第20話 脱獄
アルバートはトランクに最低限の荷物を詰め終えると、ソファで一時休息をとっていた。
目の前のテーブルには手紙が二通。
読み終えたその二通を暖炉に放り、証拠を隠すと差出人の到着を待った。
「……はぁ」
慌ただしい一日になりそうだとこめかみを押さえて天井を仰ぐ。
「若様。お客様がご到着です」
控えめなノックと小さな声は、事前にアルバートがお忍びでの来客がある旨を伝えていたからだ。
「通してくれ」
アルバートの私室は二間続きになっており、応接ができる家具が置かれていた。
案内されたリディアナは、慣れた足取りで部屋へと入る。
寝室へ続く扉は固く閉められてはいるが、彼女の立場を考えたなら配慮すべきである。気を利かせたが家令が一礼して廊下へ続く部屋の扉を少し開けてくれた。
男達の気遣いに気づきもしないリディアナは、暖炉の横に置かれたトランクケースを見ると訝しげな顔をした。
「旅行にでも行く気?」
アルバートは肩を竦めた。隠すつもりはないがアルバートも目的と行き先を分かっていないのだ。
二通の手紙の内一通はリディアナからで、もう一通は父バルサからの緊急の連絡だった。
王城から届いた手紙には、「荷造りを済ませて待機せよ」とだけ書かれていた。
詳細は分からないが考えなしで指示を出す方ではないので、アルバートは言う通りに荷物を詰めた。
その後でリディアナからどうしても会いたいという手紙が届いた。極力人目を避けてほしいという要望付きで。
初めは断るつもりだったが、思い詰めていたリディアナを放っておけるはずもなく、父から連絡が来るまでの時間で会うことにした。
目の前には外套のフードを目深に被ったリディアナの姿。
「お前こそ。そんな恰好で旅行にでも行く気か?」
部屋に入った時から張り詰めた空気を纏うリディアナ。
「悪いが時間がない。簡潔に頼む」
二人は同時にソファへ座り、アルバートは用件を訊ねた。
リディアナは答える代わりにゆっくりとフードを外した。
「!」
フードを外して露わになったリディアナの姿に驚愕する。腰まであった長い髪は顎の先で短く切りそろえられていた。
「切った」
「切ったって……なんで」
何度見てもリディアナの髪は短く切りそろえられている。女性が、貴族令嬢が、陛下の婚約者が、男のように髪を短くするなんて信じられないと目を疑った。
「男装の方が色々と動きやすいし、後戻りしないための覚悟の証?」
「……聞きたくねえー」
髪を切ってまでするお前の覚悟なんて聞きたくない。聞いたら巻き込まれるに決まっている。
耳を塞ぎたくなったアルバートに、リディアナは更なる衝撃を与えた。
「今日陛下に婚約破棄を願い出たわ。私、侯爵家を出ることにしたの」
「はぁあ!? どーー」
「どういうことかな?」
「「!」」
よかれと思って僅かに開けた扉から、二人の会話を聞いてバルサが割って入った。
「ち、父上」
「どういうことなのか私にも説明してくれ」
リディアナと同様にアルバートを振り回すもう一人の人物。父バルサの登場にアルバートは動揺した。
「こんなに早くいらっしゃるとは思いませんでした」
リディアナとアルバートは席を立って一礼した。
「陛下の婚約者と私室に二人きりとは。公爵家の嫡男として軽率だぞ」
「……すみません」
「婚約破棄と言ったか。正式な発表もされていない中で軽はずみにしていい話ではないな」
「……はい」
「理由次第ではその短く切られた髪も合わせて責任を取ってもらうことになる」
「はい」
バルサはリディアナを席につかせた。
アルバートは話が外に漏れないよう、開いた扉を閉めようと取っ手に手を掛けた。
「!?」
廊下に人の足が見え、驚きで声が出そうになった。
「アルバート。それは放っておいていい。座れ」
「……はい」
一体、父は何を考えているんだ!
驚き以上に沸々と怒りが込み上げる。廊下で立ち聞きをしている人物を見て頭が痛くなった。
アルバートは深呼吸をしてからリディアナの隣に座った。
「さて、婚約者を辞退すると言っていたな」
「はい。陛下にその旨をお伝えしました」
「ほう。それで返事は?」
「却下されました」
「だろうな」
くっくっと含み笑いをしたバルサは、先程までの張り詰めた空気とは逆で実に楽しげだ。
リディアナも少し緊張が解れたようで、肩の力を抜いて話を続けた。
「私との婚約を解消しないのは、父と侯爵家を守るためだと思います」
「くはっ! 陛下お気の毒に……」
「父上」
アルバートが「ふざけ過ぎです」と窘める。
リディアナは首を傾げながらも自分の考えを伝えた。
「先日の国葬で私の置かれている立場を痛感しました。このままではルイス様に迷惑をかけると思ったので、婚約破棄を願い出ました。しかし、お返事からルイス様が承諾してくださらないと分かりました」
アルバートは先日の国葬を思い出していた。
あの葬儀は酷かった。
一人の少女をいい大人が大勢で追い詰めるとは。噂を鵜呑みにする愚かな貴族が増えたものだ。はたまた集団心理で憎悪を助長したか。胸糞が悪い。
ルイスに至っては怒りで全員の首を刎ねる勢いだった。
「父が捕らえられて三カ月になります。命じたルーカス王は崩御し、未だ犯人も捕まっておりません。我々が無実を訴えても世論は既に父を犯人と決めつけています。父の無実を証明するには、真犯人を捕らえるしか道は残されていないのでしょう」
「……」
「私は無知を恥じました。あんな状態で私は三か月も、いえそれ以上の月日をルイス様に守られていたのだと知りました。今はまだ非難の目はエルドラント家に向いています。しかし大罪人の娘が婚約者なら、ルイス様が非難されるのも時間の問題です。エルドラント家は主君に害をなす状況を望みません。故に婚約破棄を申し出ました」
バルサの瞳には楽しげな光が宿っていた。
どんなに深刻な状況下でも面白いものを見つけるといつもこんな表情をする。父の悪い癖だった。
「ルイス様は父を信じ盾となっておりますが、本来守るべきは侯爵家ではなく国王であるルイス様のはずです」
「なるほど。侯爵家はどうなろうともかまわないと?」
リディアナは立ち上がり、バルサとアルバートに深く頭を下げた。
「本日はランズベルト公爵家に、母と使用人達の保護をお願いに参りました!」
「ほう」
「侯爵家は元々母の生家です。私の婚約が解消されて父とも離婚すれば、少なくとも母と使用人達は守れるのではないでしょうか?」
「そうだな。では父親を見捨てるのか?」
「いいえ。私が父の無実を証明してみせます。その間は不憫をかけますが、ルイス様の恩情で現状より酷くなる事はないと考えます」
「どうやって証明する?」
「毒薬から犯人の手がかりを掴もうかと」
「そんな初歩的な捜査は既にやった後だ。君一人で捜査が劇的に進展するとは思えん」
「それでも私がやらなければ。どんな小さなことでも調べ直します。父は、絶対に犯人ではない。犯罪に手も貸しておりません!」
「当たり前だ」
きっぱりと、当然のようにトマスの無実を信じているバルサに、リディアナの瞳が揺れた。
「父は私のために嵌められたのです……。バルサ様、どうか力をお貸しください!」
「言われずともそのつもりだ。だからこうしてトマスを連れてきた」
「…………え?」
「聞こえなかったか? トマスを連れてきた」
にこりと微笑んだバルサは、立ち上がると扉の前に立ち、後ろ手で開け放った。
「諸々の説明は後にして、先ずは感動の再会といこうか」
バルサが振り返った視線の先に、ゆっくりと姿を現した壮年の男。獄中にいるはずのトマス=エルドラントが姿を現した。
「お父様!」
叫ぶと同時にリディアナは駆け出してトマスに抱きついた。
頬はこけ、目の下には隈ができている。
やせ細った姿になっても力強く娘を抱きしめると、「すまない」と噛み締めるように謝った。
「謝るのは私のほうよ。私のせいで――」
「そうじゃない。これは私が招いた事だ。王妃を救えず国王の心情に沿えなかった」
トマスはリディアナの短い髪を梳き、悔いるように苦しげな表情でもう一度謝った。
「ソフィアを支えてくれてありがとう。よくエルドラント家を守ってくれた。それに、私に代わってルーカス様の葬儀に参列してくれたそうだな。辛い想いをさせてしまったが……ありがとう。お前を誇りに思うよ」
リディアナの目から零れる大粒の涙をトマスが優しくふき取る。二人はもう一度再会の喜びに抱擁した。
「いいねぇ。感動の再会だ」
「感動の再会……で済む訳無いでしょう! どういうことですか!」
エルドラント父娘とは逆に喧嘩を始めたランズベルト父息。
「侯爵は嫌疑をかけられ拘束中の身。それがなぜ我が家の、俺の部屋にいるのですか!」
「牢獄から拉致してきたからに決まっている」
「はぁあ!?」
悪びれる様子も無いバルサに呆れる。下手したら国家反逆罪に問われる愚行だ。
ランズベルト家を背負い、国の宰相としての行動とは到底思えない。一体何を考えているのか。
責め立てるアルバートを無視し、バルサはソファに腰かけると三人を見渡した。
「役者は揃った。今度はこちらの話を聞いてもらおうか」
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