい風が耳もとを囁くように通り過ぎていく。足もとにはセミの抜け殻が無数に転がっている。誰かの悪戯なのか、太い御神木には五寸釘が突き刺さる藁人形のようなものが目に入る。


 少しずつだが、異様な雰囲気が近づくように感じられてくる。恐ろしい気配にまた不安に駆られてしまう。


 視線の先には埃を被った狐の置物が不気味に佇み、その隣にはおみくじがひっそりと並んでいる。賽銭箱がその隣にあり、お布施は五円でけっこうと記されている。おみくじのお礼として五円玉をそっと投げ入れた。コロンコロンと転がる音は、闇の中に吸い込まれていった。僕たちはおみくじを引き、それぞれの運勢を確かめた。


「見て見て、大吉だよ! これって五円玉の魔力や!」佳代ちゃんが嬉しそうに目を丸くして叫んだ。その明るい声や態度は救いの神のように、うなだれる僕の心へと届いた


「僕も同じ大吉だ。君と僕の相性はピッタリなんだね」僕もやっと取り繕った笑顔で答えた。まさか、この時がその笑顔を浮かべる最後になるとは思わなかった。


 その瞬間、背後から何かがざわざわと忍び寄る音が聞こえた。僕たちは息を呑んで振り返り、懐中電灯の光を向けた。そこには、何もいなかった。ただ、誰かから見られているような雰囲気を感じた。


「気のせいかな……」僕は足が震えながら、自分に言い聞かせるように呟いた。


「うん、きっとそうだよ。でも、恐ろしい魔界村だと案内されていたのに、何にも起きないじゃない。これではがっかりして、拍子抜けしちゃうよね……」


 佳代ちゃんは何も気づいていないようだ。どこまでも怖いもの知らずだった。がっかりした表情を浮かべてそう口にした。


「その通りだね」


 僕はやせ我慢でそう言葉を漏らすのが精一杯だった。内心では恐怖で打ち震えていた。でも、恥ずかしいところは彼女に見られたくなかった。必死に留まることを知らない涙を暗闇で隠しこらえた。彼女はそんな僕に追い討ちをかけてきた。


「悠斗、宿に戻る前に少しだけ寄り道していこうよ。もっと冒険したいでしょう」


「ああ……いいね」


 こうなれば、もう引き下がることはできない。男としての意地もある。臆病神など毒をもって毒を制すで退散させてやる。


 僕たちは来た道を一旦戻ることにした。道すがら、神社には来たときには気づかなかった禁断の地があった。そこには立ち入りできないようにしめ縄が結われ、白いひらひらした紙垂しでが風に揺らめいていた。


 僕たちは、神を冒涜するように、禁断の地に足を踏み入れてしまったのだ。どこからともなく、少女たちが唱和するような、聞き覚えのある懐かしいわらべ歌が聞こえてきた。その声は負のスパイラルを呼び込むように、おどろおどろしいものとして、あたり一面に響き渡った。


 通りゃんせ 通りゃんせ

 ここはどこの 細道じゃ

 神社の奥の 細道じゃ

 ちっと通して 下しゃんせ

 御用のないもの 通しゃせぬ

 この中学生の肝試しに

 お札を納めに まいります

 行きはよいよい 帰りは

 こわい こわいながらも

 通りゃんせ 通りゃんせ


 僕たちのまわりには、少女たちの姿など見られないのに、青白いオーブの光が蛍火のごとく風に漂い、奥に佇む小高い丘には墓石が立ち並んでいるのに気づく。異様なほど黒光りする墓石を見守るように、人魂のような揺らめく真っ赤な炎がいくつも目に留まる。形は円形、楕円形、杓子形などで尾を引いて中空を飛び交い、青色のほか黄色の炎に変幻していく。


 佳代ちゃんは怖くないのか、その不吉な光景に目を輝かせて見つめている。彼女の顔もいつしか青白く染まっていた。僕は身の毛もよだつ雰囲気に呑まれ、身体全体を震わせてしまった。一刻も早く、こんなところから逃げ出したい。だが、身体が硬直して動けないのだ。


 通りゃんせ 通りゃんせ

 行きはよいよい 帰りはこわい

 一度転んだら神社に逆もどり

 こわいながらも お札を持つまで

 通りゃんせ 通りゃんせ


 突然、あのおぞましい歌声がまた耳もとに響いてきた。しばらく目を閉じて立ち尽くしていると、いつの間にかひとりでその場に取り残されていた。「佳代ちゃん……」と心の中で叫んでも返事は戻ってこなかった。


 僕はガリガリに瘦せた白装束の少女たちに取り囲まれていることに気づいた。彼女たちは僕を嘲笑うように、「通りゃんせ、通りゃんせ。このままでは、帰さぬぞ!」と唱和しながら脅してきた。


 彼女たちの手足はいずれも透けて見えており、影すら地面に映っていなかった。僕はとてつもない恐怖を感じ、逃げることも隠れることもできなくなり、目を閉じたままでうずくまるしかなかった。

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