第42話 もう一度紡ぐ友情


 レイニーは待っていた。

 もうすぐ自分を捕まえに来る友を。


  レイニーは城内にある大聖堂の中にいた。

 どうしてそこを選んだのかは分からない。分からないが、静寂と現実からかけ離れた空間は、これから審判の時を待つレイニーにはぴったりな場所だと思った。

 重い扉がゆっくりと開き、振り返るとそこから息を切らした一人の男が現れた。


「アルバート」


 アルバートはレイニーを見つけると、そのまま駆け出し勢いのまま拳を振り上げ思い切り殴った。

 ガタン!

 レイニーは近くにあった椅子と共に投げ飛ばされた。

 直ぐに馬乗りになり胸ぐらを掴まれ起こされる。見上げる形になったアルバートの顔は苦渋で歪んでいた。


「馬鹿野郎っ! どうにもならなかったのか!?」


 何故か殴った方のアルバートが痛そうだ。


「どうにもならなかった。それほど父と伯父は愚かで馬鹿だった」


 アルバートの眉間に皺が寄る。

 その手を剥がし、馬乗りになるアルバートから抜け出した。

 よろりと起き上がり今度はアルバートを見下ろす形になったレイニーの顔は、アルバートと同じように苦しげだ。


「いつから気づいていた?」


 そのまま膝をついて項垂れるアルバートに訊ねる。


「……最初の違和感はカルヴァン邸でリディアナが痺れ薬を盛られた時だ。さっきまで一緒にいたのに、お前なら心配で真っ先に来そうなものをおかしいと思ったんだ」


 リディアナは毒じゃなく、事前にレイニーが入れ替えた痺れ薬を飲んだ。無事だとわかっていたし、彼女に一時でも苦しみを与えてしまった罪悪感で顔を合わせられなかった。


「あえて痺れ薬を使ったのは周囲に危機感を抱かせリディアナの警護を強化させるためだろう?」

「……」

「お前にドミンゴとの養子縁組の話が持ち上がっているのを知って、そういう事かと納得したよ。その後の捜査でお前が事件に関わっていないと知ると安堵した。だけど、父親を捕まえることでお前の人生を台無しにしてしまうんじゃないかと迷った」


 アルバートは俯いて苦し気に語りだす。


「どうすればよかった? 何が正しかった? 俺はどこで間違えた!?」


 自分を責めるアルバートに、レイニーも親友を追い込んだことに心を痛めた。


「君が傷つく必要はない。はじめから違っていたんだ。君と僕は、はじめから……」


 生まれた環境も、家庭も、性格も、出会いも――。

 君にとっては妹みたいなものだっただろうが、僕は違う。僕には、はじめから彼女だけだった。

 だからリディアナを殺そうとしたドミンゴを殺した。

 入れ替えた毒で自殺に見せかけてドミンゴを殺した。

 ドミンゴさえ亡き者にすれば父も馬鹿な望みを捨ててくれると思った。だが父は諦めてはくれなかった。

 大人しくなったと思った矢先、再びリディアナの命を奪おうとした。この人は一生変わらない。リディアナが幸せになるためには、父親も同様に殺すしかなかった。

 でも、出来なかった。

 情けない。こんなに父を嫌悪し憎んでいるというのに、最後まで命を奪うことは出来なかった自分に落胆した。

 だがリディアナを守らなければならない。だから逆賊として父を売った。


「決定的な証拠がなかったんだ。ドミンゴと違ってドルッセンには物的証拠がなく

行き詰まっていた。そんな時、匿名で俺のところに手紙が届いた。中にはドゥナベルト家の帳簿があり、そこにはナパマに送金したドミンゴとの資金の流れが書かれていた。これを送ったのはお前だろう? レイニー」

「……」

「お前は父親を止めたかった。リディアナを守るために」

「違うよアルバート」


 レイニーは少しずつアルバートから距離を取り、突然今までの推理を否定してみせた。


「僕は貴族に向いていなかった。君も知っての通り平民の真似事が趣味で僕の血の半分は卑しい。伯爵夫人からは虐待を受け、窮屈な生活に辟易していた。それなのに今度は王弟の養子になれという。しかも太子を殺して次代の王は僕だと言われた。伯爵家だけでも息が詰まりそうなのに、王族なんてまっぴらだ。もう僕は自由になりたかったんだ」

「違う!」


 アルバートは膝を折ったまま俯いて叫んだ。レイニーは気付かれぬようアルバートから更に距離をとり、入口近くに背を向ける。


「何も違わないよ。僕はドミンゴを殺した。父を止められなかった」

「そうじゃない! お前は――!」


 そう、違う。君の言う通り全てはリディアナを守るため。

 彼女が愛する人と幸せになるため。

 だけどそんなものは彼女が知らなくてもいいことなんだよアルバート。


「はじめから罪はこの身で償うつもりだった。君は僕が全ての罪を認めたと証言してくれ」


 アルバートが驚いた顔を上げたと同時にレイニーも右手を上げた。


「よせ!」


 もう遅い。

 気付いても膝をついてこの距離じゃ止められないだろう?

 レイニーの手には隠し持っていた小瓶が一つ。指で蓋を開け口に付ける。

 これで終わる。全て終わるんだ。

 心は思っていたよりも落ち着いていて、時間だけは長く感じてしまう。走馬灯のように今までの事を思い出した。

 もう一度、叶うならもう一度だけ。

 あの輝く青い瞳に会いたかった。

 目を瞑り、覚悟を決めて一気に口に流し込もうとした――。


「そこまでだ!」


 凛とした声と共に何かがぶつかり、重い衝撃に態勢を崩す。勢いで手の中の小瓶が投げ出されてしまった。

 毒は……レイニーの体に入ることなく空中に吐き出され、小瓶と共に床に叩き落された。


『ガチャン!』

「「リディアナ!」」


 その名に驚いてたった今自分にぶつかってきたものを見下ろす。

 小瓶を持っていた右腕にしっかりしがみついているのは、レイニーが愛して求めてやまない少女だ。


「君と言う人はーー出てくるなと約束したのに!」


 大聖堂に響き渡るその凛とした声で入口に立つ人物が何者か分かってしまう。

 まさか国王自ら捕まえに来るとは思ってもみなかった。


「レイニー=ドゥナベルト。お前には聞きたい事が山ほどある。勝手に死ねると思うな!」


 レイニーは粉々の瓶と零れ落ちた毒をぼんやりと見ていた。

 そうか、自分は失敗してしまったのか。コラルの元へは逝けなかった。

 レイニーの周りを騎士が取り囲む。アルバートも自殺を図った親友を目の当たりにし、憔悴した様子で側にやって来た。

 レイニーは尚も自分の腕にしがみつく少女を見ていた。


「……リディアナ」


 子供のようにレイニーに抱きついて離れようとしないリディアナに困惑する。


「なぜ……」


 何故ここにいるのか。彼女もまた、レイニーの罪を知ってしまったのか。


「なぜ自ら命を絶とうとしたの?」


 リディアナはゆっくりと顔を上げた。その瞳にはなんとも情けない姿の自分が映っていた。


「あなたが死ぬなんて絶対に嫌よ!」


 彼女は震えていた。やがて目からは大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。


「私……、私が――」

「やめろリディアナ。その先は言うべきじゃないって、お前だって分かってるだろう」


 両手で顔を覆って泣くリディアナの肩をぽんと叩き、アルバートが座り込むレイニーに語りかけた。


「お前が死んだらこいつは一生自分を許せなくなるだろう」


 レイニーは思い切り首を横に振った。


「違う! リディアナは関係ない! 僕は養子が嫌で――」

「違わねーよお前はリディアナの幸せを守るために罪を犯した。死んで償おうとした。その結果がリディアナに足枷をはめることになってもいいのか!? お前が死んだら、真実を曖昧にしたら、きっとこいつはもう一生笑えないぞ!」

「!」


 衝撃でレイニーは言葉を失った。


「私の屋敷に手紙を投函したのはレイニーでしょう?」

「……」

「あなたは私に命を狙われているのだと警告してくれた。毒を痺れ薬に変えてくれた。私を守ってくれた」

「……」

「アルバートの言う通り謝らないわ。私を助けてくれてありがとう、レイニー」


 堪えきれずアルバートの腕にしがみついて泣いていた。


「……リディアナ」

「死ぬな、レイニー。生きて罪を償え!」

「……アルバート」


 二人は本気でレイニーを怒っていて、本気でレイニーを心配し、本気で生きて欲しいと望んでいた。

 ふいに、あの陽だまりのような微睡みの中で、三人で過ごした日を思い出す。

 それはもう二度と戻ることのない幸福な時間。だがレイニーは後悔していない。もしまたリディアナに命の危機が迫れば、きっと同じ事を繰り返すだろう。

 確実に、自分の身体にはドゥナベルト家の血が流れていて、父を非難していても結局はレイニーだって自分の望みのために他人の命も顧みない残忍な人間なのだ。

 その行為はリディアナを苦しめると分かっている。


「僕に、生きる価値があるのか?」

「当たり前だ!」「当たり前よ!」


 当然のように即答する二人に、レイニーの目から一筋の涙が頬をつたった。

 全てを背負って死ぬつもりだった。

 罪を犯した愚かな男でも、二人はレイニーが必要だと生きることを願ってくれた。

 手を伸ばし、思い切り二人に抱きつく。返すように二人も力強くレイニーを抱きしめた。


「私はどんなことがあっても私で在り続ける。だからあなたも諦めないで生きて。コラルと私からのお願いよ」

「――っ」


 レイニーはリディアナを抱きしめて大きく頷き、声にはならない返事をした。

 彼女の体温が、優しさが、レイニーの心の奥底に眠った光を呼び戻し闇を祓っていく。


「あ、あぁやばいそろそろ離れ――!」


 アルバートが慌てて離れるのと同時に、レイニーの腕から無理やりリディアナが引きはがされた。


「調子に乗るなよ。レイニー=ドゥナベルト」


 低く、凍えるような冷たい怒声に、抱き留められているリディアナ以外引きつった顔になった。


「せっかくお前の減刑を考えていたのにやる気が失せる!」

「え!?」


 リディアナが驚いて振り仰いだ。

 ルイスは固唾を飲む三人を見回し、一拍置いてから告げた。


「そもそもの主犯はドミンゴとお前の父であるドルッセンだ。ドルッセンはその命をもって償うことになるが、お前がドミンゴ殺し以外係わっていないのは調査済みだ。つまりお前の罪は王弟殺しのみ。本来ならば死罪となるがドミンゴは王弟である前に、正当な血筋の私に仇名した逆賊である。お前は私の妃(になる予定)の命を救い、逆賊を成敗したまで。個人的には感謝してもしきれん」


 三人は互いを見合った。

 確かにルイスの言う見方もできると思った。


「しかしドゥナベルト家嫡男として、国を混乱に陥れた責は取ってもらう。ドゥナベルト家は伯爵位を剥奪し、レイニー=ドゥナベルトもその地位を失うこになるだろう。暫くは混乱も収まらないだろうし、自宅で謹慎し事件の聴取が済めば晴れて自由の身だ」

「それって……」 


 つまり、レイニーは国王の婚約者を救った恩恵で減刑され、爵位を剥奪されるだけで済むという。

 リディアナは喜びルイスの首に飛びついた。


「――っな!」


 リディアナが急に抱きついたので慌てふためくルイス。


「あなたって、本当に最高の王様だわ!」


 間近に満面の笑みで見つめられ、ルイスの口は開いたまま固まってしまった。

 リディアナは気にせずルイスから離れると、レイニーの元へ舞い戻った。


「ーーどうしてあいつは平気で抱きつける!? 癖か? 抱き癖か!?」


 残された真っ赤な顔のルイスに、騎士達は同情と哀れみから顔を背けた。



 戻ったリディアナはレイニーの手を取り、明るい声で言った。


「あなたは自由よレイニー!」

「そう……みたいだね。信じられないよ」

「だな。さっきまでの俺の熱い説得の時間を返してほしい。恥ずかしい」

「ハハ。うれしかったよアルバート」


 三人は緊張から解き放たれ、その顔には笑顔が戻っていた。 

 極刑は免れたが、レイニーは爵位を失う。

 その後の生活はきっと自分達が想像するより困難なものだろう。

 そしてそれは三人の、今までの関係に終わりを告げた。


「私ね、夢を見たの。あなたの屋敷の庭で、私はコラルと遊んでいる。あなたはそれを少し離れた場所で描いていた」


 レイニーの肩がピクリと揺れた。


「だけど違うのね。これはあなたの夢だわ。あなたが諦めた夢。そしてこれから見る夢」

「……夢?」

「あーあ。捨てようと思っていたお前の絵、取って置くか。お前が画家として成功すれば高値で売れるもんな」

「画家?」


 二人は当たり前のようにレイニーの未来を語りだす。


「たまには描いた絵を見せに来いよ」

「楽しみにしてる」


 二人の描いた未来に胸がいっぱいになって戸惑う。


「だけど、僕はもう君達とは……」


 爵位もない。会う資格もない。


「何言ってんだよ。たとえ環境や地位が違っても、そんなもの関係ねえよ。そもそも俺達に性別や階級なんて初めからなかっただろう?」


 そうだ。自分で決めた。はじめから違った。違っていても友人になった。


「レイニー待ってる。私達は絶対あなたを待ってる。だから必ず会いに来て」

「――っああ」


 この愛らしい少女の願いを断ることなど自分に出来ようか。

 この子は自分を選びはしない。

 だがそれでいい。

 君が元気で生きてくれるなら、僕はそれを絵の中に書き留めるだけで幸せなのだから。

 レイニーは涙を拭い、晴れやかな笑顔で頷いた。



   ***



 それからレイニー=ドゥナベルトはフェルデリファ国一の画家となる。

 彼の波乱万丈に満ちた人生と、柔らかいタッチで描かれる抽象的な作品は、人々の心を打ちたちまち人気画家として成功していった。

 彼の作品はどれも見る人を柔らかい心地にし、癒しを与えた。

 中でも作品に度々登場する少女と子犬のモチーフは、たくさんの人々に愛された。

 彼が生涯画家として命を全うしたのち、最高傑作と言われる『少女と子犬の戯れ』は、実在するのか否か度々議論されてきた。

 一説によるとその絵は、描かれた少女に恋する高貴な男性が、嫉妬から誰にも見せたくないのだと、城の奥底に閉まってしまったとか、いないとか――。

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