第19話 意図しない抜け穴

 狼が夜空を背に大地を駆け巡る。自分の体をも騙し、狼とも並走出来るようになった足で咲夜も自分の姿を狼に見えるように騙してこの森の中を駆け巡る。歪んだ世界の中心でバチバチと光る黄色い雷光。


 アオーン。先頭にいる狼の遠吠えに従って群れ全体が跳躍する。俺もその勢いに紛れて飛び上がる。前列の狼からまばらに雷で撃ち落とされていく。その雷光の間を編むように空間を歪ませながら、俺は相手の懐へと潜り込んで拳を叩き込む。

「ぐむ!」

 腹を殴られて前屈みになった甲夜。その顎下を右足で蹴り上げた。直ぐに電撃で応戦する為に手をかざす甲夜だが、彼が咲夜のいた位置に手をかざした時点でもう咲夜はそこにはいなかった。その手の直ぐ下。体の上下を入れ替えるように下に潜った咲夜は、その勢いのまま腰を回して甲夜の顔面に蹴りを入れる。不発の雷音を鳴り響く。

 身体強化ドーピングされた蹴りの威力に、甲夜が弾き飛ばされた。魔素を通した体からの攻撃は通常の何倍もの威力を持つ。普通の蹴りとは比べものにはならない。


「が!あ!くそおおおお!」

 全身から雷を放出させて地面との衝突が防がれる。その後ろで、大きな熊が両腕を振り上げていた。そのまま振り下ろされた拳に地面に叩き付けられた甲夜だが、直ぐに振り帰って電撃を浴びせることで熊人形を破壊する。その顔面に、遠方から追いついて来た咲夜の拳が突き刺さる。


「くそがぁ!」

 獣達の攻撃の中に混じる、明らかな人の攻撃。それを典雷甲夜も感じているからこそ、先程よりも真剣に戦いに参戦することが出来ていた。しかし、この幻術のせいで甲夜からの攻撃は中々当たらない。

 そんな攻防が続く。とはいっても、全く甲夜の攻撃が当たらなかった訳でもない。幾つかの雷撃は確かに咲夜に直撃していた。


 咲夜の拳と、甲夜の電撃を纏った拳が空中でぶつかり合う。

 空気は振動し、辺りには軽い地響きが鳴り響いた。


 決着の付かない状況に、先に痺れを切らしたのは甲夜だった。

「このままちまちま攻撃を当てても埒が明かないな。仕方ない。後のことを考えるのは止めだ。このまま一気に、この世界ごとお前を殺してやる。」

 咲夜にも攻撃が当たることはあるとはいえ、その打率は低い。攻撃の量を増やすことで無理矢理当たる回数を増やしているに過ぎなかった。持久戦で戦えば不利になることは間違いない。とはいえ、その行動は甲夜にとっても賭けだった。

 体を縮こませた彼は、自身が持つ電気を一気にその体内へと集中させる。そして体内に集まったそれを、より膨大に、より高圧的にと変化させていく。その熟成させたエネルギーの塊を、甲夜は両手両脚を広げながら一気に解放させた。

 その瞬間、この空間全体が雷撃に襲われる。全体に、隙間無く。電撃がこの幻術世界の空間全てを破壊しに掛かる。典雷甲夜を中心とした巨大なエネルギーの塊は幻術内の全ての箇所を襲い尽くし、逃げ場を存在させなかった。

 全身を襲う雷撃に人形達は破壊される。咲夜もまたその攻撃からは逃げられずに体が悲鳴を上げる。痛みに顔が歪んだ。


「ぶち抜けええええええええ!!!」

 幻術せかいの中心から、上部に向かって更にその攻撃範囲が拡張される。雷の砲撃が上へ上へと伸びる中、咲夜は保身を諦めた。持てる魔術の全てを、この空間を維持することに回す。そのせいで体は痺れ、騙されていた体が現実を思い出して軋みを上げる。無理が祟る。体を騙して無茶苦茶な動きをしていた分の負荷が咲夜を襲った。


 こうなると、最後はただの根比べ。先に咲夜が死ぬか、甲夜がこの世界を破壊し尽くすのか。


 咲夜は痛みに体を任せてしまいながら“ニッ。”と笑った。

 咲夜は雷撃を受けながら、新たな空間を製造し、その中に雷を溜めておける場所を魔術で急造する。全てを吸い出した後、空っぽになった“雷のデモ悪魔あいつ”にその全てを打つけるとどうなるのかには興味があった。電気ウナギも感電しない訳ではないらしいし。

 そんな関心を浮かべるも、それよりも先に限界を迎えそうだった。意識が朦朧とし始め、視界が霞み始める。


 ハハハ。これはちょっと、不味いかもな。


 そんな思いも束の間、先に折れたのは甲夜の方だった。雷撃の空間が解かれる。雷から解放された咲夜はそのまま地面に落下し、感電状態で突っ伏しる。


「くっそ。駄目だったか。」

 そんな悔し声を上げて、甲夜も同じように地面に落ちた。力を一気に使ったせいで、暫くは体が動かないのかもしれない。そんな彼の前に、ゆらゆらと揺らめく人影。その人影には笑みが宿っておりゾッとした。自分の全力の一撃を受けたというのに、その男は嬉しそうな顔をして立っていた。


 咲夜だ。咲夜は再び自分の体を騙して無理やり立ち上がっていた。それでも騙しきれないところがあり、流石に無傷のように動き回ることは出来ない。それだけの痛みを負ってしまっていた。重傷であるせいで、血も流れ出ている。

 それなのに、普通ならもう立ってもいられないような重症具合のくせに。その男はそれによる不満や悲痛な顔を一切見せなかった。

 咲夜が腕を掲げる。甲夜がそれに誘われて視線を上に上げると、そこには大きな雷の塊があった。


「なぁ、今のお前にこいつをぶつけると、どうなるのかな。」

 まるで子供のような。そんな好奇心を覗かせる。

「ボロボロの癖に、粋がるなよ。」

 甲夜はそんな意趣返しをしながらも、苦い笑みを浮かべる。その顔を見て、咲夜が満足そうに笑みを浮かべた時だった。

 一本の着信音が、甲夜のポケットの中で鳴る。瞬間、甲夜は空にあるの雷の塊に手を伸ばし、現状回収出来る範囲内の、片道分の雷の量を奪い取る。そして。


 次の瞬間には、再び雷体になってこの場所から抜け出していった。


「……。」

 着信の電波を辿られた、か。

 外から入ってきた電波の道筋が、結果的に“雷のデモ悪魔”である甲夜に逃げ道を教えてしまった。

 咲夜が展開した幻術は、何も全てを騙し切るものではなかった。魔術を構成する中で、無意識に省いてしまっているものがあるのだ。今回のような、“着信電波の辿った経路を把握して電気体になって逃げる。”なんて手段は先ず取られることがないため、そこに抜け穴が生じてしまっていた。

 それは、予測の範囲外にある答えだった。

 今の傷の具合的にも、着信が来てから更に空間を歪めて辿れなくするまでの力は出せなかった。


「……。まだまだ改善が必要だな。」

 そんなことをぼやきながら、咲夜はゆっくりと幻術を解いていく。木々は元の位置へと戻っていき、昼時を過ぎた太陽の光が差し込んでくる。そして、頭上に置いた雷の塊を咲夜は魔術で圧縮していった。


「ワン。」

 咲夜の隣に走って来る狼人形。そいつが加えて持って来た魔術瓶の中に、先程吸い上げた雷の塊を封じ込んで完全に幻術を解く。ビー玉サイズになった雷の塊は、案外簡単に収納出来た。

「これ、工房に持ち帰っておいてくれ。」

「ワン!」

 魔術瓶を狼に渡す。それを持ち帰っていく姿を見ながら、咲夜は近場の木に寄りかかった。背中を木に預けながら、ずるずると腰を地面に降ろす。後頭部を木にコツンと付けて空を仰ぎ見た。その空は赤く染まっていた。いつの間にか、夕暮れ時になっていたようだ。

 体の痛みが激しい。幻術をとくと、帯電した電気に再び痺れさせられる。

「ハッ。これは暫く動けそうにないな。」

 煙草を吸おうと思ったが、体が動かなかった。仕方なく、煙草を吸うのは後にする。

 澄んだ空を見て、俺は軽く笑う。


「悪いな瑛己。もう少しだけ、掛かりそうだ。」

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