第7話 甲太朗の不安と正義
此方の声も届かないような分厚い硝子の向こう側で、医師達が氷像になった
そんな姿になってしまった親友の様子を見ながら、
「
自身の顔が険しくなってしまっていることは理解していた。だが、だからといって頬を緩めることなど到底出来ない。
右手に握られた新聞には、赤い血が
「いいえ。残念ながら、まだそのような報告は此方には届いておりません。」
狂気のような状態に片足を突っ込みかけている甲太朗の隣で、冬菜は冷静に言葉を返す。彼の側近とも言える彼女のフルネームは、
人によっては嫌な役目を押し付けられていると感じるだろうが、冬菜は当時からそれに対しては好意的に捉えていた。関係性の薄い人間からも重要な役どころを任せて貰える、共通認識内での
しかし、彼女は背中を見せて人を引っ張っていくことは出来ても、誰かに寄り添うことは苦手だった。価値観の会わない人間を斬り捨てたり、断罪したりすることは出来る。だが、彼らを救済することは苦手だった。だからこそ、警察という職業は彼女にとってはある意味では天職だったのかもしれない。
今回に限っては、その限りでもないようだが。
彼女からの報告を聞いて、甲太朗は「そうか。」とだけ呟いた。大方想定していた通りの返答ではあったからだ。だが、だからと言って今の彼にはあまり冷静には受け取れられなかった。家族も同義の親友が2人もやられた。1人は死んで、1人は生死不明。そんな状況を甲太朗が味わうのは、今回が初めてではなかった。それこそ本物の家族で味わっている。当時の悲しみを繰り返さない為に警察になった。なのに、眼前ではまた同じことが起きてしまっている。そのことで感じさせられる自らの
せめて自分の身近な人だけでも守り通したい。そう思ってはいるのに、現実は思い通りにはいかない。かつては親。今回は親友。
そして、そんな状況にも関わらずまだ身内は狙われている。当時は妹で、今は咲夜だ。
前回は足が動かなかった。目の前で息絶えていく親から片時も離れることが出来なかった。今回は違う。足は動く。直ぐにでも咲夜のもとへと駆けつけることが出来る。だが、俺の立場がそれを制限する。人を救うために成った警察という立ち位置が、私の行動を
「海實警視。あの男のことを気に掛けるのもいいですが、狙われているのは貴方も同じです。ですから、今はその気持ちを落ち着けてください。」
硝子の向こうにある、修司の首に掛けられたメッセージが揺れる。
“お前達4人を許さない”
警察の保護下にあらざるを得ないのは、私も同じだった。咲夜と私。犯人の次の目的がはっきりしている限りは、警察にも対策のしようがある。1番最悪なのは、一度に両方を失って犯人への取っかかりを失ってしまうこと。咲夜が抵抗をするのなら、私は無条件で拘束される。対外的な拒否権が有効的に働く咲夜とは違い、私は内部で
そしてそれは、隣にいる冬菜も理解しているだろう。拒むのなら拒めばいい。誰が必要で、誰が不必要かははっきりしている。そんな俺達に対する意志を彼女の横顔から感じた気がした。そもそも、咲夜を守る意味なんてあるのかとすら思っていてもおかしくはない。あの男は昔、多くの人を敵に回していた。
俺の予想では、きっと警察はそこまで本気で咲夜を保護しには掛からないだろう。本人が拒否をするのなら尚更で、なあなあに咲夜の周辺を警戒させるだろう。形だけという奴だ。そして、彼を生け贄に犯人の確証を得られる重要な情報を掴み、それ以上の犠牲を防ぐ為に動くだろう。
俺は自分が置かれた四角い空間の中で改めて考えを巡らせてみる。部屋には、俺と冬菜以外にも幾らかの警官がいる。当然彼らの仕事は修司の解凍を見守ることではない。私の監視だ。私がこの部屋から出ようとすれば、あの手この手で引き止め、強引に抜け出そうとすれば押さえつけて来ることだろう。巨漢の男達は東京から送られた精鋭揃いだった。私を行動不能にしてしまうことなど訳のないことだろう。そうなれば、次に目覚めた時には太陽も拝めないような部屋で隔離されてしまっているのだろうな。
そうなればいよいよ何も出来なくなってしまう。このまま、あくまでも警視としての役割を果たさせてくれた方がまだましだ。情報のない世界で親友の悲報だけを待つ生活など耐えられない。
だから私は動けない。今、この瞬間に咲夜が死なないことを祈り続けることしか出来ない。
歯を食い縛る。
結局私は、大事な時には何も出来ずに祈っていることしか出来ない。
今回も駄目だった。ならいったい、私はどうしたら家族を失わないで済むんだ。
「くだらないな。」
唇を噛みながらそう考えた時だった。
ふと、かつて“魔王”と呼ばれていた者が私に向けた言葉が聞こえた気がした。
この場所はあの時の病院とよく似ている。あの時、“魔王”は確かに俺の後ろにいて――
「お兄ちゃん!」
四角い部屋の中に、魔王に救われた妹が飛び込んでくる。妹は私の顔を見ると、酷く泣きそうな顔になって胸の中へと飛び込んでくる。
行かないでと言って震える妹の体を、優しく抱き寄せる。
これだけは絶対に失えない。俺の、世界にもう一人しかいなくなってしまった血の繋がった大切な家族。
あの時は、魔王の手を取るしかなかった。悪魔の囁きに手を伸ばして堕ちることで、今胸中にいる命は救われた。もし、俺があの時の自分をまだ否定出来るとするのなら。
俺の正義は――――。
甲太朗は自分のネクタイを締め直す。それをこの場にいる警官達は警戒するも、それは無意味に終わる。邪道にはもう手を染めない。だからといって、このまま沈みもしない。
頭を必死に回しながら、今の自分に出来ることを自力で模索する。
私は。いや、
それが瑛己との約束でもあるからな。
自分のことを心配してくれる妹を抱きしめながら、甲太朗は最後に瑛己とあった日のことを思い出していた。
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