第31話 ルイスの回想ーハーブティーー



 リディアナとの距離を縮められず、選別から一年が経とうという頃、ルイスの元に王妃が訪ねて来た。

 そしてその日、ルイスの目の前で王妃が毒殺された。

 母は自分の身代わりに殺されたようなものだ。

 平和な世に油断したつもりはなかったが、このような結果を招いてしまった己の未熟さを呪った。


「犯人の尻尾が中々つかめませんな。毒も全く見たことの無い代物だそうです。警戒を強めねばなりません」


 王妃殺害の件は宰相バルサが指揮を執ることになった。バルサは幼き頃からルイスの後見として育ててくれた男で、気に障る性格だが信頼を寄せる臣下の一人だ。


「本来殺そうとした私がこの通り生き残っているのだからな。このままで済む筈あるまい」


 ここは王城、私利私欲に陰謀渦巻く魔物が棲む場所。

 ルイスの命を狙ったということは、国王の不調が漏れ、次代の王を巡って反乱が起きたということ。

 王位に近いのは第二王子ソレス、王弟ドミンゴ、はたまたそのどちらかを担ぎ上げようと動く野心家達か……。


「これから国は多いに荒れるだろう。王位継承者と各派閥に注視し、気を引き締めるぞ」


 王妃毒殺による大きな悲しみと不安の中、国王の不在が与える疑念はより大きく鮮明になった。

 バルサは無理を承知で、国王に国民の前で健在をアピールしていただけないかと提案したが、ルイスは却下した。

 父の体調は母を亡くした悲しみから悪化していた。

 父と共にソレスの体調も思わしくなく、二人は病床から起き上がれずにいる。

 太后は老年で無理はさせられない。残された家族に負担をかけたくはないのと、これ以上大切な家族を失うわけにはいかないと、ルイス一人で全てを担うと心に決めた。


 通常の政務に加え、毒殺の調査、王妃の国葬の手配と国内外への配慮。昼は忙しく働き、夜は夜で目を閉じると母が崩れる様が鮮明に蘇り悪夢にうなされる眠れぬ夜が続いた。

 どんなに忙しく追い立てられても、疲れは感じないものなのだなと不思議に思っていた。

 しかしそれらはただのまやかしで、異変は一気に押し寄せた。


「殿下。少し休まれてはいかがでしょう。このままでは……」

「大丈夫だ」


 母の葬儀を一段落させると、空いた時間に急激な虚無感に襲われた。

 疲れを感じなかったのは心が麻痺していただけで、体が限界を感じると徐々に悲しみを理解し虚勢が脆く崩れた。

 こんな時、自分は王子でも超人でもなく唯の人なのだと思い知らされる。

 己の不甲斐なさと非力さに苛まれ、犯人に対する怒りと憎しみが体中の血を沸騰させた。

 それでも周りに心配をかけまいと無理を続けたルイスは、遂に心のバランスを失い深みに嵌まっていった。

 何度深く呼吸を吐き出しても気持ちの切り替えが出来ない。目を閉じ、思い出すのはあの底抜けに明るい笑顔と青く澄んだ瞳。

 今すぐリディアナに会いたくて、不甲斐ない自分を見られるのが嫌で会いたくなかった。危険が残る王城にリディアナがいないことに安堵し、寂しかった。

 いるはずのない彼女の残像を求めて庭園のベンチに座る自分はなんと情けないことか。

 どれ程の時間が経っただろう。

 近衛騎士の忠告も聞かず、ただベンチに座っているだけのルイス。

 後ろに控えていた騎士が数歩後ずさりしたので、バルサかネッドが愚かな自分を叱責しに来たかと顔を上げた。

 目の前にはいるはずのないリディアナの姿。

 なぜここに?

 彼女は何も言わない。ただルイスの隣にいてくれた。

 その優しさと温もりに、ルイスは取り繕うこともせず肩に寄りかかった。

 一人で立ち続けるのに疲れた。初めて他人に弱さを見せた。

 リディアナの声が、温もりが、必死に励まそうとする気持ちが有難く、抱きしめる不器用さがただただ愛しい。全てが愛しく自分のものにしたかった。

 しかしリディアナはルイスと同じ気持ちではいてくれない。

 ルイスのことをなんとも思っていないリディアナは、すぐに家に帰ってしまう。

 会えなくなるのが寂しいと感じるのはルイスだけ。

 嫌われてはいないと思うが、年下の少女は愛だの恋だのより外の世界で学ぶ方がずっと魅力的なようだ。

 ふと考える。いつかリディアナも誰かに恋焦がれたりする日が来るのだろうかと。

 その時、その瞳に映るのは自分以外にあり得ない。

 時々こうして己の中に眠る仄暗い気持ちが顔を出す。

 リディアナに会って、より強く彼女を求めるようになった。



   ***



 母が亡くなってからというもの、どうにも弟の体調がおもわしくない。

 元々体が弱かったが、こんなに長引いたことはなかった。微熱が続き食欲もなく、布団の上で過ごす日々が続いていた。


「体調はどうだ?」


 政務の合間にこうして会いに来るのが日課となったルイスは、手をつけずに下げられる食事をみてため息をつく。


「もう少し食べられないか? せめてスープだけでも。体力をつけなければ治るものも治るまい」

「……食欲がないんだ」


 起き上がることも出来ずに布団の上で顔だけ動かし、小さな声で答える。

 どんどん痩せ細っていくソレスを見るのはルイスも辛かった。


「手紙を預かってるぞ。それといつもの手製のハーブだ。それなら飲めるか?」


 聞くと小さく頷き、細くなった手で手紙を受け取り読み始めた。後で煎じて持って来るよう従者に伝える。


「……返事を書けないのならまた私が言伝をしよう」


 しかし手紙を読み終えたソレスは首を振った。


「いい。だって兄上、きちんと伝えてないじゃないですか」

「……」

「僕は兄上にお願いしましたよ。『もう僕のことは忘れてくれ。君の幸せを願っている』と。兄上、全然伝えてないよね?」


 ソレスは手紙を見せながら睨むが、ルイスは明後日の方をむいてしらを切る。

 呆れたソレスは丁寧に手紙を折ると、そっと抱きしめるように布団の上で握りしめた。


「なあソレス。そういうのは元気になって自分の足で伝えに行け。出来ないならそんな馬鹿な考えはやめるんだ。相手がお前を好きでお前も好きならそれでいいじゃないか。男なら欲しいと思ったら手に入れる努力をしろ。自分から手放すな」


 ソレスは苦い顔で口の端を上げ、意地悪い顔を見せた。


「ほんと兄上は自信家で生まれながらの王様気質だよね。簡単に言わないでくれる?」


 ソレスのいじりにルイスもにやりと笑って答えた。


「なにを言う。お前はそんな私の弟だろう」


 いつもの調子にほっとしたのも束の間。またソレスの顔は曇りがちに臥せてしまった。


「王になる兄上の弟なのに、一年の半分を布団の上で過ごす、情けない病弱王子だ」

「……」

「ごめん。手紙も政務も母上のことも……。全部兄上に任せっきりだと分かってるんだ」


 ソレスが自分に対して申し訳ない気持ちでいるのは知っている。だけどその罪悪感は無用なのだ。ルイスがソレスを責める気はこれっぽっちもないのだから。


「お前は何も分っていない。一年の半分はきちんと政務を手伝ってくれているし、もう半分は布団の上で私に知恵を与え、相談に乗ってくれている。母のことも政務のことも、元気になったら倍こき使って働いてもらうつもりだから謝るな。手紙は……、あれだ。実は私も代わりに協力してもらっている。会いに行く口実にもなるし……」


 最後の方は照れくさくて声が小さくなってしまう。珍しく殊勝な態度にソレスは吹き出して笑った。


「兄上をこんな風にさせるリディアナは凄いよね!」

「む……」


 そこからは話題を変えて、バルサの愚痴をソレスは楽しそうに聞いてくれた。

 顔に少し血の気が戻り、笑顔を見れたことに安堵して部屋を出た。


「あいつは色々と考えすぎだ」


 部屋に閉じこもっているからか、最近のソレスはどうも後ろ向きになってる気がする。

 昔から色々抱え、悩んでいるのは知っている。ソレスにしか分らない葛藤があることも。


「ルイス殿下にご挨拶申し上げます。ソレス殿下のお見舞いにいらしたのですか?」


 廊下を歩いていると、前から来た政務官に声をかけられた。

 レイニー=ドゥナベルト。

 たしか此度の人事でソレスの内官になったドゥナベルト伯爵家の嫡男だ。

 その手には盆に乗せられたハーブティーがあった。ソレスの仕事はセーブされているので、内官でも侍従のような仕事までしているようだ。


「殿下から預かりましたサラーシャ様のハーブティーをお持ちするところです」


 ルイスのお茶も用意したのでと声をかけたレイニーに沈黙でやり過ごす。

 レイニーが何か探りを入れているのに気づいた。ハーブティーの送り主であるサラの名は伏せていたはずだ。敢えてその名を出して話しかけてきレイニーにルイスは警戒を強める。目的のわからない相手には下手に口を出さない方がいい。


「実は妹が候補者として離宮にあがっております。兄としては何か粗相をしてはいないかと心配でして」

「……」


 粗相ならあったぞ。お前の妹はリディアナのドレスをわざと踏んで転ばせたからな。

 しかしルイスはそれにも沈黙を選ぶ。一国の王子が一政務官に廊下の真ん中で呼び止められても答えてやる義理はない。

 どうやら目的は妹の売り込みのようだと判断し、わざと不愉快に見える歩き方をした。


「あの子の翼はーーまだ折られてはおりませんか?」


 すれ違い様にかけられた言葉に思わず足が止まる。


「鳥籠に入れられるのを望んではおりません。どうか自由にしてあげてください」


 焦りと驚きから思わず振り返ってしまったルイスは、こちらの様子を窺っていたレイニーと目があった。

 互いに言葉なく見つめ合っていると、レイニーの方から視線を逸らし、苦い顔をして礼をとると何事もなかったかのように去っていった。


「……しまったな」


 あいつの探りはサラでもなく、妹でもなく、リディアナだった。

 レイニーはルイスの気持ちに気づいたことだろう。リディアナの時だけ過剰に反応してしまった。

 そしてレイニーもまた、リディアナのときだけ笑顔が消えていた。それだけで分ってしまう。

 あいつもリディアナを――。

 確かネッドからの報告で、アルバートと三人、兄妹のように仲が良いと聞いたが。


「兄妹? 内一人はどう考えても恋心を抱いているぞ」


 あとでネッドに詳しく二人の関係を調べさせよう。


 執務室に戻って一人になると、ソファに深く腰を下ろした。天井を仰ぎ髪を掻き上げる。


「リディアナに会いたい……」


 しかし今日の空いた時間はソレスに使った。ルイスの机には山積みの書類が主人の帰りを待っており、政務を投げ出すわけにはいかない。


「……ままならないな」


 時間もないので重い腰を上げて机の書類と向かい合う。部屋にはペンの走る音だけが響いた。

 自由、か……。

 自分には一生縁の無いものに、生まれて初めて羨ましいと感じた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る