第35話 アルバートの苦悩


 アルバート=ランズベルト小公爵は、父である宰相バルサの執務室で仕事をしていた。

 表向きでは留学から戻ったとなっているアルバート。父への報告のあとは城内で動きやすくするため、宰相の補佐官として城に留まることになった。

 今でも思い出すと震えが止まらなくなる。ルイスがソレスと共にこの部屋にやってきて、空白の一年間を洗いざらい吐かされた日を……。

 ソレス殿下がいて下さったおかげで血を見る事は無かったが、ルイスは相当怒っていたと思う。

 あんなにたじろぐ父を見るのも珍しかった。

 その後ルイスはとことんリディアナを関わらせたくないようで、城の奥に閉じ込めてしまった。

 一切の接触も許されず現在に至る。

 そうは言っても知らない方が幸せなこともある。

 悪いと思いつつ、今回ばかりはルイスの判断に感謝していた。

 ナパマにいた頃から、いや、もっと前から密かに疑念を抱いていた。その度にリディアナに何と言って良いのかわからず話題を避けてきた。

 このまま知ららずに終えてしまえばいい。なにも一緒に傷をおわなくても――。


「アル!」


 ノックもされず扉が思い切り開かれたので書類を落としてしまった。

 扉の前にはベールを被った女性が仁王立ちで佇み、こちらの許可もなく侵入してきた。

 取らなくても分かっている。不躾に俺を呼びつけるのはお前しかいない。

 リディアナが思い通りに動いてくれるわけがなかった。

 ペンを置いて部屋へ迎え入れると、リディアナは戸惑う護衛と侍女を閉め出し単身乗り込み扉を閉めてしまう。ここで二人きりにされるとまた陛下のお叱りを受けるので困るのだが、当の本人は気にもとめていない。

 ベールを剥ぎ取り難しい顔でアルバートを睨むリディアナは、すでに臨戦態勢が整っていた。

 アルバートは肩を竦め、諦めて向かいのソファに座った。


「随分と余裕がないな。もうすぐ父上もお戻りになるから話はそれからでもいいか? それで、陛下との生活はどうなんだ?」


 わざと話題を変えると案の定嫌な顔をされた。


「……陛下の婚約者が未だに私だって知ってた?」

「ああ。城に戻って一番に驚いた」


 話を聞いた時、よくやるなと感心したものだ。

 己の立場が悪くなろうとも一途に誰かを想う姿は尊敬に値する。


「周囲の反応が知りたいわ」


 アルバートは城に戻ってから得た情報を隠さずに説明した。

 若き国王は官僚の統制を取り、貴族の手綱をしっかり握り、国民の信頼も厚く政治手腕は皆が納得のいく素晴らしいものだった。

 唯一といっていい欠点は、『王妃問題』と『世継ぎ問題』だった。

 特に問題視されているのが、許されない女性との婚約が未だ解消されていないこと。

 先代国王が罪人として捕らえ、その後脱獄した男を父に持つ娘。それが国王の婚約者では誰も納得できるはずがない。

 ところがルイスは臣下の進言に耳を貸さず、他の令嬢に見向きもしない。婚約者はリディアナただ一人だと言い張る王に、国民は頭を悩ませていた。

 巷では父親の罪に耐え切れず自殺したのではないかと死亡説まで囁かれているが、国王は即座に否定し、婚約者は失踪したのではなく地方に療養中だと言い出した。

 臣下の再三の説得も虚しく、現在まで頑なに首を縦に振ることはなかった。

 このままでは世継ぎ問題もあり、徐々に不満を持つ者も現れはじめた。その中で健康を取り戻したソレス殿下の存在は増していった。ソレスを担ぎ上げようという輩まで現れ始めた。


「まぁ王弟殿下は陛下に恩義を感じていて、兄弟仲は大変いいから今すぐ政権争いに発展するわけじゃない。しかし火種は早々に消した方がいい。知っているか? 今王城では『陛下は婚約者の亡霊を追いかけている』って噂が流れているんだ」

「亡霊?」

「そ。お前そのベール被って城中歩いてるのか? それじゃあ文句言えないぞ」


 豪快に笑うアルバートをリディアナは睨んで黙らせた。

 会話が途切れたタイミングで、リディアナはたっぷりと間を開け、本題を口にした。バルサを待っている余裕はないようだ。


「共犯者の目星がついたと聞いたわ」

「……ああ」

「……」


 誰? とは聞かれなかった。聞かないということは、知っているということ。

 やはりリディアナは知ってしまったか。

 隠そうとしたわけではないが、迷いがあって有耶無耶にしていたことは否定しない。

 アルバートの長い沈黙にリディアナの方が心配して言葉をかけた。


「アル、大丈夫?」

「……ああ。こんな俺でも躊躇することもあるんだな」


 自嘲気味に笑う。


「そうだな……うん。やっぱ言葉が見つからないわ」


 まだ覚悟が決まっていないからだろう。

 情けなく笑うと、リディアナは泣きそうに顔を歪めた。


「おやおやこれはこれは。かわいらしいお嬢さんがいらっしゃるではないか」


 扉が開き、部屋の主であるバルサが戻ってきた。


「これは失礼致しました。陛下の婚約者のリディアナ様でしたか。こちらにはどういったご用件で?」

「え?」


 バルサが子供のように拗ねた顔で他人のふりをするので、リディアナは困惑していた。


「大人気ないですよ。気にするな。最近陛下がお前のことで当たりが強いから面白くないんだ」

「あれから毎日だぞ!? ねちねちといつまでもしつこくあの狐王子め!」


 リディアナは思わず噴いていた。

 互いに知っているかはわからないが、ルイスはバルサを『狸』と、バルサはルイスを『狐』と揶揄していた。


「父上発言には気をつけてください。それにルイス様は王子ではなく、国王陛下にあらせられます」

「あの狐陛下め!」

「わざわざ言い直さなくて結構です」


 気をつけろと言った側からこれだ。もうリディアナは隠すこともせず笑っていた。その姿にほっと胸をなでおらす。

 なんだかんだいってこの人はさすがというか……。

 バルサが何も知らず入ってきたにしてはタイミングが良すぎた。

 もっと前から部屋の様子を盗み聞いていたのではと疑ってしまう。リディアナの張り詰めた様子と、アルバートが返答に詰まったのを見て登場し、この重い空気を変えてくれた。そんな気がするのは買い被りすぎだろうか?


「父上、もう大丈夫です。リディアナもいることですし、状況を話してやってもらえませんか?」


 リディアナは笑うのを止め、居住まいを正した。

 バルサは頭をぼりぼり掻き、面倒くさそうな仕草で椅子にかける。


「リディアナに勝手なことをしてまた陛下に嫌味を言われるのも癪だし、話すといっても既にリディアナは犯人に気づいたのだろう?」


 ならば余計なことはしたくないとだんまりを決めこんでしまう。


「はぁ?」


 呆れるアルバートを他所に、明後日の方を向いてポケットから出したハンカチで眼鏡を拭きだしてしまう。

 この人は……宰相としてどうなのかと本気で疑ってしまう時がある。


「証拠はすでに掴んでいるが、少し決め手が弱くて陛下と父上は悩まれているんだ」


 代わりにアルバートが説明をする。


「糾弾するタイミングやその後の影響、トマス様の無実を証明するための作戦を模索している。トマス様は既にナパマを出発され、今フェルデリファに向かっている。到着し次第こちらも動こうと思っている」


 父親であるトマスの近況を聞きリディアナの瞳に明るさが灯った。安心させるように到着してからはランズベルト家が責任を持って守ると伝えた。


「ふむ。そうかそうか」

「……父上何か?」


 だんまりを決め込んだはずのバルサが身体を起こし、眼鏡をかけ直した。ガラスの向こうから瞳をきらりと光らせ、リディアナを見ながら不敵に笑った。


「い~いこと思いついた」

「だめです」

「まだ何も言っていないだろう!」


 嫌な予感しかしない。

 必死に止めにかかるがこうなったバルサは止まらない。


「リディアナがすでに城にいるのを周囲はまだ知らない。解毒薬も手元にある。この事実を犯人が知らないならこちらから仕掛けるのも手だと思わないか? リディアナを囮に、決定的で言い逃れできない状況で犯人を追い込む。うまくいけば犯人及び反乱分子を一網打尽にできるだろう。ちまちま証拠をそろえるより派手に捕らえたほうが世論にも大々的にトマスの無実を証明できる。そうすれば状況を一気に覆せ――」

「だめです!」

「……という作戦を思いついたのだが反対にあうだろうと思った」


 アルバートの剣幕に尻すぼみになるバルサ。 

 リディアナを囮? その時点で賛成できるわけがない。

 発案者のバルサが勢いを削がれる中、当のリディアナが恐ろしいことを言い出した。


「私、バルサ様の考え嫌いじゃないです」

「リディアナ!!」

「おお! 私も君を陛下に取られるのは惜しいと思っているのだよ」

「父上!!」


 必死に止めに入るアルバートを他所に、似た者同士の二人は勝手に話を進めていく。


「折角だから派手に行こうか」

「ええ。大捕り物です!」

「……」


 ああ、この二人を一緒にしてはいけない。そう後悔しながら学習したアルバートであった。


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