第39話 真の犯人

 

 アルバートは階下に降りて、真犯人の名を群衆の中で聞いていた。

 一度目を閉じて視線を彷徨わす。聴衆の視線を釘付けにしている男ドルッセンではなく、その息子であるレイニーを探した。

 

 扉の近くで成り行きを見ていたレイニー。その表情からは何の感情も読み取れなかった。

 まるで他人事のように、一切の感情を無くし聴衆に違和感なく紛れ込んでいる。驚きもしない姿に、もしかしたらレイニーは父親の凶行に気付いていたのかも知れないと思った。

 レイニーは暫くその場に佇んでいたが、ゆっくり視線を落とすと、静かに背を向けて会場の扉を開き、外へと出ていった。

 気付いた騎士が追いかけようとしたが止めた。せめてこれ以上、父親の醜態を見せたくはなかった。


「……」


 視線を戻し階上を見上げると、リディアナと目が合った。

 リディアナもレイニーの様子を気にかけていた。泣きそうな顔を向けてその背を見送っていた。リディアナが苦し気に目を閉じてまた前を向く姿を、アルバートは階下から眺めていた。

 ドルッセンを断罪すればレイニーの人生を大きく変えてしまう。わかっていても、俺達は友人の父親を捕らえると決めたのだ。


「ここに私を毒から救い出した者がいる」


 ルイスはドルッセンが黒幕だと告げた後、毒から救ってくれた命の恩人を皆に紹介した。


「トマス=エルドラント。ここへ」


 名を呼ばれ、カーテンの奥から姿を表したのは、逃亡中の侯爵本人だった。

 一同は脱獄した男の登場に困惑し、国王の命を救ったと聞いてもにわかには信じられなかった。


「ここまでの経緯を説明してもらう。アルバート」

「! はい」


 ゲストの中から前に出たアルバートが説明を始める。


「私は陛下の密命で国外に脱獄したエルドラント侯爵を追っていました」


 貴族の中でランズベルト小公爵が一年間国外に留学していたのは周知の事実だった。それが実は国王の密命を受けての事だと知り、皆一様に驚きはしたが、宰相の息子とあって発言には説得力があった。


「捜索は一年に及び、やっとのことでナパマという島国で侯爵を捕らえました。侯爵は抵抗することなく素直に捕まり、フェルデリファに連れ帰ることに成功しました」


 アルバートは話を続けた。

 その道中で侯爵に真意を聞いてみたという。

 なぜ侯爵は脱獄をしたのか。抵抗なく素直に捕まったのかと。

 当然無実を訴えると思っていたら、答えは想像とは違っていた。


「侯爵は王妃を死に追いやった毒薬の元を辿り、解毒薬を作るために脱獄をしたというのです」


 侯爵の手には解毒薬が握られていた。ナパマで解毒薬を作る事に成功したので、もう逃げる必要はないと自ら罠にかかった。

 戻っても罪が覆されるわけではないのに、それでも陛下を守るために解毒薬を持ち帰るのだと侯爵は言った。


「私は何も言えなくなりました。侯爵は保身ではなく、再びこの毒で誰かが命を落とすのを防ぐ為に脱獄したのです。侯爵が犯人ならば解毒薬を作る必要はないのではないか。話を聞いて私は侯爵が王妃を毒殺した犯人とは思えなくなりました」


 会場は静まり返りアルバートの話に聞き入っていた。

 ルイスは内心でアルバートの即興の作り話に感心した。トマスの動機自体は嘘ではなかったが、アルバートが脱獄に最初から関わっていたこと、リディアナが共に行動していた事を上手く隠し、違和感なく筋書きを用意してくれた。

 次々と真実が明るみになり、混乱する貴族達のために、ルイスは敢えて皆の反応を待った。


「……そうだ。侯爵のお人柄を考えたならば、今の話の方が私は信じられる」

「しかしルーカス王は……」

「そもそも何故エルドラント侯爵が王妃を毒殺するのだ」

「せっかく娘が婚約者に選ばれたというのに。事件を起こす必要はないのではないか」

「現に陛下を救ったのだから――」


 それぞれが戸惑いと違和感を口にしていく。

 一通り意見を聞き、時系列を理解するのを待ってルイスが答えた。


「リディアナとの婚約を反対する者達によって前国王は誑かされた。病で弱っていた所に嘘を吹き込まれ、誤って侯爵の拘束を命じてしまった。しかし悪いのはルーカス王ではなく、自己の利益のために侯爵を陥れ、王を誑かした者達である」


 ルイスはその卑劣な行為に見合った罰をすでに与えたと説明した。

 ルーカス王も侯爵の件を悔いていた。しかしその過ちを正す前に、病に倒れてしまった。


「私は折を見て侯爵の罪は帳消しにするつもりだった。その前に侯爵が脱獄してしまったのだ。それでも結果的にはトマスのお陰で命を救われた」

「お、恐れながら陛下」


 貴族の中に異を唱える者が出始めた。ルイスはそれも想定済みだった。むしろこちらの正当性を示す上で好都合だった。


「その話を信じるには何も証拠がございません」

「そ、そうです! 毒はやはり侯爵が自ら用意し、解毒薬も本当は一緒に作っていて自作自演という可能性もあるのでは?」


 ドルッセン派の貴族が額に汗を掻きながら疑惑に一石を投じようと試みた。

 すぐにアルバートが反論する。


「お言葉ですが、自分の娘にわざわざ毒を盛る親がどこにいるのです?」

「あ……」


 先程皆の前でリディアナは毒入りのワインを飲むところだった。

 アルバートは続けて一枚の書類を広げて高く掲げた。


「ここにナパマ国王から侯爵宛の感謝状がございます」


『ナパマでは近年、この毒による被害が深刻で死者が多数出て頭を悩ませていた。そこにフェルデリファから来た学者が一年かけて対抗しうる解毒薬を完成させてくれた。彼はその情報を余すところなく我々にも提供してくれた。その崇高な信念に敬意を評し、ナパマは何時如何なる時もトマス=エルドラントの助けに答えよう』


「ナパマ国での毒の最初の犠牲者は今から七年前になります。侯爵がその間にナパマに行った事実はありません。それは彼が近年忙しく王城に出仕していた記録がなによりの証拠です」


 発言を試みた男達は隠れるように後退り、それ以上は誰も何も言わなくなった。


「つまり、エルドラント候爵は無実ということですな。陛下」


 バルサの言葉にルイスも大きく頷いた。


「侯爵には大変な苦労をさせた。夫人にも肩身の狭い想いをさせただろう。今ここで、王族の代表として過去の過ちを認め、謝罪する。申し訳なかったトマス」


 ルイスは親しみを込めて侯爵を下の名前で呼んだ。


「いいえ。陛下は最後まで私の無実を信じ尽力してくださいました。陛下のお力を信じず、勝手に脱獄して世間の疑いを強めたのは私です」


 トマスは謝罪を受け入れ、逆にルイスに感謝を伝えた。


「大変な中にもかかわらず、妻の代理侯爵を認めて頂き、娘のリディアナを田舎に匿い、世間の辛い仕打ちから守ってくださいましたこと、心から感謝申し上げます」


 その『世間の辛い仕打ち』に後ろめたさを感じる人々は一様に俯いてしまった。


「ち、違う! 私ではない!」


 トマスの無実が証明されてしまい、一気に窮地に立たされたドルッセン。焦って無実を声高に訴えた。

 しかし会場には誰一人として擁護する者はいなかった。


「ああ、たしかに少し言い方を間違えてしまったな。正しくは、お前も犯人の一人ということだ。ドゥナベルト」

「!」


 ドルッセンが唇を噛み、ぶるぶると弛んだ腹を震わせた。


「陛下、それはどういうことですかな? ドゥナベルト伯の他にも犯人がいると?」


 カルロス=ロンバート伯爵が冷静な声で訊ねた。彼の隣には娘であるマリアーヌが不安そうに父親の袖を掴んでいた。


「ああ。ドゥナベルト伯の共犯として犯人がもう一人いる。二年前に亡くなった、王弟ドミンゴだ」


 再び会場がどよめく。驚きよりも早く真実を聞きたいと、一同すぐに静かになって固唾を飲んだ。


「俄かには信じがたいですな……」


 カルロスの疑念に再びアルバートが別の書類を出した。


「こちらは私がナパマへ行った時に調べた資料です。ドミンゴとドゥナベルト伯が共に外交でナパマに滞在した時のものです。予定よりも一週間も長く滞在していましたね。その理由を同行していたロンバート伯爵は何と聞いておりましたか?」

「……たしか、ナパマ国側から新たな貿易の交渉を持ちかけられたと。その交渉が難航し時間がかかっていると記憶している」

「いいえ。実際には交渉などありませんでした」

「なんだと!?」

「ドミンゴはあなたに説明した内容とは別の理由を国に報告しています。悪天候だから滞在が長引いたと嘘の報告をしたのです。しかし当時のナパマ国の気候は穏やかで晴れの日が続いています」


 書類を確認したカルロスがため息を付いた後、呆れた顔でドルッセンを見下ろした。


「お前も加担していたのか」

「ち、違うのだ!」

「ここに王弟ドミンゴと闇組織の密売契約書があります」

「な、なぜそれを!?」


 ドミンゴが慌てて取り上げようと立ち上がるが、足がもつれて転んでしまった。


「ドミンゴはナパマでトカトリスという毒薬を買っています。こちらを陛下に証拠の品として提出いたします」


 アルバートが階段を登り、バルサに証拠の書類を渡した。

 次にバルサが前に出て、「当時は事情があり、皆に臥せていた話がある。陛下、よろしいでしょうか」と発言の許可を求めた。ルイスが頷いて先を促す。


「マーガレット王妃の毒殺だが、実は王妃は陛下の王太子殿下時代の私室でお亡くなりになった」


 これ以上に驚くことがあるのか。人は何度も驚くと黙り込んでしまうらしい。


「母は私に出された菓子を口にして亡くなった。あの時母が訪ねて来なければ、命を落としていたのは私だった」


 沈痛な告白に会場も悲しみに包まれる。


「あの日、陛下の元へ運ばれる菓子に細工をしたのはドミンゴの従者だった。更にその者は婚約の決まったリディアナ様にも痺れ薬を盛った」

「私と侯爵も側におりましたが大事には至らずよかったです」

「毒殺の命を受けていたにも係わらず、薬を誤り計画が失敗したことで従者もまたドミンゴに毒殺された」


 生々しい犯行の話に悲鳴のような声が出始めた。


「つまり王弟ドミンゴは正当な後継者である陛下を殺害しようとした逆賊である」


 人の数とは比例しない静寂。一同話について行くのでいっぱいだった。


「私は、か、関係ないではないか! 全てドミンゴの仕業だ! 私ではない!」


 静寂を破ったのはドルッセン。それをアルバートが糾弾する。


「いいえ。確かにここまでの主犯はドミンゴだったかもしれない。しかしあなたが協力者だったのは間違いありません。ここにドミンゴの資金の流れがわかる書類があります。ドミンゴは多額の金をあなたに送金していた。そして……こちらがドゥナベルト家の資金の帳簿です。そのままの額を、あなたはナパマ国に送っている」

「な! 何故貴様がそれを……!」


 これにはルイス達も驚いた。アルバートはいつの間にそんな証拠を掴んでいたのか。


「ドゥナベルト伯爵。もう言い逃れは出来ませんよ。あなたは王妃殺害に関与し、仲違いしたドミンゴを毒殺した。そして陛下の婚約者であるリディアナ様を毒殺しようとし、父親のエルドラント侯爵に罪を擦り付けた!」

「ち、違う! 私は何も――」

「ドルッセン=ドゥナベルトをこの国の王である私に毒を盛った現行犯で捕らえよ!」


 取り囲む騎士に絶叫しながらドミンゴは逃げ回り、床に顔を押さえつけられた。


「へ、陛下!」


 騒然とする中で二人の女性が前に出てルイスの前に跪いた。


「どうか私達に慈悲を! 私は何も知らなかったのです! 夫がこんな恐ろしい事をしたとは知りませんでした!」


 真っ赤なドレスを着たふくよかな壮年の女性は、ドゥナベルト伯爵夫人だった。


「陛下! 私は陛下をお慕い致しております! どうか、どうか慈悲を……!」


 その隣で涙を流しながら震えている少女は、娘のルディア。

 尚も顔を床に押さえつけられたままのドルッセンは、妻子を見ようと懸命に頭を動かしていた。


「すぐにあんな男とは離縁いたします。ですから私達だけでも!」

「お前達! 私を見捨てるのか!」

「黙っていてください!」

「……」


 ここにレイニーがいなくて良かったと、心の底からリディアナは思った。

 妻と娘の裏切りに、さすがのドルッセンも抵抗をやめて項垂れていた。もうこれ以上見ていられなくて、リディアナは苦しげに視線を外した。


「陛下がお言葉をかけるほどの者達ではございません。近衛騎士よ! 見苦しいこの者達も一緒に捕らえよ! 即刻ここから立ち去れ!」


 ソレスがルイスの代わりに騎士に命じ、二人は両脇を抱えられ連行された。


「陛下ぁぁぁぁ!!」


 断末魔の叫びに他の貴族は一様に汚らしいものを見るような目で追いやった。

 ルイスが小さく息を吐いたのを隣のリディアナだけが気付いた。よく見れば額にも汗が滲んでいて、彼が無理をしているのがわかった。

 もう無理はさせられないと声をかけようとした、その時だった。


「ちがう……私ではない……本当だ……私ではないのだ」


 尚もぶつぶつと呟くドルッセンの異様な雰囲気に、ルイスに手をかけようとしたリディアナも思わず振り返った。

 最後の力で騎士の抑えを振りほどき、ドルッセンは叫んだ。


「私は! 確かにドミンゴの手助けをした! トマスを嵌めてリディアナを殺そうとした! だが、だがドミンゴを殺したのは私ではない! なぜ私がドミンゴを殺さなければならない! ドミンゴが王位に就けば私は宰相になれた! 宰相になれたのに! あいつは死んだ! 私が知りたいくらいだ! それなのに、なぜ私が……ドミンゴを殺さなければならない……私は……ドミンゴを殺していない……」


 最後の悪あがき。

 会場中が既にドルッセンの犯行だと確信していた。その証拠に一同は蔑むように睨んで追い出そうとしている。

 ルイスも呆れたように騎士に連れ去れと命じた。


「……ふぅ」


 周囲に悟られないよう小さく息を吐いた。

 目の前が霞む。血を吐いたのだ、軽い貧血のようなものだろう。

 もう少しだと己を奮い立たせ額の汗を拭った。

 ルイスの横をリディアナがゆっくりと歩き出した。焦点の合わない目でふらふらと歩き出すリディアナに、ルイスは手を掴んだ。


「リディアナ? どこへ行く」


 全員が囚われの身のドルッセンに注意が向いているというのに、リディアナだけは逆の、別の場所を見つめていた。


「……リディアナ?」


 様子がおかしい。


「どうした――」

「っアル!」


 叫ぶなり駆け出して階段の手摺に手をかけたリディアナ。それをルイスが必死に止める。

 視線の先にはアルバートが今まさに外へ続く扉に手をかけ出て行くところだった。


「アル待って! 私も行くわ!」


 しかしアルバートは聞こえないのか振り返らず会場を飛び出してしまう。

 「アル!」と、尚も叫ぶリディアナの肩を掴み、夢中でカーテンの中へ引き入れた。


「駄目だ! 君は行くな!」


 リディアナは尚もルイスの腕を振りほどこうと藻掻いている。


「ネッド、アルバートを追え! ソレス、バルサ、後は任せる!」


 様子を見に来た三人は、ルイスの指示に内心の戸惑いを顔には出さず直ぐに動いた。

 リディアナは床に崩れ落ち、放心した状態で涙をぽろぽろと床に落とした。

 尋常じゃない様子にルイスは膝をつくと、胸に抱き寄せ背中を優しく撫でた。

 リディアナは肩を上下に揺らし泣き出した。


「私がっ、私のせいで――」


 嗚咽交じりの声で子供のように泣きじゃくる。


「痺れ薬に変わってた。私を、助けようとしたから――」

「!」

「伯爵が本当にドミンゴを殺していないなら、私をっ、私を守ろうと殺したのかもしれない……!」


 行きついた真実にリディアナは泣き崩れる。

 そして顔を上げ、ルイスに懇願した。


「アルにはきっと確信があった。だから行ったのです。ルイス様お願いします。私も、私も行かなければ」

「駄目だ」

「ルイス様!」

「トマスをここに呼んでくれ。彼らの元へは私が行く」


 縋るリディアナを無理やり引き離し、決心が鈍らぬよう立ち上がった。

 もしリディアナの考える通りならば――。


「近衛騎士は私と共に来い」


 呼び止めるリディアナの声に耳を塞ぎ、額から出る汗を腕で乱暴に拭った。

 これで本当に最後だと、ルイスは会場を抜け出した。


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