第43話 素直な気持ちで


 フェルデリファ国を震撼させた事件を無事解決したルイスは、急いで貴賓室に向かっていた。

 時間はもう深夜になり日も変わってしまった。

 リディアナに大事な話があると約束していたが、事件の後処理に追われこんな時間になってしまった。

 リディアナには貴賓室で待ってもらっていたが、こんな遅い時間では休んでしまったかもしれない。

 君主としてこういう時に個人よりも国を優先しなければならないことに不便を感じる。

 しかし貴族の集まるパーティーで派手に犯人を捕らえたのだ。会場の混乱を収めるのに時間がかかっても仕方なかった。

 大々的に犯人を捕らえたことで、エルドラント侯爵家の名誉はすぐにでも回復するだろう。

 そうすればリディアナとの結婚も――。


「ハァ……」


 思わずため息が零れた。

 違うな。条件は揃っても彼女が結婚を承諾しなければそんな未来はやって来ない。

 急いで向かっていた足が速度を緩め、護衛の騎士が心配そうに様子を窺った。


「やはり休まれた方が……」


 毒を飲んだルイスはトマスに再三健康診断をされ、もう無理はするなと忠告された。事情を知る騎士たちはルイスを心配し気遣っていた。


「いや。リディアナの元へ向かう」


 もう逃げないと決めた。

 腹を括って貴賓室へと向かった。



 ルイスが到着すると、扉の前で警護する騎士が一瞬まずいという顔をした。


「ごほんごほん! 陛下がご到着です!」

「?」


 扉の前には近衛騎士が一人。リディアナ付きの護衛も先に向かわせたネッドもいない。

 ルイスは眉間の皺を深く刻んだ。きっと中でルイスを不快にするものがあるのだろう。

 大股で扉に近づき勢いよく扉を開けた。


「!」


 中では先程まで楽しそうにお茶を飲んでいたであろうリディアナと、慌てて立ち上がるが口の中に大量のビスケットを頬張っているアルバート、ネッドがいて、護衛やメイド達も慌てて居住まいを正した。

 さては私が忙しく働いている間にリディアナと楽しく談笑していたな!?


「……こんな夜中によく食べられるものだ」

「へ、陛下」


 ごくん、と大きく喉を鳴らし、気まずそうに返事をするアルバート。ルイスは威圧的に腕を組んで見下ろした。


「聞いたか? 君は今日付けで正式に私の側近となった。それなのに私が働いている間も優雅にお茶とは随分だな」


 アルバートは残りのビスケットを飲み込み反論する。


「国王付きですか? 私は〝王妃付き〟を希望していたと思うのですが」

「王妃はまだ空席なのだから無理だろう。それに私が、それを、お前に許すと思うか?」

「……心の狭い男は嫌われますよ」

「何か言ったか?」

「いいえ何も。大変光栄で名誉な仕事に就けて幸せです! 早く陛下の疑いが解けるよう明日から――いや今日か。今日から誠心誠意努めさせていただきます!」


 居住まいを正すと優雅にお辞儀をし、リディアナの方を振り返った。


「陛下もいらっしゃったことですし私共はこれにて失礼いたします」

「え、もう行っちゃうの?」


 アルバートはにこりと微笑む。


「もう一人の妹も心配だからな。隠していたこれまでの件を叱られに帰るわ。それに今度こそ邪魔したら牢獄に入れられそうだ」

「……アル」

「ん?」

「色々とありがとう。あまり城下で遊んでは駄目よ」

「ハハ。お前はもっと素直になれよ!」

「私達も失礼いたします」


 アルバートに続いてネッド達も退出していく。

 部屋に残されたのはルイスとリディアナのみとなった。


 リディアナは席を立ちルイスを出迎えた。


「ルイス様お身体はどうですか?」

「大丈夫だ」


 そういうルイスだが疲労までは隠しきれないようで、ソファに深く座り込んでいる。


「父やレイニーの件にお力添えをいただきありがとうございました」


 リディアナは座らずルイスの側で頭を下げた。


「礼を言うのはこちらだ。君達のおかげで事件を解決出来た。後程アルバートとトマスには報奨を与えるつもりだ。君には表立って何かを与えるわけにはいかないが、本当に感謝している。二年もの間苦労をかけた」

「いいえ」


 ルイスが心配するような苦労はリディアナにとっては些末な事だ。

 ルイスは遠慮がちにリディアナの手を取った。


「平気か?」


 今日はたくさんのことがあった。気遣うように訊ねられる。

 リディアナは大丈夫だと頷いた。見上げる紫紺色の瞳に安堵で胸が詰まる。


「私はなんとも。それよりもルイス様が無事でよかったです」


 愛する人を目の前で失いかけた。その時の恐怖を思い出して涙が滲む。

 ルイスをもっと感じていたくて、リディアナはもう片方の手も添えて包むように握りしめた。ルイスの無事を神に感謝するように額を添えた。

 予想外な反応にルイスは一瞬驚いた顔をした後、勢いよく立ち上がった。後ろによろめいたリディアナの腰を支えるようにルイスの手が添えられる。見上げる形で見つめ合った。


「……リディ」


 ルイスの瞳には熱が、握られる手には力がこもっていた。


「っ私は君をーー」

「リディアナー!」


 バタン! と扉が大きく開かれる。


「サラ!?」


 リディアナの名を呼んだのは親友のサラだった。

 サラは頬を紅潮させ、リディアナの姿を見つけると飛ぶように駆け出した。リディアナも二年ぶりの親友に向かって走り出し、真ん中の距離で抱き合った。


「リディアナ!」

「サラ!」

「……」


 はずみでリディアナに思い切り投げ飛ばされたルイス。ソファで態勢を崩したまま固まっていた。


「陛下申し訳ございません!」

「止められませんでした!」

「兄上本当に本当にすみません!」


 開け放たれた扉の向こうで、ソレスとアルバートとネッドがルイスに同情した。


「よかった! 無事で! 本当に!」

「心配をかけたよね。ごめんなさい。何も言わずにいなくなって……」

「ううん分かっているわ。陛下のためよね。自ら解決しに行くなんてリディアナらしいわ!」

「サラ少し落ち着こう」


 ソレスがやってきてサラの肩に手を添えた。リディアナから引き剥がし胸元へと抱き寄せる。二人の距離が近すぎやしないかと目を瞠った。


「気持ちは分かるけど陛下のことも考えて差し上げないと。あれでは可哀そうだよ」

「あ、ごめんなさい。私ったらつい……」


 『あれ』と言われたルイスはソファに倒れ込んでいて、気づいたサラが謝る。そのままソレスに体を預けた。


「迎えの用意をさせるから少し話したら帰るんだぞ」


 ネッドとアルバートが退出していき、そのあまりにも自然な様子にリディアナだけ取り残されたようなきもちになった。


「あの、サラとソレス様って……」


 二人の親密な様子にどういうことかと訊ねるリディアナ。逆に二人から不思議な顔をされた。


「……え? あ! ええ!?」


 そこでようやく一つの可能性を導きだした。


「も、もしかしてサラの好きな人って……ルイス様じゃなくてソレス様!?」


「「「え?」」」


 しん――と静まり返った室内に、なんとも言えない微妙な空気が流れた。

 倒れていたルイスが勢いよく立ち上がる。


「言っておくがな!! この二人は! 最初から! 恋人同士だぞ!!」

「兄上!」


 勢いよく立ち上がって叫ぶものだから頭に血が上ってルイスは再びソファに倒れ込んでしまう。ソレスが心配して駆け寄った。

 とんでもない勘違いに気付いたリディアナは口をおさえて狼狽えた。


「ごめんなさい! もしかしたら私、ソレス様の名前を出していなかった!?」


 リディアナは口を押さえたままこくこくと頷いた。


「そういうことか……。リディアナ、婚約者選定の当時、陛下には僕達の仲を取り持っていただいていたんだよ」


 ソレスとサラは頭を抱えて謝った。

 自分が大きな勘違いをしていたことに気付き眩暈がした。

 ああ、なんてこと!

 サラは好きな人を『殿下』と敬称で呼んでいた。ソレスの敬称でもあるのにルイスと決めつけ、早とちりしたリディアナにも非はあった。


「私もよく確認しなかったから。あなたとルイス様の話を聞けなくてーー」


 口にした後にハッとして再び押さえる。

 あの頃、無自覚だったがルイスとサラの恋話を聞きたくなくて避けていたところがあった。

 顔を青くしたり赤くしたりするリディアナに、サラは嬉しそうだ。


「そんなに前からルイス様に惹かれていたなんて気づかなかったわ」


 余計なことを言うサラを止めようと慌てるリディアナ。


「ああなんて素敵なの! 親友は無事に帰ってくるし恋は実るし。もし私達が結婚したらリディアナと私は姉妹になれるのよね! ね!」

「サラ!」

「リディアナと家族になれるなんて夢みたい!」


 それは気が早すぎる!

 焦るリディアナを置いて興奮するサラを宥めるため、ソレスが後ろから肩を掴んだ。


「君はリディアナと姉妹になりたくて僕と結婚するの?」


 サラはソレスを振り仰いで口を尖らせた。


「あら、もちろんソレス様をお慕いしているからですわ」

「それならよかった」

「私、あなたに別れを告げられてもずっと一人でおりましたのよ」


 サラは心外そうに続ける。


「私が生涯愛する方はソレス様。あなただけですもの」


 サラの甘い言葉に、ソレスも瞳に熱を込めて向き直った。


「分かっているよ。君を突き放しておきながら誰にも渡したくはなかった。他の男との婚約を棒に振るう君に、勝手だけど安堵していた」

「ええ。あなたが私をもらってくれないなら一生独身でいるつもりでしたもの。だからもうご自身の体調の事で私を突き放すのはやめてください」


 サラはうっすらとその瞳を濡らした。


「どんなことになっても、私を幸せにできるのはあなた以外にいないのだから……」


 目を閉じるサラの瞳から、ソレスが涙を指ですくった。


「僕はこんな体だけど、命が続く限り君を愛すると誓うよ。だからサラ。僕と結婚してくれ」


 それは、甘く切ないプロポーズ。

 サラは嬉しそうにほころんだ顔で頷いた。


「はい。もちろん一生お側におりますわ!」


 そして抱き合う二人。

 親友の幸せな姿に立ち会えて、リディアナも感動で涙が止まらなかった。


「それを! 今ここで! 私の前でやるか!?」


 せっかくの雰囲気をぶち壊したルイスは、「お前達のおかげでいらぬ誤解を受けたのだぞ!」とまだ怒り心頭だ。


「続きは他所でやれ!」


 ルイスに追い出されそうになっても二人は楽しそうだ。


「リディアナ。前に僕があなたの気持ちが分かると言ったのを覚えていますか?」

「! ……はい」


 ルイスと喧嘩をして庭園でいたところへ、心配したソレスが追いかけてきてくれた。


「相手の幸せを考えて身を引いたあなたの気持ちも、その後の身を割くような苦しみも、僕は体験した。しかし同時に兄上の苦しみも理解してしまったのです。一方的に別れを告げられた相手はどう思うのか。あなたを失ってからの陛下を間近に見て、私が間違っていたと気付きました。相手の気持ちも幸せも、勝手に決めつけていたのです。相手も同じように傷つき苦しんでいたことを知っておいてください。私はあなた達のおかげで、大事な人を失わずにすみました。ありがとう」


 サラも大きく頷きながら頭を下げた。


「それから兄上も。こんな情けない弟を見捨てずにいてくださり感謝します」

「感謝などいらないからとっとと出ていけ。明日からもこれからも、こき使ってやるから覚悟しておけ」


 ルイスの素っ気ない態度にもソレスへの愛情が感じられて、三人は互いに見合って微笑んだ。

 それからサラとは後日ゆっくり会う約束をして、二人は部屋を後にした。


 残されたルイスとリディアナは、どちらからともなく視線を合わせた。


「ごめんなさい。私、勘違いをしていたようで……」

「全くだ。私がサラを想っているだと!? 馬鹿な! 私はずっと君を――」


 一瞬先に続く言葉を続けるか迷ったルイスだが、拳を握って息を吸った。

 向かい合う時が来た。

 もう逃げないと、勇気を出せと己を奮い立たせて口を開いた。


「っ私は君をーー」

「陛下ー!」


 再び扉が大きく開け放たれた。


「責任を取りに来ましたぞー!」

「……バルサこのっ狸め!」

「陛下すみません! この人のはただの嫌がらせです」

「ああ分かっている。早々に連れていってくれ」


 アルバートがバルサを回収していく。

 息子に引きずられながらも「素直にならねばいけませんぞ!」とか「早く子供を授かって安心させてください!」とか爆弾発言を続け、その声は閉じられた扉の向こうから暫く続いた。


「ハァ……。落ち着いて話もできない」


 こめかみを押えて盛大にため息をついたルイス。

 本気で頭が痛くなってきた。

 こうも外野がお節介を働いてはこれから本人が気持ちを伝えようとしているのに、既に相手に気持ちが筒抜けである。そこから告白というのも今更な気がしてきた。


「ルイス様?」

「……まあ、いいか」


 体調不良と激務で頭も回らないし、考えるのはやめた。

 ルイスはリディアナを引き寄せると、白金の髪に顔を埋めて強く抱きしめた。


「ど、どうし」

「このまま逃げないで聞いてほしい」

「……逃げませんよ?」


 戸惑いながらもルイスの背に腕を回したリディアナ。驚いて自らその体を離してしまう。

 向かい合って見つめ合う二人に沈黙が下りた。先にリディアナが口を開く。


「……どうしてあの時きちんと伝えてくださらなかったのですか?」


 あの時? リディアナに婚約の意志を伝えたときか。


「勘違いした私も悪かったですが、あれでルイス様に想われていたなんて気づけるわけありませんよ」


 リディアナのもっともな意見にルイスは自嘲気味に笑う。確かに自分は『リディアナの能力を求めている』から結婚するのだと伝えた。今思えばあんまりな話だ。


「君から拒絶されるのが恐かった。君を幸せにする自信がなかったのだ」


 はじめて口にする弱音に伏し目がちになる。そんなルイスの手をリディアナが再び握ってくれた。


「……」


 それが自信となって本音を呟く。


「君を国に縛り付け、自由を奪ってしまうと分かっていても私は君と一緒になりたかった。可笑しいだろう? 一国の王が、たった一人の女性を前に本音も言えず臆病になるのだ」

「それはあなたが王ではなく、一人の男性として私を求めて下さったからでしょう?」

「……そうだ」


 私はこの国の王として君を選んだのではない。


「好きだ。君のことが、好きなんだ」


 あの夜もそう言うべきだった。


「私も好きですよ」


 リディアナの返事に天にも昇る想いなのに、にわかには信じられない自分もいた。


「本当に?」


 もう一度リディアナの口から聞きたくて、問うと頬を赤らめ口を尖らせて横を向いてしまう。

 だがその仕草が可愛らしくて今すぐ抱きしめたい衝動に駆られた。


「私はルイス様が大切だから、守りたかったから勝手に側を離れました。そして再びあなたを守りたい一心で無茶をしました。ルイス様がどんなふうに思うか傷つくか考えようともせずに。だけどルイス様が毒を飲んで、私は死ぬほど後悔し死ぬほど怖かった。また同じ事をされたら耐えられないです」

「それは私も同じだ」

「はい。これから王族になる身として、この命を捨てる覚悟を持ちます。だけど、もしどちらかが生きてどちらかが犠牲になる必要があるなら、今は一緒に死んでもいいかなって思うんです」


 なんてことないように笑って話すリディアナに、ルイスは困った顔をした。

 きっと君の性格ではまた己を犠牲にするのだろう?

 だけど命ある限り共に在ろうと言ってくれた彼女が愛しかった。

 ああ、愛おしいな。

 自分の愛を信じ、同じように愛してくれる。

 やっとリディアナの瞳に映ることが出来た。


「二人で死ぬのは賛成だがもし子供が生まれたらどちらかは生き残らねば」


 例え話に乗っかるルイス。

 守るべきものはこれから増えていくのだから。


「そ、そうですね……結婚するなら、そうなりますよね」


 再び真っ赤になったリディアナは、俯いて手を放そうとするのでルイスは優しく抱き寄せて捕まえた。

 みじろぐリディアナを覗き込んで瞼にキスを落とす。見つめ合い、顔を近づけると戸惑いながらも瞳を閉じて答えてくれた。


「……」


 この可愛い生き物をどうしてくれよう。

 吸い寄せられるように唇を重ねる。はじめてのキスは触れあう程度の軽いもの。しかしルイスは我慢できず、リディアナの頭を両手で包みキスの雨を落とした。

 ぎこちなく戸惑いながらも懸命に答えようとしてくれる姿に愛しさが込み上げる。

 もうしばらくは独り占めしていたくて、バルサには悪いが世継ぎはまだ先でいいなと勝手に決めてしまった。

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