第21話 被害者で犯人


 四人は広い談話室には移動せず、そのままアルバートの部屋で話すことにした。


「まずは二人に真実を教えよう。世間には伏せられ、両殿下と我々を含む少数の者にしか告げられていない真実だ」

「王弟ドミンゴ様が毒殺された件でしたら既に知っていますよ」

「……我が息子ながら恐ろしい奴だな。国の機密事項をどうやって知……まあいい。そう、ドミンゴは毒殺された。王妃、給仕と同じ毒薬で殺されたのだが、三人目の被害者となったドミンゴは、同時に王妃殺害の犯人でもある」

「「は!?」」


 アルバートとリディアナは互いに顔を見合わせた。

 ドミンゴが被害者で……犯人?


「どういうことですか? ドミンゴ様は毒殺されたのですよね。それでいて王妃殺害の犯人だなんてーー」

「というか、真犯人が分かっていたのですか!? それなのに何故公表されていないのです!?」

「これはさすがに知らなかったようだな。では順を追って説明しよう」


 そもそもの始まりは七年前。前国王であるルーカス王が病に臥せられ、政務から離れざるをえなくなった事から始まる。


「七年前!? ルーカス王はそんなに前からお体が悪かったのですか?」


 アルバートの驚きにバルサは「知らなかっただろう?」と満足げに答え、トマスに呆れた顔をされていた。

 驚きを隠せないアルバートと違い、リディアナはしっくりこなかった。

 なぜなら王都へ移り住んだのがちょうど七年前なので、ルーカス王が体調を崩される前と後を比べようがなかった。


「国王が倒れ、このまま政務に戻るのが難しいと分かった時点で、我々はこの事実を臥せることを最優先で考えた。なぜなら王位継承権第一位の王太子ルイス様は、まだ若干十一歳で若すぎたのだ。ルーカス王には少しでも長く在位していただくために、すぐにトマスを王都に呼び寄せた」


 それを聞いてリディアナは納得した。

 民の暮らしに寄り添う医者として、しがらみのない田舎で暮らすのをよしとしていた父が、急に大臣という要職について華やかな王都へ移り住むと言い出した時は、幼いながらに違和感を覚えた。

 国王と国の安定のために父はバルサの要請を受け入れたのだった。


「ルーカス王の病は深刻だったが、七年も耐えたのはトマスのおかげだ。まあ、トマスを捕らえたことで再び悪化してしまった訳だが……」


 最後まで治療が叶わず本人の納得のいくものではなかっただろう父を慮った。


「ここまで隠し通せたのはルイス様の政治手腕が天才的だったこともある。始めの二年こそ私も手助けしたが、少なくともこの五年、ルーカス様にかわり政務をこなしていたのはルイス様だ」


 ルイスが聡明であるのは会話の節々で感じていたが、まさかそんな幼い頃から国政を一手に担い、重責を背負っていたとは思わなかった。

 同時に王妃との話を思い出す。


『母上はわかっていたのだ。私はこの国を背負っていかなければならない身。その道に甘えは許されないと――』


 王妃が厳しかったのは王家の事情があったから。

 ルイス少年は甘えも許されず、国を守るために努力してきたのだった。


「トマスはルーカス様の病の進行を遅らせ、政務はルイス様を中心に事情を知るソレス殿下と私が支え、外交は経験豊かな王弟ドミンゴに任せた。それというのも野心家のドミンゴを国内に留まらせたくはなかった。箝口令をしいて手をまわしたがいつまでも隠し通せるはずもなく、やがてドミンゴはルーカス様の健康上の問題に気づいた。そして、やはりというか、欲が出た」


 ルーカス王とドミンゴは母親の違う異母兄弟だ。

 歳は十以上も離れており、ドミンゴはまだ若く健康で政治にも精力的だった。

 何より大層な野心家だったため、ルイス誕生と共に半ば強引に王籍から外された経緯がある。

 それでも彼の執着は強く、爵位を無視した行動もしばしば見られ、其れゆえの警戒が王太子側には常にあった。

 次期国王となる王太子ルイスは幼く、弟ソレスは病弱。ドミンゴに玉座が舞い込んでくる可能性はゼロではなかった。


「案の定ドミンゴは刺客を送り、何度もルイス様の命を狙った。そのいずれも未遂に終わり、確固たる証拠を残さぬところは敵ながらさすがだった。政治的な嫌がらせもあったがそれらはルイス様がことごとく食い止めていた」


 子供だとなめてかかった相手にやり返され、そうこうしているうちにルイスはどんどん成長していく。焦ったドミンゴは――。


「国内に出回っていない希少な毒で、確実にルイス様を亡き者にする強行に出た」


 毒はルイスの執務室に定時で運ばれる菓子に入れられていたという。

 その日は側付きの者が定刻にお茶を運んでいると、政務官に声をかけられ、一時その場を離れてしまったそうだ。その一瞬の隙に菓子に毒を仕込まれたのだろう。メイドはそのままテーブルに菓子をセットした。

 そして毒の入った菓子は、偶然居合わせた王妃の口に運ばれ、そのまま還らぬ人となってしまった。


「側付きと政務官が話しているところをメイドが目撃していた。側付きの業務も身辺も疑わしいところはなく、我々は政務官を重要人物として捜索した」


 政務官と従者の中から特徴の似通った男を発見した。

 政務官のカールは、かつてドミンゴの従者だった。


「ドミンゴと繋がっていたのですね」

「ああ。ようやく尻尾を掴んだと、その時はドミンゴを断罪できると思っていた。しかしカールはある日を境に出仕していないことがわかった。王妃殺害の証拠を隠すため、ドミンゴが奴を逃がしたのだとはじめは思ったのだが……」

「! まさかーー」

「カールが最後に出仕した日は、君がカルヴァン邸でしびれ薬を盛られた日だ」

「!?」

「カールは遺体で見つかった。カルヴァン邸で支給された給仕の格好をしてね」

「だから父上が捜査に乗り出したんですね。使われた毒薬が同じだっただけでなく、王妃殺害の重要参考人だったから」

「そうだ。そしてドミンゴは、リディアナをも亡き者にしようとした」


 ルイスの婚約で新たな世継ぎの誕生を警戒したドミンゴ。もし子供が産まれたら自分の継承順位は下がってしまう。それなら結婚前の警護の手薄な時期にリディアナを狙ってしまおうと考えた。


「ま、待ってください。それなら私は新種の毒を飲んだはずでは? でも私が実際飲んだのは痺れ薬でした」

「そうだ。ドミンゴの家からは新種の毒と痺れ薬両方が押収された。どこかで薬が入れ代わり、誤って痺れ薬を飲ませたのだろう。毒殺を失敗した責任と口封じでカールはその日に殺されたのだ」

「で、でもドミンゴも殺されているんですよね?」


 リディアナは混乱した。ドミンゴが真犯人であるのは疑いようがない。だがドミンゴも毒殺されているのなら一体どういう事なのだろうか?


「ドミンゴが病死か事故死なら即解決だったんだがな……。状況から他殺を疑わざを得なかった」


 続きをバルサに代わりトマスが説明してくれた。


「ドミンゴは自室のベッドで死んでいるのを従者が発見した。死体の側には遺書が置かれており、中身は自身の罪を告白するものだった。王妃殺害の罪に関与し、自らも命を絶って謝罪した」

「それなら自殺じゃないですか」

「不審な点が多く検死してみると毒を摂取する前にドミンゴは大量の睡眠薬を飲んでいたことが分かった」

「睡眠薬を?」

「はじめは睡眠薬で自殺を図ったのかと考えた。しかし量は致死量に達しておらず、屋敷中を調べてたが睡眠薬が入っていたであろう小瓶は見つからなかった。更に睡眠薬を服用した量と時間から、ドミンゴは毒を飲んだ時点で意識がない状態だったと判明した」

「意識のない者がどうやって服毒自殺ができる? しかも王妃が亡くなりになって半年も経ってから反省? ハッ! あいつは自ら命を落とすような奴じゃない」


 辛辣な言葉にはドミンゴに対する嫌悪が滲み出ていた。


「ドミンゴを殺した別の犯人がいるのですね」


 事件に関わりのある者が新たに加わり、どんどん話が複雑になってきた。アルバートの質問にバルサが難しい顔をした。


「誰がなんのためにドミンゴを殺したのか、まだわからない部分が多い。我々はドミンゴに協力者がいたのではないかと考えている。というのも、ルイス様に対する度重なる暗殺には幾重にも証拠を隠したような跡があり、ドミンゴ一人で事をなすのは不可能だと前々から思っていた。ドミンゴを王に据えて甘い汁を吸おうとした協力者がいたのだろう」

「なるほど。仲間割れをして殺した」

「推論だがな。ルイス様に仇なした犯人が他にもいるのなら、ドミンゴの遺書を真に受けて王妃殺害の犯人と世間に公表するのは早計と判断し、公表しなかった」

「早計て……。簡単に言わないでください。その判断で何の罪もない侯爵が拘束されたままなんですよ!?」


 アルバートが語気を強めてバルサを咎めた。


「他殺を疑ってもドミンゴの関与があったと公表するべきだったのでは? そうすれば侯爵が無実の罪で捕らえられることもなかった。さらに今の話を聞くと陛下と父上は侯爵の無実を知っていながら沈黙していたことになる。その間に侯爵やリディアナがどんな想いで過ごしていたか、どんなに苦しんだか。到底納得できません」


 アルバートの非難を黙って受け止めるバルサ。当事者であるトマスが庇うように答えた。


「それは結果論に過ぎない。当時は王妃が亡くなった後で、ようやく国内が落ち着きを取り戻していた大事な時期だった。国王の悲しみは癒えず、続けて王弟の死。まさか王弟によって王妃は殺され自らも共犯者の手にかかったと知れば、病で弱ったお体にどれほどの負担がかかるか。私より君主の健康を優先して当たり前だった」

「……」

「いや、我々の読みが甘かったのもある。侯爵家にも多大な迷惑をかけた。しかし我々もその時々で最善を選んできたのだ」

「……すみません」

「侯爵家を気遣ってくれての言葉だと分かっている。ありがとう」


 一番の被害者であるトマスが優しく微笑んだ。リディアナも同意を込めても頷く。

 アルバートは照れ臭そうに頭をかいて続きを促した。


「王の健康を隠した時点で綱渡りのような状態だった。事件の全容が解明しないままに情報を開示しても綻びが生まれて混乱するだけ。難しい判断だったがルイス様も全て明るみになってから発表すると決めた」


 誤算だったのは、何も知らないルーカス王がトマスに嫌疑をかけたことだ。


「トマスの不当な逮捕を知って、ルイス様はすぐにでもルーカス王に真実を告げると考えを覆した」

「それを私が獄中でお止めした。ルーカス王と国を守るために決めた事を、侯爵家のために簡単に取り下げてはいけないと進言したのだ。……すまないリディアナ。私はお前達に心配をかけるとわかって、自らが罪を被ることを選んだ。これ以上ルーカス王を苦しめたくはなかったのだ」


 リディアナは複雑な想いを抱きながらもゆっくりと頷いた。

 当時の状況でルイスの判断は間違っていなかったとリディアナも思う。

 あんなに恨んでいた母親の仇を、父親の体調と国の状況から一時でも沈黙を選ばなければならなかったルイスをどうして責められよう。


「もう一つの誤算は、トマスの嫌疑を晴らす前にルーカス様が崩御されたことだ。何も知らない世論は国王が死に際まで疑っていたトマスの罪を信じてしまった。王の無念を引き継ぐかのようにトマスを断罪する流れになった。その影響は婚約者であるリディアナにまで及び、方々から殿下の即位の前に新たな婚約者を立てるのが望ましいという声が上がった」


 既に非難と嘆願の声はルイスに届いていたようだ。


「世論はこの婚約に反対している」

「……」

「しかし陛下は破棄する気は全くないらしい。むしろ喪が明けて戴冠式を終えたら真っ先にトマスの拘束を解いてリディアナと結婚すると言い出した」

「は!? え? 陛下って……」


 半笑いでルイスの気持ちをからかうアルバートに、バルサは至極真面目な顔で大きく頷いた。


「マジですか……」


 意外そうに呟く。


「即位したばかりで世論と対立するのは全くもってよろしくない」

「それはそうでしょう。現段階でリディアナとの結婚を強行すれば貴族や平民の反発は免れません。陛下には弟君のソレス様がおります。出世のためにソレス様を王に担ぎ上げる輩も現れかねません。最悪、王の座をかけた内乱へと発展する可能性もある」


 アルバートの話を想像しただけで背筋が冷やりとした。ルイスは家族想いの優しい人だ。ソレスもルイスを慕っている。そんな仲の良い兄弟を争わせるなんて絶対に嫌だった。


「ソレス様も素晴らしい方だがルイス様以上にこの国の王となられる方はいない。あの方は生まれながらにして王の器を持っている」


 バルサの言葉にトマスも頷く。


「国は今、代替わりの時期によって不安定になっている。国王となったルイス様は若干十八歳。普通ならばその若さだけで混乱に陥るところが、幼き頃より国政に携わっていたお陰で、みなルイス様の即位に前向きだった」


 実績、正統性、適性の全てを兼ね備えたルイスの即位を、国民のほとんどが好意的に受け止めていた。

 ただひとつ、婚約者の存在だけが、彼の治世に影を落としていた。


「リディアナとの結婚を強行しようとしているのは反乱分子が食いつきそうなネタですね」

「ああ。結婚を諦めない陛下に説得と脅しを試みたが、それならドミンゴの罪を公表すると無茶苦茶言い出す始末。もちろんトマスは無実で君は王妃としての資質がある。しかし証拠のないまま前王がかけた嫌疑を覆すのは、即位したばかりのルイス様にとって危険な行為なのだ」

「やはり……、ルイス様はエルドラント家を守ってくださっているのですね」

「ん?」


 バルサの話を聞いて、婚約破棄と侯爵家を出ることはルイスのためになると改めて感じた。


「いや、それもあるのだろうけど、もっと根本的な陛下のお気持ちがあって……」

「なんか……かわいそうだな」

「すまない。あれはこの手の事がすこぶる鈍いのだ」

「?」

「とにかく! 最近の陛下と私はこの件で意見が対立していた。このまま強行されるくらいならトマスがいなくなった方がマシだと、牢屋から連れ出したのだ」

「いや強行は父上のほうですよ」


 やっと最初の問いに戻ったのだが、呆れるアルバートに悪びれもせずバルサは豪快に笑うだけで、その様子にリディアナも思わず同情した。


「これは私の意思でもある。父親をあまり責めないでやってくれ」

「お父様?」

「バルサの目的を聞いて誘いに乗ると決めた」

「目的とは?」

「毒薬に対抗する解毒薬を作ることだ」


 解毒薬を作る。

 確かに一番の適任はトマスである。


「これは逃げるための脱獄ではない。陛下の強行をお止めする他に、真実を突き止め、身の安全を確保するためでもある」

「しかし世論は脱獄したあなたを更に疑うことになるでしょう」

「覚悟の上だ。エルドラント家の当主を辞してもかまわない」

「侯爵!」

「リディアナの言う通り、わが侯爵家は婚約のおかげでもっている。しかし本来家名よりも守るべきは国であり、ルイス陛下だ。家督は親戚にでも譲り、田舎で家族と静かに過ごしてもいいのではないかと考えている。私のせいで国内に混乱を起こし、主君に迷惑をかけるわけにはいかない。お前も……そのために髪を切ったのだろう?」


 リディアナは真っ直ぐな瞳で父の決断を聞いていた。リディアナもルイスを守りたかった。父が自分と同じ考えで動いていたのがうれしかった。

 あの群集の非難の中にルイスを立たせはしない。だから自ら身を引くと決めた。


「ええお父様。私もエルドラントの名を捨てる覚悟でここに来ました。婚約者を辞して地位が無くなろうとも、それがこの国の、ルイス様のためになるならば本望です。お父様の英断に賛同いたします」


 たとえ自分がルイスの隣に立てなくとも、あの人の足枷になるより百倍マシだ。


「待て待て早まるな。どちらも勝手に辞められては困る。辞す、辞さないは別として、トマスはそのくらいの覚悟で脱獄したということだ。もちろん家名を残せるよう手は尽くすつもりだ。ソフィアやエルドラント家は私が責任を持って保護しよう」


 侯爵家に残された使用人達も、辞めたい者がいれば公爵家の紹介で仕事をまわしてくれるという。公爵家の後ろ盾を得られたのは心強い。

 二人ははバルサに感謝した。


「さて、話を戻そうか。ではアルバート」

「はい」

「早速だがトマスと国外に逃亡しててくれ」

「よくないですね! 話が飛びすぎです!」


 慌てるアルバートに喜ぶバルサ。


「荷造りさせただろう」

「しましたけど! 説明が足りないでしょう!」

「すまないな。君にも協力をお願いしたい」


 トマスが気の毒そうに割って入り、説明する。


「ドミンゴは外交を担っていて国外にいる機会が多かった。毒薬は国内にはない成分でつくられていることから、国外から持ち込んだ可能性が高いと考える」


 なるほど。毒薬を発見すれば、ドミンゴが犯人という証拠が見つかるかもしれない。そして下毒薬があれば今後毒の脅威からルイスを守れる。


「ここに過去五年分の外交の記録の写しがある。国内では慎重に動いていた奴も国外では痕跡を残している可能性は高い。証拠を掴み、共犯者をあぶりだすのがお前の仕事だ」


 やはり巻き込まれたとぼやくも、バルサからドミンゴの外交の記録を受け取ると中を確認した。


「過去五年分と言っても始めから暗殺を計画していたわけではないでしょう。直近から攻めた方が良さそうですね。私とトマス様は共に行動するということでよろしいですか?」


 父親達はそうだと頷く。


「まずは入手場所を特定すること。それからお前がドミンゴの痕跡を追い、共犯者を探す。同時にトマスには解毒剤を作ってもらうことになっている」

「次の犠牲者が出ないとも限らない。もう二度とあの毒で誰かを死なせたくはない」


 バルサはあらかじめ用意していた通行手形と旅の資金を渡した。もう今すぐにでも旅立たねばならないと言った。


「足止めはしているがトマスの脱獄が知れれば追っ手が来る。その前に王都を出立してくれ」


 三人はテーブルに広げた地図を指し、脱走経路の説明を始める。要所でランズベルトの手の者が協力してくれるという。


「私も行きます」


 輪の中に入れず取り残されていたリディアナが、旅の仲間に名乗りをあげた。


「「駄目だ」」


 トマスとアルバートが即座に止めた。

 断られるのは覚悟の上。女だから、危険だからと言われても引く気はなかった。


「旅の間は男装します。自分の身は自分で守れます。剣術の腕はアルバートが保障してくれます」


 目をそらしたアルバートを父親達が呆れた顔で見ていた。


「それに解毒薬をつくるなら助手が必要では? 幼い頃から父の仕事は見てきましたし、薬学の知識もあります。私の実力は父が一番分かっています」


 目をそらしたトマスをランズベルト親子が驚いた顔で見ていた。


「足手まといにはなりません。私も連れて行ってください!」

「何も危険だけが待っているわけではない。状況によっては寝る場所も食べる物もままならない。そんな経験などしたことないだろう? 令嬢として育てられたお前が過酷な旅に耐えられるとは思えない。なにより私が、大事な娘を連れて行きたくはない。お前に何かあればソフィアに顔向けできない。頼むから私達に任せてここで待っているんだ」


 黙り込むリディアナにアルバートが肩に手を置き諭す。


「きっと手がかりを掴んで帰ってくる。だから――」

「嫌よ」


 アルバートの手を振りほどき、三人を睨みつけた。

『心配要らない』 

『大丈夫だ』 

『何もするな』

 バルサもトマスもアルバートも、ルイスでさえも皆リディアナにそう言う。

 これまで静かに過ごしていたのは婚約者という立場があったから。しかしその地位も捨てた今ーー。


「もう黙って待ちません。私もルイス様を守るために行きます」

「リディアナ!」

「婚約者の立場を失った私に何が残るのですか? 王都を追われて辺境の地で身を隠しながら屋敷に閉じこもって大人しく帰りを待てと? 修道院に入って無事を祈れと? 私の望みは大人しく待つことでも遠くから祈る事でもない。この国のために、命をかけてルイス様をお守りする事です」


 解毒薬を作り真犯人を見つけ、それで彼の危険が少しでも減るのなら行きたい。


「お願いですお父様。どうか忠義を尽くす機会を私に与えてください」


 三人はリディアナの本気を汲み取り、頭ごなしに否定するのをやめた。だがトマスは眉間にシワを寄せて厳しい表情を崩さず腕を組んでいる。簡単には許してくれそうにない。


「……」


 許されないのなら、その時は一人ででも行くわ。

 瞳に宿るリディアナの強い意志を、誰よりも先に友人であるアルバートが気づいた。


「ハァ。こうなるとこいつは一人ででも行こうとしますよ。無茶をして騒動に巻き込まれるくらいなら一緒に行動して監視していた方がマシです」

「アル!」


 渋々といった態度だが、アルバートの援護は現状打開の突破口だった。


「無理だと判断したら直ぐに帰す」

「うん!」

「喜ぶな! こっちは仕方なく言ってるんだ」


 喜ぶリディアナに釘を刺す。


「それから確認したいことがある」

「うん」

「何年かかるかわからない。おそらく俺達が戻った時には、陛下の隣にはお前じゃない別の女性が立っているはずだ。お前それでもいいのか?」


 新たな婚約者を設けて結婚する。当たり前のことだが想像したらすぐに返事は出来なかった。


「お前がルイス様の婚約者に選ばれた時、俺は信じられなかった。だがそれ以上に社交界で振舞うお前を見た時にはもっと信じられなかった。カルヴァン邸でも、トマス様が拘束された時も、お前は俺の知るリディアナじゃなく、きちんと陛下の婚約者だった。個人の感情よりも公人としての立場を優先して行動していた。だけど本来のお前は自分から動きたがる奴だ。婚約者として我慢していたなら、その地位を自ら捨てても陛下のためにあろうとするお前の覚悟を、俺は友として無視できない。だが、その覚悟の先にある未来をお前は受け入れられるのか? 俺はお前が傷つくくらいなら、そんな覚悟なんか捨てて陛下に迷惑かけても隣に居座ればいいと思うんだ」


 リディアナを心配しての忠告。


「今は、大丈夫だって言えない。でも、覚悟はする。ごめん」


 今の精一杯の正直な答えだった。

 俯いて搾り出すように答えたリディアナに、アルバートは「まったくお前達は……」と舌打ちした。

 一体リディアナに重ねて誰の事を言っているのだろう。


「いいじゃないかトマス。許してやれ」

「バルサ!」


 成り行きを見守っていたバルサが口を開いた。


「この子もまたお前と同じ、覚悟をもって国のために生きようともがく子だ」


 まさかバルサもリディアナの味方になってくれるとは思わなかった。


「考えてもみろ。国内にいられても対応が難しくなるぞ。お前の脱獄が知られれば世論が一斉に責めるのは残されたこの子だ。ソフィアはまだ由緒ある侯爵家の娘でお前との離縁という逃げ道もある」

「……」

「リディアナは一度命も狙われている。国内だからといって安全とは限らない」

「それはーー」

「陛下の悪あがきで無理やり想いを遂げようと既成事実を作られても困るし」

「ち・ち・う・え!」

「はいはい。逆に国外でお前達といてもらった方が安全かもしれんぞ?」


 残された娘の身の安全を天秤にかけ、トマスの心は揺れ動いた。


「お願いします!」

「……屋敷に戻らず今すぐにでも旅立つのだ。突然姿を消す理由を、ソフィアや使用人達は誰一人知らない。陛下でさえも我々は騙して行くのだ。別れも告げずに大切な人達を騙し、心配させるという身勝手な罪を背負う覚悟はあるのか?」


 トマスは最後にリディアナに問うた。

 黙って行くとはそういうことだ。

 窓辺に座り、外をぼんやり眺める母の姿を思い出す。リディアナが家を出たら心配で眠れぬ夜をむかえるかもしれない。恨まれるかもしれない。

 無事に戻ってきたとしても、全て元通りという訳にはいかない。

 ごめんなさい。

 それでもと、強い決意を胸にリディアナははっきりと返事をした。


「行きます」


『何も心配いらない』

『君を必ず私の妃にする』

『私の気持ちは変わらない』


 あんなにたくさん、言葉を貰ったのに……。


『きちんと話がしたい』


 ルイス様……、ごめんなさい。

 それでも私は貴方のために生きたいのです。



    ***



 翌日、トマス=エルドラント侯爵の脱獄は国中に瞬く間に広がった。

 同時にトマスの娘でルイス国王の婚約者であるリディアナ=エルドラントも行方不明となり、大騒動となった。

 王都ではエルドラント父娘の行方に様々な憶測が飛び交った。

 ルイス国王は国中の兵を総動員して血眼になって二人の行方を捜索した。

 しかし一年経ってもエルドラント父娘を見つける事はできなかった。



 季節は秋から冬へ。

 長い冬が過ぎ、新芽が伸びやかに土から飛び出した温かい春の日、ルイスの戴冠式が執り行われた。


 第十六代国王 ルイス=フォン=フェルデリファ国王の誕生である。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る