第27話 対の衣装


「泣いたのか?」

「寝不足なだけです」


 真っ赤な目で執務室に戻り仕事を再開したリディアナに、ルイスが筆を止めずに訊ねた。


「勝手に手紙を出して悪かった」

「そんな! 謝らないでください。逆に感謝しております。侍女の手配も助かりました」


 リディアナの世話は城のメイド達がしてくれていたが、気心の知れたナナリーが側にいてくれるのは心強かった。

 実家の事も、皆の気持ちを知って心の重みが少し軽くなった。


「リディアナ様。針子が舞踏会の衣装を届けに参りますので後で納品の確認をしてもらえますか?」

「わかりました」


 ネッドが顔を出しリディアナに仕事を頼むと、忙しそうに退出していった。


 程なくして応接室で作業をする衣擦れの音と人の気配を感じ、完全に気配が消えてからリディアナは席を立った。

 再び応接室に入り扉を背にぱたりと閉める。

 目的の衣装は、あった。だけど足が前に出なかった。

 リディアナは応接室に用意されたドレスを眺めていた。

 ルイスの礼服の確認とばかり思っていたら、そこには女性用のドレスもあった。ルイスの礼服と合わせたように作られた新品のドレスが隣に並べられていた。


「……あ、納品。衣装の、確認を……」


 ドレスは紫紺色であつらえられていた。胸元は大きく開き、真珠がちりばめられている。腰元から長いレースのドレープがふわりと流れ、可憐な中に上品さがあった。これを着る女性が、ルイスの瞳と同じ色のドレスを着る女性が、彼の大切な人であるのは一目瞭然だった。


「……」


 作業をする手が進まない。

 続き間ではない廊下に続く扉からノックがした。

 ゆっくりとドレスから扉へ視線を移すが、紫紺色のドレスを目の当たりにしたせいか正体を隠すのをすっかり忘れていた。


「ソレス殿下の内官が面会に来られました」


 近衛騎士もまさか応接室にリディアナが残っているとは思わなかったのだろう。扉が開けられると見知った顔の男が入出した。


「リディ、アナ?」

「……レイニー?」


 二人は互いの姿に驚いた。レイニーも王の応接室にリディアナがいるとは思わなかったのだろう。


「驚いた。アルバートに帰ってきているとは聞いていたけど」

「私もびっくりしたわ」

「きれいになったから一瞬誰だか分からなかったよ」


 顔を赤くして短い髪を撫でつける。レイニーはまた背が伸びて更に美丈夫になっていた。柔らかい微笑みは昔と変わらない。


「その、ごめんなさい。相談もせずに突然姿を消して」

「いいや。君がアルバートを頼ったのは正解だよ」

「?」

「私の父ドルッセン=ドゥナベルトはランズベルト公爵やエルドラント候爵とは政治的に対立しているからね」

「そうなの? でも……」


 アルバートとレイニーはあんなに仲が良いのに。家同士が敵対していたなんて全く知らなかった。


「君が何を言いたいのかわかるよ。周囲は僕達が一緒にいるのをよく思っていない。将来必ず政敵になると分かっているのに一緒にいるなんて可笑しな話だろう?」


 政治的な派閥は存在し、交友関係も同じ派閥の中から選ぶのがあたりまえだった。

 どちらも嫡男として家督を継ぐ者同士なら尚のこと、敵対している家の子と仲良くなるのは避けるのが普通だ。


「僕は無意味な時間だと言ったんだが、アルバートがーー」

「アルが?」


 思わぬところで二人の友情秘話を聞ける機会を得た。興味を持ったリディアナはその先を知りたがったが、レイニーは一瞬笑顔が抜け落ちたような表情を浮かべ、だけど直ぐにまた困ったような微笑を浮かべた。


「……忘れた。この続きはアルバートにでも聞いてみて」


 笑顔で誤魔化されたがレイニーがこんな態度をとるのは珍しかった。

 恥ずかしさの中に言いたくないと、拒絶するような雰囲気が混ざっており、興味本位で聞いてはいけないと感じて口を閉じた。


「レイニー=ドゥナベルトか……」


 執務室からの扉が開かれ、気だるげにルイスが入っ

てきた。

 そういえば仕事の途中だったと思い出し、慌ててルイスの方へ駆け寄る。

 レイニーがルイスに挨拶をした。


「申し訳ございません。こちらの手違いで書類が一通抜けておりました。ネッド様に渡して去ろうと思っていたのですが……」


 レイニーは礼を取り事情を説明すると、用件の書類らしき物を差し出した。


「あれは今別件で出払っている。私が直接もらおう」


 ルイスは書類を受け取ると、もう用は無いとリディアナの腕を掴んで執務室へと戻った。

 扉が閉まる前にレイニーと目が合った気がしたが、別れの挨拶は出来なかった。


「ル――」

「本格的に人手不足だな」


 扉の前に立ったまま額をおさえて溜め息を落とす。それからリディアナを覗き込み、「変なことは言われなかったか?」と聞かれた。

 リディアナは大きく首を横に振る。ルイスの安堵した表情にくすぐったさを感じた。


「もうすぐ君達が持ち帰った証拠でトマスの無実を証明する」


 ルイスはバルサから全て聞いたようだ。その上で父の味方となり動いてくれていた。


「ありがとうございます」

「トマスの無実が証明されたなら君は堂々と暮らしていける。それまでは窮屈かもしれないが、私の後ろに隠れていてほしい。私に君を守らせてほしい」


 切実な申し出の中には、婚約者の時に出来なかったルイスの後悔が感じ取れた。元婚約者の自分には過分な対応だと思うが、同時にリディアナも彼の意思を無視して突き放した後ろめたさがあったので、申し出を素直に受け入れることにした。


「陛下のお心遣いに感謝いたします」


 今の生活が我慢を強いられているわけでも、ルイスのせいでもないと伝える。


「……名で呼んでくれ」

「はい。ルイス様」


 返事の代わりにルイスの手がリディアナの頬に伸びた。

 また頬に触れられると思ったリディアナは、体を強張らせきつく目を瞑った。しかし手は宙で止まり、触れることはなかった。

 リディアナが片目を開けると、ルイスは視線をそらして両手を腰にあてて執務机に戻っていった。

 リディアナも赤い顔を悟られないよう慌てて机に戻る。


「……」

「……」


 気まずい雰囲気の中でペンの走る音だけが聞こえた。

 近いと思うと離れていく。

 王都へ向かう馬車の中では必要以上に近づき触れてきたルイスであったが、城に戻ると節度を保ってリディアナに接していた。

 ルイスの私室を使わせてもらっているが、入ってくるわけもなく、仕事中は無駄話もなく、主従の関係を尊重してくれた。

 昔のように近いと感じたルイスとの距離は、今は少し遠くに感じる。当たり前のことだが、それを少し寂しいと思う自分もいるのが事実で……。


「……」


 ルイスにはもう新しい婚約者がいるのだから当たり前か。

 書類の上に置いた手がきつく握られる。

 ルイスの衣装と対に作られたあの紫紺のドレスが、いつまでも頭から離れなかった。


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