第25話 フェロモンにあてられる
海沿いの道から内陸へと入り、整備されていない道をひた走る。
休憩という休憩も取らずに王都へ急ぎ向かっていた二人だったが、港町を出発して三日後には国王の護衛騎士に追いつかれ、宿場で引き止められてしまった。
別々の部屋で軟禁状態で待機させられたリディアナとアルバート。
翌日、国王を乗せた馬車が到着すると、二人は一つの部屋に集められた。
「アルバートに、リンディだったか?」
『リンディ』のところで鼻で笑われる。
「すぐに追手を向かわせたが、そなた等は王都に火急の用でもあるらしい」
中々追いつけなかったと嘆くルイス。膝を折って首を垂れる二人に緊張が走る。
「我々も王都に戻るところだ。整備されていない林道は野盗も多く危険なので同行しよう。騎士は手練れを集めているので遠慮は要らん」
「……?」
リディアナとアルバートは顔を見合わせた。てっきり空白の一年を問い質されるものと思っていた。ところがルイスは帰路の協力を申し出ただけだった。
しかし部屋には首を縦に振るまで逃がさないぞという雰囲気が漂っていた。
国王のありがたい申し出を一臣下が無下に断るわけにもいかず、二人は黙って従うことにした。
状況はよろしくないが、ルイスが直ぐにでも二人から事情を聞きだすつもりはないとわかり安堵した。
翌日、朝日が昇ると共に一行は宿場を出立した。
アルバートとリディアナは隊列の後ろのそのまた後ろに付いた。
しかし騎乗している騎士に前へ前へと追い立てられ、ルイスを乗せた馬車の真横で走る羽目になる。
絶対に逃がさないと言われているかのように前後を包囲されていた。
馬車からは時折視線を感じるし、騎士は神経を張り詰めているし、安全面では心強くても気疲れする旅となった。
宿を出て三時間ほど走ると、護衛隊長が馬車の小窓から伝令を受け取った。そして手綱を動かし、リディアナの方へとやって来た。
「陛下がマンディーゼル橋の件でリディ、リンディ様? から詳しく話を聞きたいと申しております。次の休憩から馬車に乗ってください」
「陛下の馬車に私が?」
並走する護衛隊長が頷く。つまりルイスと二人きりになるということだ。
アルバートがなんのことだとリディアナに視線を向ける。そういえば事の顛末をアルバートに話していなかった。
リディアナはとりあえず護衛隊長に返事をした。
「一時だとしても私ごときが陛下と同乗するわけには参りません。後で詳細をまとめたものを城へ届けます。陛下にお伝えください」
隊長は何か言いたげだったがとりあえずその場は引き下がってくれた。
休憩になり、馬に水を与えながらアルバートに経緯を説明した。
「お前っだからあれほどやっかいごとに首を突っ込むなと……!」
「その通りです。ごめんなさい」
一心不乱に水を飲んだ馬は、今度は餌を寄越せと強請ってきた。二人はそれぞれの馬に無言で餌を与えた。連日の緊張感に精神がすり減り、さすがのアルバートにも疲労が見て取れた。
黙々と馬に干草を与えて休憩は終わった。
出発前に護衛隊長が再びリディアナの元へやって来た。
「時間が勿体無いとのことです。陛下は直ぐにでも話を聞きたいそうですので、ご案内します」
こちらの返事も待たずについてくるよう歩き出してしまう。
アルバートには心配要らないと伝え、仕方なく隊長についていった。馬車が近づくと憂鬱で足が重くなった。
さて、どうしたものか……。
なかなか馬車の扉を開けられず、ステップに足をかけて躊躇していると、背後から護衛隊長に「陛下は懐が深く優しい方なのですぐに謝れば大丈夫かと……」と励まされた。
リディアナは頷き、覚悟を決めてルイスの待つ馬車に乗り込んだ。
馬車は外から見る質素な感じとは違い、内装はとても豪華で居心地が良さそうだった。
ルイスは椅子に腰かけて書類の確認をしていた。
こちらを見もせず座るよう顎で促される。ルイスの正面から少し位置をずらして腰を下ろすと、それが合図のように馬車はがらがらと音を立てて動き出した。
ルイスは書類を投げ出すと、ゆっくりとした動作で顔を上げた。
何を言われるのか。居心地が悪くてそわそわと体を揺らす。
「リディアナ」
名前を呼ばれただけなのに、心臓が大きく脈打った。擦れた声と懐かしい響きに心が震える。
「リディアナ」
もう一度呼ばれ、おそるおそる顔を上げる。紫紺の瞳と視線がぶつかると、吸い込まれるよう目が離せなくなった。
「リディアナ。リディアナ」
噛み締めるように何度も何度も名前を呼ばれた。懐かしさとうれしさで思わず返事をしそうになる。
「――っいやいやいや!」
危なく懐柔されるところだった。
視線が外れると、ルイスの優しげな瞳が一瞬で険しいものに変わる。前かがみになってリディアナを下から覗き込んだ。
「まだ別人と言い張るつもりか? 私を騙せると思っているのか?」
「う……」
「諦めろ」
「うぅ……」
「ハァ、まさか男装までするとはな」
呆れたように腕を組んで椅子にもたれかかる。
「私は、相当、頭にきている」
「……はい」
「言ったはずだ。何も心配要らないと。それなのに君は勝手に決めて勝手に行動して」
返す言葉もなく視線が落ちる。
「ずっと、心配していたのだぞ」
顔を上げるとルイスの顔には憂いが帯びていて、ぎゅっと心臓が締め付けられた。
「あの、陛下」
「名前で呼んでくれ」
「……ルイス様。実は男装で生きてみて思いついたことがございます。私はこのまま男装で政務官を目指してもいいのではないでしょうか」
「は?」
「ですから政務官をーー」
「だめだ。ドレスを用意させる。城に戻り次第すぐ着替えるように」
意を決して今後のことを話そうとしたリディアナをルイスは遮り、怒って視線を反らした。
リディアナもむっと口を引き結ぶ。
「そこまでしていただかなくて結構です。王城に着いたらすぐおいとまします。それに私はーー」
「黙れお転婆娘」
昔なつかしのあだ名で一蹴される。
ルイスの体がゆっくりとリディアナの方へ倒れた。
狭い馬車の中ではすぐに目の前まで距離がつめられてしまう。
ルイスの骨ばった細く長い指が伸びて、リディアナの頬におそるおそる触れた。驚いて肩が跳ねる。ルイスはお構いなしに指で頬を辿わせた。
「あ、あのぉお!?」
「ようやくみつけたのに、私が放っておくと思ったか?」
吐息のように吐き出された掠れた声と紫紺の瞳に縫い止められて、金縛りにあったように体が動かない。
指は手の平に形を変えて、宝物を扱うように頬を優しく包み込んだ。
ルイスの瞳に長いまつげがかかると、リディアナにはもう何もかもが限界だった。
「わあああああああああ!」
唐突に奇声を上げるリディアナ。ルイスの手を払いのけて隅に逃げ込んだ。
ルイスは手を宙に浮かせたまま唖然としている。
「わかりましたすみませんでした認めますからその無駄にフェロモン振り撒くのやめて下さい気持ち悪い!」
早口で一気に捲し立てるリディアナに、ルイスは口をあんぐり開けて固まってしまった。
「きも、な、フェロ……出してないわ! 馬鹿者! 気持ち悪いとは何だ気持ち悪いとは!」
「あ」
まずいと慌てて口を押さえたが既に手遅れ。ルイスは顔を真っ赤にして怒りに震えていた。
「陛下!? 何事ですか!?」
馬車の外で護衛が心配そうに声をかける。ルイスは不機嫌に「なんでもない!」と声を荒げた。
「す、すみません……」
「……」
口を抑えたまま指の間からくぐもった声で謝る。
ルイスは顔を背けて黙り込んでしまった。
沈黙が苦しい。
「……だ、だって、ルイス様変わりすぎですよ。か、かっこよくなって、ただでさえ大人なルイス様に慣れなくてどきどきしているのに、フェロモンまで撒かれたら心臓が痛くて気持ち悪いんですよ……」
ぼそぼそと壁にむかって独り言のように言い訳をする。先程からルイスに見つめられると心臓が痛くて本当に気持ちが悪いのだ。
もう一度謝ろうとルイスを盗み見れば、窓枠に肘をつけ、顎に手を添えて外を見ながら「そうか……」と消え入りそうな声で返事をした。
二人の間にガタガタガタと馬車の音だけが響いていた。
今までルイスと一緒にいて会話が成り立たなかったことがあっただろうか。
ああ、もう気まずくて耐えられないから次の休憩で降ろしてもらおう!
リディアナがそう決意すると、ルイスが突然立ち上がって隣に移動してきた。
「な、なぜこちらに来るのです!?」
慌てて一人分の席を開けて端に移動するが、ルイスも追いかけて腰を動かす。逃げ場がなくなると腰と腰が当たるほどの距離で座っていた。
「ちょ、ルイス様!」
「相変わらずかと思っていたが、少しは君も成長したのか?」
「はい!?」
訳がわからない。リディアナの成長とこの至近距離とになんの関係があるというのか。
「近いですって!」
リディアナは窓枠に手をついて必死に逃げようとするがいかんせん狭い馬車の中である。どうやっても逃げ場は無かった。
「あっ」
ルイスは退くどころか手を伸ばしてリディアナに再び触れた。髪を一房とられるが、短い髪はすぐにするりと手から零れてしまう。
「綺麗な長い髪だったのに……」
残念そうに呟くルイス。もう一度髪を取ると、今度はねじる様に絡めとり、その端正な顔をゆっくり近づけてそっと口づけを落とした。
「わあああああああ!」
対応不可案件に二度目の奇声を上げる。再び外から慌てた護衛達の声がかかった。
「何事ですか!?」
「ハハハ! 心配ない!」
大口を開けて笑うルイスを見て、先程まで心を占めていた抵抗と羞恥が霧のように消えて一気に冷めた。
「……ルイス様。私で遊ばれてますね?」
リディアナはルイスにからかわれていたのだと気づき、恨めしく睨んだ。
「なぜそう思う?」
明確な答えは見つからなかったが、尚も楽しそうに髪をいじるルイス。反応したら負けだともう好きにさせておく。
「その、勝手にいなくなって、怒ってますよね」
「そうだな」
席は隣のまま髪もいじられたままだが、腰は少し離れて体は程よい距離を保っている。
「だが変わらなくて安心している自分もいる。とにかく息災で何よりだ」
目尻を下げて穏やかに笑みを浮かべるルイス。リディアナもルイスと同様に、変わらない気安さを抱いていた。
一年前、一方的に諦めて断ち切った関係。罵られ、無視されても仕方ないと覚悟したが、まさか再び笑顔を向けてくれるとは思わなかった。
変わらず接してくれるルイスの懐の深さに感謝すると同時に胸が苦しくなった。
「ルイス様もお変わりなく、お元気そうで何よりです」
逆にぎこちない笑顔になってしまったリディアナ。
容姿はより魅力的になっても彼の根本的な中身は変わらない。こうして進まない工事の視察に自らの目と耳で現場を知ろうとする姿勢は、国王に即位してからも民の生活に寄り添い、政治に真摯に取り組んでいる何よりの証拠だった。
リディアナが失踪して婚約者の地位も反故にされた今、ルイスの隣には既に新たな婚約者が居るのだろう。
いつまでも王妃の座を空席にしておくわけにはいかない。
王都へ戻れば嫌でも結婚の話は耳に入るだろう。元婚約者であるリディアナが、国王ルイスに会う機会は二度と訪れないかもしれない。
リディアナは居住まいを正すと隣に座るルイスに向き直った。ルイスも触れていた髪を離す。
「陛下の元を黙って去り、申し訳ございませんでした」
頭を下げて一年前の非礼を詫びた。
「私の存在が陛下の足を引っ張り、国のためにならないと判断しました」
ルイスは口を開きかけたが、思い止まり黙って聞いてくれた。
「お察しの通り、一年前私は髪を切り、婚約者の地位とエルドラントの名を捨てる覚悟でリンディと名を変え旅に出ました」
「勝手に捨てるな」
「……すみません。ですが何も出来ずに指をくわえて待つのは嫌だったのです。国のため、陛下のため、父のためにできることを自分の手で探したかったのです。そして許されるのならこれからも――」
リンディとして暮らしていくのも選択肢の一つだと思った。もしかしたら女として生きるより、このまま男として生きていく方が夢に近いのもいいかもしれない。
王都へ戻ってからの去就について、選択肢の一つとして考えるようになった。
「名で呼べ」
「……ルイス様」
ルイスは背もたれにかかって深く長いため息を溢した。
「……また逃げられても困るしな」
「?」
「ならばリディアナ。王城で私の仕事を手伝わないか?」
「はい?」
あんぐりと口を開けた姿はとてつもなく情けない顔だったろう。
「男装で働けば侯爵家に悪い噂がたつ。政務官にこだわっているようにも見えない。国のために何かしたいのなら、私の下で働けばいい」
それはそうだと納得しかけた自分を慌てて追い出す。
「ちょ、ちょっと待って下さい。私、王都へ戻ってもまだエルドラント家に戻るつもりはなくて」
「城に部屋を用意させる。そこで寝泊りすればいい」
「いやいや失踪した元婚約者が側で働いているのはどう考えてもおかしいですよ」
「人前には出さん。私の執務室で書類の整理をしてくれればいい」
「ルイス様はよくてもーー」
今お側にいる女性は、新しい婚約者はどう思うのか。
言葉にしようとするが喉の奥でつかえる。
「人手が足りなくて困っているのだ。優秀でも信頼のおける者はそういない。その点どちらもクリアしている君なら安心して仕事を任せられる」
ルイスから優秀で信頼のおける人材だと断言されれば気分もよく心が揺れてしまう。
「ネッドがな……」
ルイスは目頭を抑えて「過労で倒れる寸前なのだ!」と悲痛に訴えた。
ルイスの侍従であるネッドには婚約者の時に大変世話になった。
古くからの側近である彼がルイスの仕事を一身に受け持っているのは想像に難くない。
そして今回、城を空けてお忍びで出かけたのもあり、ネッドの負担は相当の様だった。
「この一年ろくな休みも与えられなかったというのに、帰れば橋の件でまたあいつを働き詰めにさせてしまう」
「そんな……!」
「だから代わりに君が、マンディーゼル橋の件だけでも担当してくないか? 君が考案したのだから直接携わった方が話しも早く進むだろう」
「それは、確かにそうですね」
「責任者に君の名前を入れておこう」
「え? 責任者?」
「これであの町の者達も助かるのだな」
「そうですね……で、でも――」
「ネッドにも一年ぶりに休みを取らせてやりたいなあ!」
「ああネッドさん!」
「城に着いたら君には早速私が不在の間に届いた書類を優先順位に整理して欲しい。後の細かい事はネッドに教えてもらうように」
がたがたん! と馬車は一際大きく跳ねると、スピードがゆっくりになって体が大きく縦に揺れた。
「宿に着いたようだな。部屋を取らせるからゆっくり休むといい。明日からは少しでも早く私の仕事を理解してもらうために、また馬車に乗り込んで勉強だぞ」
「は、はぁ……」
素っ頓狂な返事だったがルイスにとっては満足のいく返答のようだった。
笑顔で先に馬車を降りると、呆然とするリディアナをエスコートしてご機嫌よく宿場へと入っていった。
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