第30話 ルイスの回想ー誤算ー
貴族には両殿下の婚約者選びが行われる旨が正式に伝えられた。
候補者には他国の姫や国内の有力貴族が選ばれた。
妃教育を兼ねた選考の期間は短くて半年、長くて一年かけて行われる。
候補者は離宮に居を移し、外界との接触を避ける。離宮に住まわせるのは妊娠の有無を調べることと、非公式で王子との出会いの場を設けられるためでもあった。
ルイスは私室で作成された候補者の名簿に目を通していた。
右から左へ上から下へ、何度も目で文字を追う。
「お目当ての令嬢がいなかった?」
聞きなれた声は弟のソレスのものだ。
「ノックぐらいしろ」
「したよ。だけど返事がないから覗いてみたらずっと紙と睨めっこしてるんだもん。それ、婚約者の名簿でしょう? 何をそんなに不機嫌に何度も確認しているの」
勝手にソファに座りながら楽しそうにルイスを振り仰ぐソレスの顔色はとてもいい。
ルイスを安心させるためか、ソレスは体調がいい日はふらっと訪ねに来てくれた。
ルイスは自身の眉間をさわってみた。たしかにソレスの言う通り皺が刻まれていた。なぜなら候補者の一覧にリディアナの名前がない。
侯爵家で家柄も問題ない。歳もルイスと一つしか違わない。それなのに名前が上がっていない。つまり自ら辞退したということだ。
ふーっと深くため息をつき、ソレスに向き直る。
「お前の目当ての令嬢は名乗りを上げたぞ」
名簿をソレスの元へ投げてやる。ソレスはその名を見て複雑な笑みを浮かべた。
「……」
弟は生まれつき体が弱い。本人にしかわからない葛藤があるのだろう。
「あまり考え込むなよ」
椅子から立ち上がるとソレスの肩を優しく叩き、部屋を出た。
「どちらへ?」
追いかけてきた近衛騎士に訊ねられる。向かう先は決まっていた。
「侯爵の執務室だ」
***
雪解けの温かい春の日に、離宮には一足先に色とりどりの花が咲いた。
離宮には婚約者候補が集まり、まもなく選定が開始される。
もちろん、リディアナの名も一覧にしっかり刻まれていた。バルサの娘サラーシャだけは風邪が長引いて体調が戻り次第登城するそうだ。
候補者が入宮したその日から、離宮は一気に華やかになった。いや、騒がしくなったと言った方が正しい。
候補者達はルイスを待ち伏せして毎日のように離宮をうろついていた。
始めこそ挨拶を交わしたが、こちらの都合もお構いなしに引き止めるので、政務に支障が出ると今では声もかけずに素通りしている。
ルイスから声をかけられるまではあちらからは何も出来ない。そうなると候補者達は無言でルイスの後を付けたり、期待のこもった熱い視線を送るようになった。
そんな辟易する生活の中、しかしリディアナだけは、その輪の中にいない。というか離宮にいる筈なのだが、一度も会っていない。
「なぜだ!」
今日は会えるかと期待して無駄に庭をうろつくが、結果は候補者達に見つかり逃げる日々。
一向に目的の人物に会えないルイスは苛立ちを募らせていた。
リディアナは食事会や散策、勉強会もサボりがちでルイスが待っていても空振りが続く。
なぜこうも会えないのか。もしかして登城していないのではないかと疑うほどだった。
「毎日大小の騒ぎを起こしておりますので確実に離宮にはいます。侍従やメイドが翻弄されていると報告を受けております」
ネッドが気の毒そうにルイスを励ました。
確かにリディアナはこの離宮にいた。
今離宮では、おてんば娘リディアナが毎日引き起こす事件が何かと話題になっている。
そのせいで早くもリディアナ脱落と排除する動きがあるが、誰が排除させるものか。
その日も限られた時間で離宮の庭を散策する。主想いの護衛達も一緒になって周囲を見回し、一丸となってリディアナを探した。
ああ、今日も会えなかったかと、諦めかけたその時だ。
茂みの向こうからガサガサと草木を揺らし、何かが近づく音がする。
即座に騎士に守り囲まれたルイスの前に、突如ずぶ濡れになった少女が現れた。
「リディアナ」
ようやく会えた!
二年半ぶりに会えた少女は、やはりあの時の少年だった。
なぜずぶ濡れの格好をしているのか分らないが、水の滴る金の髪を頬にへばりつけ、青く意志の強い瞳は真っ直ぐにルイスを捉える。
今までの人生で、これほど心揺り動かされた出会いがあっただろうか。
胸の奥から込み上げる喜びを必死に抑え込む。
「リディアナか?」
ルイスの期待に答える様に「はい」とあの時と同じ声で返事をする。
「そういう貴方様はルイス殿下であらせられますか?」
表情は淡々とし、初めて会ったかのような物言いに、彼女が全く自分を覚えていないのだと知り少し傷ついた。
しかも彼女はルイスに興味がなく、挨拶だけ済まして立ち去ろうとする。
内心で焦りながら引き止める。リディアナの話を聞いて、彼女が会いに来なかった理由が分った。
問題ばかり起こす自分は婚約者にふさわしくないので家に帰して欲しいと訴えたのだ。
黙りこんでしまったルイスに、側に控える近衛騎士にも緊張が走った。
「……」
予想していたではないか。候補を辞退した辺りから薄々感づいていた。
リディアナは初めからルイスの妃になる気がこれっぽっちもないのだと。
候補の辞退を無理やり取り下げ、半ば強引に参加させたのはルイスだ。彼女の気持ちを知っても引き下がる気は無かった。
ルイスはまだリディアナを知らない、もっと彼女のことを知りたい。そして知ってほしい自分のことも。
ずぶ濡れのリディアナにここに留まるよう説得をする。絶対に逃がしてたまるか。
リディアナは王太子であるルイスに臆することなく意見し、視線も逸らさない。
ルイスはこの心地のいい青い瞳に、ずっと自分を映していたかった。
***
リディアナは面白い。素直で明るく行動力がある。振り回されもするが、とにかく一緒にいて楽しかった。
問題も起こすが大変な読書家で、その知識の豊富さには目を瞠るものがある。
ルイスと政治の話をしても引けをとらず臆せず意見し、如何に彼女が努力家で聡明な人間かすぐに分った。
明るく跳びまわるリディアナも、静かに読書に夢中になるリディアナも、ルイスに突っかかって強い視線を向けるリディアナも、全てが好ましくルイスに心地よい時間を与えてくれた。
ルイスは意識して彼女を特別扱いした。
禁止区域の城内を散策させ、図書庫の借り入れの許可も出した。会えば必ず声をかけ、時にはお茶に誘いもした。
明らかな特別待遇のリディアナが、最有力候補と称されるのも時間の問題だと目論んでいた。
それなのに――。
「何故だ!?」
周囲はリディアナをルイスの婚約者ではなく、〝ご学友〟と認定した。
なぜ!? 私が悪いのか!?
いいや問題は当の本人が全くルイスを意識していないことにあると思う。だからこそ外堀から埋めて彼女の意識を変えようと、噂が立つのを望んでいたというのに。真逆に機能して足を引っ張られたと頭を抱えた。
「リディアナ様は他の令嬢と違い、少々男女の仲に疎いようです」
「あまり焦らず温かく見守ってみてはいかがでしょう」
近衛騎士や従者は主の気持ちを理解し協力的だ。しかし意見がリディアナ寄りの気がしてならないのは決して気のせいではないのだろう。
周囲がリディアナを御学友と判断しても、ルイスの性格を理解している家族には直ぐに見破られた。
祖母である王太后はリディアナに興味を抱き、昼餐会を開くことにした。
ルイスにも声がかかったが、どうしても外せない公務があり欠席と伝えていた。
しかし明らかに祖母と母はリディアナを見定めようとしている。
これは今度こそ周囲に彼女との仲を知らしめるいい機会だと考え、気合で政務を素早く済ませると、会の途中から参加することができた。
いつもよりおめかしをしたリディアナを見つけ心躍った。
ソレスと一緒にいるところに声をかけたがどうも様子がおかしい。
視線が合わず、どこかよそよそしい。
怒っているのか?
ルイスを避けようとするリディアナが気がかりで、太后にも気づかず笑われてしまった。
太后はルイスに協力してくれるようで、共にリディアナを誘ってくれた。
しかしここでもルイスの目論見は叶わなかった。
リディアナが王太后の昼餐会を台無しにしてしまった。
太后との距離を縮めるリディアナをよく思わない令嬢に、彼女は嵌められた。
リディアナのドレスを悪意で踏みつけた女を一睨みする。すぐに駆け寄り助けようとしたが、リディアナはルイスの手を取らなかった。
非難の目にもものともせず、彼女は毅然とした態度で立ち上がった。
謝罪をするリディアナに、彼女のせいではないと庇おうとしたルイスを太后が止めた。その意図を理解すると何も言えなくなってしまう。彼女もまた、一人で責を負おうとしていた。
リディアナは強い。
その堂々とした後姿に、不謹慎ながらもひどく惹かれた。だが振り返ったリディアナの顔を見た瞬間、自分の過ちに気づいた。
違う。彼女は傷ついていた。
気づいた時には遅く、リディアナは一人、避けるように出て行ってしまった。
「無事に部屋へお戻りになりました。それと心配したソレス殿下とサラーシャ様が暫くお側に付いておられました」
リディアナの後を追わせた近衛騎士の報告に安堵する。
会が終わり、直ぐにルイスもリディアナの元へ駆けつけた。
しかしリディアナは疲れてもう休んでしまったらしく、その日は会うことが出来なかった。
翌日も昼前に話がしたいと先触れを出したが、リディアナは今回の事を反省し、暫く外出せず部屋から出ないと返事が来た。
ならば自分が会いに行くと提案すると、今度は体調が悪く無理だと言われた。
ならば見舞いに行きたいと尚も食い下がったが、リディアナはうつしてはいけないからと、ルイスの面会を断った。
昼餐会の時から違和感を覚えていたが、どうやら気のせいではなかったらしい。三度も断られれば嫌でも気づく。リディアナがルイスを避ける理由は分からないが、ひどく焦った。
婚約者にはなりたくないと、初めて会った時から言われていた。
あの時は、今はそれでもいいとただ彼女を城に留まらせることに必死だった。彼女が帰りたいとしても、決してルイスを嫌っているようには見えなかったから。だがここに来て何か溝のような、距離が突然出来たような感覚に不安になる。
リディアナと過ごして気づいたことがある。
彼女は将来に絶望したことがあるのではないか。賢い分、早い段階で女として生まれた己の能力との乖離と待ち受ける未来を理解したであろう。
学院で出会った時の彼女は、何かに追いつめられ生き方に投げやりだった。
リディアナにとって知るという行動は息をするのと同じで、知識は尊く、学ぶのは生きることと同義であるようだ。
それがリディアナの本質であり生き方だ。
しかしそんな生き方は彼女の性別と身分から許されなかっただろう。リディアナは貴族の社会に馴染めずもがいていた。
しかしルイスの婚約者になれば、行く行くは王妃となり国母となる。行動は今以上に制限され、言葉は国の未来を左右するほどの影響力を持つ。
羽を広げて自由に飛びたがる彼女を、城という籠に閉じ込めていいのだろうか。
「たとえその翼を折ろうとも……」
心に芽生えた仄暗い燻りを奥底にしまい、気づかぬ振りをして蓋をした。
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