第一章4『善意と重たい着せられた代償。罪と罪』

時間が止まる。というのはこういうことを言ったりするのだろうか。


「――これはきっと夢なんだそうに違いない」


そう思いたい。だが、何度瞬きをしても頬を叩いても状況は変わらなかった。目の前は真っ暗で何も見えない……これは現実なんだと理解した。


ふと、ヒロアキは下を見るとペンキで塗られたかのように自分の着ていた服がどす黒い血で染まっている。


死にものぐるいでひたすらダンジョンの出口へ走っていたからか肺のある場所が痛くて息が苦しくなってきた。


「はぁ……ぜぇぜぇ」


入り口に辿り着き、ヒロアキはダンジョンの外へ出る。外は日が沈みかけており夕方だった。

隊長のアッシュと他の冒険者たちは既にダンジョンから脱出しており、ヒロアキを待っていた。


そして……そこにはもう回復術士の少女の姿はない。彼女は狼の群れに襲われて命を落としてしまったからだ。


四人はヒロアキの元へ駆け寄ると、リーダー格の剣士の男性はこう告げるのだった。


――このクエストは失敗だ、と……。


パーティーの一行は終始無言のまま、一言も言葉を交わさず冒険者ギルドへ帰還し、クエスト失敗の報告を受付嬢へ伝える。


「……ちくしょう」


異世界の冒険に胸を躍らせていた自分が馬鹿らしく思えてくる。ヒロアキはただ……自分の命が惜しくて逃げ出したんだ。


罪悪感に押し潰されそうになるも、チーム全体にしばらく沈黙が続いた。

ゲームや小説の主人公ならきっと逃げ出さずに立ち向かっていただろう。でも俺には無理だったんだと痛感する。


静かな静寂の空気を裂いたのは、リーダー格の男性の声だった。


「ヒロアキ、悪いがパーティーメンバーを出て行ってもらう……君のような役立たずはクビだ。足手まといの君はもう追放だよ」

「……え、でも」


リーダーの告げた言葉に俺は言い返すことが出来なかった。


突然の出来事に、魔法使いの彼女と弓使いの男は暗く絶望の表情で酷く震えていた。


「いい加減にしてよ! も、元はといえばヒロアキ……あんたのせいでこうなったんじゃないの。責任を取って顔面一発殴らせなさいよ!! それが無理なら、さっさと消えてちょうだい」


 当然だろう、俺の不注意だった。つまずいてまんまと魔物の仕掛けた罠にハマらなければあの惨劇は回避できたかもしれない。俺が回復術師の少女を殺したのだから。


あの時、狼の魔物の群れに襲われている回復術師の光景がフラッシュバックした。


死んでしまった。鋭く尖った牙に貫かれ回復術師の少女は殺されてしまった目を見開き、驚いたような顔で死んでいる少女の姿が脳裏に焼き付いて離れない。責任は俺にある。


――そう、原因はなんであれ彼女は俺が殺してしまったのと同じだ。


生き残った他の冒険者メンバーたちは何か言いたそうだったが、それを遮ったのは弓使いシーフの男だった。


「人の話しきいてますかヒロアキさん! あなた、自分が足を引っ張ってるという自覚はありますか?」


「……すまない」


冒険者ギルドの受け付嬢さんが飲み物を持ってきてくれた。


しかし弓使いの男はヒロアキの返答を聞いて怒りが頂点に達したのか水の入ったコップを思いっきり力をいれてテーブルに叩きつける。


弓使いの男は顔を怒りで真っ赤にさせてヒロアキに怒鳴りつける。


「あんたが敵の仕掛けた罠にハマらなければ、未然に防げた事態なんだよ……だから、あんたにも責任があるだろうが!」


なにも言い返すことが出来なかった。


シーフの男の言う通りだ、俺がうっかり罠にハマらなければこんなことにはならなかったんだ。


「――あんたみたいな役立たずはパーティーにいらないんだよ、今すぐ出ていけよ!」

「………」


受付嬢の女性は心配そうにヒロアキを見つめている。俺は回復術師の少女を殺したという事実が重く圧し掛かり、黙って立ち上がった。



「ヒロアキさん。あなたは彼女が襲われている時、何をしていたか覚えていますか?他のメンバーは怖くても必死に魔物に立ち向かい、武器や魔法で回復術師さんを助けようとしながら出口へと向かいました」


「……」


「ですがあなたは、自分だけ助かろうと一人でダンジョンの出口の方向へ走って逃げて行ってしまったじゃあないですか!僕の言っていること間違ってますかね?」


彼はヒロアキに怒りをぶつける。……ただ、自分の命が惜しくて逃げてしまったんだ。何も言い返せない。


怒りの表情に満ちたリーダーのアッシュが近いてきて、ヒロアキへ腹パンをくらわせてきた。


「……ぐ、グッ!」


 衝撃と共に、ヒロアキは壁に吹き飛ばされて地面に打ち付けられる。リーダーの男はヒロアキの胸倉を掴みながら怒りの表情で睨みつけ、


「彼女は怖かっただろう、苦しかっただろう。回復術師の彼女が最後に言った言葉を覚えているか?誰か助けて…。だった」


 剣士の男は倒れているヒロアキへ何度も何度も、何発も蹴りをいれる。仲間を失った悲しみや憎しみが込められていた。


 しかし、ヒロアキはやり返したりしてやろうとは思わない。彼は反撃の手は一切出さなかった。


「冒険者チームの一員として……」


「仲間を見捨て逃げ出したお前に渡す報酬はない。お前の行為は裏切りと殺人だ!殺人犯が気安く冒険者を語るな!!」


 その目は、まるでゴミでも見るような冷たい視線だった。


 ――このパーティーは、もう俺の知っているチームじゃないことを悟る。


 あの当時……回復術師の少女が襲われていた場面でヒロアキが、それに気がついた時にはもう手遅れだった。


 今思えば、ギルドの職員やほかの冒険者が何か言ってきそうなものだが誰一人ヒロアキに声をかけることはない。


 彼女が死にそうな時に俺はなにをしていたか……? 立ち尽くしながら恐怖で震えていたんだ、何も出来ずただ呆然としているだけだった。そして気がついた時にはもう遅かった。回復術師の少女はもう息を引き取った後だった。

その後のことはよく覚えていない、とにかく無我夢中でダンジョンから逃げ出したことだけは覚えている。


 もし、タイミングが違っていたら


 運命が変わっていたかもしれない――、



『取り返しがつかないことになってしまった……』


 ヒロアキは心の中でそう言って深く絶望した。これがいわゆる『詰んだ』という状態なのだろうか。もし時間を巻き戻すことができたなら、どんなにいいか……そう思った。


これからどうやっていけばいい――、



どうしたらいいか自分ではわからなかった。



ボタンの掛け違いで、


 まさかこんな大変なことになるなんて思ってなかった。どうして……。


「――――っ!?」


 激昂したアッシュは鞘から剣を抜いてヒロアキの喉元の近くまで突き立て、


「本来ならヒロアキ……お前は王都の兵士に突き出して、王様に裁いてもらおうと思っていたがやめだ。返答次第では今ここで――」


 青年の言葉を途中で遮るように、重苦しい空気が漂う空間を女性の怒号が切り裂く。


ヒロアキを庇ってくれたのはギルドの受付嬢さんだった。


「やめてください! お気持ちはとても痛いほどわかります。けど、もう十分でしょう。他の冒険者の方々もギルドを利用してるんですよ? ……迷惑です。余所でやってください」


受付嬢にそう一喝されると、突き立てていた剣をアッシュは鞘へ収める。


「しかしですね。彼は大切な仲間を……」

「ヒロアキさん一人に責任をすべて擦り付けるのはおかしいと思いませんか? あなた方も彼と同じ状況ならそうするしかないはずです。私は多くの冒険者を間近で見て接してきました。最初は誰だって初心者なんです! あなた達もそうだった頃が……あるんじゃあないんですか?」


 受付嬢に叱責されると、アッシュはバツの悪そうな表情になった。


 直接的な原因でないとはいえ、ヒロアキが招いたことは確かに許されないことだと自覚している。


「でもヒロアキの行為は殺人に等しいはず、裁かれるべきだ!」


「そんなことをすれば一緒にいたあなた方も、裁かれてしまう対象になるのでは? 結果的には助けられませんでしたが、それはとても悔しくて悲しいことだとは思います」

「……」


「大切な人を亡くされた気持ちは、私にも痛いほどわかります。……ですがアッシュさんは先程、ヒロアキさんをその武器で手に掛けようとしました。――それで回復術師さんが喜ぶとでも思っているのでしょうか?」


含みの説得力のある彼女の一言に、アッシュは言葉を詰まらせる。少し冷静になったのか、再度抜こうとしていた剣を鞘に収めて俯いた。


ギルド施設内に居た他の冒険者たちが一斉に受付嬢に賛同するかのように野次を飛ばし、


「お嬢さんの言う通りだ!」

「責任を一方だけに押し付けるんじゃねぇぞ」

「そうだ!そうだ」



冒険者たちの怒りの野次が飛び交う中、アッシュは下を向いたまま何も言葉を発しなかった。そして、彼を含めた3人の冒険者たちは静かにギルドから出て行こうとする。


「――ミアケ・ヒロアキ。その報いは、いつか必ずお前に向けて跳ね返ってくるからな!……これは呪いだよ」


去り際に、アッシュはそう言い残していく。ヒロアキは、何も言い返すことが出来なかった。ほんとうに、冒険者たちはギルドから出て行った。


受付嬢の女性は、ヒロアキを心配そうな眼差しで見つめると……


――もうこれ以上、ここに居ても辛いだけですよ? と優しく声をかけてくれた。


後悔と反省の気持ちでヒロアキは胸が張り裂けてしまいそうになった。俺はとんでもないことをしてしまったんだ……と。


ギルドで一部始終を見守っていた冒険者たちだったが、リーダーがいなくなると怒りの矛を収めていった。


「あの、ヒロアキさん……。大丈夫ですか」


「ありがとう」


身体は傷だらけになり、ヒロアキの膝からは血が滲んでいる。受付のお嬢さんは前屈になってしゃがむと、持っていたハンカチで出血した箇所を止血して拭ってくれた。


「初仕事でしたね……お気持ちお察しいたします」


「ごめん。君は関係ないのに、俺のせいで巻き込んでしまって」


周りに指示を彼女は出すと、近くにいた他の冒険者数名に肩を貸してもらいながら身体を起こしてもらった。


「……あの」


「気にしないで。特別に無償で宿を手配いたしますので今日は泊まって傷を癒やしてください」


※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 冒険者ギルドから出ると、空はすっかり暗くなっていた。街の灯りはポツポツとついているが昼間と比べると随分と暗い印象を受ける。


 頭を抱えるヒロアキは今日の出来事を振り返っていた……。間接的とはいえ一人の人間を殺したのだ、アッシュの言う通りに本当に許されない行為だ。俺はこれからどうしたらいいのだろうか?


やさしい人に肩を貸してもらいながら手配された宿泊する宿の前までたどり着く。


三階建ての簡素な造りで、今回に限り宿代は無料サービスがされており冒険者にとっては非常にありがたい場所だ。あとでギルドの受付嬢さんに御礼を言わないといけない。

宿の従業員から、宿泊する部屋の中へ案内されると……ヒロアキはベッドへ倒れるようにしてうずくまった。


「う、うぅ……」


さすが異世界で調合された治療薬、かなり深いダメージじゃなければかすり傷程度なら数時間の内に傷が塞がるだろう。


アッシュたちに言われた言葉が脳裏に焼き付いて離れない……俺はなんてことをしてしまったんだと罪悪感に襲われた。


脳に刻まれたあの絶望的な光景が何回もフラッシュバックしてしまう。回復術師の少女を救ってやれなかったという後悔の念にかられそうになる。


なんでいつも……いつも俺のやることは空回りして上手くいかないんだよ!


昔っからそうだ、運動会では一等賞目前で抜かされ二位。修学旅行の時なんかは風を引いて高熱が出てしまい欠席になる。学校で付いたあだ名はクソ虫、登校しては毎日のようにいじめを受けていた。


給食の時も、ホームルームでも一人ぼっち……何をやっても駄目な人生だ。


 ――そうだ、ダンジョン脱出用に事前にロープを支給されていたんだっけ。


 いっそのこと自殺してしまおうか、その方が楽になれる。


 ロープをカーテンレールの空いている箇所へ引っ掛けて首が収まる大きさの輪を作った。


自殺してしまえばあの悲惨な光景、自分の犯した罪を忘れることが出来て全てが楽になるだろう、そんな考えが頭の中をよぎる。


「華やかな異世界生活は一瞬で終わった……」


きっと次の日には仲間を見殺しにしたクズ冒険者としてのレッテルを貼られてこの異世界ドラグニアで生きていくことになる。




元居た世界、日本ではいじめられたり虐げられてきた……しょうもない人生だったが、この異世界でなら脱却してやり直せるだろうと、自分の捻くれた性格から変われるんじゃないか。新しい自分として生きていけるそんな甘い考えでいた。



 かわいい彼女を作ってデートしたり大勢の部下を従えて慕われて英雄として語り継がれる勇者的なのに成りたかったなあ……。



しかし、その思いは儚くも砕け散る。


死んでしまったら何もかも終わってしまう、自殺するのはやっぱり怖い。




痛いのも嫌だ。やり残したこともたくさんある。


母さん、父さんごめん。もうどうでもいいや。そんなことを考えていると気づけば日が登って朝になっていた。


吊るしたロープに首をかけて体重を乗せた瞬間、俺の意識は何かに吸い込まれるように遠くなる。



 ――急速に意識が遠のいてゆく、そんな感覚に突然襲われた。

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