第29話 ルイスの回想ー消息不明の少年ー


「追いかけなくてもよろしいのですか?」


 ネッドは執務室で言い争う二人を外から窺っていた。

 リディアナが立ち去った後、ルイスは呆然と立ちつくして動かないままだ。

 お仕えする主の情けない姿に思わず声をかけてしまった。


「……ソレスが行った」


 背を向けて弱々しい声で答える主に、気付かれないよう小さくため息をつく。


「では迎えに侍女を向かわせます」


 そう言い残して執務室を後にする。

 廊下に出てリディアナの侍女を呼びに長い廊下を歩きだした。

 なんというか、陛下はどうしてもリディアナ様にだけは言葉を間違えてしまうらしい。


「リディアナ様も何やら勘違いをしているように見える。ただ鈍いだけか、陛下も素直に気持ちを伝えればいいものを……」


 本心を曝け出すことに臆病になっているようだ。

 本当に昔から、リディアナ様に対してだけは年相応の青年になってしまう。


「あれから六年も経つのか……」


 六年前、あれは初めて陛下がリディアナ様とお会いした時。お気に入りの宝物を見つけた少年のように、目をきらきらと輝かせ私を呼んだ。



   ***



 第一王子付きの従者であるネッドは、ルイスの私室に呼び出されていた。

 御歳十四の若き王太子は、父王や臣下に妃選びを勧められて辟易していた。

 この日は部屋へ入ると珍しく、御機嫌な様子で視察に行った王立学院での出来事を話してくれた。

 どうやらそこで気に入った学生がいたらしく、その者を将来王城で雇うのだという。名前を聞くのを忘れたので身元を調べるよう命じられた。


「歳は十二、三ですか。城で働くならあと五年は待たねばなりませんね」


 ルイスも頷く。それでも待つ価値があるという気のかけようだ。


「身なりは良さそうだが学校へ通えないのは爵位がないからだと思う。アルバートに世話を頼んだが、身元の確認と連絡手段を知っておきたい」


 上機嫌な主に返事をし、早速部下を使ってアルバート様の元へ向かわせた。追加で少年の身辺調査も命じておく。

 何も難しい話ではない。直ぐにでも期待に沿える報告が出来るだろうと高をくくっていた。

 ところが、調査は時間を要し、結果も期待通りとはいかなかった。



「アルバート様が面倒を見ている少年はおりません。最近は学校もサボりがちで、毎日侯爵家のご令嬢と親しく出かけられております」

「なんだその報告は」


 ルイスの声に苛立ちが浮かぶ。ネッドも不本意ながら続けた。


「アルバート様にお話を伺ったのですが、少年は殿下が去られた後にいなくなってしまったそうです。学校を調べてみたのですが、こちらにも少年の目撃情報はありませんでした。ただドゥナベルト伯爵家のレイニー様が外部の人間を校内に入れているという噂がありました。しかしこちらもお探しの少年とは無関係のようです」


 城下でも頭のいい少年を探してみたが、どれも主から聞いた特徴とはかけ離れていた。

 不甲斐ない報告に唇を噛み、無言で聞いていたルイスの表情を窺う。

 ルイスは全てを聞き終えると立ち上がり、窓の外を眺めて唇を引き結んだ。

 自身の気持ちを押し殺し、整理をつけている時の癖であるのは幼少期からお側に仕えていたネッドには分かっていた。


「わかった。持ち場に戻ってくれ」


 礼を取りネッドは私室を後にした。

 ルイスから更なる少年の捜索は命じられなかった。

 しかしネッドは釈然としなかった。普段の主は国政に携わっているせいか、何事にも常に緊張感を持って接し、隙を見せない。城内の重鎮達にも負けじと渡り歩いている。

 周りに厳しくそれ以上に自身に厳しい主は、大人びて見えてもまだ十四の少年なのだ。


『面白い少年がいる。その者を城で雇いたい』


 きらきらと瞳を輝かせ、うれしそうに話す殿下の願いを叶えて差し上げたかった。

 願わくは少年が約束を守り、自ら登城してくれるのを期待する。

 ネッドは立ち止まりひとつ呼吸を吐き出すと、気持ちを切り替えて持ち場へと戻っていった。



   ***



 王立学院で出会った少年の行方がわからなくなってから二年後。十六歳のルイスは、体調の思わしくない父王に代わり政務を一身に背負い忙しい日々を過ごしていた。


 次から次へと仕事は舞い込み、自分より年も経験も上の人間とやりあっている。そんな心身共に負担ばかりの日々を過ごしていると、ふとした瞬間にあの少年との出会いを思い出した。

 力強い真っ直ぐな瞳の少年。約束を果たしてやりたいが素性が分からなければどうすることもできない。自ら城に赴いてもらえたらと日々願っていた。


「あの時アルバートに託したのが恨めしい。今度会ったら嫌味の一つでも言ってやろう」


 独り言のように呟くと、目の前の大量の書類を前にため息をつく。少年を思い出すのは大抵集中が切れた時や、心が弱っている時だった。

 時計を見れば椅子に掛けてからもう6時間は経つ。

 ネッドにはよく休めと言われているが、全ての時間が勿体無い。

 それならばと、別件で用事のあった大臣のところへ気分転換も兼ねて足を運ぶことにした。


 目的の医薬大臣の部屋へ着くと、出迎えた大臣と簡単に挨拶を交わす。席を勧められたが時間もないので断った。

 大臣は前置きは省いて目的の件を淡々と話してくれた。聞きながら、何気なく部屋を見渡す。


「症状の改善がみられたので陛下にはこのままの薬で様子をみます。ただソレス殿下の方は容態が安定していませんので、もう少し時間をかけてお身体に合った薬を探してみましょう。……殿下、どうかなさいましたか?」


 ルイスは何気なく見回した部屋の、ある一点で視線が止まっていた。


「侯爵。これは何だ?」


 指で差したのはボードの上に飾られた額縁に入った写真。


「家族の写真です」


 照れくさそうに答えるエルドラント侯爵。

 その写真には侯爵と夫人が仲睦まじく肩を寄せ合い、微笑んでいる写真があった。そして二人の間ではにかんむもう一人のーー


「少女ではないか!」


 唐突に叫ぶルイスにトマスが驚く。

 どういうことだ? 他人の空似にしては似すぎている。

 トマスの家族写真に、なぜかルイスの捜し求めた青い瞳の少年がいた。侯爵夫妻に肩を抱かれて写真に収められている。しかも髪は緩く結ばれ胸元まで流れている。ドレスまで纏っていてはまるで少女のようだ。


「この者は一体何者だ!?」


 勢いよく顔を上げ、トマスを問いただした。


「娘のリディアナです。あの……どうかなさいましたか?」


 再び視線を写真に戻す。あまりに食い入るように覗き込んでいるのでトマスが戸惑っていた。

 ルイスは写真から目を離さず質問を続けた。


「侯爵に他に子供は? 息子はいるか? 親戚に似た青い瞳の少年は?」

「いいえ。娘のリディアナ一人です。妻はリディアナを産んで身体を壊しまして。親戚の子もこの子とは瞳の色が違います」


 似ている者はいないと、その言葉を聞いて頭ががんと殴られたような衝撃を受けた。


「好奇心旺盛で勉強が好きそうだ」


 心臓が早鐘を打つ。

 具体的な言葉にトマスは疑問を抱きながらも頷いた。


「ええ。娘にしておくのには勿体無いほど頭のいい子です。私としてはもう少し令嬢らしくして欲しいのですが」


 核心を得たルイスは最後まで聞かずに「失礼!」と断って部屋を飛び出した。

 すぐにネッドを呼び寄せた。



「レイニー=ドゥナベルトが校内に手引きしていた者を少年とは無関係とした理由は何だ」


 ネッドは突然の呼び出しと二年前の件を今更蒸し返す主に驚きながらも素早く答えた。


「少年ではなく少女を手引きしていたので無関係としました」


 ルイスは拳を握る。これで繋がった気がした。


「アルバートが侯爵家の令嬢と親しくしているといったな。それはエルドラント家の娘か?」


 ネッドは急いで記憶を辿り、「え? あ、はい! そうです!」と口早に答えた。

 髪をかき上げ、両手で顔を覆い、天を仰いだ。


「ハハハ」


 指の隙間から潜った笑いが漏れてしまう。

 状況が飲み込めないネッドに説明してやった。


「レイニーが手引きしているのはエルドラント侯爵家の娘だ。そしてその令嬢こそが、あの時私と約束を交わした少年なのだろう」


 ネッドはうまく呑み込めないようで、表情が変わらない。


「今侯爵の部屋で写真を見てきた。信じられないが、貴族の令嬢が少年の格好で学校に侵入していた」

「か、確認してきます!」


 ようやく事の顛末を理解したネッドは、慌てて部屋を飛び出して行った。

 後はネッドに任せておけば、今度こそ期待通りの報告が来るだろう。

 ルイスは窓辺に寄って外を眺めた。

 西日は夕日に変わり、空は薄闇に染まり始めている。


「まさか女だったとは……」


 どうりで探しても見つからないわけだ。

 どっと疲れが押し寄せ椅子に体を預ける。握った手をほどくと指の痕が残っていた。


「アルバートの奴め」


 ネッドに嘘の証言をしたという事は、あいつも少年の正体を知っているのだろう。知った後も付き合いが続いているのなら、世話を頼んだ身であるがムカムカしたものが込み上げる。


「後で問い詰めよう」


 瞼を閉じてまたあの心地好い青い瞳を脳裏に思い浮かべた。

 少年が本当は少女だった。しかも貴族の。その事実が胸の奥でじわじわと熱をおび、驚きから喜びに変わっていく。今すぐにでも会いに行きたくてたまらなかった。

 ルイスが喜びに浸っていると部屋の扉がノックされた。

 入出の許可をすると、宰相であるバルサ=ランズベルト公が入ってきた。

 机上の大量に残された書類を見て呆れた顔をされるが、知らぬ振りをした。

 丁度いい所へ来たものだと居住まいを正す。

 話の内容は分っている。最近のバルサは(バルサだけではないが)、会えばルイスに婚約話ばかり持ちかける。

 結婚も世継ぎを設けるのも王族としての義務であるが、はっきり言ってそんな余裕が今の自分にはなかった。

 祖父は時代もあって正妃の他に三人の妃を娶ったが、そのせいで父王は大変苦労したとか。腹違いの兄弟など後に争いが起こる火種にしかならない。

 そのお陰で父は母である王妃だけを愛し、ルイスも生涯愛するのはただ一人の女性と決めている。というか自分の性格上複数の女性を同時に愛せるとも思えない。

 だからこそ慎重になり、周りに急かされて焦って決めたくはなかった。

 しかし国王の病が深刻な今、ルイスの次期王としての足固めが必要なのも事実。今まではのらりくらりとかわしていたのだが、その日は違った。


「えー、殿下も聞き飽きたでしょうがーー」

「候補者の取り決めと選出は宰相と母上に任せよう。但し候補者が決まったなら一度私の元へ持ってくるように」


 ルイスの今までにない前向きな姿勢に、バルサは目を丸くしていた。


「せっかくだからソレスの婚約者も同時に決めよう。その方が国費もかかるまい」


 バルサは少し考えてから、ゆっくり口を動かした。


「これはこれは、一体どういった心境の変化で……。ですがまずは殿下のご英断に感謝申し上げます。それで、私はまずどのご令嬢に声をかければよろしいでしょうか?」

「なに?」

「どなたか好ましいお方を見つけになられたのでしょう?」


 眼鏡の奥の瞳がきらりと光り、探りを入れられる。

 相変わらず目聡い奴だ。

 ルイスも負けじと言い返す。


「そういえば宰相の子息が最近学校をサボりがちと聞く。しかも毎日どこかの令嬢に会いに行っているようだ。これはまた大物になりそうだな」


 バルサの眉がぴくりと上がる。効果覿面でいつもより早く退出してくれた。

 これでアルバートもリディアナと距離を置かざる負えなくなるだろう。

 ルイスは上機嫌で続きの政務に励んだ。


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