第24話 旅の終わりから再び王城へ
フェルデリファの潮風を受け、リディアナ=エルドラントは一年ぶりの祖国に足を付けた。
アルバートと二人、トマスと別れた後に十日間の船旅を経て、フェルデリファの玄関口である港町キャンベルに到着した。
キャンベルから王都まで馬で駆けても三日はかかる。そのためリディアナは男装を継続していた。
賑わう港町で少年の格好をした少女が、かつてこの国で王太子の婚約者だったと気付く者はいなかった。
「あーやっと着いた。もう船はごめんだ」
後ろから降り立ったアルバートはふらふらと足取りおぼつかず具合が悪そうだ。
「アルのは船酔いじゃなくて二日酔いだろう」
船のせいにするなと注意する。
「馬は……まだ来てないようだ」
バルサの手の者に馬と荷物を受け取る手はずになっていた。
「先ずは腹ごしらえしねぇ? 胃の中がからっぽだ。そこの店で先に注文しててくれ。俺は必要なもの買い足してくるわ」
アルバートではないが、十日も船の中で暮らしていれば温かいスープや新鮮な野菜が恋しくなる。
リディアナとアルバートは二手に分かれて行動を開始した。
指定された店へ入ると、恰幅のいい店主がカウンター越しに出迎えてくれた。
サンドウィッチとスープをそれぞれ二つずつ注文し、四人がけの空いたテーブルに一人座った。
店内には日焼けをした恰幅のいい男達が昼間から酒を酌み交わし、リディアナのような旅人もちらほらみられ、賑わっていた。
リディアナの席に料理が運ばれてきた。
湯気がたちこめたスープは具沢山でダシの香りが優しく漂う。パンから具がはみだすほどボリュームのあるサンドウィッチは食欲をそそり、お腹が鳴った。
「お若いのは旅行客かい?」
食事を運んだ店主が気さくに話しかけて有益な情報をくれた。
「今マンディーゼルの橋は渡れない。こないだの嵐で流されっちまってな。陸路から王都へ向かうには迂回しないといかんぞ」
なんと! これから通ろうと思っていた街道が塞がっているという。
「ここ最近でかい嵐が立て続けにきてなあ。半年前に壊れた橋をようやく直して開通したばっかだったんだ。それがまた直ぐ流されっちまって、そのたんびに国は街の奴らを借り出してくっからこっちは商売上がったりだぁ」
店主は街が困った状態なのだと聞かせてくれた。
「まぁ、最近じゃ連中みたいに工事ほっぽり出して昼間っから酒を酌み交わしてる連中も増えたがな」
リディアナは目深に被った帽子からちらりと恰幅のいい男達を盗み見た。
陽気に酒を飲んでいるというより、愚痴を言い合って不穏な空気が流れていた。
リディアナは情報をくれた店主にチップをやる。店主と入れ替わるようにアルバートが戻ってきた。
「リンディ大変だ、この先の――」
リンディは男装中のリディアナの呼び名だ。
「マンディーゼルの橋が流されて街道を通れない。修復もボイコットで進んでない。だろ?」
さっき聞いたと教えてやると向かいの席を勧めて、頼んでいたスープとサンドウィッチを渡した。
「どうりで馬が来てないわけだ。再開の目処は立っていないらしい。ここで足止喰うわけにいかないぞ」
「海沿いを迂回して王都に向かおう」
予定では三日後には王都でバルサに報告できると思っていたが、整備されない道を迂回すれば七日はかかる。それでも橋の完成を待つより早いだろう。
「それなら馬を借りないとな。お前はゆっくり食って体力温存しとけ」
そう言うと食事を掻きこんで店を出て行った。
アルバートはこういう時なるべく自分で動こうとする。『お前が動くと余計な問題まで付いて来る』というのが理由だそうだ。
リディアナは馬と旅の支度はアルバートに任せ、ゆっくり食事を堪能することにした。
「ちくしょう!」
テーブルの叩く音で、店内で食事を楽しんでいた客の会話が途切れた。
「国は俺達のことなぁんにもわかっちゃいねぇ!」
「そうだそうだ!」と仲間も同調する。なになら雲行きが怪しくなり何組かの客は足早に席を立った。騒ぎに巻き込まれたくはないリディアナも、最後の一口を口に運んで席を立った。
「だから若い王はだめなんだよ!」
出口に向かっていた足がぴたりと止まる。
「街道整備のせいでここいらの職人達は出払っちまうし、皺寄せで俺達が改修工事に借り出されてよぉ。人手不足だっつってんのに工期を早めろとか役人風情が無茶言いやがって! 旅人しか使わない街道整備なんてやめてこっちに人員回せってんだ! 経験の浅い王様にゃ俺達農民の苦労が分からねえんだ!」
酒のせいで大口を叩いているようだが、さすがに言いすぎだと仲間達も慌てて止めに入った。
関わるべきではないとわかっていても聞き流せなかった。
「あのー、もしや橋を直してくださっている方ですか?」
突然声をかけられ身を強張らせた男達。リディアナは目深に被っていた帽子上げて挨拶した。無害な少年に警戒を解く男達。店主がリディアナを心配そうに窺っていた。
長かった髪は顎のラインで切りそろえ、格好だけではなく話し方や振舞いもこの一年徹底して男の子に成りきった。
「兄と王都へ向かうのですが、橋が壊れて困っていたのです。おじさん達が直していると聞いてお礼を言いたくて声を掛けました」
無邪気に話しかける自分は、世間知らずのいいとこのお坊ちゃんといったところか。
アルバートが言うには無理に年頃の男を演じるより、十四歳くらいの少年を装った方が違和感はないらしい。
男達は目配せをする。リーダー格の男が面倒くさそうに答えた。
「坊ちゃん悪いがあの橋は暫く通れねぇ。王都に行きたきゃ海沿いを迂回して行くこった」
話は終わりとばかりに手を振って追い出そうとする。リディアナは首を傾げて食い下がった。
「どうして直らないのですか? おじさん達は橋を直す気がないのですか?」
男達はそうだとばかりに酒をあおった。
「国の要請に背いて昼間から酒浸り? おまけに王様の悪口まで言って、ここに役人がいたら捕まっちゃうね」
リーダー格の男は顔色を変えて酒瓶を床に叩き付けた。瓶の割れる音に残った客も遠巻きに心配して様子を見ている。
「何も知らねえガキが生意気言ってんじゃねえぞ!」
男はリディアナの前に立ち今にも殴りかかる勢いだ。
「お、お客さーん。やめてくださいよー」
カウンター越しに店主がおろおろと止めに入るが、リディアナはお構いなしに男達を睨み返した。
「何も分かってないのはおじさん達の方だ」
悪いが一歩も引く気はない。
「マンディーゼル橋を通るのは人だけじゃない。おじさん達が口にする食材や着ている服、今飲んでいるお酒だってみんなあの橋を渡ってやってくる。橋が完成しなかったら生活に必要な物資は滞り、この店の酒も一月で空になるよ」
迂回路は整備されていない道で馬車は通れない。つまり橋はこの街にとって生命線なのだ。今は在庫分で生活できても供給が止まったままでは綻びは現れ始めるだろう。
「流通が滞れば被害は甚大だ」
「橋が街の生命線なのは分かってるんだよ。だから数年分の食料を蓄えてる」
「物資は食料だけじゃない。王都から毎月支給される薬は種類と数が決められており蓄えはないはずだ。支給品以外で調薬できる医者は橋の向こう。もしおじさん達の家族が命に関わる怪我や病気をしたら? もし海賊が攻めてきたら? 医者も憲兵もすぐには駆けつけられない。橋を修理せず孤立した状態が続けば、人々を命の危険に晒すことになる」
男達の顔からは怒りが消え、戸惑いが広がっていた。
「王様はね、それがわかっているから早く皆のために橋を直してあげたいんだよ」
威勢がよかった男達は項垂れながら小さな声で呟いた。
「だが……、俺達にも生活がある。腹空かせて待ってる家族を養わなきゃならねえ。こう何度も工事に借り出されっちまったら、元々の仕事に戻れなくなって俺達は飢え死にしちまうよ」
リディアナは頷いた。
よかった。話を聞けない人じゃなくて。そうだよね皆必死に生きているんだ。
「だから少しだけおじさん達に知恵を分けてあげる」
男達は興味深々に一斉に顔を上げた。
「僕は色々な国を渡り歩いた。おじさん達のように何度も橋が流されて困っている国を見たことがあるよ。その度にお金と労力がかかって大変だと。そこで頭の良い人は考えた。『何度も流されるなら始めから橋は流される物だと考えればいい』とね」
男達だけでなく店主や他の客もリディアナの話に興味を向けていた。
「橋は丈夫に建てようとすればするほど時間と浪力と費用がかかる。それが年に何度も壊れていたら国も人も疲れて当たり前だ。だから頑丈な一つの橋をつくるのではなく、パズルのようにパーツを繋げる組立て式の橋にすればいいんだ」
「はあ?」
「まあ、僕が見た国と比べれば規模も材質も用途も違うけど、応用を利かせて、上からの力には強く、横からの強い付加が加わった時は解けるような……つまり普段は丈夫で、増水して流された時はわざと部品が外れて分解するような作りにする。壊れたわけじゃないから嵐が去った後に回収して組み立てなおすことも可能だし、もし壊れても組み立て式なら予備のパーツを用意しておくこともできる。そうすれば街の皆や旅人、国の負担は減るし補修も早く労力もかからない。どお?」
リディアナの話を固唾を飲んで聞いていた男達は、驚いて言葉を失っていた。
「おじさん達が今すべきはお酒を飲むことでも国を批判することでもなく、この提案を役所に持って行き現場の声を聞かせることだと思うんだけど」
「どうだろう?」と訊ねると男達は「最高だ!」と立ち上がり、リディアナの頭を撫でたり握手をしたりして雄叫びを上げながら出て行った。
お陰で帽子は床に落ちて髪はぐちゃぐちゃだ。
だけどあれが本来の姿なのだろう、晴れ晴れした顔にリディアナも嬉しくなる。
「よかった」
ほっと胸を撫で下ろす。店主が呆然と突っ立っていたが、やがて男達を慌てて追いかけていった。どうやらお代をもらっていなかったらしい。
「どうかあの人たちの暮らしが少しでも豊かなものになりますように……」
独り言のように呟き、拾った帽子を再び目深に被りなおしてアルバートと合流しようと店を出た。その時、突然見知らぬ男に後ろから腕をつかまれ、引きずられるように外へと連れ出された。
「な――!」
振りほどこうにも男の力が強くて逃げられない!
帽子が飛ばされないよう空いた手で必死に押さえ、無理やり引っ張る男を仰いだ。
「怪しい者ではない」
声を聞いた瞬間、心臓がどくんと跳ねた。
まさかーー。
男の背には見覚えがあった。腕から伝わる体温に手が震える。
そんなはずはない。こんな場所にいていい方ではない。
戸惑いが大きすぎて逃げる機会を逃してしまったリディアナ。気付くと人通りが薄れた路地に着いた。男が立ち止まると、後からも何人かの屈強な男達が追って来た。屈強な男達もとい護衛の顔には見覚えがあった。
あり得ない状況に愕然としながらも冷静になろうと努めた。気付かれないよう壁際に後退して距離を取る。
「驚かせてすまなかった」
ああ……、やはり。
リディアナの腕を掴んで連れ出したのは、この国の若き王で元婚約者のルイスだ。
一年ぶりに耳にする声は少し低くなっていたが、凛とした声音は当時のまま。懐かしさで鼻の奥がつんとなる。
「無礼を許して欲しい。君の声が知人に似ていたもので……。去り行く背に冷静さを失った」
「……」
落ち着け落ち着け! まだ正体はバレてはいない。
心臓はバクバクと鳴り響き、嫌な汗が滲み出る。
「呼び止めたのは先程話していた橋の件だ。とても興味深い話だったので詳しくーー……」
「?」
男は会話を途中で切ると、一気にリディアナとの間合いを詰めた。驚いてそれまで俯いていたリディアナの顔が僅かに上を向いてしまう。
「――あ」
まずい、と思った瞬間には遅く、紫紺色の瞳に絡め捕らわれる。慌てて視線を外そうとするが、ルイスはリディアナの顎を取って無理矢理に顔を上げさせた。
帽子が地面に落ちる。
驚愕の表情を浮かべたルイスの瞳が大きく左右に揺れた。
「本、物か……?」
搾り出すような声と歪んだ顔に心が痛む。
次の瞬間、リディアナはルイスに強く抱きしめられていた。
「――っ」
息が出来ないほどの強い抱擁に苦しくて身悶える。直ぐに体は離れてくれたが、今度は息を吸う間も与えられず肩を掴まれた。
「一体どこにいた! 無事なのか!? 何故こんなところに! その恰好は何だ!」
矢継ぎ早に質問されて身が竦む。説明しようにも犯した罪の重さに言葉が出なかった。
「っ心配したんだぞ……!」
真っ赤な目のルイスにリディアナまで泣きそうになる。
ルイスが大声で叫ぶので大通りの方はちょっとした野次馬が集まっていた。
そこに買い出しから戻ってきたアルバートが顔を現した。リディアナを捕まえているルイスに驚き駆け寄る。
「ちょっ、え!?」
アルバートは状況を掴めないまま、リディアナを庇うようにルイスとの間に入った。
「お、お久しぶりでございます」
ルイスはアルバートを一瞥すると、リディアナに視線を向けたまま「そういうことか」と静かな怒りで震えていた。
「モジビア国に留学したと聞いたが、嘘だったか」
「……陛下」
「身元を隠している。敬称は避けよ」
「は、はい」
「どういうことか説明してもらおう」
二人への質問だったがリディアナは口を固く引き結んだ。
今ここで正体を明かせば、旅の目的と経緯を説明しなければならない。話を聞いたルイスがどう判断するか、一年以上国を空けていた二人には予想できなかった。
当初の計画では、王都へ着いたら真っ先にバルサと会い、互いの情報交換と今後の方針を立てるはずだった。
王を騙し法を犯して勝手に行動したのだ。ここにはいないトマスと、トマスを逃がしたバルサも含めて四人は一蓮托生、連帯責任となる。
王都や世論の現状を把握できない状態でルイスに全てを打ち明けることは出来なかった。
もしバルサが侯爵の脱獄を協力した罪で捕まるようなことになれば、全てが台無しになってしまう。だからアルバートは苦し紛れではあるがこの場ではシラを切ることにした。
「あの、彼は」
ルイスの眉間の皺が深く刻まれる。
「彼……?」
「ええと、彼はリンディという名で、エルドラント家の遠縁に当たります」
「アルバート」
「は、はい」
「私を馬鹿にしているのか?」
「……いいえ」
アルバートは何も言えなくなり俯いてしまった。
「バルサが手を引いていたのか。どうりで行方が掴めぬ訳だ。ということは、トマスも一緒か?」
情報は何一つ与えていないというのに、ルイスは自力で真実に辿り着こうとしていた。
推理に注意が逸れた隙を見て、それまで大人しくしていたリディアナがルイスの腕を振りほどいた。
「! 待て!」
二人は脱兎のごとく大通りめがけて走った。問い質されても答えられないのなら逃げるしかない。
運よく大型船の寄港と合い、人の流れに紛れて二手に分かれて逃げることにした。
アルバートを気遣う余裕はなかったが、二人ともなんとか追っ手を振り払うことができた。
息を切らしながら事前に話していた集合場所へと向かう。同時に反対側から疲労困憊のアルバートがやってきて無事合流した。
「おい何がどうなってこうなった!?」
「……面目ない」
物陰に隠れ、アルバートが拾ってくれた帽子を目深に被り直す。先程とは別のマントを羽織り直して謝った。
二人はアルバートが借りた馬屋に急いで向かった。
「俺まだ手が震えてる」
「ごめん。でも港町に陛下がいるなんて思わないでしょ?」
「確かに想定外だわ。俺すげー睨まれたしほんと殺されるかと思った!」
「陛下は橋の件でお忍びで来られたそう。仕事は残ってそうだったからすぐに追っては来ないと思う。今の内に距離を稼ぎましょう」
「仕事放って来そう……」
体力的にも精神的にも疲労困憊の二人だったが、急いで旅支度を整えると半刻後には馬で街を出発できた。
走りながらリディアナはルイスのことを考えていた。
一年ぶりに会ったルイスは、青年の面影は消えて立派な大人へと変わっていた。
元々端正だった顔立ちは更に際立ち、聡明さは隠すことなく磨きがかかっていた。特に背はすらりと高く伸びて驚いた。
リディアナの内心は激しく動揺していた。もしアルバートが来てくれなければ危なかったかもしれない。
名乗って謝って会いたかったと叫び出しそうな自分がいることに戸惑った。任務を忘れて己の感情を優先してしまいそうだった。
馬に乗り、強風に身を打ち付けて邪念を払おうとするが、未だ高鳴り続ける鼓動はどうにも抑えられない。
せめて気づかない振りをして前だけ見ようと勤めた。
一年前に捨てたはずの気持ちが戻ってきそうで、怖かった。
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