第17話 差し出された手を


 国王の葬儀は数ヵ月かけて執り行われ、国民は一年間の喪に服すこととなる。

 十六代国王には王太子であるルイスが即日即位し、戴冠式は喪が明け次第執り行われる予定だ。


 リディアナは大変難しい立場になっていた。

 王命でかけられた父の嫌疑は取り下げられることなく王は崩御してしまった。

 婚約破棄も止むなしと思っていたが城からの知らせもない。未だルイスの婚約者に据えられていた。

 国王が亡くなったことにより、必然的にリディアナは王太子の婚約者から国王陛下の婚約者となった。結婚すれば王太子妃ではなく王妃となる。

 しかし父であるエルドラント侯爵は王妃殺害の嫌疑で身柄を拘束されたまま。無実ではあるが、ルイスからしてみれば母親殺害に関与した男の娘が婚約者なのだ。結婚などあり得ない。

 しかし婚約破棄の一報もなく、国王亡き後、どのような処遇になるのか不透明な状態が続いた。



 国葬への参列に微妙な立場のリディアナは悩んでいた。

 先日ルイスから国葬の案内が届き、リディアナには王族の一員として参列するよう書かれていた。

 際どく危うい立場にあるリディアナが、王族の扱いを受ければ新国王となるルイスにもたらす影響は計り知れない。

 すぐに断り、婚約破棄の件も伺いをたてた。


「わたくしは参列しないわ。……絶対に」


 母はあれから部屋に籠るようになった。

 窓辺の椅子に掛け、庭園をぼんやり眺めながら国葬への参列を拒否した。

 父を心から愛する母の気持ちは痛いほど分かる。無理やり行かせるのは酷というものだ。

 迷った結果、侯爵家が参列しないのは不敬に当たるので、リディアナが侯爵の名代として参列することにした。

 参列してもしなくても何かしらの非難は受けると分かっていた。それなら少しでも後悔しない方を選ぼう。

 父はこんな扱いを受けても、忠誠を誓った国王の葬儀には参列したかったはずだと思うのだ。



    ***



 国葬が執り行われる大聖堂は、広大な王城の敷地内にあり、マーガレット王妃の葬儀を執り行った場所でもある。

 豪奢な作りの扉をくぐり、大理石の廊下を真っ直ぐに進むと参列者が椅子に座し国王の死を悼んでいた。

 侍女のナナリーと共に一歩足を踏み入れたリディアナ。一気に大聖堂の空気が一変した。


 一瞬で、リディアナの考えはあまかったのだと思い知る。


 人の多さに比例しない静寂。

 声にならない悲しみが怒りへと塗り替えられていく。

 何百という目がリディアナへと集まり、侮蔑と驚きに嘲笑が入り混じる。無数の目はリディアナを責め立てていた。


「これほどにも……」


 ショックだった。

 これほどにも父が犯人だと信じている者がいるのか。

 無数の憎悪に足がすくむ。挫けそうになる気持ちを奮い立たせて背筋を伸ばした。

 やましいことなど一つもない。父も、私も、エルドラント家も!

 悔しさをバネに一歩一歩力を込めて席に向かうが、毅然とした態度が参列者を逆撫でしてしまう。


「よくもルーカス様の前に姿を表せたな!」


 崩御された王の名を叫び、リディアナを非難した男性。それを皮切りに津波のように言葉が襲い掛かってきた。


「誰かあの娘を追い出して!」

「信じられない。どんな神経をしているの?」

「ルーカス様の死期を早めた張本人が!」

「まだ婚約者のつもりでいるのかしら」


 憎悪は伝染して非難は最高潮に達し、収集がつかなくなる勢いとなった。

 そこでリディアナは参列するべきではなかったのだと気づいた。騒ぎ立ててしまいルーカス王に申し訳なかった。

 ぐっと歯を食い縛り非難と罵倒に耐える。

 隣に控えるナナリーは恐怖で小刻みに震え、俯いた顔は真っ青で今にも泣きそうだ。

 ああナナリーあなたを連れてくるべきではなかった。

 リディアナはナナリーの肩を掴んで支え、彼女だけでもこの理不尽な悪意から必死に守ろうとした。


「み、皆様静粛に! ルイス国王が到着されました!」


 大聖堂に響いた神官の声に一同静まり返る。

後戻りの出来なくなったリディアナは慌てて席についた。

 入り口へ体を向けると、新国王となったルイスは既に立っていた。

 一同は立ち上がり、最上級の貴族の礼をとって首を垂れた。

 

「……」


 沈黙の後、静まり返った大聖堂にルイスの大理石を闊歩する足音が鳴り響く。

 その音がリディアナの席に近づき、止まった。

 足元からゆっくりと顔を上げていく。ルイスはリディアナを見下ろしていた。


「……」


 ああ、紫紺の瞳を見つめると泣きたくなるほど安心できた。

 震えるナナリーと手を繋いだまま、何ヶ月ぶりかに会うルイスの姿に顔が綻んだ。ルイスには痛々しく映っていたようだ。


「……だから共に参列しろと言ったのだ」


 掠れた声で呟いたルイスは、いつもの不機嫌顔ではなく苦し気だった。

 また全ての責任を負って自身を責めているのだろう。

 この場で口を開くことは出来ないが、首を横に振り、違うのだと微笑む。

 すると、ルイスがリディアナに手を差し出した。


「!」


 『隣に来い』と、この悪意ある場所からリディアナを救い出し、自らが盾になろうという。

 ルイスの優しさに胸が苦しくなった。

 彼が代わりに非難を受けると知ってどうしてその手を取れようか。


「リディアナ様は侯爵家の名代として参列しているようです」


 だから我が儘はいけませんねぇ、とルイスの後ろに控えるバルサが囁いた。

 それでも手を引かないルイスに、「今は波風を立てる時ではありません」と語気を強めて進言した。


「……」


 ルイスの手は真っ直ぐにリディアナに差し出されたままだった。

 一向に席につかないルイスに首を垂れたままの参列者もざわめきだす。

 リディアナは大きく首を横へ振り、手をとる意思はないと伝えた。


「……」


 そこでようやくルイスは腕を下ろした。

 眉間に皺を寄せ、納得のいかない表情をしながらも、歩を進めて席へと着いた。

 ルイスが着席して一斉に参列者も席につく。

 会場は熱が冷めやらず、神官が意図的に咳払いをして静かにさせた。


 葬儀は厳かな雰囲気の中で滞りなく進んでいった。

 視線だけは針のむしろのように突かれている。

 国王に祈りを捧げなければならないのに、心はずっと別のことを考えていた。

 ここへ来て思ったよりも現状は厳しいものだと知った。

 その中でもルイスはリディアナを気にかけていた。手紙にもリディアナとの婚約を破棄せず継続する意思があると示した。

 

「……」


 おそらく、ルイスはエルドラント家と父を守るためにリディアナを見捨てないでくれている。

 ルイスは父の潔白を信じている。しかし世間はどうだろうか?

 生前に王命まで出して嫌疑をかけられ、未だに真犯人も無実の証明も出来ない男とその娘を誰が信じるというのか。

 ルイスが世論に反して意思を貫けば、国民は反感を抱くだろう。

 ルイスの言う通り、やましい事などないのだから堂々としていればいい。しかし潔白だからといって彼に、その背に、負担をかけてもいいのだろうか。


『隣に来い』

『自らが盾になろう』


 差し出された手を……、私は掴むことが……。


「黙祷」


 司教の言葉とともに皆が祈りをささげる。

 リディアナもゆっくりと目を閉じた。

 考えるまでも無く、あなたが取るべき行動は決まっているでしょう? そう、自らに返事をした。




 その日の夜、リディアナは珍しく熱を出し寝込んでいた。

 医者が言うには心労から来る風邪だそうだ。

 ソフィアとナナリーの心配な顔をぼんやりと眺める。

 心労か。たしかにここ最近色々ありすぎて疲れていた。

 熱のせいかひどく頭痛がして体中が痛い。暗くて大きなベッドは心細くて不安になる。

 今は何も考えたくないと、リディアナは重いまぶたを閉じて夢の中へと逃げたーー。

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