第34話 ソレスの配慮


 ルイスの執務室を飛び出したリディアナは、離宮の庭園にいた。

 勢いで飛び出してしまったが、存在を隠しているリディアナには行く当ても無く、部屋へも戻れず、人目を避けて気づくとこの庭園へと辿り着いていた。

 ベールを被らず王城内を走り抜けてしまったことに今更ながら後悔していた。

 すれ違う人々の、驚きと好奇の目にまたルイスに迷惑をかけてしまったと項垂れた。


「これからどうしよう……」


 花壇の前でしゃがみ、今後ルイスとどう接すればいいのか分からず途方に暮れていた。

 風が慰めるように優しく頬を撫で、短い髪を巻き上げていく。

 ぼんやりと花を眺めていると、背後から土を踏む音がして振り返る。


「ソレス殿下……?」


 ソレスの姿に驚くと同時に、落胆している自分がいた。何を期待したのか、ルイスが追いかけてくるはずはないのに。

 扉でぶつかったまま駆け出したリディアナを心配して追いかけてくれたようだ。


「久しぶりだね。リディアナ」


 優しく微笑みかけるソレス。リディアナも慌てて挨拶を返すと、なぜかソレスが腰を折って謝った。


「何があったのか大体の想像はつくけれど、どうか兄を許してあげてほしい」

「で、殿下、顔を上げてください!」

「それから、どんなことがあっても外で一人になってはいけない。城内は危険な場所だから」


 優しげな瞳の中にはリディアナを心配する真剣な眼差しが混ざっていた。


「……ごめんなさい」

「分かってくれたならいいんだ。またリディアナが狙われでもしたら、今度こそ陛下は自分を呪い殺してしまうだろう」


 ソレスは以前リディアナが痺れ薬を盛られたことを知っているようだった。


「体調は如何ですか?」


 走っても息切れ一つないソレスに、リディアナが訊ねる。


「とてもいいよ。エルドラント侯爵が送ってくれた薬がよく合った。新しい薬を飲んでから調子がいい。侯爵には感謝してもしきれない。私も陛下と共に侯爵の冤罪を勝ち取るために、尽力させてもらっている」

「ありがとうございます。ソレス殿下は私達がしてきた旅のことを知っているのですね」


 周囲に人の気配はなかったが、二人は警戒しながら声を落として話した。


「陛下はなんでも話してくださる。体調が良くなってからは協力して犯人を探っていた。君とアルバートの帰国と共にバルサ達と情報共有をしたんだ。ただし、陛下が私室に君を隠していたのは教えてくれなかったけどね」


 ウインクをしておどけてみせる。


「陛下は君が去ってからますます弱みを見せなくなってね。無理やり仕事を詰め込み自分を追い込んでいるように見えた。私達は心配していたが、犯人の目には何ら隙のない姿に映ったことだろう。しばらく動きはなかったが、君の存在が知られれば話は変わってくる。犯人に監視はついていてもいつ何をしでかすかわからないからね」


 ソレスは犯人を知っていて、その動向を把握しているようだ。


「共犯者が分かったのですか!?」

「あれ? もしかして何も聞かされていない?」

「はい」


 リディアナは王城に入ってからルイスとネッド以外誰とも会っていない。ルイスからは何も聞かされていなかった。


「ひどいなぁあの三人は。心配なのは分かるけど無関係ではないのだから蚊帳の外ではあんまりだよね」


 そういえばルイスはもうすぐ父の無実を証明すると言っていた。

 ここ一月は政務に追われ、ルイスはリディアナが事件に首を突っ込むのを嫌がっていたので説明を求めなかったが、進展はあったようだ。アルバートに任せていた部分はあったが、ソレスの言うようにリディアナも知りたかった。


「犯人の目星がね、ついたんだ」


 誰です? と急かすリディアナに手をかざし、それ以上は言えないと拒否された。


「教えられないわけじゃないんだ。だけど君に説明するのはたぶん私の役割ではない、かな。理由は言えないけど、適任がいる。後でバルサの執務室へ行くといい」

「……わかりました」

「ちなみに私の役割は権力に飢えた貴族を炙り出すこと。そのために陛下とは距離を置いて、表向きは仲の悪い振りをしているんだ。政権が変わり私が健康になった途端近づいてきた者達は信用できないからね」


 温和なソレスには珍しく怒りのような感情が見え隠れしていた。


「私が餌となって派閥や能力、表の顔と裏の顔、信頼出来得るか否か、情報を集めて精査し分類している所さ。だからリディアナには変な噂を耳にしても鵜呑みにしないでほしいんだ」

「わかりました」

「仕方がないことだけど、陛下と距離を置いた事で政務を手伝えなくなった。陛下はこの一年相当大変だったと思う。本当に人手不足は解消しないといつか倒れてしまうよ」


 やれやれと首を振るソレスだが、心からルイスの心配をしていた。

 周りの環境が変わってもソレスは変わらない。この方はルイスと同じ、家族思いで優しい心を持っていた。いつだって兄王を支えるべく心を砕き奔走している。


「どんな形であれ、君が無事に帰って来てよかった。陛下の側にいてくれてうれしいよ」

「いいえ。私は……」


 リディアナは先程の口論を思い出し、気持ちが沈んだ。


「聞いてリディアナ」


 ソレスが優しく声をかける。


「私はね、君の気持ちが痛いほど分かる。私も君と同じ決断をしたことがあるから」

「え?」


 ソレスは含みのある苦い笑みを浮かべた。


「だが陛下の気持ちも分かるようになった。だから言わせてほしい」

「……」

「今、君の目の前にいる兄上を見てはくれないか。二人は色々あったと思うけど、国や家、過去の婚約関係、全て取り払って、今、目の前にいるルイスという一人の男をどうか見てやってほしい」


 ソレスの言葉に耳を傾けていると、遠くから自分の名を呼ぶ声が聞こえた。


「陛下が迎えを寄越したようだ」


 振り返ると小走りにこちらにやってくるナナリーと護衛が見えた。


「私も戻らねば。今の時間ならバルサの部屋にアルバートがいる。詳しい話を聞いてみるといい」

「はい」


 リディアナはソレスにお礼を言って見送った。

 ナナリーが足を止めソレスに頭を下げ、通り過ぎるのを待ってから心配そう駆け寄ってきた。

 ソレスは何か思い出したのか、立ち止まるとリディアナに振り返った。


「そうだ。君に会わせたい人がいるんだ! 今度私の誕生パーティーがあるので招待状を送る。ベールを被っての参加でも構わないから是非来てくれ!」


 返事を待たずに去って行った。

 ソレスの知り合いで私に会わせたい人? 一体誰のことだろうと首を傾げる。


「お嬢様。ソレス様はお元気になられてから陛下と距離をとられているそうです。あまり信用されては――」

「大丈夫よ。その件は心配要らないから」


 ナナリーからベールを受け取ら歩き出すが、ルイスの私室に戻るのを躊躇ってしまう。

 事情を聞いていたナナリーが察して、「久しぶりに庭園を散策しては如何でしょう」と提案してくれた。

 護衛も特に咎めなかったので、リディアナは庭園を散策することにした。


「庭園は変わらず維持できているようですね」

「そうね」


 庭園を眺めていると温室が見え、トカトリスの花のことを思い出した。

 ナパマにいた頃、毒の元となるトカトリスの花が温室に植えてあったと言ったリディアナ。バルサに確認してもらったが、そのような花は無かったという。

 当時の腑に落ちなかった気持ちが蘇る。

 ナナリーと護衛には外で待機してもらい、一人重い扉を空けた。

 生暖かい空気が出迎える。真っ直ぐ進むとまずは温度計を確認した。

 薬草や野菜を見渡し、葉と土の状態を確認する。どれも問題なく正常に働いているようで安堵する。

 そこから記憶を辿り目的の箇所へと向かった。

 ハーブや薬草が並んで咲く一画に、バルサの言う通りトカトリスの花は見当たらなかった。しかしーー。


「おかしい」


 ここ一帯にはリディアナ自らエルドラント家で育てた薬草を株分けした。当時の記憶通りに他の薬草は並び咲いている。

 ところが、トカトリスを植えたはずの場所だけ、全く違う花が咲いていた。しかもその花はリディアナが育てたことがない花で――。


「誰かが……植え替えた?」


 並ぶ順番も効能を理解して植た。その中でなんの効果もない花があるのは、知識ある者が見れば一目でおかしいと感じる。

 つまり薬学に知識がなく、トカトリスが猛毒である事を知っている何者かが手を加えたのだろう。

 一体誰が?

 どこで誰が温室にトカトリスがあると知ったのか。ここは離宮で貴族でも入ることが許されない王族の居住区だ。


「でも、婚約者候補で集められていた令嬢なら……」


 怪しまれず出入りできるだろう。


「あ、そうじゃない。もっと適任がいるじゃない。トカトリスを植え替えたのは王弟ドミンゴだわ!」


 ドミンゴなら元王族として離宮に出入りしても怪しまれない。

 記憶を呼び覚ます。この庭園をお披露目した王太后のパーティーに、彼も参加していた。

 そこでドミンゴは偶然トカトリスを見つけた。この国にあるはずのない花が王城に植えられていたのだから焦ったことだろう。


「だから、だから私を殺そうとした?」


 痺れ薬を盛られたのはその後のカルヴァン邸でのパーティー。

 ドミンゴはリディアナを殺そうとした。トカトリスの秘密を知っていると思ったから。実際はまだ知らなかったのでドミンゴの早とちりなのだが。

 そして何らかの手違いで毒薬は痺れ薬に変わっていた。リディアナは命を落とすことなく、任務に失敗した給仕の男が殺された。


「私と王妃様に接点は最初からなかったのね」


 王妃はルイスの代わりに殺され、リディアナは証拠を掴んだと勘違いされたために殺されかけた。


「それなら、ドミンゴは誰に殺されたの?」


 それこそドミンゴの共犯者。バルサも言っていた。ドミンゴ一人で事を成すのは不可能だったと。

 ドミンゴと共に権力を欲して甘い蜜を吸おうとした輩がいるのは確かだ。しかし何故協力関係にあったドミンゴを殺したのだろう。


「……だめ。考えても分からないことは後回しにしよう。先ずは未だ犯人が権力を手に入れておらず、野放しにされているという現実」


 またルイスが命を狙われるかもしれない。

 リディアナの鼓動が早まる。胸ポケットにいつも持ち歩いている解毒薬の入った瓶に触れた。

 もしもの時のために肌身離さず持ち歩いていた解毒薬。使うような事態にならなければ一番いいのだが。

 そういえば、共犯者の目星がついたとソレスが言っていた。私にも関係があると……。それは、私が関係者だからではなく、私に関係がある人だからかもしれない。


「私がトカトリスの花を持っていたのは……」


 そもそも輸入を禁じられていた毒花を、なぜリディアナが持っていたのか。

 あれは貰い物で……アルバートの屋敷で……。


「お嬢様!?」 


 温室を飛び出し、脇目も振らず一目散に駆け出した。

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