第8話 イエス。もしくは、yes。
「仁賁木!!」
大好きな人の声が聞こえた。
愛している人の声が聞こえた。
そんな人を、私は。私は見捨ててしまった。自分の命欲しさに逃げ出した私は、本当の意味で彼を愛していたと言えるのだろうか。
拳銃の弾はヤツには届かない。その体表に着弾する前に何かしらの電力に遮られてしまうからだ。空中にいる相手に銃弾が届かない。その結果は、我々にヤツに対する有効打がないことを証明してしまっていた。それなのに、ヤツの電撃は我々の装備を貫通する。
そこにあったのは、一方的な殺しだけだった。
「撤退!撤退!!」
逃亡の合図が掛かる。上が勝てない戦いだと判断した。しかし、だからといって逃げられる戦いでもなかった。背を向けた警官から、
誰かを逃がす為には、誰かがヤツの注意を引かなければならなかった。足止めをしなければいけなかった。でも、そんなことが出来る人間なんてこの場所にはいなかった。
壁や地面を伝播する
すぅー。と息を吸い、何かを見定める
次の瞬間。誰もが諦め、膝を崩しそうになった時に彼は――――。
「ハッ。咲夜め、こうなることを見越していやがったな。」
そういって、彼は何かを口の中へと放り込み、見た事もない銃弾を弾倉に込めた。
「逃げろ!お前ら!!」
型乃坂 瑛己刑事と
出口から外に出る。そこには、私達を無事に帰還させる為の人達が―――。いなかった。
私達を外で待っていた仲間は、全員殺されていた。雷の“デモ悪魔”に辿り付くまでに捕縛した“デモ悪魔”達は全員解放されていて、舌なめずりをしながら待機中だった筈の警官達の死体で遊んでいた。
濃い血のにおいが辺りに充満していて、パトカーは悲惨な姿を辿っていた。
ここまで死に物狂いで逃げてきた警官の誰もが絶句した。
死体の山の中心で、壊されたパトカーに腰を落ち着けていた一人の警官は私達を見て唇を釣り上げる。彼も確か、ここで待機を指示されていた警官の筈なのだが、誰が見ても様子がおかしかった。
誰かが声を発した。
「
直後、彼は全身を武器に変形させる化け物へ――。
*** *** ***
――――あれ?
それから、どうなったんだっけ。
ゴウン。ゴウン。と、何かが力強く動く音が私の耳の中に入って来る。足に太くて熱い何かが当たっているのを感じる。首が痛い。体が痛い。それに加えて、なんだか肌寒い。
朧気な意識でゆっくりと目を開ける。視界には下着姿の自分の体と、床に横たわる黒くて大きなケーブル。私の視線は下に落ちていて、決して寝るために横になっているような状態ではなかった。
「ん。む。うぅ。」
体を起こそうとして、眠たい瞼を擦ろうとして。私は、私が動けない状況であることを自覚する。手が動かない。体を何かに縛り付けられている。それを自覚した時、一気に私の目が覚める。状況が分からずに混乱する。顔を上げれば、ここはどこかの暗い部屋。足下にある大きなケーブルの群れは、それに似合う大きさの機械に繋がれていて。その大きな機械はこの部屋に沢山立ち並んでいる。
「ひっ!」
そんな部屋の中に転がる何体かの球体関節人形を見つけて私は軽く青ざめる。ごろごろと転がったそれらは決して綺麗なものではなく、その体は欠損していた。割れて、汚れて、潰れて、溶けて。ズレた
よく見て見ると、この部屋には他にも子供が遊ぶような玩具が幾つか転がっていた。それらの中にも、綺麗な形をしたものは何一つありはしなかった。
「こ、こは……。」
怯えながら声を絞り出す。
ゴウン。とまた大きな音が鳴り、私の肩が飛び跳ねる。
正面。カウンターのような机の奥でカタカタとパソコンを叩いていた誰かが、私に気が付いて椅子を回す。彼が向かっていた方にある壁には
「よぉ。遅いお目覚めのようだな。仁賁木。」
「
振り向いた男は高校生時代の知り合いだった。私が好きだった型乃坂 瑛己刑事の古き良き親友。隠奇くんは元から暗い印象を受ける人だったからか、瑛己刑事よりも老けて見える。あの頃から変わらず、髪はボサボサの天然パーマで死んだ目をしている。社会に疲れてはいるが死んだり会社を辞めたりする勇気まではない社畜。という表現がよく似合いそうな見た目の男だ。人生に欠片も
そんな彼は、この空間に酷く馴染んでいた。異常な重病に陥った厨二病疾患童貞男子の部屋に監禁されてしまった怖さが私を襲う。
本当、どうして瑛己はこんな奴と友達になったんだろうか。彼が仲良くさえなければ、こんな奴、秒で忘れることが出来るのに。彼との関係を深めるために関わってしまった私の行動が彼を何か勘違いさせてしまったのかもしれない。
どうしようもない恐怖が私を襲う。ただここで悲鳴を上げてしまっても彼の思う壺のような気がして、私は冷静を装って睨みつける。
隠奇は煙草を吸ったままパソコンを閉じて立ち上がる。その際に机の上に乗っていた拳銃を取ってスライドを引いた。
「1つだけ聞く。瑛己を殺したのは、お前で間違いないな。」
「え」
思いもしない方向からの質問に気取られた私の頬を銃弾が掠めた。傷口から血が溢れて肌を伝う。私の顔が青ざめていくのが分かった。
向けられる殺意に気付けていなかった。私は殺されるなんて考えもせずに、ただここで犯されるのだと覚悟していた。元々目が死んでいるせいか、表情にそれほどの変化がない。その差違の薄さからか、殺気を感じ難かった。彼が淡々とした物言いで話しを持ち出して来たこともその要因かもしれない。
背中がゾワリとする。死を自覚してか、体に冷や汗が浮かび上がり始める。彼の目から視線が外せない。外した瞬間殺されると私の勘が言っていた。
ごくりと、固唾が喉を通る。
「悪いが、お前の言い訳に付き合うつもりはない。と、本来なら言いたいところなんだけどな。お前は一応、一瞬でも瑛己の部下だった人間だ。そんな奴を本人が罪を認める前に殺したら天国の
瑛己刑事の名前を出しても、彼を想うような言葉を口にしても。隠岐くんの表情は一切変わらない。冷たい視線のまま、私への実質的な死刑宣告を行う。そこには一切の感情を覗かせない。彼が吸う煙草の煙の方が感情を持って動いているように見えるほどに。
寂しそうに揺れるその煙に、私は自分へと炊かれた線香の代わりだと錯覚してしまいそうになる。
「俺が待っているのは、はい。もしくはイエスだけだ。」
「ま、待ってよ。そんなのってないよ。」
「ない?どうしてだ。お前が殺したんだろ。瑛己を。」
そんな訳ないよ!という私の言葉は口から出る前に引っ込んだ。隠岐君は私の指名手配書と警察署の声明、私が瑛己刑事を殺した犯人だと記した記事を私の前に放り投げてきたのだ。
「なに、これ。」
私の疑問を無視して、隠奇は淡々と事実だけを述べる。
「町民に愛された型乃坂瑛己刑事を殺した犯人、仁賁木 継菜。分かるか。お前は既に容疑者ですらないんだよ。裁判は開廷されない。」
その時は不意に訪れた。何がきっかけだったのか。私は、私に着せられた濡れ衣のことを思い出す。逃走中、街の巨大モニターに映った私の顔を思い出す。あれ。でもその時の私はまだ
何かあったんだ。費ヶ縫巡査の件もある。もしかすれば警察組織は既にもう……。
吹き出した記憶と共に絶望の色も濃くなっていく。私は頭を抱えたくなったが、手が縛られていてそれは叶わなかった。俯いて、自分を少しでも守るように丸くなる。
結局。私は何も出来ずに終わる。仲間を見捨てて惨めに逃げ出して。それなのに好きな人の仇を討つことも出来ず、次の捜査への一助になることも出来ない。生かされた命を大切に使い切ることも叶わず。ここで果てる。
私は一体何の為にあの死地を生き延びたのか。何の為に彼よりも少しだけ長くの時間を生きたのか。
そもそも彼が好きで同じ仕事にまで就いた私が、
彼に彼女がいることは知っていた。この想いが報われることがないと分かりながらも彼に固執した。妻子が居たとしても、振り向いてくれないとしても。ただ一緒の空間にいられるだけでよかった。
そんな彼はもういない。彼と心中出来ていれば、この想いもある意味報われていたのかもしれないのに。私は最後の最後で我が身可愛さで自分を優先してしまった。
私の人生。何も得られず、何も残せずにここで終わる。
ただの気持ち悪い女のまま、ストーカー女のままここで……。
「……ヤだ。」
涙が溢れ落ちる。堪えようとしても意味なんてなく。ただボロボロと溢れ落ちていく。
後悔だけの人生に悲しくなる。
「うっ。うっ。」
泣き止む為に歯を食い縛るも、それは止まらない。分かっている。泣いたってどうにもならないことくらい。でも、止まらない。
「……。なあ、お前。今の自分の状況が分かっているのか?」
「っ!!?」
自分でも驚いた。止められないと思っていた涙が止んだ。それを上回る恐怖に感情が書き換えられる。目の前にいる咲夜からではない。
まるで“死”そのものがそこに存在しているかのような恐怖。目の前の拳銃も、悔し涙すら呑み込んでしまう圧倒的な気配。
首を回せば、そこに何が居るのかくらいは分かるだろう。けれど、私の本能がそれを許さなかった。目は後ろを気にするも、この首が一度たりとも回らない。金縛りにでもあっているかのようだった。筋肉が頭からの信号を拒絶する。
意識すら持っていかれそうになる私を救ってくれたのは、私を殺そうとする目の前の隠岐くんだった。
「分かっただろう。お前には、涙を流す自由すら与えられてはいない。お前が許されているのは肯定の意思を示すことだけだ。」
「ひ、ひど」
声を絞り出そうとした私は、死んだと思った。後ろから現われた大きな鎌の刃が私の首元までぶん回されて来たからだ。
「止まれ。」
その鎌は、隠岐くんのそんな一声で静止した。
「っ。あ、ぁ。」
あと一ミリでも動けば簡単に切れてしまう自分の首。
「肯定意外の言葉はいらないって発言は取り消す。お前はそこで何もするな。」
彼がそう言えば、その鎌は静かに私の首から離れていく。
息を呑む。私は。私は――――。
涙が引っ込んだせいか、少しずつ頭が冷静になっていく。
抵抗する意味はない。私は肩を落しながら、生きることを諦めた。
心が壊れそうだ。いっそ、私がまだ私でいられる内に殺して欲しいとすら思う。
「ねぇ。ひとつだけ教えて。」
「……。何だ。」
力の抜けた私の言葉に、彼は淡々と言葉を返してくれた。だからこそ、私はそのまま自分の疑問を口にする。
「どうやって私達は費ヶ縫巡査から逃げのびられたの?」
「費ヶ縫?悪いが、俺の知り合いにそんな名前の警官はいない。」
虚ろげながら彼の目を見る。誤魔化した。という訳でもなさそうだ。彼は純粋に費ヶ縫という名前を知らない。名前と人物が結び付いていない。私は視線を下に下げてポツポツと言葉を吐き出す。
「私達、秘密基地で再開したでしょ。」
「そうだな。」
「その時に襲って来た、顔を砲台に変形させていた奴。」
「……?ああ。あの“デモ悪魔”のことか。あいつ、費ヶ縫っていう名前だったんだな。」
「お願い。どうやって彼から逃げられたのかだけ、教えて。」
「あ?どうしてだ。それを知って何になる。」
彼の言葉に、私は放心的な状態で自分の息を吐き捨てた。
「分かんない。でも、なんとく、知りたくなったの。」
彼の答えは分かっていた。“逃げる必要などない。”だ。
きっと彼も“デモ悪魔”で、費ヶ縫巡査とはグル。私はそう考える。
それは、後ろに佇んでいるであろう“デモ悪魔”が証明していた。本能的に死を感じさせるような存在なんて“デモ悪魔”のようなめちゃくちゃな存在以外にはありえない。勿論恐怖を与えるだけなら凶暴性のある野生動物からも感じられるかもしれない。でも後ろにいるものが動物ではないことは、この場所の静けさが物語っていた。
多分私は今、敵陣のど真ん中にいる。目の前の
「よく分からないが、まあいいだろう。冥途の土産にでももっていけ。」
そんな私の最後の願いに彼は応えてくれるようだ。
あーあ。まさか、
どこまでもクソだったな、私の人生。
首を突き出し、私はその
隠岐くんはゆっくりと口を開き。
「あの“デモ悪魔”は俺が殺した。」
と、寧ろ私が望むような答えを口にした。
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