第38話 毒に倒れた者


 男はそろそろ時間かと時計を眺めた。

 外せない仕事があると今夜のパーティーは事前に欠席と伝えていた。

 名代として息子をパーティーに行かせ、自分は執務室で時間になるのを待っていた。

 椅子に深く腰かけ、満足げに紅茶をすする。

 はじめから外せない仕事などない。違う意味での『外せない仕事』はあるが、とほくそ笑む。


「これで忌々しいエルドラントも終わりだ」


 もうすぐリディアナが毒を盛られたと騎士から知らせを受けるだろう。

 トマスの失脚のお陰で現医薬大臣となった自分が呼ばれるのも必然である。

 元々私はエルドラント父娘を嫌っていた。

 トマスという男は男爵家の次男で、結婚相手に侯爵家の令嬢をものにしたから身分にそぐわない地位を得た。

 自分があんな田舎出の奴の下になるのは酷く自尊心を傷つけられた。奴の存在は常に目障りだった。

 その娘も世間知らずで品性の欠片もないときた。

 それなのに、トマスは前国王からの信頼が厚く、娘は陛下の婚約者に選ばれた。

 陛下に見初められなかった己の娘を罵り、本来あるべき姿に戻すべく計画を実行した。


 二年前、小物達を焚き付けて前国王からトマスの信頼を奪った。

 うまく罪人に仕立て上げ噂を広めると、噂好きの貴族は飛びつき国民も味方につけて国中の賛同を得た。

 結果、トマスは脱獄し娘は失踪した。

 これでルイス国王も目を覚まされると思った。それなのに、陛下がこの婚約を反故にすることはなかった。

 何度も何度も進言した。それでも聞き入れてはくれず、予定は狂っていく。

 このままでは今以上の地位と名誉が得られない。

 それならばと、お元気になられたソレス王弟殿下の元へ息子を送り、陛下亡き後の保険としてこちらにもコネを作っておいた。


 それは偶然だった。

 仕事の帰り道、宰相バルサと息子の立ち話を聞いた。

 その内容は、陛下の元へリディアナが戻り、次のパーティーで結婚を宣言するというもの。

 慌てた私は物陰に隠れ、二人の会話を盗み聞いた。

 リディアナは既に陛下の私室で匿われており、パーティーにはサプライズで登場して正式な婚約者として王城で暮らす。その時に陛下から祝いの酒が振舞われるので手配をするようにとのことだ。

 話を聞いてすぐさま自宅へ引き返し、隠し金庫の中にある瓶を取り出した。

 もう使うことはないと鍵をかけていたが、再びこの毒を使う時が来たようだ。



 執務室で飲んでいた紅茶を置き、わざとらしく書類や本を撒き散らして仕事をしていた風を装う。

 今度こそあの小娘に成り代わり、我が娘ルディアが次期王妃となるのだ。そして王族に我が血筋を残し、私は次代国王の祖父となって政権を握る。

 あの親子に罪はないが、しいて言えば分不相応の権力を手に入れた罪か、今度こそ奴らの地位全てを私がいただこうではないか。


 どんどん!


 物々しいノックと共に名が呼ばれる。


「大変でございます! 至急お越しください!」


 扉を開けると、そこには騎士ではなく陛下の従者がおり少し驚いた。


「どうしたのだ?」


 わざとらしく訊ねる。


「パーティーで毒を混入されたお方がおります!」


 驚いたふりをし、分かったと返事をして直ぐに部屋を出た。

 背を向けた従者の後ろでバレないようほくそ笑んだ。



   ***



 リディアナはゆっくりとグラスの淵を口につけた。

 腕を持ち上げ一気に流し込む――より先に、何者かにグラスを奪われた。


「!?」 


 リディアナのグラスを奪ったのは、隣りにいたルイスだった。

 グラスの中で揺れる液体をじっと見ながら、怒気を孕んだ声で「まったく……」と呟いた。


「君はお酒が飲めなかったね」

「?」


 一瞬何を言われているのか分らなかった。それでもすぐにグラスを奪われてしまったことに焦った。このままでは計画が水の泡になる。


「それは私の――」


 リディアナがグラスを奪い返そうと手を伸ばす。しかしルイスはグラスに口を付け、一気に中の液体を飲み込んでしまった。


「ルイス様っ!!」


 ガチャン!!


 床にグラスが落ちる。

 リディアナは両手を伸ばし、ぐらりと傾いだルイスを支えようとしたが共に倒れてしまった。

 目の前で起こった出来事にうまく息が吸えず、頭をがんがんと殴られたように眩暈がした。


「どうしてーーだめ、ルイス様っ!」


 腕を突っぱねルイスの上体を起こそうとする。


「グフッ」


 くぐもった声と同時に口から鮮血が飛び散った。


「ルイス様!!」


 ぐったりと項垂れて意識は混濁し、返事がない。


「アル早く来て!!」


 尋常じゃないリディアナの金切り声に階下のゲストも二階に視線を向けた。

 国王の吐血という信じられない光景に、一拍の静寂の後、一人の女性の悲鳴を皮切りに会場中がパニックに陥った。


「カーテンを閉めろ!」


 バルサの一声に我に返った近衛騎士や使用人達がそれぞれに動き出す。


「今医者が行く。関係者以外は陛下に近づくな! 近衛は会場を封鎖し誰一人城から出すな! アルバート急げ!」


 バルサの指示に近衛騎士が押し寄せる人波を押し戻しながら扉を封鎖して行く。


「ああ、ルイス様っ」

 

 先程まで苦しみ悶えていたルイスが突然痙攣を起こし、意識が薄れていく。

 腕の中でどんどん冷たくなっていくルイスに、全身に恐怖が押し寄せた。

 人込みを掻き分けてアルバートとトマス、ソレスが階段を大急ぎで駆け登ってきた。


「兄上!」

「アル早くして!」

「わかってる!」

「皆落ち着きなさい」


 リディアナに代わってソレスがルイスを支えて顔を上げさせる。

 真っ青に衰弱したルイスを抱き起こし、アルバートは小瓶の液体を口に含ませた。


「解毒薬で中和させる。水とタオルを」


 駆け寄ったトマスにリディアナは懇願した。


「お願いお父様助けて! ルイス様を助けてーー!」


 しかしルイスは咳き込み、再び血を吐いて口に含んだ薬の半分も外へ零してしまった。


「くそっ」

「アルバート焦らなくていい。薬はまだある。少量ずつ、呑み込むのを確認して、ゆっくりと。ソレス様、もう少しお顔を持ち上げてこちらに……」


 全部飲んで。お願い。貴方を失ったら私は……!

 祈るようにルイスの両手を握り縋りつく。

 かたかたと小刻みに身体が震え、恐怖で涙が止まらなかった。


「リディアナ様のワインに毒が盛られていた! 陛下が誤ってそれをお飲みになった! 只今処置を施している。皆にはこちらで暫く待機してもらう!」


 閉じられたカーテンの向こうでは、バルサが騒然とする貴族に向けて状況を説明していた。的確に警備に指示を出す。


「では毒はリディアナ様に盛られていたというのか!?」

「陛下はご無事なのか!?」


 バルサの説明で国王が毒を飲んだと知ったゲストに動揺が広がる。皆二年前の王妃の事を思い出したに違いない。

 こんなつもりじゃなかったーー!

 己の過ちに後悔が押し寄せはらはらと涙が零れる。

 リディアナはこのワインに毒が盛られているのを知っていた。犯人を誘導して毒を盛らせた。大勢の前でわざと毒を飲んで、父の無実を証明しようとした。

 解毒薬があったからこそ危険な賭けに乗った。

 もし万が一、生きて戻れなくともルイスの命を脅かす者から守れるなら本望とさえ覚悟した。

 だが、まさか、ルイスが飲んでしまうと誰が予想できただろう。

 解毒薬があるとはいえアルバートも階下で指揮をとるバルサも、予想外の事態に焦り動揺していた。


「ごめんなさい……私のせいだわ」


 後悔が押し寄せ、心臓が鼓動を速め呼吸をするのもままならない。


「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめーー」

「リディ」


 リディアナの頭にそっと手が乗せられる。


「……泣くな」


 愛する人の待ち望んだ声に顔を上げ、目の前の弱々しく浮いた手を両手で掴んだ。


「ルイス様っ」


 泣くなと言われても瞳からは洪水のように涙は溢れるし、視界がぼやけてルイスの顔さえ見えなくなりそうだ。

 嗚咽を溢すリディアナの頬をもう片方の手でそっと撫でる。

 顔色は悪いがルイスは意識を取り戻し、紫紺の瞳でリディアナを優しく見つめていた。


「君が……飲まなくてよかった」


 咳き込むルイスに「無理にしゃべらないで」と慌てて止める。


「……ならば、もう泣くな。もう、謝らなくていいから」

「――っ」


 言いたいことは山ほどあるが、それでルイスが無茶をして答えるようなことにはなって欲しくない。

 口を噤んでルイスの胸元に顔を寄せると、確かめるように心臓の音を確認した。

 弱々しかった鼓動がだんだんと高まっていき、安堵で涙が滲んでいく。

 ルイスはリディアナの背中に手を回し、引き寄せるように抱きしめた。


「ーーっ」


 リディアナも答えるように背中に手を回して抱きついた。


「意識が戻ればもう大丈夫です」


 トマスの言葉に一同ほっと胸を撫で下ろした。


「ああもう、もう! びっくりしましたよ!」


 その場にしゃがみ込むソレスは、髪を思い切りくしゃくしゃにしてわざと下を向いていた。


「心配をかけたな」


 そんなソレスにルイスも素直に謝った。

 あんなに吐血したにも関わらず、数分以内に解毒薬を服用したおかげでルイスの回復は早かった。

 ルイスは皆を安心させるよう見回すと、抱きついているリディアナの背中をぽんぽんと優しく叩いた。


「陛下。ご無事で何よりです」


 階下から戻って来たバルサが、カーテンの中へ入りルイスの様子にほっと息を吐き出す。側に駆け寄り片膝を折って頭を垂れた。


「大変お幸せなところをお邪魔して心苦しいのですが、こうなったら陛下にもご協力いただきます」


 リディアナは皆の前だということを失念していた。バルサの言葉で正気に戻り慌てて体を離す。羞恥で顔が真っ赤になっていた。


「バルサ……。あとで覚えておけよ」


 両手がリディアナの身体を包んでいた格好のまま浮いているルイスに、皆が思わず笑ってしまう。


「お叱りは元より受ける覚悟です。しかしまさか陛下自ら身代わりになるなど、予想もしておりませんでした。このような事態を招き誠に申し訳ございません」


 バルサには珍しく、神妙な面持ちで深々と謝った。


「お前達が何か企んでいたのは気付いていた。毒を飲む計画だったのは直前になって気付いた。リディアナの様子もおかしかったからな。それよりも実行犯は捕らえているのか?」

「はい」


 よし、と頷くルイスは辛そうにしながらも従者であるネッドに「あの男を呼んで来い」と指示を出した。


「計画とは……? まさか、娘に毒を飲ませようとしたのか!?」


 トマスに三人はバツの悪そうな顔をして黙ってしまう。


「いくら解毒薬があるからといって、三人も犠牲が出た毒だぞ!」


 計画の内容に怒りを露わにするトマス。リディアナも返す言葉がなかった。


「それがお前の罪を解くのに手っ取り早い方法だった」

「バルサ!」

「落ち着けトマス。バルサはこういう人間だ。それに、気付いて尚作戦に乗った私も同罪だ」

「そうですね。こんな危険な真似、私だって許せませんよ」


 今度はソレスがトマスと共に不快感を隠さずルイスに抗議する。


「私が計画を立て、リディアナとアルバートに協力させました」


 全ての責任は自分にあると頭を下げるバルサに、リディアナは口を開きかけたがアルバートに止められた。

 事情を知ったトマスとソレスは、ルイスが唯一無二の存在であるからこそ怒っていた。

 ルイスは二人の気持ちを素直に受け入れ、頭を下げた上でそれでもと自身の想いを語った。


「私にも王族としてトマスを冤罪で拘束した責がある。三人が私のためにこの一年、過酷な旅で危険に身を晒していた。お前達の苦労に比べたら、私が囮になるのは取るに足らぬことだ。それに、侯爵を信じていたからこそ、私は毒を飲むのに何の躊躇いもなかった」

「お気持ちは分りますが、それでも陛下にはご自身の立場というものを理解していただきたい。自覚が足りなすぎですよ、まったく。リディアナのことになると人が変わるんだから……」


 それでもソレスは最後までルイスに文句を言っていた。


「お前の説教は後で飽きるほど聞いてやるから」


 ソレスは両手を挙げて一歩下がった。


「トマスもバルサを責めるのは後だ」

「……わかりました」

「国王に毒を盛ったのだ。言い逃れ出来ぬ絶好の機会だ。無駄にするなよ、バルサ」

「勿論でございます。しかし陛下、お体動かれますか? 多少無理をしていただきますが……」

「お前は! いくら毒が中和されたとはいえ――」


 無茶をさせようとするバルサを、再びトマスが咎めるが、ルイス自ら手で遮った。


「元より寝ているつもりはない。行くぞ」


 ルイスは片膝を付いて息を整えると、皆が心配し見守る中を力強く立ち上がった。


「ルイス様……」


 不安そうなリディアナの頭を優しく撫でて、ルイスはカーテンを開けさせた。

 胸元のシャツに生々しい血の跡を付けたまま、リディアナとトマスをその場に残してゲストの前に姿を現した。


 国王の姿に階下からどっと歓声が沸いた。

 隣に立つ宰相バルサが一歩前に立ち、会場中に通る声で皆に説明をはじめた。


「陛下のご婚約者であるリディアナ様に毒が盛られていた。リディアナ様がお酒に弱いと知る陛下が代わりに口を付けられた。毒は陛下の体を侵し、危うく命まで奪われるところだった」


 ルイスはわざとらしく襟に残る血の跡を見せつけると、今度はその血を隠すようにスカーフを巻いた。


「陛下はこの通りご無事である。我々は毒を盛った実行犯を既に捕らえ拘束した。そして今から皆の前でこの恐ろしい計画を立て、毒を盛るよう指示した黒幕を捕らえようと思う」


 ざわりと会場に不穏な空気が流れる。不安と恐怖に竦む者、疑心暗鬼になり周りを疑いの目で見る者、やましい事があるのか落ち着かない者と、階下のゲストは様々な反応をした。

 皆一様に、何かが起ころうとしている予感を抱き、ただ事ではないと感じていた。


「パーティーは終いだ」


 ルイスの声に、しんと会場が静まり返る。


「今宵真実が明かされることとなる。皆がその証人となろう」


 ドン、ドン。


 ルイスの宣言の後、封鎖された扉を外側から叩く音がした。


「私だ! 毒の処置に来た。ここを開けろ!」


 騎士が扉を開けると、一人の男が息を切らしながら会場に入って来た。

 一同は男に注目する。数多の視線に驚いた男は、異様な雰囲気に強張った顔で足が止まってしまった。


「医薬大臣か。遅いぞ」


 ルイスの声に我に返った男。挙動不審になりながら人々が開けた道を自信なさ気に進んだ。


「お、遅れて申しわけありません。陛下、心中お察しいたします。それでーー、リディアナ様はどちらに?」


 ざわり、と会場中が息を呑んだ。


「リディアナがどうしたと?」

「? 毒を盛られたのでしょう。それで私が呼ばれたのでは?」

「医薬大臣を呼んだ者! 大臣には何と伝えたのだ。一言一句正確に申してみよ」


 ルイスの問いに、控えていた侍従のネッドが大声で答えた。


「はい。『パーティーで毒を混入されたお方がおります。至急お越しください』と、申し上げました」

「そ、そうです! ですから私は急いで来たのです! それで、リディアナ様はどちらに? もうお部屋へ運ばれたのですか?」

「いいやここにいる」


 言葉通りの意味なのだが、男は勝手に意味をはき違えた。


「まだここに……? では、もしや私は間に合わず……」


 悔しそうに唇を噛み締める男を、皆が冷ややかな疑惑の目で見ていた。

 そこへカーテンの中からリディアナが姿を現し、ルイスの手を取り男の前に登場してみせた。


「……は?」


 男はまるで幽霊でも見たかのように大口を空けて固まった。そんな男にルイスは苛立ちながら吐き捨てた。


「毒を飲んだのは私だ」

「へ?」


 先ほど巻いたスカーフを解き、真新しい鮮血に汚れたシャツを見せる。


「会場にいる全ての者が証人だ」


 男はルイスを見て顔を青ざめ、ゆっくり首を動かし周囲を見渡した。

 無数の冷たい目に晒され、男は自身の失言に気付くとがくがくと震えだした。


「大臣。何故リディアナが毒を飲んだと勘違いした? 侍従は誰が毒を盛られたか一言も話していないぞ」

「そ、それは」

「確かに毒はリディアナのグラスに盛られていた。だが実際は私が誤って飲んでしまったのだ。これはどういうことだ」


 男が口を開く前に素早くバルサが答えた。


「陛下。犯人ならば勘違いをしてもおかしくないのでは? それこそリディアナ様が毒を飲むのは犯人にしか分らなかったはずです」

「なるほど! そうか、それでは――」


 ルイスはわざとらしく今気がついたかのように驚くと、一際冷たい声で吐き捨てた。


「お前が犯人だ。ドルッセン=ドゥナベルト」

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