第一章5『闇の商人』
――結局、朝になるまで悩み続けた結果、俺は自殺することが出来なかった。
ロープから手を離すとふらふらと部屋の窓際に歩いていき窓を開ける。窓から入ってくる爽やかな風に吹かれて髪が靡いた。
「やる根性もねぇのかよ。俺は」
あの時、町で声を掛けなければ。一緒に協力してあげたりなんてしてあげなければ――こんな罪を被せられて辛い思いをしなくても済んだのに。
自責と後悔の念で頭の中が埋め尽くされてヒロアキは押し潰される。今にも発狂しそうになりながらも必死に自我を保った。
この世界に勝手に連れて来られて、正体もわからない知らない誰かに召喚させられてなんで自分だけこんな酷い目に遭わなくてはいけないのか、ふざけるな!
『こうなりゃ復讐だ……俺に犯罪者の汚名を被せて、異世界生活をめちゃくちゃにした――この国に、世界に必ず復讐してやる!!』
復讐を誓ったヒロアキの脳裏には、アッシュ達に対してではなく……怒りの感情は異世界、ドラグニアに向けられる。
ここは日本じゃないんだ。別に関係ねぇし、この世界の住人に仕返しして何が悪い! 自分をこんな目に遭わせた奴らへの復讐を決意した瞬間、彼は身震いするほどの高揚感で満ちた。そして自然と笑顔が溢れる。
そう、今のヒロアキ少年の情緒は不安定になっていた。
「なんでいつもこう、俺の人生は空回りしてばかりなんだ! なぁ……見てんだろう? 神様仏様ってのが本当にいるのなら少しくらい慈悲をくれたっていいじゃあないか!!神様は、生きとし生けるもの全てに平等なんじゃあないのか? なんなんだよホント」
余計なことを考える度に、また深い後悔と自責の念が襲ってくる。俺がやったワケじゃあない。けれど、謝罪の言葉をどれだけ並べても、悔やんでも、どれだけの数を後悔しても失われてしまった者の命は戻ってはこない……。
「何が異世界だ! ふざけんじゃあねえよ。ちくしょうおおおおおぉぉぉぉおッ――!!」
怒号が部屋中に響く。声が枯れるほど叫んだ。頭がおかしくなりそうになる。もう……どうしていいのかわからない、俺はただ運が悪かっただけなのか? なんでこんな目に遭わなきゃいけないんだよ。
行き場のない怒りや悲しみが今のヒロアキを駆り立てている。俺は一体どうしたらいいのか? これからどうすれば……頭の中がこんがらがっていた、そんな時だった。
コンコン!と、ドアがノックされる音が鳴ったのは。
この部屋の扉を叩くということは用のある宿泊客か受付嬢のどちらかしかいないはずで、どっちだろうかと考えあぐねているとまたドアを数回ほど叩かれた。
「ミアケ・ヒロアキさんは、いらっしゃいますか?」
声の主は女性だった。
俺はドアノブを握りゆっくりと扉を開けると、そこには冒険者ギルドの受付嬢が立っていた。
こちらを見るなり心配そうな表情を向け、彼女はヒロアキの顔色を窺うように優しく話しかけてくる。
「何かあったのではと思い、ご様子を見に伺いに来ました」
「昨日はごめん。迷惑をかけてしまって」
ヒロアキは、力無く肩を落としながら彼女に謝罪した。無関係な彼女を不快な気持ちにさせてしまったこと、心配させてしまったことの申し訳なさでいっぱいだった。
「昨日は辛い体験をしたと思いますよね。お気持ちお察しします」
「いや、別にいいんだ」
「あの……少し気分転換に外を歩いて周ってみてはいかがでしょうか。空気も美味しいですよ!」
ものすごく優しい口調で受付嬢は言葉を返してくれる。微笑みかけてきた彼女にちょびっとだけ救われた気がした。気分転換か……悪くないかもしれない、俺は彼女に勧められるがまま宿を出て散歩をしてみることにした。
街の景色を眺めながら歩いていると、なんだか気分が軽くなった気がした。昨日はあんなに暗かったのになあ……我ながら単純だと思う。昨日の今日で、俺の考えも心も上手く整理することが出来ない状態だ。けれど、
「この異世界で生き残ることが償いになるのなら…!」
足掻いてみせる。ヒロアキは、そう決心した。そうだ、俺はこの世界でやってやろうと! もう後戻りはできない。気分も新たに、宿泊施設を出て市場のある大通りを歩いているとヒロアキは突然後ろから声を掛けられた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「そこの人――この世界じゃあ見慣れない服装だね。もしかして遠い異国から来た方でしょうか?」
「あ、えっと……はい」
突然、肩に何者かの手が置かれた感覚がして慌てて振り返ると、それは何かを売っているであろう商人の男だった。
ローブを着た初老の怪しい商人の口から発せられた、異国から来たという言葉に驚いてしまった。商人はフードを深く被っていて顔はよく見えないが、しわがれて年老いた声をしている。
「私は物を売ることを生業にしてまして、よかったら何か買っていかないかい? 今ならお安くしておくからさ」
「すんません。おれ今は持ち金がなく――」
商人がヒロアキの言葉を遮るように、彼の肩に置いた手に力がこもる。そして、その怪しい男はこう呟いたのだった。
「いいのいいの、金貨や銀貨はいらないよ。君のことを異世界に転生させた犯人やその経緯を私が知っているとしたら、どうする?」
「今なんて言った」
……は? 今なんて言ったんだこの人。俺は思わず聞き返してしまった。すると、その男は俺の肩から手を離して、
「何も珍しいことではないよ。この世界、ドラグニアは広い、色んな国があって遠い場所から来る者もいるさ」
「いまの言葉……まるで俺が異世界に飛ばされたことや、こっちの素性を知っているかのような口振りだったけれど」
「もし、黙って私に着いてきてくれたのなら君の知りたいことを1つだけ教えてあげようか」
怪しい男はヒソヒソと、怪しく笑った。この男は何者なのだろうか? だが、もし俺が本当に異世界に転生してしまったことを知っているとしたら……それに金貨や銀貨はいらないと言っているし金目当てではないみたいだ。ヒロアキは警戒しつつも、その男についていくことにしたのだった。
商人はそう言うと、ヒロアキを近場にあるという露店へ誘導する。男に案内されたのは街の路地裏にある薄暗い一軒家。
軒先には、様々な商品が並んでいて日本には存在しない部品で造られたナニカが怪しい雰囲気を醸し出している、そんな印象の店だ。おそらく店主と思われるローブ姿の男はヒロアキを店内に案内すると椅子に座らせたのだった。
「いやー君が話のわかる人間で助かったよ」
「御託はいい……俺のことについて洗いざらい話してもらおうか。なんで『転生させられて来た』なんてセリフが突然出てくる。ギルドにいた冒険者は知らなかったぜ?」
「まぁまぁ、落ち着いて下さい。先ずは順序というものがあるでしょう」
怪しい男はヒロアキをなだめつつ話を続け、
「ウチの商品を宣伝してくれたらお教えしましょうか」
「言ってる事が違ってないか? さっきは着いてきてくれたらって条件だった」
「このナリでも立派な商人でしてね……
怪しく微笑む初老の男、そいつをヒロアキは睨みつけた。すると、男は降参するかのように両手を挙げて答える。
どうやら本当に話すつもりはないらしい。しかし、俺はどうしても知りたい……なぜ異世界へ転生させられて来たのかを、俺を飛ばした犯人の正体を暴いてやる。
「わかった。で、ここはどういった店なの?」
「一般的なルートでは出回らない、俗に言う闇市で取り扱う品の製造と販売をしております。例えば……」
男はそう言うと、店の奥から何かを持ってきた。それは拳銃だった。
元の世界では所持しているだけで重罪となる。その銃にヒロアキは釘付けになる。俺がいた日本では当たり前の武器で、異世界でも似たようなものが存在するんだなあと思ったからだ。しかし、よく見ると違う点があることに気づく。
この銃には銃弾を装填する部分がないということだ。一体どうやって撃つのだろうか疑問に思っていると、
「これは使用者の魔力をエネルギーへ変換して打ち出す
なるほど……魔法が使える世界なのだから鉛玉なんてものは必要ないのか。
「売っているのは他に何がある?」
「賢者の石に、人間と鳥を配合したキメラ。あとは要人を暗殺するために使う硫酸と、性処理の玩具として奴隷を裏で販売しております」
こいつ、何を言ってる。頭がおかしくなりそうだ……やはり関わるべき相手ではなかったんだとヒロアキは後悔した。
「残念だが、俺は犯罪者の片棒を担ぐ気はないぞ」
「おっと、お客様。そんな目で見ないで頂きたいですねぇえ」
男は笑いながら言ったが、ヒロアキにはそれが嘘か真かわからないのでどう反応していいのかわからなかった。しかし、この男の口ぶりからして本当に知っているのかもしれないとも思った。
「で、話してくれる気になったか?」
「……仕方ないですね。でもその前に――」
懐に隠し持っていた拳銃の形をした魔道具を取り出してヒロアキの腹部へ突きつけると、
「――――っ!?」
「お馬鹿さんですねぇ。教える気は無いと言ったでしょう」
男はそう言うと、懐に隠していた拳銃の引き金を引いた。するとヒロアキは腹部に強い衝撃を受けると同時に、店の外まで吹き飛ばされる。が、出血はしていない……掠めただけのようだ。
「なんで……だ!」
「今のは牽制、次は外したりしませんよ。――残念ながら、あなたの冒険はここでお終いです」
人通りの少ない路地裏へお引き寄せて始めからヒロアキを殺害する予定だったわけか。
俺は死ぬのか……こんな異世界で何も成すこともなく、ただ殺されるだけなのか? 嫌だ、死にたくない! ! まだやり残したことがあるんだ。こんなところで死ねない――っ!
怯ているフリをして、無力な弱い人間だと油断させた隙を突いてヒロアキは小さく身を伏せながら相手とは反対の方向へ駆け出した。
「しっ……しま――」
「クソッタレーー!!」
大通りが目の前に広がる。通行人がヒロアキに視線を移す中、彼はなりふり構わず全力で走りだす。
だからなんだ、今は逃げるのが正確ルート。ヤツの正体は一体何者だったのか? 疑問は尽きないが今はそれどころではなかった。
「冒険者パーティーからは追放されるし、命を狙われるしでワケが分からねぇ。なんなんだよ! この異世界は」
そして、とうとう街の外壁まで来たところで……足を止め、何回も辺りを見回して確認する。
どうやら奴隷商を撒くことが成功したようだ。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
「生活できるだけの食料や道具、周辺の地理とか覚えてクエストをこなしながら通貨を手に入れて……っと。それに魔物を倒して鍛えておくこともしておかないと」
やらなくてはいけないことがたくさんある。それにどうしたら元いた世界に戻れるのかも知りたい、ここに召喚されて来れたという事は戻れる方法もあるかもしれないということ。
短いスパンで嫌な出来事が連続して起こり過ぎだ。
別のことを思い浮かべてポジティブに、前向きに考えてないと心がどうにかなりそうだったから――
「やらなくちゃいけないことは山積みだな」
とは言ってみたものの、異世界『ドラグニア』にやって来てから何も口にしていなかったことに気がついた。
「ハラ減った……にしても何者だったんだろう。あの悪質商人は、俺に売り物を押し付けようとしていた様子だったけれども」
ゆっくりと立ち上がり再び街の中へ向かったのだった。街を歩くと、様々な商品を販売している店や露天商が目に入る。そのどれもがヒロアキが見たことのないものばかりで目移りしてしまう。
その中にはマンガやRPG(ロールプレイングゲーム)で観たことのあるような品もあった。傷を癒やす薬草や、皮で出来た盾。聖どうの鎧に、鋼の剣といった架空のアイテムたちが実体のある物として存在していることに気持ちが高ぶる。
「すっげぇな。フィクションや創作物でしか見たことないものを手に取って触れることが出来るなんて……」
何時までも感傷に浸っている場合ではない。いまのヒロアキに武器や防具は、まだ必要ないだろう。
すぐ欲しいのは、通貨と食料だ。しかし、異世界に召喚されたばかりで金がない。冒険者ギルドへ戻って単独で可能なクエストを探さねば飢え死にだ。
「もう同じ轍を踏むのは懲り懲りだよ」
冒険者パーティーを追放された直後で、資金も殆ど持っていないから都合が良かったのかもしれない。しかし、他の冒険者にたかるような事はしたくない。また嫌な性格のヤツと組まされたりすれば、命がいくつあっても足りないだろう。
「……となればギルドへ戻って出直した方が良さげだな」
チームを組む人間は慎重に選ぼう、そう心に決めてヒロアキはギルドまで戻ることにしたのだった。
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