第32話 ルイスの回想ー王様気質ー


 それからリディアナを婚約者にするべく、ルイスの足固めは着々と進められた。

 国王をはじめ、司祭や太后、重鎮への根回し、エルドラント侯爵家には自ら足を運び、夫妻にリディアナを婚約者にする旨を伝えた。

 侯爵夫妻は大変驚いてはいたが、快く了承してくれた。

 国王からの許可も下り、太后には国王の名代を頼んでパーティーでの発表に漕ぎ着けた。

 すぐにソレスにもリディアナとの婚約を伝えた。

 体調が良くないソレスにも婚約発表だけでもしないかと説得してみた。その場で返事は貰えなかったが、後悔ないよう決めて欲しいと伝えた。


 確実にリディアナを婚約者にするべく準備は整っていく。それなのに肝心の本人には未だ婚約の件を伝えていなかった。


 ずるずると時間だけが過ぎ、発表の三日前になりようやく覚悟を決めた。

 ルイスはリディアナに会いに行くため準備をしていた。そこにネッドからソレスが体調面の不安から婚約者を設けないつもりだと聞き、急いで弟の元へと向かった。


「ソレス本気か!? なぜサラを突き放す!」


 ノックもせず扉を開け、ルイスは感情的にソレスを怒鳴った。

 サラはバルサに連れられてよく城に出入りしていた。

 あの狸親父は、恐らく自分にあわよくば娘をと考えていたようだが、サラの運命の出会いは弟ソレスと成された。

 二人が打算や政治など関係なく、強く惹かれあい互いを大切に想い合ってきたのは知っている。

 子供の頃から二人を近くで見守ってきたルイスだからこそ、二人の想いが痛いほど分かってこんな結末はあってはならないと止めたかった。

 サラは初めからソレスのために選別に来ていた。それが彼女の覚悟であり答えである。

 それなのにソレスはなぜサラの手を離そうとするのか。

 彼女は筆頭公爵家の令嬢であのバルサの娘だ。ソレスとの事が反故にされれば直ぐに別の縁談が用意される。

 互いに傷つき自身も周りも不幸にするだけではないか。


「好き合って相手が望んでここにいるのに何を迷うことがある! その手を掴んでやれ!」

「ーーっ兄上には分らないよ。側にいてあげたいのにそれが出来ないもどかしさを!」


 ソレスは布団から這い起きてルイスを睨んだ。その腕はルイスの腕に比べあまりにも細く、骨と皮だけになっていた。


「……サラは承知の上だろう。それなら一層お前が幸せにしてやればいい」


 興奮するソレスを宥める様に、ルイスも落ち着いて語りかける。

 ソレスは寂しげに笑った。


「うん。やっぱり兄上は王様気質だね。僕はね、不幸になるとわかっていてそれでも大切な人を側に縛りつけようとは思わない」


 ルイスは胸をナイフで刺されたように顔を歪めた。


「……」

「……ごめん。言い過ぎた」

「……」

「こんな弟で、ごめん」


 ソレスは顔を手で覆い、ルイスに懇願した。


「ごめんなさい。最後のお願いです。僕の言伝をあの子に……。兄上にしか頼めない……!」


 布団の上で頭を下げるソレスを前にして、これ以上何も言えやしなかった。

 ルイスは黙って部屋を後にした。

 納得はいかなくとも足は自然とサラの元へと向かっていく。

 これが最善とは思えない。だがソレスの意志は固く、痩せ細った体を折って懇願する弟の願いを叶えてやれるのは自分しかいないのもまた事実だった。


 案の定、ソレスの決断はサラを絶望に突き落とした。


「本当に、これがお前の望んだ答えか?」


 渇いた声は空を掻き、代わりにソレスの言葉が楔となって頭に木霊する。


『不幸になるとわかっていてそれでも大切な人を側に縛りつけようとは思わない』


 これからあの子にプロポーズをするのに、自分の気持ちを伝えに行くのに、足は地に縫い付けられたように重く動かない。


『鳥籠に入れられることを望んではおりません』


「……最悪だな」


 まさに今、私は王妃が毒殺された危険が残る王城に、愛する自由な鳥を籠に閉じ込めようとしている。


「それでも私は――」


 愛する者を側で、この手で守ってやりたいのだ。

 たとえ私を愛していなくとも……。



   ***



 言い争った最悪のプロポーズから二月が経っていた。

 婚約者となったリディアナとは、それ以前の関係より余所余所しいものになっていた。全ては不甲斐ない自分が引き起こしたことだと分っている。

 後ろめたさから情けないプロポーズをしてしまい、リディアナを傷つけた。それでもルイスは嫌がるリディアナに婚約を強いた。

 涙をためて嫌だと訴えた彼女の顔が頭から離れない。

 拒絶は覚悟の上で婚約を決めたはずなのに、その後リディアナとどう接すればいいのかわからず、逃げてしまった。

 そうこうしている間にリディアナは侯爵家に戻ってしまった。

 ルイスは政務が忙しく、会いに行く時間がなかった。せめてもと、彼女に歩み寄る気持ちで手紙を送ってみた。

 返事は直ぐに来た。リディアナもまた歩み寄ろうとしてくれているのがわかり、手紙でなら少しは素直になれる気がして、連絡事項の中にルイスの本音も織り交ぜた。

 しかし関係修復の矢先、恐れていた事態が起きた。


 リディアナがカルバン邸で痺れ薬を盛られた。

 トマスが側にいたので事なきを得たが、ルイスはいてもたってもいられず侯爵家に向かおうとした。

 嫌がらせの可能性が高いようだが、リディアナが無事だと聞いても心配で顔が見たくて、なんとか時間を作った。

 午前中に政務を全てキャンセルし、見舞いに行く予定だったのだが、明け方に慌てたネッドに起こされた。

 朝一で侯爵家に訪問したいと言ったが陽も昇らぬ時間ではあんまりである。

 ガウンを羽織り許可を出すと神妙な面持ちで入ってきた。


「何かあったのか?」

「王弟ドミンゴ様がお亡くなりになりました」

「なに!?」

「第一発見者はこちらが潜入させた侍従のハリーです。どうやら自殺のようで、遺書が殿下宛に遺体の横に置かれているそうです」


 確認をお願いいたしますというネッドの言葉を聞きながら、ガウンを投げ捨て着替えを始めた。


「叔父上め……!」


 王弟ドミンゴは確実な証拠こそ未だ掴めてはいないが、王妃殺しの件では限りなく黒だった。

 今更母を殺した事を悔いて償ったつもりか。しかしドミンゴの性格を熟知しているルイスには、自殺と聞いても腑に落ちない。


「自殺にしては不可解な点があると、ハリーが現場を保存し指示を待っております」

「直ぐに向かおう。バルサも王城に留まっているはずだ。叩き起こせ」


 これでリディアナに会う予定が潰れてしまった。午前中どころか一日の予定が潰れてしまうなと覚悟して城を出た。


 ハンズベルク邸に到着すると、バルサは呼び出したトマスと共に現場を検分していた。

 ルイスは案内された応接間で、侍従のハリーから昨夜の出来事を聞いていた。その手には自分に宛てた遺書もある。


「昨日ドミンゴ様宛に届いた手紙をお読みになった後、血相を変えて暖炉に捨てました。その夜です。供も付けずお一人で出かけるというので、何かあると後をつけました」


 ドミンゴは酒場に入り、席について三時間ほど滞在した。誰かと待ち合わせでもしているのかと思ったが、誰も現れず一杯だけ飲んで席を立ったという。

 ところが店を出た途端、足取りがおかしくなり道の真ん中で崩れ落ちた。ハリーが駆け寄るとドミンゴは眠っていた。

 そこから馬車に乗せて屋敷まで運び、使用人の力も借りてベッドに寝かせた。


「その時には部屋に遺書はありませんでした。三時間ほどして様子を見に部屋に入ると、ベッドで血を吐いて死んでいました。遺体の側には遺書があり、窓が開いてました」


 一通りの報告を聞いてハリーを労ったルイスは、人払いをさせて一人ドミンゴの遺書を確認した。

 自分に宛てた遺書に目を通し終えると、暖炉に投げ捨てたい衝動を必死に堪えた。


「こんなものをーー父上にお見せできるわけがないっ」


 ドミンゴの、ルイスを狙ったはずが誤って王妃を殺めてしまった事への贖罪。遺書には実行犯への命令から経緯が記されていた。

 これだけ読めば自殺と思われるが、捜査の結果、ドミンゴは自殺ではなく他殺と結論付けられた。


 トマスの検分で、ドミンゴは王妃と同じ毒で死んだとわかった。

 同時に、ドミンゴからは睡眠薬の成分も検出された。

 睡眠薬を多量摂取して自殺を図ったなら説明はつくが、睡眠薬を飲んで更に毒薬を飲んだとなれば話しは違ってくる。そしてドミンゴは、服毒した際に意識がなかったと後でわかった。

 窓の鍵が開いており、外部からの侵入の可能性もあった。

 そして自殺直前の不可解な行動、遺書はあっても自殺と断定するにはあまりにも疑わしい部分が多く、この件は慎重に捜査しなければならないと思われた。

 表向きの発表ではドミンゴは病死とし、秘密裏に捜査を命じた。


 バルサの調べで、睡眠薬は酒屋で混入された可能性が高いと分かった。

 店員がドミンゴの席に酒を運ぼうとすると、男に声をかけられたという。

 知り合いだからと挨拶ついでに酒を運ぶのを申し出たそうだ。

 その男に睡眠薬を盛られたのだろう。

 遺書の筆跡鑑定でも、似せてはいたが本人が書いた物ではないと結果が出た。ドミンゴの死は他殺と結論付けられた。


 王族関係者がまた一人殺された。

 近衛騎士団は今まで以上にルイスの警護を強化した。


 ドミンゴの葬儀でリディアナと久々に会えた。

 リディアナには厳重な警備が敷かれていた。彼女もまた、命を狙われていると警告を受けていたからだ。

 毒殺者が立て続けに出た今、リディアナへの警告がただの悪戯だったとは思えない。

 カルヴァン邸では痺れ薬も盛られ、辛い想いをしたはずだ。彼女を危険に巻き込んだ責任はルイスにある。それなのに政務や捜査で忙しく、会いに行くのもままならない状態に後ろめたさを感じていた。

 声が届く距離にいるのに、またしてもリディアナと正面から向き合うことができなかった。

 これが後々死ぬほど後悔する羽目になるとは、この時は知る由もなかった。

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